浅野長重

Last-modified: 2010-01-26 (火) 15:29:02

生まれ

あさのながしげ
1588~1632

どんな人?

戦国時代~江戸時代前期の大名

忠臣蔵?で有名な浅野内匠頭の曽祖父

浅野長政の三男として生まれる

母親は浅野長勝の娘で、この母親の姉が豊臣秀吉正室ねね

そのため、豊臣家?からとても優遇された

豊臣秀吉は最初長重が生まれたとき、下野国の豪族である宇都宮国綱の養子にしようとしたんだけど、国綱の弟である芳賀高武が大反対したため、養子話はなくなってしまった

1599年、長重が11歳のときに徳川家康の命令により江戸へ行く

そして家康の三男・徳川秀忠小姓となった

関ヶ原の合戦が始まると、徳川秀忠上杉景勝征伐に向かうが、長重はまだ幼いということで出陣を許されなかった

関ヶ原では浅野一族はかなり頑張ったため、長重は2万石を貰った

徳川家康は長重をとても信頼しており、小田原藩主大久保忠隣改易された際には安藤重信本多忠朝とともに小田原へ行かせたりと、何かと重宝した

大阪の陣にも出陣し、大阪夏の陣では毛利勝永と戦った

ここでは負けてしまうが、家臣の大石良勝がかなりの活躍をした

この時から、大石家は浅野家の家老となる

徳川家康が死ぬと、二代目将軍に徳川秀忠が就任する

秀忠も長重を信頼しており、本多正純改易になった時などの手続きを命令したりした

で、秀忠は長重を加増してあげるつもりだったんだけど、長重はそれを断った

その後、江戸城普請をしたりと、アレコレ仕事をしていたが、45歳で死去した

逸話



関連のある人々

母親・・・浅野長勝の娘

兄・・・浅野行長
兄・・・浅野長晟

正室・・・徳川家康の養女(松平家清の娘)

長男・・・浅野長直
娘・・・浅野長治の正室

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