本多忠刻

Last-modified: 2010-03-05 (金) 13:41:56

生まれ

ほんだただとき
1596~1626

どんな人?

江戸時代の大名

播磨姫路新田藩の初代藩主

父親は徳川四天王として有名な本多忠勝の息子・本多忠政

母親は徳川家康嫡男だった松平信康と、織田信長長女?徳姫との間に生まれた熊姫

おいたち年表

幼い頃から剣術が好きで、宮本武蔵を向かえて教わっていた

大阪の陣のあとに、夫・豊臣秀頼が自刃し戻ってきた千姫と結婚する

が、31歳で死去してしまった

逸話

宮本武蔵の養子・宮本三木之助?小姓として出仕させ、側近にした。が、忠刻が死去すると殉死した
●ものすごい美男子だったといわれている

関連のある人々

父親・・・本多忠政

母親・・・松平信康の次女・熊姫

弟たち
本多政朝
本多忠義?

正室・・・徳川秀忠の娘・千姫
娘・・・勝姫 池田光政の正室

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・