基本情報達
南トーラサズ共同体 (大トーラサズ連邦) | -目次- | |
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国旗 | ||
現状の構成 | ※1970年代の勢力圏に則る (アルトゥン・サンジャーク政府制圧下の州) ドルダン・ハーキミイェト州、首都アルトゥン・カレ カルダ州、州都ドゥシュムシュ・シェヒル*1 カラヴァン州、州都ジュムワ・ヒサール (タン・グランダ開拓地)カルマ州、州都ラゾン・ヒサール (ハヴズニア・トーラ軍閥制圧下の諸州) カイサリーヤ州、州都スーク・ヒサール クスラク州、州都スヴァーリ・ヒサール (オル・アトニア軍閥制圧下の諸州) チュユル州、州都ブグダイ・ヒサール タリム州、州都スヌール・ミスル (タン・グランダ開拓地)タウ州、州都チー・シェヒル (タン・グランダ開拓地)カム州、州都シサムドゥプ・シェヒル (タン・グランダ開拓地)カム州東部辺境*2 オル・アトニア軍閥東部戦区支配地域*3*4 (スベ・コルサニア軍閥制圧下の諸州) (タン・グランダ開拓地)ギャツォ州、州都チャロ・シェヒル (タン・グランダ開拓地)ギャツォ州南部辺境*5 (タン・グランダ開拓地)ギャツォ州東部辺境*6 (タン・グランダ開拓地)ギャツォ州辺境島嶼*7*8 (ジャン・チョプロチュニア軍閥制圧下の州) トンゴロル盟、行政所在地ギク・アイマク オール旗、行政所在地ウール・アイマク (カリムネス・ベグザーディミラ軍閥制圧下の州) チノ・オボク盟、行政所在地セレム・アイマク | |
国家変遷 | サズニア朝トーラ帝国(1628年ごろ~1713年ごろ) 17世紀のENOCH氾濫 ラトーミラ朝トーラ帝国(1713年ごろ~1912年) 青年トーラ政変 統一委員会統治期大トーラサズ連邦(所謂青年トーラ人政権期。1912年~1916年ごろ) 大棟梁制大トーラサズ連邦(所謂軍閥時代の始まり。1916年前後~1945年ごろまで) アナヤスィ・シフィク政権統治期*9大トーラサズ連邦(軍閥時代の終了。1945年~) 南西トーラサズ戦争 南トーラサズ共同体(所謂STC*10。政体自体は現在まで存続するが、以後は政権の変更に応じて記載する) ムスタファ・セースィズリク政権下南トーラサズ共同体(改革開放期。1994年ごろ~2013年ごろ) シャキーブ・イノニュ政権下南トーラサズ共同体(現在。2013~) | |
政治体制 | 保守ゲラノド主義、貴族的カデア主義、その他時期によって変動*11 | |
大棟梁*12 以下1971年のデータを記載*13 | “風読みの”アナヤスィ・シフィク*14 | |
国家統一評議会議長*15 | “怒号の”ヴィナリ・チャクヤク*16 | |
内閣大学士*17 | “死に水”イルギ・ビルギーリ*18 | |
僑務卿*19 | “篠突く戸闔の”クルト・オズハン*20 | |
工部卿*21 | “橋架け”アイナル・ヤルマン*22 | |
戸部卿*23 | “怯懦なる”アクマンアルプ・サダック*24 | |
軍機卿*25 | “無稽の”オズデス・オゼル*26 | |
兵部卿*27 | “辻褄合わせ”サビット・エルミズ*28 | |
中央総参謀長*29 | “鼎の”イスマーイール・ボズクルト*30 | |
中央陸軍参謀総長*31 | “懸珠の”テキネル・エンギン*32 | |
教育総監*33 | “幽名の”イディル・バージュ*34 | |
中央海軍参謀総長*35 | “侏儒の”ヤシャール・タンプナル*36 | |
艦隊総軍司令長官*37 | “冀う”メメド・カガプタイ*38 | |
海務総監*39 | “怙險の丘の”オレン・デミルカン*40 | |
航空総軍司令官*41 | “雷土”ヤマン・クズルウルマク*42 | |
公用語 | トーラ語*43 | |
首都 | アルトゥン・カレ | |
最大都市 | アルトゥン・カレ | |
貨幣 | オン・トトゥマルク*44 トトゥマルク*45*46 | |
建国日 | 青年トーラ政変 1912年10月29日 南西トーラサズ戦争の終結 1971年8月23日 | |
人口 | およそ8億人程度*47 およそ14億人*48 | |
国歌 | 国旗掲揚歌1番*49 | |
国教 | なし*50 |
概要
南西トーラサズ地域に存在する国家。古くはトーラ人と呼ばれる一つの文化圏を持った人種がレポーラ盆地周辺に存在していたらしいが、1600年代序盤に“楽隊の”エルトゥールル・サズがトーラ帝国を建国した。それ以降はトーラ帝国とその朝貢圏が南西トーラサズ地域に広がり、300年近くに渡る地域的な安定がなされる。
しかし19世紀中ごろ以降は朝貢圏の維持や北西トーラサズ地域との戦争などが重なり、各地域の貴族軍が独自の政権(軍閥)を樹立することで国家の統一性が崩壊。20世紀初頭に発生したヴィクトリア戦争での敗戦に伴う政治的改革運動の中から革命の機運が高まり、1912年、国父ソン・ダーグクがゲラノド主義国家大トーラサズ連邦を建国した。
されどその直後ソン・ダーグクは死去。革命後の混乱を取り纏めることが出来る指導者を欠いたまま30年近くに渡って軍閥時代が続き、各地で軍閥が現れては消えてを繰り返した。*51最終的に勝利することが出来たのは“風読みの”アナヤスィ・シフィクというパッとしない一人の州総督であったが、彼は権力闘争において優位な方を的確に見極めることを最も得意としていた。その結果アナヤスィ・シフィク政権下の大トーラサズ連邦では殆ど既得権益の維持がなされたまま1960年代を迎える。*52*53
1964年、第2次世界大恐慌が発生。大量の失業者対策として公的資本の投入による公共事業で雇用を維持することが求められたが、“風読みの”アナヤスィ・シフィクは東部軍閥の要求にこたえグランダ地方に対する大規模移民を以て解決することに決定。*54逆にヒストラマー半島などを基盤とする西部軍閥の利益を代表していたヴィシェノール州知事“秩序の”ムズラク・カラらはアナヤスィ・シフィクに対し叛旗を翻すことを決め、これに“女傑”ティルキ・ハリチュ・トーラや“商人の”トゥッジャール・コルサン・トーラら現地軍閥勢力*55*56も武装蜂起に賛同したことから南西トーラサズ戦争が引き起こされた。
南西トーラサズ戦争は1966年から1971年まで続き、その結果STC側のカラヴァン州西部からPU側のピラーヴ州東部にかけての所謂国境線上に長大な要塞線が築かれることで停戦した。*57*58
それ以降、大トーラサズ連邦はSTCとPUに分断されたまま国家が継続している。
STCに限ったことを言えば、1986年ごろからアナヤスィ・シフィク政権下で頭角を現してきた“臥龍の”ムスタファ・セースィズリクが秘密警察の一種である軍機処*59を再建、また次代の軍閥中枢を担う官僚や将軍たちを育てるために教育改革に力を入れたことでハヴズニア・トーラ軍閥の後継者であるコペク・ハヴズ・トーラらをはじめ複数の権力基盤*60を手に入れた。ムスタファ・セースィズリクはその後経済官僚ジャオ・モールギュネシらを登用しつつアンゴルモア等に対する経済侵略……もとい経済の拡大を試み、また1995年に前後して隣国PUで発生したゲラノド的運動に対し各種策略を用いることで1999年ごろバルシュ・カプ事件を発生させ、同時にSENTOとの間の国境問題を更に複雑化させたりPU国内のトーラ・カデア派を支援するべく海軍*61を出動させて第3次ヤチェリノ危機を引き起こしたりすることで1990年代を乗り切り、2000年代に入ってからは総参謀部の直下に統合軍形式の部隊を配備したり*62SENTOで発生したソブリン危機のあおりを受けて貿易額が減退するなどの被害を受けながらも2010年ごろまで続投。続く“霜踏み”シャキーブ・イノニュへ政権を渡す。
2013年ごろにバトンを渡されたシャキーブであったが、すぐに2020年の第3次世界大恐慌が発生する。ここにおいて彼はクルーダーやナシーヴァ地方への軍事侵攻を決定し、崩壊したPUの残骸たちを吸収したりしながら衰退した国力の再起を図っていく……
名称
正式な国名は大トーラサズ連邦である。しかし1966年から勃発した南西トーラサズ戦争において西部軍閥と東部軍閥に分かれたまま数十年国境線で交戦を続けた結果、双方の軍閥陣営が「大トーラサズ連邦である」と自称し続けたため、国際社会的には東部軍閥*63を南トーラサズ共同体(STC)と、西部軍閥*64を沿海州連合(PU)と呼び表すことになっている。
国旗
黄色の地に赤、黒、白、青、緑の6色とトーラ信仰を表す紋章が刻まれている。
紋章はトーラ信仰の守護者としての地位を大トーラサズ連邦が保持する事*65を意味する。
各色に関しては以下の通り。最も大きいトーラ民族がそれぞれ5つの少数民族との融和を図り、トーラ信仰のもとで六族協和を達成するという感じの意味であるらしい。
赤:ナシーヴ人
白:外アンゴルモア人
緑:クリュード人
青:ドランガと沿バリーシ民族*66
黒:ヤチェリノ諸島*67
黄色:トーラ民族
地理
1971以降の区分
1971以降のSTCは国土を13個の州に分け、更に州級県を5個*68保持する。それぞれに州知事あるいは県知事が存在し、これらの下に州軍・県軍が存在する。*69
州知事・県知事および州軍・県軍などは基本的に中央から派遣されるのだが、地方の民意によってこれを選択する*70ことが可能であるというゲラノド的な制度が逆用され、各地の軍閥の後継者や子飼いの官僚や将軍が中央に推薦されるようになっている。当然現在まで残っている軍閥は基本的に世襲がなされやすくなっているため、事実上貴族制度として領地が世襲される風習が残り続けているとも言える。
1970年代前半のデータ
水色 | ドルダン・ハーキミイェト州 | アルトゥン・カレ | “柏手”ニナイ・ウカール | アルトゥン・サンジャーク政府派 |
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橙色 | カルダ州 | ドゥシュムシュ・シェヒル | “糸目の”バトゥ・エルデミル | アルトゥン・サンジャーク政府派*71 |
濃灰色 | クスラク州 | スヴァーリ・ヒサール | “蠟梅の”タンス・チフチェ | ハヴズニア・トーラ軍閥派 |
桃色 | カラヴァン州 | ジュムワ・ヒサール | “宝石商の”イスメット・アガ | アルトゥン・サンジャーク政府派 |
赤色 | カイサリーヤ州 | スーク・ヒサール | “血の牙”フェズィ・エルデミル | ハヴズニア・トーラ軍閥派 |
空色 | チュユル州 | ブグダイ・ヒサール | “頚城の”エンギン・アキン | オル・アトニア軍閥派 |
濃青 | トンゴロル盟 | ギク・アイマク | “夜鷹の”ジャン・チョプロチュ | ジャン・チョプロチュニア軍閥派*72 |
灰色 | オール旗 | ウール・アイマク | “羊飼い”ギュルハン・ティルヤキ*73 | ジャン・チョプロチュニア軍閥派*74 |
灰青 | チノ・オボク盟 | セレム・アイマク | カリムネス・ベグザーディ*75 | カリムネス・ベグザーディミラ軍閥派*76 |
黄色 | タリム州 | スヌール・ミスル | “狐の”オル・アト陸軍大将 | オル・アト軍閥派 |
