艦爆一覧/ダグラスSBD

Last-modified: 2024-03-17 (日) 16:16:16

ダグラスSBD

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重量3.02t最高速度394km/h
運動性能C爆弾威力3,680
被発見距離4313m発艦準備時間8.0s
購入ダイヤ-購入ゴールド-
必要技術-
アメリカのダグラス・エアクラフト社が開発した艦上爆撃機。
優れた運動性と爆撃力を持ち、大きな戦果を上げている。

解説

  • 第4回絶対防衛戦線のコンテナ目玉景品であるレキシントン級空母のパーツとして実装された艦載爆撃機。

史実での扱い

 当初基本設計はノースロップ社でXBT-2の名称で行われていたが、ダグラス社が設計を引き継ぐこととなり、XSBD-1と名称が変更された。
 海軍型の愛称の「ドーントレス (dauntless)」とは、「恐れを知らない、勇敢な、不敵な、がまん強い、不撓不屈の」などを意味する形容詞である。陸軍向けにも製造され、A-24 バンシー(Douglas A-24 Banshee)として制式採用され、後にF-24と改称された。
 1939年4月より初期型の海兵隊用SBD-1が57機、海軍用SBD-2が87機量産された。部隊配備は1940年に海兵隊から開始されている。しかし、欧州におけるドイツ空軍の急降下爆撃機Ju 87 スツーカに衝撃を受けた軍は性能が不十分であると判断し、エンジン・防弾性能・機銃攻撃力などに大幅な改良を加えた中期型のSBD-3を584機生産した。このSBD-3は同時期に使用された九九式艦上爆撃機と比較して速度、航続距離、武装、搭載量などはるかに凌ぐ性能であった。
 1941年12月に開始した太平洋戦争で、最初にSBDを使用したのは、アメリカ陸軍であった。SBDの空母用装備を取り外したA-24がフィリピン・オーストラリア・ニューギニアの航空基地に配備され、南進する日本軍と戦闘を繰り広げた。
 1942年5月、珊瑚海海戦でアメリカ海軍は初めてSBDを使用した。SBD-3は、共同で運用された雷撃機TBD デバステイターの性能が貧弱で、日本艦隊に有効な打撃を与えられない中、空母祥鳳を撃沈し、翔鶴を中破させた。
 1942年6月、ミッドウェー海戦においては、TBD、およびこれが初陣となる新型雷撃機TBF アベンジャーが戦果を挙げられずに日本機動部隊の直掩戦闘機に低空で撃墜され、全滅に近い損害を受ける中、クラレンス・マクラスキーおよびマックス・レズリーの率いる本機で構成された部隊が、高空から防空の隙を突いて同海戦に参加した日本機動部隊の4空母のうち赤城、加賀、蒼龍の3隻を同時に攻撃して撃沈し、残った飛龍も別に出撃した本機の部隊が撃沈して日本機動部隊主力の撃滅に貢献した。
 8月7日、ガダルカナル島のアメリカ軍上陸部隊への攻撃に向かった台南海軍航空隊の零戦と第四航空隊の一式陸攻をアメリカ海軍の艦載機が迎撃した。SBDもこの戦闘に参加しており、後方旋回機銃で、SBDをF4Fと誤認して後方に回った坂井三郎の零戦を撃破している。
 8月24日、第二次ソロモン海戦では、日本の空母龍驤を撃沈する戦果を挙げた。エンタープライズの索敵機として日本の機動部隊を発見した。そのまま翔鶴に対して急降下爆撃を行うが、命中しなかった。
 10月、南太平洋海戦では索敵機として日本より先に敵機動部隊を発見する。そのまま急降下爆撃を行い、瑞鳳の甲板に命中し戦線離脱させた。その後、攻撃隊として翔鶴と重巡筑摩を大破させた。

コメント欄

  • いよー、待ってました。SBDカッコイイ! -- 2021-09-26 (日) 21:59:42
  • いやーミッドウェー海戦の映画観た後にこいつを零戦ぜ墜とすの気持ちー -- 2022-07-05 (火) 19:21:46