北越急行(会社名)

Last-modified: 2023-10-07 (土) 13:27:31

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北越急行とは新潟県南部に路線を有している第三セクター鉄道

概要

新潟県南部でほくほく線(犀潟~六日町)を運営している第三セクター鉄道、大半の列車が信越線の犀潟~直江津と上越線の六日町~越後湯沢に乗り入れている他えちごトキめき鉄道妙高はねうまラインの新井まで乗り入れる列車も存在する
本社は新潟県南魚沼市六日町に所在している

歴史

計画の誕生と鉄道誘致合戦

ほくほく線を建設する計画自体は昭和時代の1932年から存在し1916年に頚城鉄道が新黒井~浦川原を開通させ、1932年に浦川原から先、松代までを繋ぐ東頚城縦貫鉄道の建設請願を国会へ提出
この時点では十日町と六日町を経由するという構想は無く単に松代と信越線を結ぶ鉄道という構想だった
その後さらに構想が発展し北陸地方と東京を結ぶ上越西線にまで発展した、1937年に鉄道省による調査が行われ路線案の比較検討が行われた
この時点での路線の南側は六日町で統一されていたが北側は直江津と高田どちらに接続するかという2つの案が出ていた1940年に南側が六日町から越後湯沢に変更され1942年から路線の北側を直江津と高田どちらかにするかの議論が行われるようになった

[添付]
↑実際のルートとルート案
第二次世界大戦後、戦時中にあった北側を高田とし軍事路線にしようとする動きは消滅、佐渡航路および北陸本線との接続を考慮して直江津を路線の北側とすることで決着がつき直江津と上越線越後湯沢を結ぶ鉄道ということになった
しかしルートの1本化をすることはできず浦川原で分岐して飯山線越後田沢を経由し越後湯沢へ向かう南線案と松代・十日町を経由し六日町からは上越線に乗り入れ越後湯沢へ向かう北線案の間で14年にも及ぶ鉄道誘致合戦が勃発した
1962年に南線案のルートの一部である松之山町の中心部で地滑りが発生し鉄道のルートとしてふさわしくないことと道路が発達して鉄道にこだわる必要が無くなったことから
一方のルートが採用された際もう一方のルートから路線へ接続する道路の整備を条件に国鉄に裁定を任せることにした、その後鉄道敷設法で「新潟県直江津より松代附近を経て六日町に至る鉄道及松代附近より分岐して湯沢に至る鉄道」が追加された

国鉄による基本計画と建設工事

1964年に運輸大臣が定めた基本計画では北側を直江津市、南側を六日町とし単線非電化の乙線とされていた
設計に当たっては日本有数の豪雪地帯を通ることから雪崩や地滑りが起こらないような場所をルートとし、将来的に貨物列車や急行列車が走る優等路線とすることを考えて勾配や曲線をなるべく少なくするようにした
1968年に六日町~十日町の工事実施計画が認可され同年に工事を開始した、この区間だけ先に工事を開始したのは松代~浦川原のルートがまだ決まっていなかったから
起点は六日町、終点は十日町とし途中の停車場に西六日町(現魚沼丘陵)・赤倉信号場・津池(現美佐島)と仮称されていた、最小曲線半径は400m、最急勾配は14‰、レールは40kgレールを使用することにした

遅れて1972年に十日町~犀潟の工事実施計画が認可され1973年に工事を開始した、この区間の停車場は薬師峠信号場・松代(現まつだい)・儀明信号場・頚城大島(現ほくほく大島)・沢田(現虫川大杉)・増田(現くびき)と仮称された
最小曲線半径は1000m、最急勾配は14‰、レールは基本的に40kgレールを使用するが長大トンネルでは50kgレールを使用することとした
停車場の配線も貨物列車を運行することを前提とした設計になっており魚沼丘陵と美佐島以外のすべての駅で列車交換が可能で貨物列車相互の行き違いを考慮して有効長は460mを確保していた
六日町・十日町・まつだいの有効長は10両編成の客レを走らせることを想定し240m、それ以外の駅でも電車6両で走ることを想定し有効長140mはとっていた

1978年に工事計画が変更され十日町~犀潟の最小曲線半径が600m、レールは全線50kgレールを使用するスラブ軌道、電化路線へ変更された
1972年に北陸新幹線の基本計画が制定されるが当時は北陸新幹線が旅客輸送、北越北線が貨物輸送を担うと役割分担することも考えられた
しかしオイルショックの影響で北陸新幹線の建設が延期されることになった