濃緑 | カム州 | シサムドゥプ・シェヒル | ソン・バリクチュ陸軍中将*77 | オル・アト軍閥派 |
紫色 | タウ州 | チー・シェヒル | ハワ・シマン陸軍中将 | オル・アト軍閥派 |
焦茶 | カルマ州 | ラゾン・ヒサール | トロス・バリシュ | アルトゥン・サンジャーク政府派 |
薄紫 | ギャツォ州 | チャロ・シェヒル | “荊の”テオマン・ヴェリ | スベ・コルサニア軍閥派 |
赤紫 | ギャツォ州東部辺境(キャグパ県) | ? | “寒空の”トゥクデミル・ヤルチン | スベ・コルサニア軍閥派 |
薄赤紫 | ギャツォ州南部辺境(ティティ県) | ? | “信心深い”チェイズ・ギュレン | スベ・コルサニア軍閥派 |
濃紺 | ギャツォ州辺境島嶼(ツォトゥ県) | ? | ロサン・ドゥプン | スベ・コルサニア軍閥派 |
黄緑 | カム州東部辺境(チェナ県) | ? | チェン・パルラク*78 | オル・アト軍閥派 |
薄桃 | クリスタィ地方 | 軍政下 | ソン・バリクチュ陸軍中将 | オル・アト軍閥派 |
ドルダン・ハーキミイェト州
首都を有する州。人口も当然多い。
州知事は“悦懌の”アキオル・サンチャクリ。
アルトゥン・カレ
首都。本来は議席が与えられていなかったが、この個所から民間政党に対して3議席が与えられる。
市長は“朝凪の”ハスレット・カシャーニ。
カルダ州
クルーダーとの国境に位置する州。クリュード人が結構住んでいる。国境付近に存在するタナグリ・ミスルなどは古くからの景観を残した都市であるとして有名。
また東部にはかつてアンゴルモア遊牧民が済んでいた領地に大量のトーラ人が住み着きトーラ帝国へと併合した歴史的経緯があるイェジェロ・ヒサール*79が存在する。
州知事は“悖狂の”アコンデル・サブリ。とはいえ官僚層は事実上ジュリデ・ハラーヴェとその関係者によって占められている。
クスラク州
ハラヴニア・トーラ軍閥のおひざもと。
州知事はミナ・ハヴズ・トーラ。
カラヴァン州
PUとの国境に位置する州。当然西部には国境要塞が敷き詰められている。
州知事は“零れ墜ちる”ヴェリ・ユーチェ。
カイサリーヤ州
ハラヴニア・トーラ軍閥の息のかかった地域。西部には国境要塞が敷き詰められている他、南部国境線は軍によって強固に固められている。
州知事はシュクラン・デミルバズ。砲台防衛司令官は“星見の”カヤ・ザイム。
チュユル州
オル・アトニア軍閥の息が掛かった州。もともと別の軍閥が治めていた場所らしく、州知事もトルソン・トーラ家の人員から出ている。
州都であるブグダイ・ヒサール*80は古くから食糧地帯として有名。
州知事はチョヴァン・トルソン・トーラ。
トンゴロル盟
外アンゴルモア地域の州。それなりに栄えている。
州都*81はギク・アイマクと呼ばれる定住化したアンゴルモア人たちの都市。少数民族政策の一環として1999年ごろ特別市に指定され、2名の議員輩出の権利を保持している。
州知事*82はシュエ・チョプロチュ。
オール旗
外アンゴルモア地域の州。
県知事*83は“巻雲の”アスラネル・マルディン。イルドゥゲ砲台防衛司令官は“独座の”ワン・カルタル
チノ・オボク盟
外アンゴルモア地域の州。アンゴルモアに最も近い場所であるがゆえに遊牧民が多かったが、今では定住が進みつつある。
州知事*84はハリイェット・グルバズ。
タリム州
オル・アトニア軍閥のおひざ元である州。レポーラ盆地の東端に位置しており肥沃。
州知事はセイハン・ハレフォグル。
カム州
山がちな州。チェンポパの聖地のひとつであるシサムドゥプを有する。
州知事はソン・ファン。アルヌプォラ砲台防衛司令官は“煙霞の”レイラ・クルタル。
カム州チェナ県
州級県。SENTOとの国境に近く物々しい。
県知事はエリス・タンユ
タウ州
グランダ半島の西端に存在する肥沃な草原地帯。チェンポパのキンコル派が本拠としていたクムティ僧院の跡地はここである。
州知事はクムズ・シマン。砲台防衛司令官は“砂山の”カンダル・バイダル。
カルマ州
タン・グランダ開拓地の行政の全てを司る……という名目である州。元グランダ王国の首都であり、数々の寺社が存在したが大開拓政策に伴う略奪で荒廃したりした。
その首都であるラゾン市は2020年現在特別市として2名の議員輩出の権利を保持している
州知事は“彷徨える”ベルカン・ネレダ。トーポリ砲台防衛司令官は“浮腫み足の”アイコズ・アタラル。
ギャツォ州
グランダ半島南部に存在する州。スベ・コルサニア軍閥のおひざ元であり、海軍基地や沿岸砲台が複数存在する。
州都であるチャロ・シェヒルは1名の議員輩出の権利を保持している。
州知事は“星鵠を射る”ミーマール・ジハンギル。
ギャツォ州キャグパ県
州級県。ノロー海に対する防衛のため海軍基地がある。
県知事は“虚ろなる”ファトマ・ハンダリ。
ギャツォ州ティティ県
州級県。極めて寒い地域であり人口は少ない。
県知事は“木枯らしの”エミン・イェルトゥチュ。
ギャツォ州ツォトゥ県
州級県。ノロー王国から離反したロサン・ドゥプニア軍閥の支配地域。ノロー民族解放戦線なる武装勢力がたまに湧く。
県知事はカルモ・ドゥプン。
クリスタィ地方
2020年時点ではクリスタィ県に格上げされる*85。水晶とか宝石資源が取れるが、ここはもともとSENTO加盟国のチュシェル藩王国であった場所である。そのためSENTOとの間で国境紛争が絶えず起こっている。
県知事はチェン・ズィコン。
政治
政体
政府
アルトゥン・サンジャーク政府或いはドルダン・ハーキミイェト偽政府と呼ばれる。前者は「黄金の御旗を掲げる統一された政府」のことであり、つまるところ正統な権威を持つという意味*86の自称。後者はドルダン・ハーキミイェト州に存在する偽の政府であるという事であり、PUがSTC中央政府を指して呼称するときこのように呼ばれる。
政策
政策は時期によって大きく変動している。
- “風読みの”アナヤスィ・シフィク政権(1940年ごろ~1993年)
基本的な政策は既得権益の保護。
大棟梁
大トーラサズ連邦*87の国家元首。任期は6年で4選以上はされない。ただし交代時期になっても過半数以上の欠席などで統一国家大会議が開かれない場合、大棟梁選出が為されず現職大棟梁が臨時で代行できる。
主な権限はSTC軍の統帥権*88*89、条約の締結及び宣戦・講和*90、法律の公布及び緊急命令の発布、戒厳令の宣布、法に基づき大赦・特赦・減刑及び復権を行う権限、内閣大学士の指名・任命権、統一国家大会議の解散権等である。
直下に「軍機処」「都察院」「理藩院」*91を持つ。彼らはそれぞれ「大棟梁の輔弼および秘密警察」「官僚の統括および国家憲兵」「属国の管理」*92を担当する……ものだったが、1970年代までほぼほぼ腐敗しておりその機能は完全なモノとは言えなかった。
これら大棟梁直轄部署の長は○○卿と呼ばれる。
以下大棟梁就任者の一覧
ソン・ダーグク | 1912~1914 | 国父。1914年急死 | 大トーラサズ統一委員会委員長 |
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“水煙草の”アリ・エトヘム | 1914~1915 | 正統に選ばれたものの復辟事変*93で銃殺される | 大トーラサズ統一委員会委員長 |
“象牙の”エフィ・マントゥカ | 1915~1920 | 復辟事変後臨時で統一委員会委員長を代行したもののトーラ帝政継承戦争の勃発に伴い大棟梁職を設置 | 大棟梁職につくのは1916年以後 |
“鬚髯の”ハルーン・ムハーフス・トーラ | 1920 | “象牙の”エフィを放逐 | 大棟梁就任後即座にトーラ皇帝を自称したが、誰もついてこなかった |
“長煙管の”ブルハネッティン・バイラクタル・トーラ | 1921~1923 | “鬚髯の”ハルーンを毒殺 | “長煙管の”ブルハネッティンはあくまで州総督に就任しただけであり大棟梁は空位とされていたが、一応記載する |
“風読みの”アナヤスィ・シフィク | 1924~1993 | アルトゥン・クーデター*94*95で混乱したアルトゥン・カレを制圧する | 長命。1983年以後は多少耄碌してきて“臥龍の”ムスタファに実権を概ね譲る |
“臥龍の”ムスタファ・セースィズリク | 1993~2013 | “風読みの”ムスタファから後継者に指名され就任 | STCの経済的発展を支えた半面バルシュ・カプ事件などを引き起こした事から功罪が色々ある |
“霜踏み”シャキーブ・イノニュ | 2013~現在 | “臥龍の”ムスタファから後継者に指名され就任 | 強権的な中央集権化政策・帝国主義的拡大政策を取る人物 |
議会(立法府)
一院制。各州および州級県につき1名の議員を選出する方式であり、その予備段階として選挙人選挙が行われる。議席は20議席(2000年以降は28議席)。うち10議席は西部軍閥占領下の地域であるため当然空席となる。
統一国家大会議は国民の最高政権行使機関。法律を作成するのは大体ここ。
大棟梁の任命・罷免は6年おきに実行される。ただ、法律作成の際もその通りだが過半数以上が欠席すると自動的に会議が行われなかったことになり、法案がボツになる
そのため議会を通じた立法が殆ど機能しておらず、法律と同等の権限を有した大棟梁令によってのみ政策を施行する。
統一国家大会議
政党は基本的に存在しない。*96*97
議員の任期は5年。再選は可能で、5年に1度一斉に改選する。厳密には次の議員資格を持つ者を選出する選挙であるので、交代の日まで議員は既定の人員のまま職務を遂行する。
1971年時点の議員
“金一封の”ギュゼル・オカル | ドルダン・ハーキミイェト州選出 | 父はドルダン・ハーキミイェト農政銀行副頭取 |
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“壁崩し”エメル・ギョズブユク | カルダ州選出 | 元カルダ州庁総務部長 |
“怒号の”ヴィナリ・チャクヤク | クスラク州選出 | 元クスラク州軍歩兵連隊長。予備役大佐 |
“空き缶の”レジェップ・サカ | カラヴァン州選出 | 実家は国軍へ納入する食料品企業の社長 |
“丁稚の”エルナン・エルギュプル | カイサリーヤ州選出 | 実家は代々ハヴズ・トーラ家お抱えの商人 |
“苦学の”スレイマン・メレン | チュユル州選出 | 元オル・アトニア軍閥西部戦区第1歩兵師団師団参謀。予備役少佐 |
“彩る影の”ビュレント・アクブルト | トンゴロル盟選出 | トンゴロル盟で人気の映画監督 |
“哨台の”ナイム・チルレル | オール旗選出 | 元保衛院職員 |
“縲絏の”オルタキョイ・エッディーン | チノ・オボク盟選出 | 元軍機処第5総局次長 |
“郭公の”ベイト・アト | タリム州選出 | オル・アトの息子 |
以下10名欠席 | ||
“瞉霿の”ヤジク・エゼル | ペレリン州選出 | カティニス財閥の組織票で当選 |
“目釘抜き”ボラカン・ディヤディン | コルフェズ州選出 | 前アドゥプィ砲台防衛隊付歩兵師団参謀長。予備役大佐 |
“奮励の”アイドガン・クルト | ヴィシェノール州選出 | 元ヴァスケント大学国際政治学教授 |
“懲乂の”イルカイ・オダバス | オーレニン州選出 | 軍閥時代の英雄。お爺さん。予備役中将 |
