生まれ
ながいなおかつ
1563年生まれ
1625年没
どんな人?
戦国時代の武将
はじめは徳川家康の嫡男・松平信康に仕えた。
が、16歳の時に信康が織田信長によって切腹させられてしまうと、徳川家を去っていった。
17歳の時に徳川家康に声をかけられ、再び家臣になる。
そして21歳の時の小牧・長久手の戦いで池田恒興を討ち取った。
32歳の時に豊臣秀吉から豊臣姓を貰う。
関ヶ原の後は合計1万石を与えられ、大名となった
大阪の陣にも参加し、加増してもらった。
逸話
●長男の尚政は超美形らしい
●子孫に作家の永井荷風や三島由紀夫?がいる
●自分が討ち取った池田恒興の次男・池田輝政がのちに小牧・長久手の戦い?で父親を討ち取ったことを話してくれと言ってきた。で、討ち取った後、5000石の知行だったことを知ると、輝政は「自分の父親を討ち取った功績がたった5000石しかなかったのか」と悲しんだらしい
●長男の尚政は超美形らしい
関連のある人々
父親・・・長田重元?
正室・・・阿部正勝の娘
子
永井尚政(長男)
永井直清(次男)
永井直貞(三男)
永井直重(四男)
娘(柴田康長?の正室)
娘(土屋利直?の正室)
娘(淳美友之?室)
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