水瀬名雪

Last-modified: 2011-10-18 (火) 23:25:49

 水瀬名雪(みなせ なゆき)は眠主党の創設者・代表。
 水瀬秋子?検査官(葉鍵新党?前代表)の娘。

 自ら「『眠』ってばかりの『主』(メイン)ヒロイン」を党名に付けているほどの眠り姫。
 野党第一党の党首として登場しながら、政策理念が全く見えてこない。
 普段は99%寝惚けているが、突然態度を豹変させることがある。

略歴

 当初、「次の内閣」構想を掲げ鍵社民党(現在の葉鍵社民党)やことみん新党葉鍵新党?との連立に加え、公芽衣党の引き剥がしをも図っていた。

 一方、総裁を辞退した月宮あゆから連立を持ちかけられていたが、うぐぅ民主党総裁選の告示の際、月宮あゆにお腹に赤い文字で『怨』と書かれたけろぴーを送りつけるという暴挙に出た。
 後日そのことについて謝罪し、あゆと和解、うぐぅ民主党との連立路線に転じたようである。

 その路線転換を受けてか、今度は突如リトバス県選挙区での、リトバス県超野党連合?からの離脱・超野党連合候補への推薦取消しを表明した。これを受け、超野党連合側は大いに動揺した。
 三枝葉留佳?は党首脳部に質問状を提出し、折原浩平?・代表代行が回答を行うが、回答の内容・および折原浩平の突然の浮上という事態そのものに三枝グループは納得がいかなかった。一方その頃、棗恭介?リトバス社会大衆党?委員長は全葉鍵超野党連合?の結成を表明していた。そこで今度は二木佳奈多が党首脳部に全葉鍵超野党連合?への加入の意志の有無を問う質問を行う。なおこの際、三枝グループは、眠主党が全葉鍵超野党連合に加入しない場合、三枝グループの集団離党を内々に決定していた。
 水瀬名雪はこの事態を受け、ことみん新党七瀬彰?の仲介により、斉藤?と共に棗恭介・宮沢謙吾?と会談した。その後、自らがリトバス県超野党連合に抱いていた疑念は誤解であることを認め、全葉鍵超野党連合?への加入と、リトバス県超野党連合公認候補の推薦を表明した。これによって分裂の危機は回避されたのである。

 2008年葉鍵政界総選挙?ではKanon県?選挙区から立候補し、2位で当選した。当初、「次の内閣」総理大臣とされており、政権交代後に総理大臣になる予定だったが、ことみん新党小牧愛佳?杏さん党を与党側につけようと調整した結果、同党代表の一ノ瀬ことみ?が総理大臣となり、名雪は総務大臣に就任した。

 ところが2月15日、葉鍵郵政資産の不正売却疑惑に関する説明のための記者会見の際に事実誤認に基づく発言や、記者の質問の意図を理解しない発言を繰り返し、さらに度々目を瞑っていたことから、居眠りしていたのではないかという疑惑が噴出した。葉鍵社民党神尾観鈴白チーズ?はこの件を追及し18日夜、不信任決議案を提出した。その採決直前の19日夜、名雪は「うおー、辞任だおー」と発言し自ら総務大臣を辞任した。
 さらに、3月8日、甘党からの不正献菓子疑惑が浮上した。その後の調査により、甘党から提供された菓子を換金していたことが判明し、実質的な献金に当たる疑いが濃厚となった。にもかかわらず、名雪は次期選挙が当分ないことから続投の意志を見せていたが、2月の居眠り事件の件もあって党内からは二木佳奈多を中心に辞任を求める声が強くなり、民意を問うべく、4月11日に代表選挙を行うことを決めた。

 しかし、いざ蓋を開けてみると代表選では単独過半数を獲得し代表に再選、眠主党の創業者としての面目を保ったのである。

 その後、内閣改造を試みて葉鍵社民食福連合?や連立離脱していた杏さん党に接近するが、失敗した。
 一方で、ことみん新党との合同会派の結成と組織再編を進めていった。2009年10月24日、官庁で閣僚のサポートをしている非議員党員を幹部昇格させる人事異動を行い、10月28日には、17人からなる院内第一会派であることみん新党との合同会派を結成し、一ノ瀬ことみ?と共に会派共同代表に就任した。

 2010年葉鍵政界総選挙?ではKanon県?選挙区から立候補するが落選、その後ブロック区で当選するものの、眠主党の議席数は11議席から7議席に大幅減。
 敗北の責任を取り、2010年4月11日、ことみん新党葉鍵新党?と合同で代表選を実施するが何と三選してしまった。こうしてなおも眠主党代表の座を保ち続けたのであった。