石田正宗きりこ(魁)

Last-modified: 2023-08-19 (土) 12:48:15
型録
石田正宗きりこ.png石田正宗きりこ(いしだまさむね-)希少度 ★★
分類
属性間合い打刀小太刀.png
種類打刀
奥義
奥義名影隠(かげかくし)
効果自身:敵の攻撃を受けなくなる+攻撃力アップ※効果時間中は休憩、気合いが使えません
公式説明
色白で華奢な体つきな真剣少女。秀才タイプで知恵も回るが、周囲の評価に恵まれない。首と足にある古傷を包帯で巻いて隠している。柿が大嫌い。
負けん気と向上心を買われて「石田正宗」と縁を結ぶ。
加入時コメント
僕の力が必要なようだね! 僕の名前は石田正宗きりこ…ってちょっと聞いてる!?
CV:多田 和希 (クリックでセリフ一覧が開きます)
読み込み完了しんけん!
ログイン今日も頑張ってくれたまえ
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お知らせ
詳細は~っはっはっは!よ~く見てくれたまえ
戦績(リーダー)君のデータを見せてもらうよ?
屋敷ちっちゃいからってバカにしてるな!?
何度言われたって柿は食べないよ
僕の才覚に敵う者はいないよ?
屋敷(好感度高)(反転)この気持ち、どう分類していいかわからない…
(反転)これが「好き」という気持ちか…いいデータだ
(反転)君はなぜ僕に良くしてくれるんだ?…期待してしまうじゃないか!
屋敷(好感度低)(反転)おろか者め!
(反転)僕は怒っているよ!?
任務開始僕の出番だ
任務完了
討伐開始(易)さあ、データをとらせてもらうよ
討伐開始(普)
討伐開始(難)
エリア移動主役は遅れて行くものさ
攻撃やっ
はっ!
攻撃(ミス)しまった!
攻撃(クリティカル)
負傷ぎゃっ
痛い!
回避・無敵
敗北寸前これくらいのハンデでちょうどいい
敗北ふん…僕を倒したからといっていい気に…
気合い1は~っはっはっは!
気合い2いいじゃないか
気合い3君はわかっているねぇ!
気合い4
気合い5
休憩休むことも仕事のうちさ
奥義僕の剣をその目に焼き付けろ!
勝利ふふん。僕にとって勝利など、当たり前だよ
離脱こんなの間違いだ!負けたなんて認めないぞ
首級
屋敷へ(勝利後)僕が帰ってきたよ
屋敷へ(離脱後)はぁ…。僕にもこんな時があるのさ
研磨(斬れ味良)僕はまだまだやれる
研磨(斬れ味普)僕のことを心配しているのかい?え?違う?
研磨(斬れ味悪)我が身はかがり火のようだ
布陣配置僕を選ぶとは君、賢明だね!
リーダー任命は~っはっはっは!ついに僕が総大将かぁ
試斬・学舎開始ついに僕の本気を見せるときが来たね
試斬・学舎成功このくらい、なんてことはない
学舎失敗
奥義習得なるほど!
奉納少し緊張するね
奉納成功新しいデータがとれたよ
ボイス音量調整どうだね?聞こえてるかい?
放置1僕がいかに優秀か聞かせてあげよう…っておい、聞け
放置2おみくじ?どれ、ふ~ん…大吉かぁ
放置3きいてほしい(あくび)…皆が僕に気を遣うんだ。なぜだ?
装備
イラストレーター:K猫 (クリックで画像一覧が開きます)