“懇款の”クブラ・レムズ | バラーハナ州選出 | 水産加工会社の役員 |
“頬袋”ハリメ・アバーイー | ビヒシュトゥ・ウル・アルマーン州選出 | 造船企業の重役の娘 |
“紅唇の”アヤトゥナ・ハチュオグル | ニハーヤ州選出 | 元ヤチェリノ諸島警察局職員 |
“倦ねる”サバス・カシャーニ | ピラーヴ州選出 | 元ピラーヴ州軍参謀本部作戦局次長 |
“沖醬蝦の”ベニュ・ポラート | マフナ州選出 | コルサニア・トーラ軍閥に多額の献金をしている地主の孫娘 |
“湯熨”ベイザ・ジェルチュ | ドランガ州選出 | ドランガ鎮守府航空部出身。予備役大尉 |
2020年時点の議員
STCにおいては1999年前後に、“臥龍の”ムスタファ・セースィズリクの大棟梁令によって統一国家大会議の議員定数および選出区に関する法改正が行われた。
結果、統一国家大会議における議席数において従来の20議席から、東域グランダの4州と4つの州級県に議席を増設することで28議席に拡充。PU側諸州から選出可能な10議席を廃止して一部都市より選出した議員10名に差し替えた形に変更された。
“母衣の”セニハ・イスメト | ドルダン・ハーキミイェト州選出 | 軍需企業の重役 |
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“絃歌の”イズグル・ケント | カルダ州選出 | “砂城の”ゼキの親友。予備役大尉 |
アイディン・ギレイ | クスラク州選出 | クスラク工業大学出身。イェニ・マンスレーイ派 |
“墨守の”ナザン・キジリルマク | カラヴァン州選出 | 前職はカラヴァン州西部要塞防衛集団軍独立砲兵旅団副旅団長。予備役大佐 |
セルタック・コラック | カイサリーヤ州選出 | ハヴズニア・トーラ軍閥に属する将校。予備役少佐。前任者から引き継がれた |
アイダン・ジェレン | チュユル州選出 | “国家の楯”*98の一員。オル・アト子飼いの議員 |
ラーレ・ブユク | トンゴロル盟選出 | トンゴロル盟市民大学経済学部出身。イェニ・マンスレーイ派 |
“剣璽の”タリク・レンダ | オール旗選出 | 元オール旗方面軍所属の予備役大尉。国軍出のシラフチュ |
アイジャン・トプジャシュ | チノ・オボク盟選出 | 元チノ・オボク盟集団軍所属の軍人。予備役中佐。国軍出のシラフチュ |
アルマ・ボズクルト | タリム州選出 | オル・アト軍閥所属の大規模農業事業者 |
ソユル・ソジェン | タウ州選出 | 鉱石採掘企業の重役。オル・アト軍閥の資金源の一つ |
“司直の”エーゲ・ジャネル | カム州選出 | この地域では珍しいトーラ神官。裁判官も務めている |
“蒼古の”グン・セダフ | カルマ州選出 | スベ・コルサニア軍閥所属の老獪な政治家 |
“累雪の”アフメト・フス | ギャツォ州選出 | “沿バリーシ水産連盟”*99の一員。ギャツォ州の貧困問題を解決したいと考えている |
バリス・カイマク | チェナ県選出 | ソン・バリクチュの息がかかった議員。若い現当主のソン・ファンには少し不満のようだ |
オムール・ジェネル | ティティ県選出 | 元コルサン家の軍政担当官 |
コルハン・エルメ | キャグパ県選出 | スベ・コルサニア軍閥自衛水軍の元士官。予備役少佐。“虚ろなる”ファトマの元恋人 |
ソナム・カロン | ツォトゥ県選出 | グランダ人。元僧侶。ギャルタン・ドゥプニア軍閥の息が掛かっている |
“星夜の”エスリン・ハサーディ | アルトゥン・カレ選出都市議員 | “トーラ市民の会”*100の一員。農民工問題を解決しようとしている |
“厭離の”セミハ・ジェティン | アルトゥン・カレ選出都市議員 | “トーラ市民の会”の一員。農民工問題を解決しようとしている |
“明眸の”ヌール・イェルリカヤ | アルトゥン・カレ選出都市議員 | 軍需企業の重役。照準器を作っている |
アラジェイク・ウズール | ブグダイ・ヒサール選出都市議員 | “国家の楯”の一員。たびたびオル・アトに脅されている |
ディンチェル・ウザン | ラゾン・ヒサール選出都市議員 | タン・グランダ政務委員会の元委員 |
オグズハン・オスマン | ラゾン・ヒサール選出都市議員 | 中央から左遷されて来た汚職官僚 |
テムーレン・チョクト | ギク・アイマク選出都市議員 | アンゴルモア人。議員の仲で唯一の民族派 |
アユタナ・ヤザール | イェジェロ・ヒサール選出都市議員 | アンゴルモア人とのハーフ。民族派寄りではあるが“手読みの”ジュリデには恩があるため表立って動けない |
ドゥーグ・アルスラン | イェジェロ・ヒサール選出都市議員 | “手読みの”ジュリデの息がかかった議員。実はクリュード系 |
ニライ・ギュミュシ | チャロ・シェヒル選出都市議員 | コルサン家子飼いの官僚 |
内閣大学士
最高行政機関は行政院である。最高職は内閣大学士と呼ばれる。行政院は三つの段階に分かれており、第一段階は内閣。第二段階は六つの部*101と僑務委員会からなる行政機関、第三段階は行政府主計処、行政府新聞局とその他の下部部局*102である。
それぞれの大臣は「○○卿」と呼ばれる
- 吏部卿 官僚の人事を司る。
- 戸部卿 財政と地方行政を司る。
- 礼部卿 礼制*103を司る。
- 兵部卿 軍事を司る。
- 刑部卿 司法と警察を司る。
- 工部卿 公共工事を司る。
- 僑務卿 在外トーラ人の管理の他、外務・入国管理等を司る。
現内閣*104*105
役職 | 氏名 | 派閥 |
---|---|---|
大棟梁 | “霜踏み”シャキーブ・イノニュ*106 | シラフチュ*107 |
国家統一評議会議長 | “母衣の”セニハ・イスメト*108 | シラフチュ |
国家統一評議会副議長 | “墨守の”ナザン・キジリルマク*109 | シラフチュ |
内閣大学士 | “萱の環の”シェルヴィ・テンギルシェンク*110 | カルダアディム派*111 |
吏部卿 | ビルゼ・バルカン*112 | カルダアディム派 |
戸部卿 | アバ・ブルク*113 | ヴァタンダーシュ派*114 |
礼部卿 | “慾目の”アジケル・カリス*115 | アドゥヤマン派*116 |
兵部卿 | タンス・ギュレン*117 | シラフチュ*118 |
刑部卿 | “千鳥格子の”ヤシャール・バインディル*119 | カルダアディム派 |
工部卿 | “切線の”セルカン・ムヒッディン*120 | テクノクラート |
僑務卿 | セイラン・セティンカヤ*121 | カルダアディム派 |
労保卿 | “慎擇の”エルゲン・オンゼル*122 | ヴァタンダーシュ派 |
主計卿 | ウルディ・イェリスカヤ*123 | テクノクラート |
新聞卿 | “叨冒の”エセン・バルカン*124 | 無所属 |
軍機卿 | ヌライ・ムヒッディン*125 | カルダアディム派 |
都察卿 | “舌鮃”ファトマグル・デミルバズ*126 | シラフチュ |
理藩卿 | ギュネル・コゼル*127 | アドゥヤマン派 |
保衛卿 | “蟹行”ブルチン・アディン*128 | シラフチュ*129 |
中央総参謀長 | パク・エルバカン*130 | コムタン派*131 |
陸上総軍司令官 | “土語の”エルマン・ヒクメット*132 | シュエ・チョプロチュ派 |
中央陸軍参謀総長 | テオマン・ブルダン*133 | オル・アト派 |
教育総監 | “踏み鳴らす”スヌール・ウカール*134 | イェニ・マンスレーイ派*135 |
中央海軍参謀総長 | “地獄耳”フェズィ・ヤルチン*136 | スベ・コルサン派 |
艦隊総軍司令長官 | エンギン・ヴェリ*137 | スベ・コルサン派 |
海務総監 | “浮城の”イスメット・ウカール*138 | イェニ・マンスレーイ派 |
航空総軍司令官 | “忽荒”シーリーン・ネイジ*139 | コムタン派 |
派閥 *140
トーラ地域においては各地に派閥が存在する。これは歴史的にはトーラ帝国時代末期にあたる19世紀ごろから広まったもので、政党ないし政治結社の内部の派閥争いなどは基本的にこの形で行われる。*141
軍閥時代を通じて“青年トーラ人”*142他トーラ・ゲラノド諸派*143が存在した*144が、
派閥名 | 備考 |
---|---|
アルトゥン・サンジャーク政府内部 | |
旧軍閥 | 軍閥時代を通じて活躍した者たち。軍閥時代の下剋上が身に沁みついている猛将が多く、中央政府の言うことを聞かない者が多い |
太傅衆 | 南西トーラサズ戦争を通じて活躍した者たち。軍閥時代を経験しているわけではないが、南西トーラサズ戦争と言う大規模な戦争を経験することで反ゲラノド的意識が生まれた。ここまでを旧軍閥と呼称することも多い |
新軍閥 | 1980-90年ごろから広まった政治的派閥。“臥龍の”ムスタファ・セースィズリクが十数年以上の歳月をかけて育ててきた新世代の軍閥当主と軍人および官僚たちの集まりであり、レープスツ主義的な開明的思考を保持していることが特徴*145 |
楽隊派 | 2000年代ごろから徐々に政界進出を果たした派閥。“霜踏み”シャキーブ・イノニュの同僚や子飼いの層であったが“戦ぐ草原の”ティジェン・ダウトオールらのクーデター未遂事件*146をきっかけにして粛清された |
武闘派 | 2010年ごろ以降広まった政治的派閥。メフテルハーネ派に対する“霜踏み”シャキーブの粛清をきっかけとして代替的に増加した |
カルダアディム派 | “霜踏み”シャキーブと個人的なつながりを有する政治家・官僚たちからなる派閥。後述のアドゥヤマン派と類似点が多くメンバーも共有している所が多いとみられる |
アドゥヤマン派 | “霜踏み”シャキーブと同郷の政治家などからなる派閥。勢力は弱い |
コムタン派 | 軍内の親中央派軍人からなる派閥。諸軍閥による統制逸脱を是正しようとしている |
親アルトゥン・サンジャーク派軍閥内部 | |
ジュリデ・ハラーヴェ派 | カルダ州の官僚層に裏から手を回している“手読みの”ジュリデ・ハラーヴェが率いる派閥。結構デカい |
ハヴズニア・トーラ軍閥 | ハヴズニア・トーラ家によって構成される軍閥。トーラ帝政継承戦争の事実上の勝者であり、“風読みの”アナヤスィ時代から長い蜜月を過ごしている |
シュエ・チョプロチュ派 | 1980年ごろ、ジャン・チョプロチュニア軍閥の当主“夜鷹の”ジャン・チョプロチュから家督を引き継いだ嫡男シュエによる軍閥。彼自身イェニ・マンスレーイ派であることもあって殆どアルトゥン・サンジャーク政府の新軍閥に帰属しているようなものだが、外アンゴルモアに関する政治闘争への不介入を強く要求するなど懸念も多い |
ヴァタンダーシュ派 | 軍閥ではないが記載。政治結社“トーラ市民の会”の理念に賛同する政治家や軍人などから構成される派閥 |
諸軍閥内部 | |
オル・アト軍閥 | “狐の”オル・アトによって形成された軍閥。STCで最も強大な旧軍閥の軍閥であり、中央政府にとっては長らく顔色を窺い続けるしかできなかった存在。2021年、レポーラ会戦で敗北し消滅する |
トルソン家 | オル・アト軍閥に滅ぼされたトルソニア・トーラ家の残党。トルソン家自体は地方領主として存続が許されたため元子飼いの軍人はそちら側に移動したりしている |