工事の遅れと国鉄による建設中止

北越北線は北陸新幹線の建設が延期されることになっても建設を続けていたが建設予算に限りがあったことやトンネル掘削に手こずっていたことから工事は遅れていた
1980年に国鉄再建法が制定され北越北線の建設工事は中止されることになった、この時用地買収は73%、路盤工事は58%まで進行していたが1982年に保安工事が完了すると建設工事はストップした

第三セクターによる建設、そして開業へ

国鉄再建法では「建設が中断された地方の新線では地元が第三セクター会社を設立して建設を再開することを可能とする」と定めていた
岩手県の三陸鉄道のようにすぐこの方針で動き出して第三セクターで路線を開業させた前例もあった
しかし北越北線は鉄道経営に不安があったことと新潟出身の田中角栄元首相が「北越北線は特別に貨物幹線としてやらせる」と発言していたこともあり沿線自治体は第三セクター化に興味がなかった
だが北越北線が国鉄の路線として開業することはなかった

1983年に東京で行われた北越北線建設促進期成同盟会総会に突如田中角栄氏が出席、どういう風の吹き回しか国鉄での建設案を撤回した上で第三セクターでの引き受け案を突然持ち出した
これに沿線自治体の関係者は困惑し当時の新潟県知事は第三セクター化に慎重であったが十日町市の市長は田中角栄氏の案に呼応し独断で国や公団との接触を開始した
プロの国鉄がやってもダメだったものを素人の件や市町村がやれるはずがない」と第三セクター化に慎重だった新潟県知事はコンサルタントに経営分析を行わせ
さらに第三セクターは国鉄の直江津~犀潟と六日町~越後湯沢に乗り入れることを条件にやることとした
この時のコンサルタントは秋田内陸縦貫鉄道に対し「黒字転換は永久に無理」と厳しい判断を下した会社に依頼した
しかしコンサルタントは「5年で単年度黒字、10年で累積黒字を達成することが出来る」という判断を下し国鉄も直通運転を了承した、こうして第三セクター化が進むことになった
1984年に北越急行が設立され1985年に工事が再開された

第三セクターで建設するにあたり計画が修正され気動車による1両または2両で最大4両とし旅客輸送のみ行うとした
これにより全体的に駅のホームの有効長が短縮されほくほく大島では交換設備が省略されることになった、また上下同時入線も行わないとして安全側線も省略された
JR線と接続する六日町・十日町・犀潟は駅配線が大幅に変更され特に十日町は飯山線と立体交差するように修正、駅も新たにしんざ・顕聖寺(現うらがわら)・大池いこいの森の3駅が追加された
建設の際、最大のボトルネックとなったのは鍋立山トンネル、工事中断時点では中央部645mが未掘削で1986年より掘削が再開されたが極度の膨張性地山だったので中央導坑先進法もトンネルボーリングマシンも全く歯が立たず
薬液の注入も試したが最終的には人力で掘削するなど29もの工法が試された、1995年に掘削が完了し同年竣工、この区間だけで10年の歳月と146億円の工費がかかった

1988年に北越北線を高速化してスーパー特急を走らせないかという誘いが運輸省から打ち出された、当時北陸新幹線は計画の凍結こそ解除されたものの未だ工事を開始できておらず長野以南を建設することを優先し
高崎~軽井沢はフル規格、軽井沢~長野はミニ新幹線、糸魚川~魚津と高岡~金沢をスーパー特急方式で作る計画案があるだけだった
1989年に高速化・電化に向けた工事内容の変更が行われ最高200km/hに対応できるような高規格路線での建設が開始
スラブ軌道区間を拡大しレールも50kgから60kgに変更、道床の厚さアップと枕木の追加も行われた
1992年に路線愛称を「ほくほく線」に決定、試運転は1996年9月から開始され狭軌での160km/h運転や単線・狭小・長大トンネルでの高速走行の試験を10月7日から開始された
開業当初から160km/h運転は可能であったが北越急行はさらなる技術的な検討を待ってから160km/h運転を行うとしまずは最高時速を140kmとした

さらなる高速化、狭軌最速の160km/hへ

1997年に北越急行ほくほく線が開業し特急はくたかの運転が開始、車両は681系の他JR西日本と東日本の485系も使われていた
最高速度については段階的な検証を行い1998年から最高速度を150km/hへ引き上げたがダイヤ改正は行わず150km/h運転でできた時間は運転上の余裕確保に充てられた
2002年から最高速度を160km/hへ引き上げ車両面の高速化も行い485系を順次681系や683系へ置き換えていき2005年に車両を681系と683系に統一した

