生まれ
とみたのぶたか
?~1633
どんな人?
戦国時代の武将
伊勢国津藩主→伊予国宇和島藩主。
富田一白の長男として生まれる
最初は豊臣秀吉に仕えていた。
1599年に父が死ぬと父の領地も受け継ぎ3万石の大名となった。
1600年に関ヶ原の合戦が始まると徳川方につく
300人の家臣を率いて徳川家康とともに上杉景勝征伐に向かった。
小山で改めて家康につくことを決意し、安濃津に戻って伊賀方面からやってくる西軍に備えた。
安濃津城の攻防戦では富田信高・分部光嘉・古田重勝らとともに奮闘
そこへ一人の美しい若武者がかけつけ、皆でホレボレしてしまった。
それがどうやら信高の妻だったらしい。
結局、安濃津城を守りきることができず、信高は剃髪して高野山へ行ったが、戦後徳川家康によって旧領を安堵され、さらに加増となった。
が、義弟の坂崎直盛とトラブルを起こしてしまい、コレが幕府の知れ渡るところとなり改易となってしまう。
裏ではどうやら大久保長安事件が絡んでいたといわれている。
その後、長男が徳川頼房の家臣となったため、子孫は水戸藩士となった。
逸話
●次男は館林藩主だった徳川綱吉の家臣となっていたため、のちに上級旗本となった
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関連のある人々
父親・・・富田一白
正室・・・宇喜多安信?の娘
長男・・・富田知章?
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