ソン・バリクチュ派 | オル・アト軍閥東部戦区司令官のソン・バリクチュが独自採算を保持したもの。息子のソン・ファンはイェニ・マンスレーイ派の一人としても数えられることがあるらしく、オル・アトからの自立を狙っているとも言われる |
スベ・コルサニア軍閥 | 1960年前後のコルサン家お家騒動をきっかけとしてコルサニア・トーラ軍閥から離反した“勇猛果敢な”プラジュ・コルサンらによる軍閥。政治性向としては急進保守派であり、2020年代以降は事実上最後に残った旧軍閥として必死に舵取りを行っている |
コルサニア自衛水軍 | コルサン家お抱えの水軍衆。水軍とは言うものの事実上の海軍であり、元々はバリーシ湾からウィオテ・イクス海にかけての広い範囲を海賊として荒らしまわっていた。1960年前後のコルサン家お家騒動により分裂するもその大部分はプラジュ・コルサンを頼ってSTCに帰属し、スベ・コルサニア軍閥の主力として立ち回っていた |
非コルサン派海軍閥 | 1960年代以後に存在した派閥。最初期のSTC海軍においてはバリーシ湾の水軍利権を殆ど握るコルサン家の子飼いの海軍*147が多数派であったが、それに反対する派閥として幾つかの派閥が組まれていた。そのうち“竜骨の”オムルゥガ・コルサンらの派閥*148にすら対立した中小海軍閥がこれを形成していた。現在では中央海軍学校の開校と共に将校数も増え両者の立場は概ね対等となっている |
ギャルタン・ドゥプニア軍閥 | ツォトゥ島に存在するノロー人軍閥。軍閥当主としては三代目であり、もはや帰属意識はノロー王国よりSTCに近い。国内ではしばしばノロー民族解放戦線のテロが相次いでいるため、中央による統制を受けてでも治安維持コストを削減したいと考えているらしいがコルサニア・トーラ家がそれを許していない |
各省庁
おもな省庁と部局
裁判所
そもそも、トーラにおいて裁判所は基本的に内閣の下の刑部に属する機関である*149。トーラの法曹、特に裁判所に勤めるものの事を裁判官と呼び、これらはトーラ神官の中から宗教法のみならず世俗法に精通した者を呼び、神官ないし法学者の中から刑部卿がこれを任命すると言う形で配置される。
トーラにおける裁判所は大きく区分して軍事司法と通常司法と宗教司法の三つに分けられている。軍事司法の長はカザスケル、通常司法の長はハキーム*150、宗教司法の長はシェイヒュルと呼ばれていた。*151
通常司法においては民事裁判所・刑事裁判所・保安裁判所*152・憲法裁判所*153の4つの裁判所と下級控訴院・国家控訴院・会計検査院の3つの控訴院が存在する。これらの裁判官は法務委員会によって任命される。一応*154二審まで存在し、民事裁判所および刑事裁判所の一部は下級控訴院で。刑事裁判所の一部および保安裁判所・憲法裁判所は国家控訴院で控訴審を行う。*155
軍事裁判においては基本的に軍人および州軍兵士に対する処罰を行う。各師団・集団軍・軍の順に軍事裁判所が存在し、それぞれ師団軍事法廷、集団軍事法廷、高等軍事法廷となる。軍法会議もまた一応二審まで存在し、これは集団軍級で存在する軍事控訴院において行われる。また別途戦場で必要に応じて特設軍事法廷が設けられることもあるが、これは3人以上の将校が集まって開催されるものであり公開されずまた再審もない等比較的特殊なものである。
これらの裁判所は各地に存在し、特に民事裁判所と刑事裁判所は1つの郡に1個のペースで存在するらしい。
宗教司法においては各地の神官が裁判官として運用される。開廷の手続きが殆どなく、複数人の証人と神官がモスクで話し合うだけで概ね宗教司法の場となる。このように宗教司法とは結構ファジーなものであったりする。*156
また、宗教司法では再審がない。*157
地方行政
地方自治体の長の事を総括してミュテッセリム*158と呼び、行政庁*159の事をミュルテジムと呼ぶ。
現在の地方区分では大きい順に州と県*160、郡、郷町村*161および市*162*163によって構成される。
州長官をヴァリと、県長官*164をハキームと、郡長官はムタッサリフ*165と、郷町村の長官をティマリオト*166と呼ぶ。*167*168
かつてトーラ帝国時代は皇帝から任命されて州を保持する総督と中央の官僚機構から派遣された代官である巡撫*169が存在した。州以外の各部に関しても概ね同様の名称の代官が派遣されたり徴税などを一部担当したりしていた*170。ただしトーラ帝国末期には殆ど完全に腐敗しており*171、この当時の州総督から軍閥を形成した者も多く存在する。
外交
南トーラサズ共同体の外交政策はその年代によって大きく変化する。ただしその変化は基本的に大棟梁とその政治傾向、および国内政治問題に大きく左右されるため、1949年のグランダ侵攻*172および1950年代におけるチュシェル紛争*173*174や1969年の南ローナ紛争*175*176に代表される国内軍閥の暴走や1966年の大開拓論争*177*178*179および北方シフト政策*180とその破綻*181に代表される重大な外交政策の決断などは必ずしも国際情勢と同期しているものではない。
経済
産業
企業
軍事
陸軍と海軍の2つのみしかない。航空隊は双方に存在する。
総参謀部が中央陸軍参謀本部と中央海軍参謀本部の上に存在し、陸海統合運用や州軍、警察などとの連携の際にはここが調整を行う。
また統合軍形式で作戦行動を行う事を考慮して総参謀部直下に総参謀部付部隊が存在する。
男女を問わない限定的な徴兵制を敷いている。
2020年ごろの総兵力は346万9000人、予備役86万7200人、警察・州軍など公的な準軍事組織で384万人であるらしい。
陸軍概要
3個連隊を中核とした三単位制の師団が基本。例として歩兵師団の場合は歩兵連隊3+砲兵連隊1+対空砲大隊1+機甲大隊1*182によって編成される。また砲兵師団が存在するなど軍として砲火力への信頼がデカい。
また沿岸砲*183や列車砲*184ならびに長距離砲*185など特殊な例において旅団が用いられることもある。
また大隊以下の単位で見れば、歩兵小隊の時点で擲弾筒分隊2+機関銃*186分隊3など歩兵火力の拡充が顕著であり、大隊においては歩兵砲なる歩兵科運用の軽量榴弾砲が用いられるほどである。
これらからわかる通り、トーラ人は砲兵キチである。
部隊編成
以下2020年における陸軍部隊の編成を記載する。
陸軍*187部隊は複数個州による軍区に分かれており、その中で更に集団軍を形成している。集団軍内部に師団、連隊などが存在する形式である。
北西レポーラ軍区 | |
---|---|
第1集団軍*188*189*190 | |
第1歩兵師団 | |
歩兵連隊 | |
歩兵大隊*191*192*193 | |
歩兵大隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵砲中隊*194 | |
対戦車中隊*195 | |
中迫撃砲*196中隊*197 | |
重迫撃砲*198中隊*199 | |
歩兵連隊 | |
歩兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
砲兵大隊*200 | |
砲兵大隊 | |
砲兵大隊 | |
対戦車中隊*201 | |
対空中隊*202 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊*203 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
第2歩兵師団 | |
歩兵連隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵砲中隊 | |
対戦車中隊 | |
中迫撃砲中隊 | |
重迫撃砲中隊 | |
歩兵連隊 | |
歩兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
第3歩兵師団 | |
歩兵連隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵砲中隊 | |
対戦車中隊 | |
中迫撃砲中隊 | |
重迫撃砲中隊 | |
歩兵連隊 | |
歩兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
第1砲兵師団 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
歩兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
第1機甲師団 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
機甲連隊 | |
機甲連隊 | |
歩兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
独立砲兵旅団 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
対空砲大隊 | |
独立防空旅団 | |
対空砲連隊 | |
対空砲連隊 | |
対空砲連隊 | |
対空砲連隊 | |
列車砲旅団 | |
列車砲連隊 | |
列車砲連隊 | |
列車砲連隊 | |
歩兵連隊 | |
対空砲大隊 | |
航空旅団 | |
航空連隊 | |
航空連隊 | |
航空連隊 | |
航空連隊 | |
対空砲大隊 | |
空中機動旅団 | |
攻撃ヘリ連隊 | |
偵察ヘリ連隊 | |
偵察ヘリ連隊 | |
輸送ヘリ連隊 | |
対空砲大隊 | |
カルダ方面軍*204*205*206 | |
歩兵師団 | |
歩兵連隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵砲中隊 | |
対戦車中隊 | |
中迫撃砲中隊 | |
重迫撃砲中隊 | |
歩兵連隊 | |
歩兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
歩兵師団 | |
歩兵連隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵砲中隊 | |
対戦車中隊 | |
中迫撃砲中隊 | |
重迫撃砲中隊 | |
歩兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
砲兵師団 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
歩兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
独立機甲師団 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
機甲連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲連隊 | |
対空砲大隊 | |
独立防空旅団 | |
対空砲連隊 | |
対空砲連隊 | |
対空砲連隊 | |