ほくほく線は雪対策のため周囲の路線と比べて比較的安定した運行を行っている、しかし2000年以降は自然災害に見舞われるようになってきた
2004年の新潟県中越地震では発生後全線で運転を見合わせ3日後の10月26日に犀潟~まつだいで普通列車のみの臨時ダイヤで運転を再開し
11月2日に全線で運転を再開、12月17日からは160km/h運転を再開している
2005年2月11日から3月24日まで上越線経由で運転されていた急行能登が週末を中心に13日にわたってほくほく線経由で運転されていた
2007年の新潟県中越沖地震では地震発生当日の特急はくたかが終日運休になり翌日は運転を再開した

北陸新幹線開業、悲劇の始まり

2015年に北陸新幹線が金沢まで開業しこれまで運転されていた特急はくたかは廃止、この時北越急行はこれを先読みしてか利益を蓄えており約92億円を余剰金として持っていた
実際北越急行は10日程度しか営業しなかった初年度を以外は毎年数億円黒字、2001年度の営業係数は73と智頭急行と並ぶ「第三セクター鉄道の優等生」だったが
その利益の90%以上は特急はくたかによるもの、普通列車は全体の10%程度とほぼすべての利益を特急はくたかに頼りっきりであった
同日より北越急行は地域輸送を主に経営方針を変え最高時速も130km/hへ低下、設備についても使用停止や撤去などスリム化が行われている
2015年度の北越急行の業績は11億円の赤字、その後も6億円の赤字を記録し貯め込んでいた貯金を切り崩して生計を立てていた

2015年には「ほくほく線全体の早さと便利さをアピールする」ために超快速スノーラビットの運転を開始、かつてはJR西日本の新快速や常磐線特別快速を追い抜き表定速度日本一に輝いていた
2016年に新たな収入源として佐川急便と手を組み貨客混載輸送を行うほかイベント列車として「超低速スノータートル」の運転を開始した
2018年に普通運賃と通勤定期を10%値上げし2023年3月のダイヤ改正で超快速・快速・大池いこいの森を通過する普通列車が廃止され最高速度を95km/hへ引き下げることになった

ほくほく線

路線データ

路線長:59.5km
軌間:1067mm(狭軌)
駅数:12
電化方式:直流1500V
複線区間:なし(全線単線)
閉塞方式:単線自動閉塞
保安装置:ATS-P
最高速度:95km/h
運転指令所:六日町指令所

駅一覧

快速と超快速は廃止直前の停車駅
●:全列車停車
▲:一部列車停車
レ:通過
※:夏季と冬季のみ停車

路線名駅名普通快速超快速乗換
JR上越線越後湯沢上越新幹線・上越線水上方面
石打
大沢
上越国際スキー場前
塩沢
北越急行ほくほく線六日町JR上越線長岡方面
魚沼丘陵
赤倉信号場
美佐島
しんざ
十日町JR飯山線
薬師峠信号場
まつだい
儀明信号場
ほくほく大島
虫川大杉
うらがわら
大池いこいの森
くびき
犀潟JR信越線長岡方面
JR信越線黒井
直江津えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン・妙高はねうまライン

運行形態

普通列車が1時間に1本運転されている、ほとんどの列車は直江津~越後湯沢の運転で線内のみ運転の列車は朝夕を除いて運転されていない
特急はくたかが廃止された後は特急列車の待ち合わせが解消され所要時間は10分程度短縮された

過去に運転されていた列車

[添付]

  • 快速
    • 停車駅:越後湯沢・六日町・十日町・まつだい・ほくほく大島・虫川大杉・うらがわら・くびき・犀潟・(黒井)・直江津

2023年3月のダイヤ改正まで快速列車が運転されていた
1999年に虫川大杉が停車駅に追加され一部列車は黒井を通過していた

  • 超快速スノーラビット
    • 停車駅:越後湯沢・六日町・十日町・まつだい・虫川大杉・直江津

2015年に運転開始、2022年のダイヤ改正までは途中の停車駅が十日町のみの最速列車が運転されており表定速度は88.6km/h、ほくほく線内に限れば90km/hを上回っている
2022年に越後湯沢→直江津のみの運転になり2023年のダイヤ改正で快速と共に廃止された

