細川忠興

Last-modified: 2010-01-29 (金) 14:29:00

生まれ

ほそかわただおき

どんな人?

おいたち年表

1563年0歳足利家の家臣・細川幽斎の子として誕生する
1573年11歳お父さんが足利家を出て行く。お父さんは織田信長に仕え明智光秀与力になった  
1579年17歳明智光秀の娘・細川ガラシャと結婚。信長もとても喜んだ  
158018歳丹後の一色家を攻める   
1582年20歳本能寺の変織田信長が死去。義理の父親・明智光秀から味方になるようお願いされるけど、拒否する。そして妻の細川ガラシャを幽閉してしまう   
1582年20歳父親から家督を譲られ、田辺城主になる  
1583年21歳賤ヶ岳の戦いでちょっと活躍  
1584年22歳小牧・長久手の戦いに参戦   
1584年22歳豊臣秀吉に許されて、妻の細川ガラシャが戻ってくる。その間に側室を作った   
1595年33歳豊臣秀次事件がおきて、秀次から借金をしてたため秀吉に疑われる。でも徳川家康が助けてくれた   
1598年36歳秀吉が死んで徳川家康に仕える   
1599年37歳徳川家康と、同じく五大老前田利家の仲が悪くなっていく。その仲裁役をしたりした   
1599年37歳大嫌いな三成を殺そうとして、福島正則加藤清正と三成を襲うけど失敗   
1600年38歳関ヶ原の合戦徳川家康に従って上杉景勝討伐に行く。その途中で妻の細川ガラシャが西軍の人質になるのを拒んで自害したことを知る。本戦では島左近と戦う   
 歳戦後は豊前国中津39万石の大名になる   
1602年40歳居城を小倉城に移す   
1610年48歳父親の細川幽斎が死去   
1615年53歳大阪夏の陣。徳川方に参加するんだけど、次男の細川興秋が豊臣方についたので切腹させた
1620年58歳三男の細川忠利に家督を譲って隠居する   
1632年70歳肥後国へ転封する 
1646年84歳死去   

逸話

●なぜ家督を三男に譲ったのかとゆーと、三男は江戸に人質に行ってて、徳川家と仲良しだったから
●細川ガラシャと婚姻した時に媒酌人を務めたのは織田信長。とても愛らしい夫婦だと、非常に喜んだ

関連のある人々

父・・・細川幽斎
母・・・沼田光兼の娘
養父・・・細川輝経?

●兄弟

細川興元
細川幸隆
細川孝之
妹(吉田兼治の妻)
妹(木下延俊の妻)
妹(長岡好重?の妻)
妹(長岡孝以?小笠原長良?の妻)

●正室・・・明智光秀の娘・細川ガラシャ
●側室・・・郡宗保の娘・明智光忠の娘・清田鎮乗?の娘・真下元家の娘

●子供たち
細川忠隆
細川興秋
細川忠利
細川立孝
細川興孝
おちょう(前野景定室)
こほ(長岡興長?室)
たら(稲葉一通室)
まん(烏丸光賢室)

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・愛 「細川ガラシャの夫ということで興味持ちました!側室いたんですね。がっかりです。しかもいっぱい!!!ガラシャがかわいそう!!」

●二番手・・・蒼天