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真剣少女について

  • アプリ版リリース時から在籍。
  • 「秀才タイプで知恵も回る」、とあるが試斬失敗や敗北台詞などはむしろ姑息といえる。だがそれがいい
  • 公式説明にもあるように、屋敷でつつくと頑なに柿を拒否する。
    斬首を前にして水を欲した三成が、代わりに差し出された柿を「痰の毒である(体を冷やす)」と拒否し、死を目前にして目先の喉の渇きではなく体を気遣い(当時は体を冷やすことは非常に体に良くないとされた)生きる希望を捨てなかったという逸話からだと思われる。
    当然一つ二つ食べた程度で体を害するものではないが、きりこは冷え性なのだろうか
    • ちなみに憑喪のモデルは実在する伝承の妖怪だが、タンコロリンと呼ばれる柿の妖怪が存在している。石田危うし。
  • 胸の「大一大万大吉」は石田三成の紋として有名だが実は三成個人を指す物ではない。
    旗印と呼ばれる配下の兵に付けさせる幟に入れる紋で「一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福になれる」という意味合い。
    幟だけでなく配下の武具にもこの紋を入れていたのでかなり気に入っていたようだが、三成個人を示す馬印に用いたのは石田家の家紋である九曜紋であった きりこはちょっとミーハーなのかもしれない
  • また、研磨時には三成の辞世になぞらえた台詞がある。一時は切れ味が「良」の際に再生される台詞だったが、現在は「悪」に修正されている
    別に三成の人物像が近年見直され、修正されたことになぞらえている訳ではない
  • 放置すると「みんなが僕に気を遣う~」と語るが、歴代の石田正宗所有者の一人、結城秀康もとても気を使われた人物であった。
    彼は二代目徳川将軍・秀忠の兄で、養子に出たために家督を譲った。というだけでもいかに微妙な存在かは明らかだが、その養子に出た先というのが事もあろうに後に敵対する豊臣家である*1
    関ヶ原合戦後、彼がめっちゃ気を使われたであろう事は想像に難くない。
    • ちなみに石田正宗にその名を与えたのもこの秀康。三成の名を口にするのも憚られたであろう時代にそう名付けたのだから相当な”三成好き”であり、案外きりこの人格は彼をモデルにしたのかもしれない
  • 華奢な体つきと解説されるように、体は細く、背も小さい。特に背の低さは気になっているようで小さいことを馬鹿にすると怒る。正宗が鎬造なのに本人が平造だからではない、はずである。
  • 刀は下段に構える。これは剣道の定石と照らせば自信家キャラに合致するように見えるが実戦剣術においてはガチガチの防御姿勢であり実は慎重派なのかもしれない。
    もっとも、相手が防御をしにくい足への攻撃に重点を置いた構えとしても用いるので策略家としてはやはり型通りかもしれない。
  • 名前の「きりこ」は別名の「切込正宗」から。詳しくは【逸話】にて。スキルは異能生存体っぽい

刀談

この刀はあの有名な正宗が作った刀なのさ。え? 知らない?…君は無知だな。五郎入道正宗は、日本刀の代名詞ともなっており、史上もっとも著名な刀匠
の一人だ。鎌倉時代末期に「相州伝」と呼ばれる作風を確立しているよ。
この刀はあの関ヶ原で惜しくも敗れてしまった石田正宗が所有していた愛刀で、刀身にはいつ付いたのかわからない大きな受け傷があるんだ。棟、鎬地、そして茎棟に切り込みの跡があるため「切り込み正宗」とも呼ばれている。わかったかい?
この正宗は、豊臣秀吉の没後、諸大名に追われた石田正宗が佐和山城へ帰る際、その道中をともにした結城秀康への御礼として贈ったと言われている。秀康は
この刀を「石田正宗」と命名し、生涯愛用していたとのことだ。うむ、これはいいデータだな。

刀の正式名称

刀 大磨上 無銘 正宗
名物 石田正宗

逸話

豊臣秀吉の家臣で、関が原の戦いで西軍を指揮した石田三成が所持しており、石田の名は彼を由来とする。
また、刀身に三箇所、大きく切り込みのあることから切込正宗(石田切込正宗)とも呼ばれ、実戦を経験したことをうかがわせる。なおこの内の一箇所は磨り上げによって茎の位置になっており、柄に隠れている。

作風

鎌倉時代の有名な刀工・相州五郎正宗の作。
刀身の長さは二尺二寸七分(68.8cm)。ただし、「大磨上」とあるように、鎌倉時代の大太刀は後の時代に合戦に用いる際の実践での使い勝手を考えて、その刀身の長さを調整されているものがほとんどであり、それはこの「石田正宗」も例外ではないため、作刀当時はもっと長かったと推測される。
正宗の作風は、硬い鋼と柔らかい鋼を用いた丈夫さと柔軟性を兼ね備えた独自の地金や、刀身や波紋の多彩な変化が挙げられ、この刀にもその作風はよく表れている。

歴史

江戸時代に、八代将軍・徳川吉宗が編纂を命じた刀剣の格付け帳『享保名物帳』の記述によれば、毛利若狭守が所持していたものを備前の大名・宇喜多秀家が400貫で購入し、石田三成に贈った。(豊臣秀吉が三成に与えたという異説もある)
慶長四年(1599)閏3月に五大老の一人・前田利家が亡くなると、かねてより三成とは衝突のあった豊臣家臣内の武断派の、加藤清正・福島正則ら七人の武将が三成の屋敷を襲撃するという事件が発生。事態は徳川家康の仲裁によって収まるが、三成は奉行を辞し居城・佐和山城に蟄居することになった。
このとき、三成は自身が佐和山城へ移動中の護衛を務めた結城秀康(徳川家康の次男)に道中の礼を述べると共に自分の持っていたこの「無銘の正宗」を贈ると、秀康はとても喜び「石田正宗」と名付けて生涯大切に扱った。
秀康の没後は、後裔の越前松平家へと受け継がれ、津山松平家*3によって、当地美作国津山藩で童子切安綱や稲葉郷と共に、家宝として大切にされた。
現在は重要文化財に指定され、東京国立博物館に所蔵されている。

コメント

 

*1 その後、秀吉の実子誕生により結城家に養子入り。一説には養子に出たこと以外にも、内政に対する能力なども鑑みた結果であるとも