対空砲連隊 | |
航空旅団 | |
航空連隊 | |
航空連隊 | |
航空連隊 | |
航空連隊 | |
対空砲大隊 | |
列車砲旅団 | |
列車砲連隊 | |
列車砲連隊 | |
列車砲連隊 | |
歩兵連隊 | |
対空砲大隊 | |
空中機動旅団 | |
攻撃ヘリ連隊 | |
偵察ヘリ連隊 | |
偵察ヘリ連隊 | |
輸送ヘリ連隊 | |
対空砲大隊 | |
第4砲兵軍団*207*208*209 | |
砲兵師団 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
歩兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
砲兵師団 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
歩兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
砲兵師団 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
歩兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
ロケット砲兵師団 | |
ロケット砲連隊 | |
ロケット砲中隊*210 | |
ロケット砲中隊 | |
ロケット砲中隊 | |
ロケット砲中隊 | |
ロケット砲中隊 | |
ロケット砲中隊 | |
ロケット砲連隊 | |
ロケット砲連隊 | |
歩兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
ロケット砲兵師団 | |
ロケット砲連隊 | |
ロケット砲連隊 | |
ロケット砲連隊 | |
歩兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
ロケット砲兵師団 | |
ロケット砲連隊 | |
ロケット砲連隊 | |
ロケット砲連隊 | |
歩兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
列車砲旅団 | |
列車砲連隊 | |
列車砲連隊 | |
列車砲連隊 | |
歩兵連隊 | |
対空砲大隊 | |
列車砲旅団 | |
列車砲連隊 | |
列車砲連隊 | |
列車砲連隊 | |
歩兵連隊 | |
対空砲大隊 | |
航空旅団 | |
航空連隊 | |
航空連隊 | |
対空砲大隊 | |
空中機動旅団 | |
攻撃ヘリ連隊 | |
偵察ヘリ連隊 | |
対空砲大隊 | |
カラヴァン州西部要塞集団軍*211*212*213*214 | |
歩兵師団 | |
歩兵連隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵砲中隊 | |
対戦車中隊 | |
中迫撃砲中隊 | |
重迫撃砲中隊 | |
歩兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
歩兵師団 | |
歩兵連隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵大隊 | |
歩兵砲中隊 | |
対戦車中隊 | |
中迫撃砲中隊 | |
重迫撃砲中隊 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
砲兵師団 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
歩兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
独立砲兵旅団 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
ロケット砲連隊 | |
対空砲大隊 | |
独立防空旅団 | |
対空砲連隊 | |
対空砲連隊 | |
対空砲連隊 | |
対空砲連隊 | |
列車砲旅団 | |
列車砲連隊 | |
列車砲連隊 | |
列車砲連隊 | |
歩兵連隊 | |
対空砲大隊 | |
航空旅団 | |
航空連隊 | |
航空連隊 | |
航空連隊 | |
航空連隊 | |
対空砲大隊 | |
空中機動旅団 | |
攻撃ヘリ連隊 | |
攻撃ヘリ連隊 | |
偵察ヘリ連隊 | |
輸送ヘリ連隊 | |
対空砲大隊 | |
独立重装竜騎兵コマンド群*215*216*217 | |
機甲師団 | |
歩兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
機甲師団 | |
歩兵連隊 | |
砲兵連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
対空砲大隊 | |
自走砲旅団 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
機甲連隊 | |
ロケット砲連隊 | |
ロケット砲連隊 | |
対空砲大隊 | |
自走砲旅団 | |
機甲連隊 | |
機甲中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
自走砲中隊 | |
機甲連隊 | |
ロケット砲連隊 | |
ロケット砲連隊 | |
対空砲大隊 | |
第1重装竜騎兵旅団 | |
第311機略戦連隊*218 | |
戦術偵察中隊*219 | |
戦術偵察中隊 | |
戦術偵察中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
第312機略戦連隊 | |
第313機略戦連隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
機械化歩兵大隊*220 | |
機械化歩兵大隊 | |
対空砲大隊 | |
第2重装竜騎兵旅団 | |
第321機略戦連隊 | |
戦術偵察中隊 | |
戦術偵察中隊 | |
戦術偵察中隊 | |
機甲中隊 | |
自走砲中隊 | |
第322機略戦連隊 | |
第323機略戦連隊 | |
空中機動連隊 | |
攻撃ヘリ中隊 | |
偵察ヘリ中隊 | |
機械化歩兵大隊 | |
機械化歩兵大隊 | |
対空砲大隊 | |
空中機動旅団 | |
攻撃ヘリ連隊 | |
偵察ヘリ連隊 | |
輸送ヘリ連隊 | |
対空砲大隊 | |
航空連隊 |
海軍
戦艦を中核とした艦隊が存在する。
また潜水艦にも砲撃型潜水艦なる存在がある。
わかるとおり、トーラ人は大艦巨砲主義である。
警察その他の部隊
所謂準軍事組織のこと。STCでは軍閥が絡んでくるので少しめんどくさい。
警察
トーラ語ではコルチと呼ばれる。基本的には警察の事であり、州知事に属する。
州軍
こっちもトーラ語ではコルチと呼ばれる。州を守るための軍隊であるが、州知事に属するし治安維持のため警察のようなこともするので混ざりまくっている。基本的には州軍で統一して考えると楽。
保衛院
トーラ語ではコルマスと呼ばれる。国境警備隊のことである。
軍機処
トーラ語ではメフテルと呼ばれる*2211986年に再建される秘密警察の事。第1総局から第9総局までが存在し、対外諜報担当の第1総局、対内諜報担当の第5総局、直接排除担当の第7総局にそれぞれ実力部隊が存在する。
総参謀部付部隊
トーラ語ではカラルギャフと呼ばれる*222。2000年代以降に作られる統合軍形式の実験的部隊。戦艦を基幹とする水上打撃部隊、空母を基幹とする空母機動部隊、強襲揚陸艦を基幹とする遠征打撃部隊、補給艦などを基幹とする輸送・水雷部隊の合計4個戦隊からなる1個艦隊や陸軍師団が複数存在し、1つの軍隊の縮図と言っても過言ではない規模になっている。
都察院
トーラ語ではジャンダルマと読む。2020年以後に再建される国家憲兵のこと。本来は1910年代くらいからあったが、各軍閥の力を弱めることが目的である事が明白であるため誰も建て直そうとせず汚職と腐敗の温床になっていた。“霜踏み”シャキーブはこれを改革し中央集権化を推し進めたため、オル・アトニア軍閥の反乱を招くことになる。
軍閥私兵
トーラ語ではカプクルと読む。各軍閥の私兵である。これらは国軍の兵力内に含まれておらず、「軍閥の息のかかった国軍部隊」とは別である。
私兵とは名ばかりで実際州軍の皮を被ったものもあるし、或いは本当にヤクザや民間警備会社のようなものもある。いずれにしても殆どの兵力は(州軍など含めても)二線級以下の兵器しか保持しておらず、軍人としての訓練も日常的に受けているわけではないので結構弱い。
教育
小学校4年、中学校4年、高等学校4年。うち小学校のみが義務教育であり、中学校以降は有償である*223
軍営*224の幼年学校および予備士官学校ならびに士官学校が存在し、これは中学校および高等学校ならびに大学校(および幹部候補生学校)に相当する。平時は幼年学校4年予備士官学校4年士官学校2年*225*226は基本的にであるが、戦時下などの条件によってこれらは変動する*227
主な学校
・各地の州立軍官学校
・各地の軍閥設置の総合大学
・中央砲科学校
・中央特技学校
宗教
トーラ信仰を信奉している国民が多い。
その他グランダ半島では全体的にチェンポパ*228を信仰する住民が極めて多く、歴史的経緯によりアンゴルモア人の多い内アンゴルモア地域*229においてもチェンポパ信徒が多い*230。これらチェンポパはSTCにおける統治政策に対して民族主義的武装組織の母体となる*231などして強く抵抗する傾向にあり、各軍閥では硬軟使い分けた対応を取っている*232*233。
現在ではオル・アト軍閥東部戦区司令官ソン・バリクチュの懐刀である“影這う蔦の”ムバーリズッディーン・ダーニシュメンドの策略によりチェンポパ独特の宗教指導者であるリンポチェの継承に関する介入工作が行われており、グランダ半島のみならずノロー王国、アンゴルモア、サクァス連邦および西コリンズの諸藩王国地域全体にとって極めて大きな問題となっている。*234*235
教義
だいたいイスラム教。
神官*236という地域ごとの宗教的指導者*237が存在し、各地の神殿*238で祭事を執り行う。
宗派としては複数の宗派が分かれており、地域性や世俗権威との結びつきなどによって混迷を極めている。これは智縁共同体*239*240*241を基盤とした神官階級*242*243の拡大が存在したが故である。即ち師匠にあたる法学者の解釈を元にしたうえで弟子たちが更に学説を発展させていく過程で複数の解釈を発生させ*244*245、それらが地域や民族や世俗権威との付き合い方*246等に応じて残存したり残存しなかったり*247する過程で学説の系譜が数多に枝分かれしていく事がままあったためであると言われる。
- サンジャーク派*248
