Backstory/Chronicles/The_Truth_Serum

Last-modified: 2009-01-04 (日) 16:17:42

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The Truth Serum.
真実の精髄

 

もし真実が一粒の砂のようなものだとしたら?
洗われ、量られ、研がれ、磨かれ、切り込まれ、小さな輝く粒となるに至った、大宇宙の真実。
それを拾い集めて、一冊の本にしまっておけるとしたら? 我々はその本を己の命にも等しい宝物として秘蔵し、精神の力で鍵をかけるだろう。
真実が欲しくなったら、本を開いて砂粒を己にふりかければよい。そうすれば真実の深奥に沈潜し、その光輝に浴することができる。
だがこの本には欠陥がある。集めた以上の真実を取り出せてしまうのだ。やがて我々は空しく頁を繰るのみとなる。
そこで探求が始まる。真実の、我々が求めてやまない真実の、この無意味な世界の中で唯一意味をもつ真実の、探求である。
探求は続く、続きに続く。究極の真実を求めるこの探索においては、いかなることも許容される。我々は前進したいと願うあまりに、偽りとごまかしを覚える。いかなる成功も、いかなる糸口も、見いだせないために。

 

我々はまがいものの真実、でっちあげの真実に溺れている。ひとえに己をごまかし、なだめすかすために。絶対的な真実などもはや無意味だ。真実に絶対というものはなく、ただ大小の差があるのみ。我々は判断基準を見失い、何が真実で何が虚偽かを見分ける能力をなくしてしまった。もはや正しい真実と誤った真実の区別を識るすべもない。どんな姿、どんな形だろうと、真実であればそれでいい。たとえ腐った汚い真実であろうとも、我々はそれを欲し、それを必要とする。
この真実は我々を自由に導いてくれるかもしれない、しかし他の真実でも同じことかもしれない。だったらこのまがいものの真実でも事足りるだろうか? たぶん間に合うだろう。
だがいったん妥協したが最後、もはやそれは自由ではなくなる。それは最低最悪の牢獄である。

 

壁も鎖もない牢獄。抜け出すことなどできはしない、そも何に拘束されているのかもわからないのに。
我々は自由について語る、それが望ましいものであるかのように。私はむしろ真の自由が決して訪れぬことをこそ願う。我々はそれをどうすればよいかわからないだろうから。
それでも今なお我々は探求を続ける、探求はもはや生の営みの一部と化してしまったがゆえに。我々は他に生き方を知らない。かくのごとき存在に我々は成り果てたのである。
せめてこの探求が決して終わらず、究極の真実が永遠に見つからないことを祈ろう。探求が終わってしまえば、我々もおしまいなのだから。
そのとき我々は、ただの塵芥、宇宙的虚偽の浜辺の砂粒に異ならぬものとなろう。
だがあるいは、ひょっとすると、すでにそうなっているのかもしれない。

 

この散文の著者ゴルダ・ホジェはジョーヴ人の博愛主義者であり、300年以上前にこの世を去っている。当時からすればいわゆる早すぎた奇才であり、難解な哲学書から精密な科学論文まで多岐にわたる著作を残したが、概して珍奇なばかりの荒唐無稽な代物で実際的な価値はないとみなされていた。ホジェに師事した者の中にはジョーヴに名だたる知識人も多く、かの 意識的思考協会 の創設者イア・ラブロンもその一人である。ホジェの死後、その著作を再評価させるべく弟子たちが熱心に活動を行った結果、ホジェは現在、ジョーヴでもっとも博学で後世に多大な影響を与えた知識人とみなされている。

 

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