細川興秋

Last-modified: 2009-11-12 (木) 15:26:11

生まれ

ほそかわおきあき
1584年生まれ
1615年没

どんな人?

戦国時代の武将
細川忠興細川ガラシャの次男
ガラシャはキリシタンへの思いを捨てきれず幽閉されていたが、幽閉を解かれ大阪に戻ってきたその年に生まれた。
16歳の時関ヶ原の合戦が始まり、父や兄の細川忠隆と一緒に参戦し、戦功をあげた。
20歳の時に江戸で徳川家の人質となっていた弟の細川忠利が細川家の後継ぎとして決定する。
で、興秋が弟の代わりに江戸で人質になることに。
そして江戸へ向かう途中で、なんと出奔してしまった
その後ずっと消息不明だったんだけど、大阪の陣で豊臣方についた。
で、豊臣方は敗北となり、戦後父親から切腹を命じられてしまった。

逸話

●切腹させたというのは徳川家に対する建前で、ホントはひっそり助けてかくまっていたという説もある
●江戸へ行く途中出奔したのは、弟が後継ぎになってしかも身代わり人質がいやだったから

関連のある人々

父・・・細川忠興
母・・・細川ガラシャ
祖父・・・細川幽斎明智光秀
養父・・・細川興元

兄弟

細川忠隆
細川忠利
細川立孝
細川興孝
おちょう(前野景定室)
こほ(松井興長室)
たら(稲葉一通室)
まん(烏丸光賢室)

妻・・・ 氏家行継
娘・・・(南条元信室)

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