トーラ信仰の最主流派*249*250。東文字で書けば旗一派*251。南西トーラサズ地域の殆どの地域と大多数の人口を占めるトーラ人が信仰している場合が多い宗教であり、その創始はトーラ信仰の世俗権威との合一化にまでさかのぼる*252。そもそも宗教的権威と世俗権威の合一化は数多くの宗教においてみられるものである*253*254が、それらはあくまで「宗教教義の文脈における歴代皇帝の正当化」*255「宗教的権威を部分的に優越する形での世俗権威による保護」*256或いは「宗教的権威を政治決定力の一つへ昇華させた世俗的権威の絶対化」*257と言った方面で発達してきた。
その中で16世紀ごろのトーラ皇帝*258はトーラ信仰の庇護者として振る舞い、皇帝自身もまた一人の法学者としてトーラ信仰に従った法解釈*259を繰り返しつつ、トーラ皇帝の発した世俗法*260とトーラ皇帝の発した宗教法的見解*261*262とを殆ど同一のものとして発することが可能であるという点において極めて特徴的な宗教法学派*263を打ち立てることに成功した。
トーラ皇帝という世俗的権威と神官であるという宗教的権威がほぼ完全な形で合一を果たしたトーラ帝国であったが、17世紀後半からのENOCH氾濫において皇帝自身が発狂して死んでしまうという事態に見舞われた結果、続くラトーミラ朝トーラ帝国においてトーラ皇帝自身には宗教法解釈をみだりに濫用しないことという制約が付けられその聖俗両面からの権力を行使することが極めて難しくなった。そこにおいて宗教的指導者としての実権は皇帝自身から、トーラ姓を持つ選帝卿*264の一族であり同時に宮中官職として式部長官*265を代々任されるタバゥルカ・トーラ家に移った。トーラ皇帝がファトワーを発するときはタバゥルカ・トーラ家の輔弼を必要とし、同時にタバゥルカ家はアルトゥン・カレにおいて最も重要な神殿*266の管理者*267として国内各所の神殿にファトワーを出すことも可能となった。
この分権化に伴いトーラ皇帝の権威は一時的に*268分担される。式部長官たるタバゥルカ家はトーラ皇帝が毎年行う各種トーラ信仰的儀式を輔弼し、代わりに式部長官の下に編成される神官たちには宗教的素養の他に学問的・官僚的な素養が求められるようになった。これによってトーラ皇帝という政治的権力と宗教的権力が明確に分離しながらも末端層では宗教的知識人層が政治的権力の補佐のために運用されることとなる。これはトーラ帝国の郡県制*269における巡撫や県や郡の長官などを担い、地方における豪族や貴族等地方軍人層*270への対抗力の要として活用されていた。
そのため神官は平民階級からであっても貴族や戦士階級であるアーヤーン層と並び立ちまた対抗できる極めて重要な地位となり、特に裁判官や地方宗教指導者および各種法律関連業務で活躍しトーラ帝国における官僚層の一翼を担った。*271これにより官僚階級を中心として平民の立身出世の道が開かれたともいえ*272、17世紀から18世紀にかけてのトーラ帝国の黄金期は概ねこの平民階級の名士化*273*274が進展した。
とはいえ19世紀中ごろのサレヒ独立戦争から20世紀初頭のヴィクトリア戦争にかけてトーラ帝国自体の国力が落ちてくるとトーラ帝国内の国粋主義的知識人層がトーラ民族としての信仰を取り戻そうという動きに走る。
これによってトーラ皇帝の世俗的政治権力とタバゥルカ家の宗教的式部権力を殆ど同一のものとして習合するべきであるとするタウラー=サンジャーク主義が発生した。これは原義的に見れば宗教改革運動*275であるが秘密結社*276*277を通じて一種の政治的運動としても広がり、トーラ労農党光復派*278*279や同党皇統派*280および同党旗派*281など各種ゲラノド諸派にも波及。結果としてトーラ帝国末期におけるトーラ知識人層に膾炙し事実上のデファクトスタンダード的解釈となった。これをタウラー=サンジャーク主義と言い、サンジャーク派と殆ど同一視される。
軍閥時代において、各地の神殿や神官は各々軍を編成したり官僚として各地の軍閥に参画したりした。前述の通りトーラ信仰の神官は裁判官としての役割が殆ど最初から存在する上、タウラー=サンジャーク主義の文脈においてはトーラ皇帝から派遣される官僚としての成立も保持している。それ故当然ながら法律および事務職に関する技能を保持していた為である。この傾向は1920年代のタバゥルカ・トーラ家当主“長老”コッジャ・タバゥルカ・トーラにおいても変わらず、トーラ労農党機構派*282の支援と暴走のもとトーラ帝政継承戦争における参加勢力の一端を担い、そうして敗北した。
以後統一STC期から南西トーラサズ戦争、現代までミンバル・ジャミィとその管理者たるシェイヒュルの地位は殆ど名誉的なものとなり、以前のような権勢はない。*283 - ナシーヴ派
ナシーヴァ地域やその周辺で信仰されている宗派。ゆるゆる。 - トゥル・タウラー派
トルトーリアで信仰されている宗派。結構厳格。 - マナラート派
クルーダーで信仰されている宗派。随分厳格。 - サレフィー派*284
サレヒで信仰されている宗派。無茶苦茶厳格。 - カーフィル派
1990年代以降のトーラ信仰純粋化運動*285の文脈で新たに定義づけられた集団。宗教的特徴としてはしばしば過激な暴力の行使を伴うテロリズム的改革運動を好むところにあり、またサレフィー派に範を取ったような極めて厳格な律法主義統治を要求する。そのためしばしばサレフィー派と混同されており、また1980年代以降の国際的威怖主義の活発化に伴う - 律法主権主義
18世紀ごろのトーラ神官、“窮理の”エルドアンによって唱えられた主権思想。同時期の人民主権主義、経済主権主義および君侯主権主義の議論の中で出現した。
“窮理の”エルドアンは1730年ごろに活躍したトーラ信仰サンジャーク派の神官である。神学思想としてはムスナド学派に属し、師と仰ぐ神官“既知の”ジュムフル・アルプテキンの系譜を汲んでいる。長らく続いたENOCH氾濫が終わりトーラ帝国の黄金期が訪れ始めるごろに現れ、国内においてはサンジャーク派の権力分割に関する問題、国際的事情としては北西トーラサズ地域との交易が行われ出すにあたり徐々に民衆の心が正しいトーラ信仰から離れていくという問題の二つに直面し腐敗と堕落の道へ進んでいく国内を憂いて『源理奉書』を記した。
法学派
厳密なところを言うと各宗派によって採用されている法学派はすべて異なると言えるものの、概ね4つから8つ程度の智縁的系譜が見られる。以下、それを説明する
- シャファー学派
執り成し説。律法における罰において幾つかある流動的な罪刑*286に関しては、裁判官たるアッラーフが執り成しを以て最も軽い罪に適用するものだとする学派。 - タクフィール学派
宣告説。律法において罰を受けると宣告された者或いはその罪を犯した者は最厳罰を以て適用され、二度と救われることがないとする厳格な学派。トゥル・タウラー派やマナラート派およびサレフィー派などではこれが主流であることが多い - カラーム学派
思弁説。律法を更に神学的視点に立たせて考慮し、人間の罪と自由意志の観点にまで持ち込んだ学派。ワッハダ学派と対立したが、現状殆どの学派はこの学派を踏襲したうえで議論が進められている。 - ワッハダ学派
神格説。カラーム学派と共に律法を神学的視点に立たせて考慮した学派。人間の自由意志を認めず、地上に律法をもたらした神によって全てが予定されているとする学説であったが、現状あまり広まっていない。 - アマル学派
行為説。律法に記載されている許可された行為であればそれを実行してよく、拡大解釈的な実状へ適用をも許可されているという説。付帯的な制限を受けることもないとしているため極めて緩い学派である。サンジャーク派は民間レベルではこの立場に立つことも多い - タクワ学派
敬虔説。律法と罪の関係はその罪刑に対して敬虔であったか否か、即ち故意か不意かや各個の状況および情状酌量を大いに認めるべきであるとする学派。サンジャーク派においてはこの学派で語られていることも多い。 - ファナー学派
合一説。律法と罪の関係を「その条文が制定されること」という条件で捉え、罪の適用は神の制定目的と合一するか否かで判断するべきであるとする学派。ナシーヴ派はこの学派で語られる事が多いが、ムスナド学派やタクフィール学派は単純な堕落であると非難している - ムスナド学派
典拠説。律法本文と一切違わないことを要求し、それ以外の情状酌量や類推適用を認めない厳格な学派。サレフィー派などはこの学派に立つことが多い。
神々
トーラとはタウラー(律法)を意味する。即ち、全能なる神が定めた律法を信奉しこれに従って生きることを目的としている。
この神の名前も形も現在では伝わっておらず、ただ“アッラーフ”*287とのみ語られる。
聖典
律法を記載した聖典の他、各種法学者の解釈などが聖典とされる。
その他の機関
度量衡
パルマク:20mm
アルシュ:50mm
ウルップ:85mm
アルシン:700mm(12アルシュ)
エンダーズ:850mm(10ウルップ)
クラーチュ:およそ1.8m(大体6フィートと等価)
クムシュ:7m(10アルシン)
クリタイラル:85m(100エンダーズ)
スタディオ:180m(太陽がその視直径分だけ移動する間に人間が歩行する距離)
選帝卿家
概要
選帝卿家は、トーラ帝国時代に定められた一族に与えられた位階を指す単語である。一般的に序列は存在しないとされるもの凡そ17位から20位程度まで存在し、その多くはサズニア朝トーラ帝国建国時および第三次氾濫期においてトーラ帝国*288の領域を維持および拡大するために尽力し、武功を立てた一族に与えられている。
基本的に「六の宮中官職・五ないし七*289の辺境伯・六ないし七の書記官長*290およびその他のトーラ姓を持つ貴族家」の配役によって構成される。基本的に宮中官職に位置付けられたトーラ貴族はトーラ帝国における直参の家臣であり首都であるアルトゥン・カレの周辺に配置、その直下の辺境伯家がトーラ帝国の防衛を担いレポーラ盆地東部やヒストラマー半島北部等に配置、さらにその下の書記官長家がグランダやアンゴルモアなどトーラ帝国に従属していない近隣諸部族からの朝貢受け入れを担当し朝貢使節団の世話をするという役回りが与えられていた。*291
機構
選帝卿家はトーラ帝国の政府機関とは異なり一種の家庭的繋がりによってトーラ皇帝に臣従していた。そのためトーラ帝国の官僚機構から直接選帝卿家に対する抑圧を行うことは出来ず、必ずトーラ皇帝からの勅書としての働きかけを必要としていた*292*293。そのためそれぞれの宮中官職に従って絶大な権限が与えられており、その活動に対しトーラ皇帝以外の介入を許さなかった。*294*295
選帝卿という位は貴族生活のあらゆる部分に現れており、宴会での座席、敬意を表する相手、そしてそもそもとして物資の輸送優先順位自体にまで関わる大きな因子である。その中の最たるものはトーラ皇帝の宗家が断絶した際に次の皇帝を選出することが可能であるという点にあり、それゆえ選帝卿と総称される。
腐敗とその終焉
選帝卿というシステムが崩壊するのは19世紀中ごろからの事である。トーラ皇帝の権威を絶対的なものとして構築されていた*296選帝卿のシステムは、トーラ皇帝の権威が低減していくにしたがって必然的に形骸化していった。
それが如実に表れたのがサレヒ・トーラ戦争によるサレヒローニアの独立、ひいてはナシーヴァ書記官長であったアルフィトル・トーラ家のトーラ帝国からの離脱であった。ナシーヴァ地域で発生した民衆反乱に
現代への影響
構成(~1912)
