Mondragon M1908

Last-modified: 2023-12-24 (日) 02:35:41

概要

金チケットで購入できる半自動小銃。30発のドラムマガジンが特徴。

使用可能キャンペーン

モスクワノルマンディーベルリンチュニジアスターリングラード太平洋戦争
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距離毎ダメージ減衰率

距離によるダメージ減衰 (改修前⇒改修後)
距離(m)1010020030040010001500
打撃力**⇒15.3**⇒12.5**⇒10.2**⇒8.4**⇒6.9**⇒1.8**⇒0.9
貫徹力(mm)**⇒1.0**⇒0.1

性能

項目初期値⇒最大値
口径(mm)7.92
打撃力*1△△ ⇒ 15.3
銃口初速(m/秒)△△ ⇒ 750
発射速度(発/分)△△ ⇒ 350
リロード時間 (秒)△△ ⇒ 4.0
垂直反動△△ ⇒ 82
水平反動△△ ⇒ 23
供給システム*230発弾倉
重量(kg)4.2
弾倉質量(g)26.2
射撃方法セミオート
銃剣-

解説

特徴

なんといっても30発の装弾数が目を引くだろう。
ーー加筆求むーー

 

【火力】
セミオート小銃としては標準的な火力。自慢の30発マガジンでリロード無しでかなり撃ち続けることができる。
ーー加筆求むーー

 

【適正距離】
セミオートで撃てること、30発の装弾数を活かすなら、近距離から中距離が適正だろう。とはいえ反動の小ささや照準の見やすさから、ある程度離れた相手にも当てることはできるだろう。
ーー加筆求むーー

 

【命中精度】
反動はあまり強くはなく、そこまで暴れることはない。おおむね素直に飛んでいってくれる。
ーー加筆求むーー

 

【総論】
標準的な威力、小さめの反動、30発の装弾数、MP40並みに各戦線へ転用できる互換性など、総じて優秀なセミオート小銃といえるだろう。セミオート小銃としては屈指の30発弾倉を活かし、腰撃ちで乱射しながら室内へ飛び込むなども可能である。3発バーストが合わない、装弾数を求める、どこでも転用できる金武器が欲しい、という小銃兵の方は、ぜひ試してみてはいかがだろうか。
ーー加筆求むーー

史実

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Mondragon M1908とは、メキシコ陸軍のマヌエル・モンドラゴン大佐が開発した自動小銃である。
1880年に士官学校を卒業し欧州で銃砲の設計技術を学んだモンドラゴン氏はフランスのサン・シャモン社で75mm野砲の設計を行い、その功績を当時のメキシコの大統領であったポルフィリオ・ディアスに評価され帰国後はメキシコにおける砲兵部門のトップを任されていた。また19世紀末には各国の銃器設計者がこぞって「自動小銃」の開発を始めており、銃器に造詣が深かったディアス大統領はその流れに注目。自国の主力小銃を自動小銃とすることを画策し、信頼を置くモンドラゴン氏にその設計を任せることになったのである。
モンドラゴン氏は欧州在留期間が長かったこともあり欧州の銃器設計者との関係が強く、特に本銃の開発にはスイス軍のエドゥアルド・ルビン大佐が深く関係している。1890年代の試作品ではルビン大佐らが研究を進めていた6.5mm級や5mm級の小口径弾の採用も計画されていたが、結局本銃のために新弾薬を導入することは許可されず1900年の設計では既存の7×57mmMauser弾が使用されることになった。モンドラゴン氏は自動小銃を開発するためにまずストレートプルボルトアクションの設計から着手したが、この機構に関してもスイス軍のシュミット=ルビンに近く、ボルト外側に刻まれた溝に沿ってハンドルを動かすことによりハンドルの前後動をボルトの回転に変換する形式である。これは構造を比較的単純にすることができたが砂塵に対して極めて脆弱な諸刃の剣であり、本銃があまり評価されなかった一因である。その後は1900年には1896年の設計をもとにガスピストンによりハンドルを駆動させる事で自動化を達成した。この1900年の設計に基づく試作品はアルゼンチンや英国などに売り込みが行われたようだが英国では案の定耐久性の低さと砂塵に対する脆弱性が指摘され、結局どの国からも採用されていない。1908年には1900年の設計をもとに銃身延長・エンブロッククリップからストリッパークリップへの変更などの改良を行った仕様が制式化され、これが一般にM1908と呼ばれている。当時のメキシコは小銃生産能力がなかったためM1908はスイスのSIG社に製造が委託され、ひとまず4000丁が発注されたものの…その直後にメキシコ国内で革命が勃発してしまう。1911年には自動小銃採用計画を推し進めていたポルフィリオ・ディアス大統領がフランスに亡命したことで採用理由が消失し、メキシコ軍は初期ロット400丁を受領したのち様々な難癖をつけて発注を一方的にキャンセル。設計者のモンドラゴン氏は大統領の亡命後もポルフィリオ派の軍人としてメキシコに残り指揮を続けていたが、1913年には彼もスペイン・バスク地方のサン・セバスチアンへと亡命。こうしてメキシコ軍においてモンドラゴン自動小銃が導入される可能性は潰えたのである。
SIG社には大量の不良在庫が残されることになったが、幸か不幸か1914年にWW1が勃発。銃器需要が高まり、モンドラゴンの在庫もドイツ軍に買い取られることになった。ドイツ軍は買い取ったモンドラゴンを複座航空機の偵察員の装備として改造し、FSK-15に再指定(Enlistedのゲーム内に登場するモンドラゴンはこのFSK-15の仕様)。FSK-15は空戦に不要な二脚の排除や取り回しを考慮した銃身の短縮、ドラムマガジン採用による装弾数増加と機上での装填作業の容易化が図られており、また本銃の最大の欠点であった砂塵に対する脆弱性も空の上では問題にならなかった。ただし、大戦後半には航空機への機関銃登載が進み本銃の活躍の場所は再び奪われていったのである…
海外のモンドラゴンマニア曰くWW1後に接収品が民間市場に放出された可能性があるらしく、現存するモンドラゴンのほとんどがそこにルーツを有していると思われる。
ーー加筆求むーー

小ネタ

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・銃器マニアの大統領の一存で開発が進められていたこともあり、メキシコ国内には大統領に寄贈されたモンドラゴン自動小銃の試作品が複数残っている。
・モンドラゴン氏がサン・シャモン社で設計した75mm砲は同社で製造がおこなわれメキシコに輸出されていたが、WW1中に同社が開発・生産しフランス軍に納入したサン・シャモン突撃戦車の主砲としても活用されている。
・「杉村墨国公使携行の小銃及同実包送付の件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C06084198600、明治39年乾「貳大日記11月」(防衛省防衛研究所)
どうやら1906年にはM1908以前の試作品が友好関係にあった日本にも提供されていたようである。ただし、日本軍が自動小銃に本格的に関心を寄せるのは約30年後。
時代を先取りしすぎた存在であった。
ーー加筆求むーー

出典/参考文献

 

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*1 hitPowerTotar
*2 銃本体に1マガジンで供給できる弾の総数