概要
スダエフ短機関銃の初期型は銃身が長いため、銃口初速が改善されている。
使用可能キャンペーン
モスクワの戦い | ノルマンディー侵攻 | ベルリンの戦い | チュニジアの戦い | スターリングラード |
- | - | 〇 | - | 〇 |
距離毎ダメージ減衰率
項目 | 改修前⇒改修後 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
距離(m) | 10 | 100 | 150 | 200 | 300 | 1000 | 1500 |
打撃力 | 5.5⇒6.6 | 2.8⇒3.3 | 2.6⇒3.1 | 2.4⇒2.9 | 2.3⇒2.8 | **⇒** | **⇒** |
貫徹力(mm) | 1.0⇒1.0 | 0.1⇒0.1 |
性能
項目 | 初期値⇒最大値 |
口径(mm) | 7.62 |
---|---|
打撃力 | 5.5⇒6.6 |
銃口初速(距離/秒) | 450⇒450 / sec |
発射速度(発射数/分) | 550-600⇒630-690 / min |
リロード時間 (秒) | 2.7⇒2.4 |
垂直反動 | 23⇒20 |
水平反動 | 8⇒7 |
供給システム*1 | 35発マガジン |
重量(kg) | 3.1kg |
弾倉質量(g) | 10.0g |
射撃方法 | オート |
解説
特徴
ソ連軍BR2の短機関銃。
【火力】
上位の短機関銃と比べると多少見劣りするが、発射速度はソ連らしく高め(分間550-600発)でドイツ軍が持つほとんどの短機関銃より高い発射レートを持つ。また高い発射レートを持ちながらリコイルはマイルドで使い勝手は良い。
弾倉も35発と短機関銃としては標準以上で、特に不自由はしないだろう。保有弾数はデフォルトで140発、4マガジン分である。
ちなみに次のPPS-43と弾倉を共有しているため、武器スロット2つを解放したとしてもPPS同士を持たせていると、片方撃ち切った時にもう片方の弾数も装填済みの35発だけという事態になって継戦能力の強化につながりにくい。ボックスマガジンPPSh以降の短機関銃や他の武器との併用をオススメする。
【適正距離】
遠距離射撃は打撃力減衰が激しいためオススメできない。中距離もマウントや伏せの状態でないと反動が強く狙いづらいので、基本的には短距離となる。
【命中精度】
短機関銃の中では比較的反動が強め。
典型的なオープンサイトであり視認性は良好。
【総論】
後のPPS-43と並びBR2帯最優秀クラスのサブマシンガンである。
PPS-43と比べると発射速度が低く反動もマイルド、よって中距離適正がより高くなっている。この辺は好みで選ぶと良いだろう。
史実
概要
PPS-42は封鎖下のレニングラードで開発された短機関銃。設計者はアレクセイ・ズダエフ氏。
レニングラードにはPPD-40短機関銃の生産ラインが置かれていたが、1941年のバルバロッサ作戦によりレニングラードは孤立し資材の供給が絶たれたため生産は中断する。しかし同都市の防衛のために小火器が必要でありより少ない資材で速やかに量産配備が可能な短機関銃が開発されることとなった。
特徴
PPDの簡略型だったPPShと異なり一から設計しているため非常に完成度が高い。発射レートは現実的にコントロール可能な600発/分となり量産性の悪いドラムマガジンとの適合は廃止され35発の箱型マガジンのみが使用可能となった。またPPShでは銃床は木製だったが本銃では構造のほとんどがプレス加工となり量産性がさらに向上している。
優秀な短機関銃であったためレニングラード解放後は改良型のPPS-43がPPSh-41に代わりソ連軍の正式短機関銃となった。
その後
閉鎖下で行われたためPPS-42の生産数は46,572丁に留まったが、PPS-43は約200万丁が生産され、戦後も1950年代にAK-47やその派生型に代替されるまで運用が続けられた。
小ネタ
豆知識
ベルリンキャンペーンのOBT開始直後は次のPPS-43と発射速度が逆、つまりこちらの方が発射速度が高かった。
今は修正されている。
設計者のズダエフ氏はのちに短小弾を使用するアサルトライフルであるAS-44を設計する。ソ連軍に採用が内定していたがズダエフ氏が急逝してしまい今後の改良に支障が出るとして再度選考が行われ、結果ミハイル・カラシニコフ氏の開発したAK-47が採用されることになった。