宮中官職 | 配当家 | 当主*297 | 備考 |
---|---|---|---|
侍従武官長 | ムハーフス・トーラ家 | “鬚髯の”ハルーン・ムハーフス・トーラ | |
内帑長官 | ハヴズ・トーラ家 | “誠実な”マフムート・ハヴズ・トーラ | |
旗手長 | バイラクタル・トーラ家 | “長煙管の”ブルハネッティン・バイラクタル・トーラ | |
大膳職長 | ハリチュ・トーラ家 | ハリチュ・トーラ | |
献酌侍従長 | ボガズィチ・トーラ家 | ボガズィチ・トーラ | |
式部長官 | タバゥルカ・トーラ家 | “長老”ムスタンスィル・タバゥルカ・トーラ*298 | |
グランダ辺境伯 | 空席 | ||
ドランガ辺境伯 | アルカダーシュ・トーラ家 | ||
アンゴルモア辺境伯 | デグメミュシ・トーラ家 | “”アブドゥルズィーズ・デグメミュシ・トーラ | |
クリュード辺境伯 | ハラーヴェ・トーラ家 | ||
ナシーヴァ辺境伯 | ツィフテテリ・トーラ家 | ||
ヤチェリノ辺境伯 | 空席 | ||
ヒストラマー辺境伯 | ジェザイルリ・トーラ家 | “聖伐”ヒシャーム・ジェザイルリ・トーラ | |
グランダ書記官長相当 | トルソン・トーラ家 | ||
ドランガ書記官長相当 | コルサン・トーラ家 | ||
アンゴルモア書記官長相当 | 空席 | ||
クリュード書記官長相当 | チェラグ・トーラ家 | ||
ナシーヴァ書記官長相当 | アルフィトル・トーラ家*299 | ||
ヤチェリノ書記官長相当 | アルタリア・トーラ家 | ||
ヒストラマー書記官長相当 | アルマーン・トーラ家 | “” |
文化
トーラ地域は古来からトーラ信仰、或いはトーラ民族ないしトーラ帝国という複数の段階での統一的文化が存在したため、特にトーラ帝国時代において強大なソフトパワー*300を形成することに成功した。
名前に関する文化
トーラ人の使用言語はトルコ語*301に酷似したトーラ語と呼ばれるものであるが、ナシーヴァ語*302、クリュード語*303および東域諸語*304からの借用語が多く見られるほか、その他複数の方言という形でアゼルバイジャン語やトルクメン語、タジク語および、バシュトゥー語、ダリー語など*305の使用が認められている。
トーラ人の名前は基本的に「名+姓」の順で夫婦別姓かつ父系継承。ゴイジュ家のムスタファであればムスタファ・ゴイジュ、その息子アリーであればアリー・ゴイジュ。その妻がヒルダ・フェトヒでもファトマ・クズルウルマクでも、息子の名前は変わらない物となる。
ただし変更があるのは他民族と婚姻関係に落ち着いた場合であり、特にSENTO系(東域系)のものと結婚した場合は東域側の「姓+名の順かつ夫婦別姓・父系継承」と干渉する事となる。その場合は基本的に二つの姓が合わさったような名前になる事が多く、ソン・フェズィやチャン・カラジャなど一見して奇妙な名前になる事が多い。
トーラ人の姓名に関しては更に特別な文化が存在するが、これらは基本的に伝統的なものであるため現在時点では法的にある程度禁止されていることも相まって地域によっては大きく薄れていることが多い。
詳細はトーラ人名リストへ
- 二つ名文化
伝統的なトーラ人は二つ名を用いて他者の名前を呼称する。*306二つ名は一般的に形容詞や名詞や動詞を直接1単語*307名前の頭に着けたものであり、“風切り”ネスリハン・トキョズや“統辞の”メリエム・シェノールなどが実例として挙げられる。
これは近世トーラあたりまで戦士階級と貴族階級が殆ど同一であった頃の名残で、自らの功績を名乗るのと同時に同姓同名の先祖や親類縁者とは異なる存在であるということを如実に示すための文化であったとされる。二つ名自体は中世トーラ期程度から存在したようで、庶民層の経済発展に伴って姓の名乗りが一般化し始めた18世紀中ごろよりも前から複数の平民出身者が二つ名と自らの名前のみで伝わっていることが多い。
二つ名文化の終わりは1912年の青年トーラ政変によって以降である。国父であるソン・ダーグクはその名前からも分かる通り東域系の文化圏に属していた者であり、トーラ的な二つ名を用いられる事を嫌った。またゲラノド的改革の進展や北西トーラサズなど各国との対等な交流の促進もあって進歩的思想を持つ人物が増え、1930年程度を境にして徐々に二つ名を用いる人物が減ってきている*308 - トーラ姓
トーラ皇帝の血族であることを示す姓。翻って選帝卿を指す。
トーラ姓は基本的に父系継承であるが、トーラ皇帝位自体は女系であっても継承可能である*309。またトーラ帝国のみならず中世から近世期にかけての歴史的君主制国家の宿命として王位争いを防ぎ臣下の貴族の分離を防ぐ必要性に駆られる都合上、臣籍降下や政略結婚が横行した。本来原義的な臣籍降下においては姓を与えられた旧皇族は二度と皇帝に即位することは出来ずその姓*310を守り抜くことが必須とされるが、トーラにおいてはイエよりも血縁関係や当主であるか否かの方が優先される。そのため降下した皇族や他の貴族家の元へ養子に行った皇族、他の貴族との政略結婚によって子を成した女性皇族などを通じ、ラトーミラ朝トーラ帝国という血筋は極めて強固かつ冗長性に溢れたシステムとなっていた*311。
これらの選帝卿は基本的に大貴族ないし有力貴族とされる場合が多く*312、宮中官職という形で一定の世襲的ポストが与えられた*313。後に選帝卿は大貴族や有力貴族であることを示す最も分かりやすい称号となり、トーラ姓が存在する家系は貴族社会において極めて重要な地位であるとみなされた。*314
青年トーラ政変以後これらの大貴族は軍閥時代を通じて、特にトーラ帝政継承戦争によってそれぞれ勢力を削りあった。更にそこから南西トーラサズ戦争によって幾つかの貴族家が消滅し、現在に至る。
現在ではSTC・PUともにトーラ姓をつけて名乗ることは少ない。仮にトーラ姓をつけて名を名乗る場合トーラ姓は姓名の末尾につけ、アナライ・ハラーヴェ・トーラのように「名+姓+トーラ」と名乗る。*315 - 敬称
トーラにおける敬称は相手の立場によって変更する必要がある。
最も有名な敬称はパシャである。これは将官以上の階級の軍人*316や他国の国王および大統領、その他各省の大臣や次長級、および旧い言い方であれば大貴族、現在であれば各有力な軍閥の長などがこの敬称で呼び表される。これらのように武官・文官ともに用いることが出来る最上級の敬称であるため他国との外交の場では現在でもしばしば用いられる。
次にベクという敬称が存在する。これは佐官程度に位置する階級の軍人に対して呼ばれるもので、その他特段の事情がない限り軍閥私兵の将官級・佐官級は総じてベクと呼ばれる。*317*318
これと同等の文官階級に対してはヴァリを用いる。これは中央であれば局長・部長・審議官級から課長および係長級まで、地方であれば州知事など地方行政機関の長を指して呼ぶ。*319
またベクの類型としてテクヴル或いはサルダールと呼び表される物がある。
テクヴルとサルダールは佐官相当までの軍人*320に用いるものであるが、実際の運用上は「地方の軍に配属された後方担当官はテクヴル」「地方の軍に配属された前線指揮官はサルダール」という曖昧なものである。これらは翻って「防衛時の指揮官はテクヴル」「攻勢時の指揮官はサルダール」と呼び表すこともある。これらは基本的にベクで代用可能であり、2020年現在これら二つの敬称を用いている者は少ない。
そしてそれ以下、尉官より下に相当するものであれば文官であっても武官であっても或いは民間人に対しても用いることが出来る敬称がバシュである*321
バシュは東詞のニュアンス的には「兄貴」を意味する言葉であり、フランクな使い方であれば路地裏のチンピラグループの長などにも用いることが出来る*322。厳密にはバシュにもオン・バシュ、ユズ・バシュなどが存在するが、これらの違いは「バシュの中のバシュ」*323や「バシュの中のバシュを率いたバシュ」*324「バシュの中のバシュを率いたバシュを纏めるバシュ」*325という程度のものであり、ビン・バシュとベクは殆ど極めて近い語義となる*326。そのため2020年現在では殆どすべてバシュで言及可能である。
その他、現在では用いられない敬称各種について記載する。
パーディシャーという敬称はトーラ皇帝にしか使えず、当然これは既に存在しないため用いることは出来ない。また同じくトーラ皇帝から各朝貢圏の国王に対する呼び方であるデイや後宮に起源を持つヴァリデ・ハトゥン・ジェッリエの各敬称は用いられない*327。
また男性の文官全般に使える敬称のエフェンディや女性の文官全般に使える敬称のハーナムも宮廷に起源を持つ語であるためあまり用いられず、同じく提督や船長を意味するレーイスもパシャやベクやバシュによって統合された*328。
年少者の女性に対する呼びかけであるカルファや年少者の男性に対する呼びかけであるアブー*329も同じく、社交的目的で用いることが出来ないため徐々に用いられなくなっている。
衣類に関する文化
- トーラ帽
フェズ帽の事。ツバを持たない円筒形の帽子であり、紐で出来た房が頭頂部に存在する。帽子自体の色は赤や黒など存在するが、STC軍で略帽として用いられるものは黒色のトーラ帽のみであると規定されている。軍の略帽としては後述の04年制式軍衣から続く伝統である。
軍で用いられるものに関しては房の色を兵科色と合わせて帽子下部に兵科色の帯を巻き付けて兵科を示し、房に飾り玉*330をつける事で階級を示す。飾り玉の数で高級将校*331・下級将校*332・下士官*333・兵*334のうちどれに該当する人物であるかが分かり、高級将校ならば飾り玉3つ。下級将校ならば飾り玉2つ。下士官ならば飾り玉1つで兵は飾り玉無しという形で表現される。 - トーラ圏の軍服に関して
STCの軍服は、近代以降おおよそ3-4の区分に分けることが出来る。以下、特徴と策定経緯を記述するSTC軍の背嚢は一般的に「たこ足背嚢」と称されるように、本当に50年制式軍衣の時代から伝統的に背嚢外部へ各種物品を括り付けるための縛着紐が備え付けられている。67年制式軍衣の時代には背嚢外部へスコップや携帯天幕や雨衣などを装備していたが、08年制式軍衣では迷彩パターンを配された大型背嚢に寝袋などを入れるため携帯天幕などが不要となっている。ただし代わりに無反動砲や各種砲弾などを括り付けることが求められており、装備重量はずいぶんなものになっている。04年制式軍衣 1904年策定 トーラ帝国最末期の軍服。これまでの民族衣装をベースとした軍服ではなく北西トーラサズ的な機能性を追求した。正帽や礼服や袖章、肩章等の規定が存在し、兵科や連隊番号を記した胸章などが付けられる。しかし所謂肋骨服のようにトーラ風の装飾が存在するなどトーラ面から逃れられていない 12年制式軍衣はこの軍服をベースとしている 12年制式軍衣 1912年策定 青年トーラ政変直後の策定。基本は04年制式軍衣がベースだが生地の材質などに関して変更があり、袖章が廃止。その他当時はやっていたサムブラウンベルト等の規定がある 軍閥時代を通して存在 50年制式軍衣 1950年策定 軍閥時代終了後の策定。北西トーラサズ地域などの軍服を例にとり、詰襟で襟に兵科章を、肩章で階級を、胸章で兵科や連隊番号を示すなどしていた 第1次世界大恐慌の反省から衣類製造コストの省力化が取られており、近代国家として統一された軍服にしようという試みが見える 65年制式軍衣 1965年策定 第2次世界大恐慌直後の策定。礼装や正帽を廃止し常服ならびにトーラ帽型略帽と統合。肩章を廃して折襟の襟章と袖章を採用し第2次世界大恐慌後の物資問題を解決しようとした 南西トーラサズ戦争ではこれを運用。PU側は1967年に略帽を山岳帽に変更するなど複数の改良を行った67年制式軍衣を作成している 87年制式軍衣 1987年策定 STC独自のもの。迷彩服の使用やチェストリグの全面的使用に踏み切るなど近代化が進む。襟章に階級と兵科を統合 しかし背嚢はたこ足である 08年制式軍衣 2008年策定 STC独自のもの。ボディアーマーの洗練が進みチェストリグ等弾倉嚢装着具類と統合されタクティカルベストに近いものとなった。またプロテクトギアなどを装備する事が規定されている されども背嚢はたこ足である
