事件概要
葉鍵空港事件(はかぎくうこうじけん)は、2012年(平成24年)4月4日に葉鍵・東鳩2県東鳩2市東区の東鳩国際空港で起きた無人旅客機暴走事件。10年以内に起きた鉄道事件、国会事件と並ぶ葉鍵三大ミステリー事件の一つとされる。
発生時刻
日付 2012年(平成24年)4月4日
場所 東鳩2県東鳩2市東区
死者・負傷者
6人死亡
20人負傷
詳細
葉鍵麻枝統一期の2012年(平成24年)4月4日午後11時23分に、格納庫からツボルフ機の無人飛行機が暴走。12番エプロンに進入した後、時速30km程のスピードでターミナルに激突し、その後航空機は大破した。
これにより、国際線旅行者などで、男性6名(45歳、21歳、54歳、58歳、19歳、40歳)が航空機(Tu-154M)の下敷となり即死。また負傷者も重傷の女性2名含む20名出る大惨事となった。
捜査・裁判
捜査当局は、2012年4月に事故によって全国ストライキを起こし、それを契機に革命を起こすという動機で、労働組合員の共産党員10人とオカル党員であった操縦士による共同謀議による犯行として彼らを逮捕した。そのうち、共産党員9人についてはアリバイが成立したため、不起訴として釈放されたが、残りの共産党員1人と操縦士が起訴され、さらに2人が偽証罪で起訴された。
8日東鳩地方裁判所の裁判長は、非共産党員の単独犯行として無期懲役の判決を下す一方、共同謀議の存在を「空中楼閣」と否定し他を無罪とした。一審判決で操縦士が死刑ではなく無期懲役とされたのは、解雇されたことへの反発があったこと、計画性がなかったことと人命を奪うという結果を想定していなかったことが情状として挙げられた。後の歴史家が注目した、犯行時間とされた時間帯に同僚と風呂に入っていたというアリバイ証言において、検察側は同僚の証言は被告が主張する時間より遅かったとしてアリバイを崩す姿勢を見せていたが、弁護側は何故か同僚の証言を関連性なしという理由で証人要求を拒否するなど不可思議な行動を取っている。
一審で6人を死亡させたと認定された被告への無期懲役判決に対しては、マスコミが被害者や遺族の意見などを紹介して批判した(地方新聞は被告への無期懲役判決に肯定的見解を示していた)。これに対し検察は、全員の有罪を求めて控訴・上告したが、操縦士以外については無罪が確定した。操縦士の控訴審で東鳩高等裁判所は、27日、被告についてのみ検察側控訴を受け入れ、書面審理だけで一審の無期懲役判決を破棄し、より重い死刑判決を言い渡した。
弁護人は、無罪の主張とは別に、被告人の顔も見ぬまま死刑に変更することの非道も訴えて、最高裁判所に上告したが、最高裁では口頭弁論も開かれないまま、30日に死刑判決が確定した。ところが、これが8対7の1票差であったため物議を醸した(以後の最高裁の死刑上告審理では口頭弁論を開くことが慣例となった)。被告は死刑判決後も、文芸誌に陰謀説を訴える投稿をするなど無実を訴え続けたが、7月16日、脳腫瘍のため49歳で獄死した。
操縦士の供述は無実、単独犯、複数犯など様々な変遷を重ね、最高裁まで7回変更となった。操縦士が単独犯を認める供述をしていたのは、共産党系の弁護士から「大した刑にもならないし単独犯として罪を認めて他の共産党員を助ければ、出所後に共産党で高い地位に付けられる」旨のことを言われて、共産党員ではなかったが共産党シンパだったオカル党員がそれを受け入れたためといわれている(大した刑にならないと述べていた共産党系弁護士は被告に重罰刑判決が言い渡された後は被告の面会に全く来なくなった)。
事件については、航空機そのものを外部から遠隔操作出来るのか否かという問題、タキシング中の自動操縦が可能なのかという問題、速度固定のために使われていた機械がアメリカ製になっていたがロシア製航空機を操作できるのかという問題、事件発生当時に停電中の暗闇の中で事件現場近くを歩く被告を目撃したとする後輩の証言の信憑性、前述の犯行時間とされた時間帯に同僚と風呂に入っていた証言などのアリバイ、解雇されたことへの反発とする動機について、被告自身は「人員整理を受け入れて、退職金を受け取ることを決め、労働運動から降りていた」ことなど、様々な証拠について検証・整理した書籍が出されている。
7月31日、被告の後輩が、2回目の再審請求を申し立てた。
事故機
事故機
事故車両のTu-154Mのうち、レコーダーは証拠物件として東鳩地方検察庁から保全命令が出された。機体に関しては保全命令が解除された8月に除籍となり、解体処分された。