富田信高

Last-modified: 2010-03-03 (水) 15:34:35

生まれ

とみたのぶたか
?~1633

どんな人?

戦国時代の武将

伊勢国津藩主→伊予国宇和島藩主。

富田一白の長男として生まれる

最初は豊臣秀吉に仕えていた。

1599年に父が死ぬと父の領地も受け継ぎ3万石の大名となった。

1600年に関ヶ原の合戦が始まると徳川方につく

300人の家臣を率いて徳川家康とともに上杉景勝征伐に向かった。

小山で改めて家康につくことを決意し、安濃津に戻って伊賀方面からやってくる西軍に備えた。

安濃津城の攻防戦では富田信高分部光嘉古田重勝らとともに奮闘

そこへ一人の美しい若武者がかけつけ、皆でホレボレしてしまった。

それがどうやら信高の妻だったらしい。

結局、安濃津城を守りきることができず、信高は剃髪して高野山へ行ったが、戦後徳川家康によって旧領を安堵され、さらに加増となった。

が、義弟の坂崎直盛とトラブルを起こしてしまい、コレが幕府の知れ渡るところとなり改易となってしまう。

裏ではどうやら大久保長安事件が絡んでいたといわれている。

その後、長男が徳川頼房の家臣となったため、子孫は水戸藩士となった。

逸話

●次男は館林藩主だった徳川綱吉の家臣となっていたため、のちに上級旗本となった

関連のある人々

父親・・・富田一白

正室・・・宇喜多安信?の娘

継室・・・宇喜多忠家?の娘(宇喜多秀家の養女)

長男・・・富田知章?

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