  • 特急はくたか
    [添付]
    • 停車駅:金沢・(石動)・高岡・富山・(滑川)・(魚津)・(黒部)・(入善)・(糸魚川)・直江津・(十日町)・(六日町)・越後湯沢
      石動:3号と24号が停車
      滑川:3号と24号が停車
      魚津:21号と2号は通過
      黒部:9・15・19・23号と4・18・22・24号が停車
      入善:3・23号と4・14号が停車
      糸魚川:1・11・21・25号と2・6・12号は通過
      十日町:3・7・11・13・17・23・25号と4・8・12・16・18・22・24号が停車
      六日町:23号と4号が停車
    • 5号と24号は福井まで乗り入れ(停車駅:福井・芦原温泉・加賀温泉・小松)
    • 9両または6両で運転されグリーン車は1号車、自由席は5・6・7号車

ほくほく線内では行き違いを行うため時刻表では通過となっている駅や信号場でも運転停車する
災害でほくほく線と上越線が不通となった際信越線を経由して長岡へ向かっていた

車両は北越急行所有の681系2000番台・683系8000番台とJR西日本所有の681系0番台が使われていた
サンダーバードやしらさぎで使われている683系や681系は基本はくたかで使用されることはなかった
検査等ではくたかで使われる681系や683系が不足した際はサンダーバード・しらさぎで使われる683系0・2000・4000番台や681系のサンダーバード編成が代走に起用された
代走が発生した場合ほくほく線内の最高時速は130kmに制限された
北陸新幹線の開業ではくたかで使われた681系はしらさぎへ転用され683系8000番台と681系2000番台はJR西日本に売却された
2002年まではJR西日本所有の485系、2005年まではJR東日本の485系3000番台が使われていた
2011年までは多客時の臨時列車にJR西日本の489系が使用されていた、性能は681系や683系より低く10分程度の遅れが出ていた
福井行の24号に489系が入った場合運転されるのは越後湯沢~金沢のみで金沢~福井は681系や683系に差し替えて運転することもあった
2015年の北陸新幹線金沢開業で廃止、運行最終日である3月13日のはくたか25号・26号は683系8000番台だけの9両編成で運転された
2016年に特急はくたかが狭軌最速の160km/hで走行した記録を保存するためにまつだい駅に特急はくたか記念碑が設置された

  • 急行シュプール野沢・苗場
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    (電車でGO!プロフェッショナル仕様より)
    • 停車駅:神戸・三ノ宮・大阪・新大阪・高槻・京都・直江津・虫川大杉・十日町・六日町・大沢・石打・越後湯沢

1998年から2000年のスキーシーズンのみ運転、車両は583系が使用された
1998年シーズンは直江津を通過していたが1999年からは直江津に停車するようになった

  • 超低速スノータートル
    2015年11月7日から運転されている団体専用列車、本来普通列車で所要時間は50分程度だがこの列車は4時間かけて走行する
    ウサギといえばカメだよね」という北越急行社員の冗談を聞いた社長が「やってみよう」と乗り気になって運転を開始した、鍋立山トンネルでは10km/h以下で通過する
    トンネル内の信号場では列車が通過しない側のドアと貫通扉を開けて離合時に発生する10m/sの風を体感することが出来る試みも行われた
    第一回運行時は全車指定席の臨時列車として運転されたが2016年8月28日の第二回運行以降は食事つきの団体列車として運転されている

保有車両(赤字は引退済み)

[添付]

  • HK100形
  • 681系2000番台(JR西日本へ売却)
  • 683系8000番台(JR西日本へ売却)
  • これ以外にもJR西日本の583系・JR東日本高崎所属の115系やE653系、485系NO.DO.KAが乗り入れていた

ゲームに登場

開業から1年たった1998年に稼働開始した「電車でGO!2 高速編」にほくほく線全線が収録された
犀潟でのATS切替や高速進行現示、途中の信号場での行き違いイベントも収録されている

  • 電車でGO!2 高速編(AC/PC/ネオジオポケット)
  • 電車でGO!2 高速編3000番台(AC/Windows/ドリームキャスト)
  • 電車でGO!2(PS/ゲームボーイカラー/ワンダースワン)
  • 電車でGO!64(Nintendo64)
  • 電車でGO!プロフェッショナル仕様(PS/Windows)

余談

2016年にしんざ~美佐島で人身事故が起きた、しんざを出ると魚沼丘陵までは赤倉トンネルを走行するのでどこから入ったかは謎(もちろん美佐島は赤倉トンネル内にある、普通列車が停車するとき以外はホームに入ることはできず普通列車発車後もホームに居続けると指令に怒られる)

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