FF8
F.H.の市長。住民からは駅長と呼ばれている。
筋金入りの反戦論者で、スコールらSeeDを「力でしか物事を解決できない人種」として忌み嫌っていた。
元は近代国家エスタの技術者であり、百汽長の座に就いていたが、その技術を軍事転用されることを危惧して高官達を説得したものの力及ばず、釣りじいさんらと共にエスタを抜けて大海の真ん中にF.H.を作り上げる。
操縦不能に陥ったバラムガーデンごと突っ込んできたスコールらを最初は歓迎していなかったが、ガルバディア軍が侵攻してきた際に「言葉」で兵士達を説得しようと試みたものの果たせず、あわや街を焼かれるところを乱入してきたスコール達に救われる形となった。
その後のスコールの説得によって、僅かながら「バトル野郎」への見方を変えたようだ。
- とはいえ、言葉を尽くして訴えたかどうかに関わらず、以降はフローともども口を聞いてくれなくなる。でもカード勝負には応じる…。
- またカードに応じるときのセリフもかなり没個性的。後々の出番がセリフごとボツになったようなちょっとした違和感がある。
今でこそ駅長という立場だが、「出ていっては問題の解決にはならん」と、多くの職人がエスタを去り、F.H.を作ろうとした中で、最後までエスタを変えることに力を注ぎ、エスタの高官たちの説得を続けていた。
彼が「話し合い」にこだわるのは、そんな過去と、その時の自分の誇りからである。
- ちなみにF.H.の名前が、実は釣りじいさんのボケであったことは知らないらしい。高官達に「フィッシャーマンズ・ホライズンは絵空事では断じてない!」とまで言ってた彼が、このことを知ったらどうなるかは不明だ。
「暴力はいけない」、「話し合いで解決しよう」とだけ言えば聞こえはいいが、スコールが(全く正しい。眠くなるほど正しい)と皮肉るように、現実を見ずに頭ごなしにスコール達を批判するのはどうかと思う。
現実には話し合いで解決できる問題などごく僅かしかないのだから。
- 別にごく僅かっていうことはないだろう。ただ、ドープらの態度が極端に見えることも確か。
- 話し合いではどうにもならない場合もある。
- まあ酷い平和ボケというかそれじゃ何も守れないだろと思うけど、とにかくこの人は「どうしても戦うのが嫌」だったんだろう。だからしょうがない。
- 確かに話し合いだけで解決せず、戦争でカタをつける(つけてしまう)事は多いけど、だからと言って話し合いと非暴力主義が悪い訳ではない。そう言う意見を持つ者も必要。F.H.に武力がないせいもあるだろうけど、それなりの暴力や武力を見せられて報復とまでいかなくとも殴り返さない以上、一貫しているので浅い平和ボケでもなかろう。
- ハナから話し合いに応じる気のないような人もいて、自分たち以外の人間が壁になり戦ってくれてる事でやっとなり立ってる主義を掲げながら、その人たちを「暴力でしか解決できない人種」とこき下ろしてるのは武力戦争が現実として起こっている事を知らない平和ボケ以外の何者でもない。
- 彼の言う通り話し合いで物事が全て解決するならガルバディアとの戦争なんて起きないし魔女との争いも起きない
- 「暴力はいけない」、「話し合いで解決しよう」というセリフを聞いて思ったが、FFTのラムザも同じ様なセリフをウィーグラフに言っていたな。
ドープ駅長とは違い、ラムザの場合、当時は「世間知らずの甘ちゃん」であったのだが。
- 「暴力はいけない」、「話し合いで解決しよう」というセリフを聞いて思ったが、FFTのラムザも同じ様なセリフをウィーグラフに言っていたな。
- そりゃ自分が話し合いで解決する意欲がまるでない(もしくは利己的、ワガママ)なら話し合いで解決できる問題がごく僅かにも見えるだろう。その現実はマッチポンプでつくられたものだからな。話し合いによる解決はお互いのすり合わせで行われるものだから相手次第のところがある、だがそもそも自分がすり合わせる気がなければそれ以前の問題。
- 上でいう「現実」とはFF8世界における現実のことでは?
過去のエスタや現在のガルバディアのような暴力が蔓延る世界だというのに、それらに対する備えをして臨んでいる各勢力からすれば「暴力に対抗する手段など持ちたくないが、自分達には暴力を振るわれたくない」という考えはそれこそ利己的なワガママに見えるだろう。暴力で解決するつもりの相手と対話をしたければ、まず話を聞いてもらえる状況を作り出す能力が求められる。
ケツァクウァトルのカードを所持している。
が、なかなか使ってこない上、カードを選ぶ時は長考しているかのように遅い。