2008年北京五輪の野球日本代表を指揮した、星野仙一監督による優勝宣言のこと。
背景
前回の2004年アテネ五輪では初の金メダルを目指し*1オールプロ選手体制で臨む*2も、代表監督であった長嶋茂雄が大会前に脳梗塞で倒れ、中畑清へ急遽交代する等の混乱もあり銅メダルに終わっていた。
概要
監督就任~大会前
アテネの雪辱を晴らすべく北京五輪にて星野に白羽の矢が立つ。この時の選手団はアジア予選ではほぼプロ選手*3が派遣され、1球団から2人までという従来の選出制限も撤廃される等、満を持しての態勢で臨むこととなった。
しかし星野は短期決戦に非常に弱い*4ことで知られ、招集したコーチ陣は東京六大学野球出身の学閥*5で固められたことから、お友達野球*6と揶揄される。コーチに任命された山本浩二・田淵幸一・大野豊は指導者としての能力に疑問符がついており*7、星野自身も冒頭の宣言に加えて前任の中畑を事あるごとに扱き下ろす発言を繰り返す、「星野JAPAN」の商標登録*8、山本・田淵ともどもカレーのCMに出演*9するなどパフォーマンス先行の行動にファンから不安の声が上がっていた。
大会結果
上記の懸念を抱えながら迎えた大会は予選リーグを4勝3敗で辛うじて突破するも、決勝トーナメントの準決勝で韓国に、3位決定戦でアメリカに敗れ4位。金メダルどころか前任の中畑体制で獲得した銅メダルすら手にすることができず見事フラグを回収。いろんな意味で有言実行となってしまった。
同年のNPBシーズンへの影響
代表選手の酷使は同年の順位争いに大きな影響を及ぼし、特に阪神は新井貴浩が大会期間中に前半戦から患っていた腰痛を悪化させ疲労骨折する等主力の離脱も一因となり、最大13ゲーム差と独走しながら最後の最後で逆転されてしまう。「オーナー付きシニアディレクター」という職を与えられ高給を食んでいた「身内」に足を引っ張られ、結果として巨人の逆転優勝をアシストする形となった為に、年月が経過した今でも恨んでいる阪神ファンも少なからず存在する*10。
また中日は子飼いの川上憲伸や岩瀬仁紀に対する理不尽なまでの酷使*11を理由に翌年のWBCへの選手派遣を拒否する態度を固めてしまう。
その後
星野は翌年のWBC日本代表監督続投を志すが、イチローや野村克也による懐疑論を口火に頓挫*12。前任の王貞治の「WBCは現役のプロ野球の監督がいいだろう」という鶴の一声により、後任は原辰徳*13に決定することとなる。
原JAPANはその期待に応え、WBCで連覇を達成。原への賞賛を尻目に星野の名声は地に落ち、後に楽天監督に就任し疑惑の判定が勝利に繋がる展開を有利に進め球団初の日本一を果たす*14まで辛酸を嘗めることとなった。
この時果たされなかった五輪金メダルの夢は北京から13年後*15まで待たなければならず、星野の没後3年半経った2021年東京五輪で当時の代表メンバーだった稲葉篤紀率いる日本代表によって、1次リーグ含め5戦全勝と言う完璧な形でようやく叶えられた。よかったね、おめでとう。