また兵科色は以下の通り。これらは50年制式軍衣から08年制式軍衣まで殆ど統一されており、技術発展に応じて兵科が増えた場合それに合わせて増加する*351歩兵 兵科色は赤 対戦車ミサイル担当 兵科色はマリーゴールド 歩兵砲担当 兵科色は山吹色*335*336 軽迫撃砲担当*337 兵科色は赤橙 中迫撃砲担当*338 兵科色はオレンジ 重迫撃砲担当*339 兵科色はオリーブグリーン 砲兵 兵科色は黄色 対戦車砲担当 兵科色は鬱根色 対空砲担当 兵科色は金茶色 自走砲担当 兵科色は黄緑*340 ミサイル/ロケット砲担当 兵科色はクロムイエロー 列車砲担当 兵科色は柳色*341 沿岸砲担当 兵科色は青朽葉色*342 超長距離弾道砲担当 兵科色は金色*343 騎兵 兵科色は緑*344 航空兵 兵科色は勿忘草色*345 回転翼機兵 兵科色は常盤色*346 衛戍兵 兵科色は銀色*347 輜重兵 兵科色は白 通信兵 兵科色は黒 工兵 兵科色はラベンダー 衛生兵 兵科色は薄紅 憲兵 兵科色は茜色 海兵隊 兵科色は紫*348 船舶工兵 兵科色は青*349 特殊部隊員 兵科色は朱殷色*350
飲食に関する文化
- コーヒー
コーヒーは本来ナシーヴァ原産のコーヒーノキの実を炒って磨り潰したものである。比較的早い段階*352からナシーヴ地域からヒストラマー半島に拡がっていたことが確認されており、9世紀の文献にもナシーヴ派のトーラ神官が神秘体験のためにコーヒーを飲んで興奮状態に陥っている姿がみられる*353。 - 宮廷料理
いわゆる満漢全席に似た形式の配膳であり、翻って南方風料理のことも指す。
後には飽食を表す言葉、ひいては救貧院とそこで出されるごった煮に似た煮込み料理の事も指すようになった。*354
住居環境に関する文化
- ハマーム
トーラ風呂。コルサン風呂とも。一般的にはオンドルじみた床暖房を利用する蒸し風呂のこと。STCではスチャクルク、PUではハマームとも呼ばれる。
そもそもこれは寒冷気候に於いて使用されるものであるので、トーラ全域に広まることはなくまた近代化に従って失われた文化や伝統もあった*355
室内には浴室内暖炉とそこから出る排煙を床下に流した床暖房、およびバーニャ的な高温の蒸気の他火鉢などで暖められている。なお床暖房が基本という性質からリアルで言うサウナほど高温であるというわけでもなく、どちらかといえば湿式サウナに近い。
実のところこれはコルサンと名がついているものの恐らくドランガ半島における風習だったとされる。特に支配階級にあたるコルサン家は海の男なので、そういう者をあまり持たない。逆にやドランガ州の中でも農民に近い市民はコルサン風呂を利用していたとされる。
この流れはトーラ帝国に於いても流入したものの、レポーラ盆地やそこらへんでは当時から既にトーラ皇帝や貴人の湯治のために存在した湯殿や北西トーラサズなどから流入したシャワー文化などがあったためあまり流行らなかった。
ちなみにこれはギャツォ州に於いてグランダによくあった沐浴場と一緒になりつつあり、本国のそれと違って水風呂および湯が張られているところもある。
また個人浴場より公衆浴場の方が未だに多いとされ、ユニットバスより銭湯のような感じを思い浮かべる*356*357*358
そこに於いての入浴習慣ではあるが、多分大本が寒冷地であることを考えると中国北部の「毎日入るわけじゃないけど入るときにはクソほど丹念に身体を洗う」感じが近い。
武器に関する文化
- 砲兵キチ
トーラ人は砲兵キチである
これは中世期トーラ王国の技術者“鐘撃ち”オルハン*359と“洪略”ジュー・イェゲン*360による活躍によるものであり、彼らがセル・ゾンカの三重の城壁を巨大な攻城砲で打ち破ったことはその後のトーラ貴族の民族的アイデンティティの構築に一躍買っている。
これに加えて1620年代、中央帝政領域を支配した“征服帝”ラ・ロイの軍勢に対しサズニア朝トーラ帝国の初代皇帝エルトゥールル1世*361は重装騎士*362と野戦重砲“トーラ”による衝撃力に満ち溢れた野戦防御を以て対抗。“征服帝”ラ・ロイの軍勢を撃破したばかりか中央帝政領域南部地域に逆侵攻し現地諸侯に対し攻撃を加えた。*363
これら2度の民族的危機に対して砲が用いられたことで、トーラ人*364のアイデンティティの一つになりあがり、特に17世紀以降発達することになる“トーラ帝国貴族としての”文化的プライドとして極めて重要な位置に位置付けられた。
ENOCH氾濫を経験した後のラトーミラ朝トーラ帝国において、この武断趣味*365的傾向は良くも悪くも効果的に機能した。良い面としては1670年代までに砲熕兵器を揃えていた貴族はENOCHに対する防衛力としてある程度の成果を出すことに成功し、領土の荒廃をある程度防ぐことに成功したという事。悪い面として最も重要な事実としてサズニア朝トーラ帝国時代においては暫時徐々に切り捨てていくはずであった中世期トーラ王国的な旧貴族がENOCH氾濫という強制的排除があったということも含めて一気に宮中権力を減らし、結果1690年代ごろから“母たる”アセナ・ラトマ執政下の*366政権に対する大規模な反乱が発生してしまったということである。*367これらの事情により武断的思考を持つ貴族が残り、また貴族内でも自らの保持する大砲の門数や口径を誇ることはその経済力の表れであるという一種のステータスとして砲熕兵器が存在することとなった。事実砲は野戦のみならず治安維持においても有用であり、特に朝貢圏の諸部族に対する威圧としては極めて効果的であった。またこの貴族的趣味は18世紀中ごろの黄金期を経て民衆にも伝わった。トーラ帝国時代の一般的民衆が砲を保持する事は叶わなかったが、砲の運用員として専門的な技術を磨くことは一種の名誉としてみなされるようになる。*368
この二つの潮流は20世紀末のトーラ帝国における国粋主義的運動において一体化し、トーラ民族における民族的アイデンティティであるとみなされた。そのため新設された近代的トーラ帝国軍内部における砲兵の地位は極めて高く、青年トーラ政変以後にあっても概ね変わっていない。*369特に軍閥時代を経た現在のSTCにおいては軍閥当主と軍人経験は極めて密接な関係にあり州知事や州選出議員など上層部に近い人材が基本的に予備役扱いであるものの高級将校であった軍人経験を有している場合が多いというのも相まって、元砲兵将校であるという地位は政治闘争の場においても極めて効果的に用いられる。
その一つの例として挙げられる*370のが、戦略砲撃を目的とした超巨大弾道砲台、通称トーラ砲の開発である。 - 銃刀規制に関して
STCにおいて銃刀規制は比較的緩い。
銃は種類により所持・携帯・授受および運搬が許可される類の許可制であり、砲・戦車・ミサイルなどは基本的に所持禁止である。*371
対して刀や槍など白兵武器は私有地内での使用や携帯、収蔵保管などの面に関してほぼ完全に合法であるが公共での携帯などは許可制となっている。
特に白兵武器の規制が緩いことはトーラ帝国時代からの風習となっており、特に私有地内での使用や保管が認められていることからトーラ帝国末期から軍閥時代にかけて多数の武道家を輩出してきた。*372*373これは銃火器の取り扱いにおいても同じくであり、トーラ帝国時代には*374拳銃を用いた決闘の風習が存在した。*375*376
これらの許可は現地の警察が担っている。*377*378 - 成人*379に関して
トーラにおける成人年齢は15歳の誕生日或いは精通ないし初潮が来たときと定められている。これはトーラ信仰の律法に規定されているものであり、民法においても同様である。ただし軍法の徴兵可能年齢は18歳以上とされており、これらは州軍・警察ともに同じである*380*381。
中世期トーラ王国時代からトーラ帝国時代にかけて、トーラ貴族の間には幾つかの通過儀礼が存在した。そのうちの一つが法典朗誦と呼ばれる儀式である。これは成人を意味する通過儀礼として児童が律法を朗誦するというもので、ブルーグを迎えた児童が最も近い9月27日*382を目安として必ず参加するというものである*383*384。法典朗誦は律法の朗誦による法的地位の自覚の他、成人した児童が律法を片手に街中を行進することで新成人がどのような人物であるかを町中に知らしめるという意図があった。
法典朗誦の他にもトーラ帝国時代の貴族の間では墨入れと呼ばれる儀式が存在した。これは現在では結婚式などで用いられる儀式である*385*386が、トーラ貴族の文化が残っていた家や地域の間では1990年代ごろまで成人式でも行われていたことが確認されている伝統的な文化である。墨入れは赤い装束に赤いヴェール*387を被った新成人を囲んで参列者たちが粛々と踊り*388、新成人に対し「大人という厳粛な立場」を示す儀式である*389。その後参列者たちは新成人の掌にクナ*390を用いて簡易的な刺青を施し*391、続けて金貨と銃*392を授け「大人という立場における自己防衛の重要性」を示すことで、自分の資本と自分の身は自分で守らなければならないという現実を把握させることになる。特にトーラ帝国における貴族社会においてはこの拳銃を極めて重要なものであると認識しており、自らの子供に授ける拳銃や自らが携帯する拳銃はトーラ人好みの大口径である事や家の格にそぐわない程派手な外装ではない事などが求められていた。
現在では軍閥時代の終焉に伴い墨入れから高価な拳銃授与の儀礼が失われ、成人式をはじめ結婚式や徴兵の時など限られた時にクナで刺青を施し金貨を授ける儀式となっている。
政治経済に関する文化
- 黒矢朝と白矢朝
17世紀以前に南西トーラサズ地域に存在した2つの大国、即ちトーラ王国とヒストラマー王国は両方が「自身こそが本当のトーラ信仰の体現者である」としていた。そのため彼らは自身を“トーラ”と言い、相対する方をヒストラマー王国ないしレポーラ王国と呼び蔑んだ。
現在の海外トーラ史研究者の間では、歴史的経緯を持つトーラ王国・ヒストラマー王国という呼称を避け、「トーラ王国は鏃に黒い染め物を括り付けて宣戦布告したので黒矢朝」「ヒストラマー王国は鏃に白い染め物を括り付けて宣戦布告したので白矢朝」と呼ぶようにしている。
ここで中世期トーラ王国と呼んでいるのは基本的に黒矢朝、すなわちレポーラ盆地側に存在する現在のSTC寄りのトーラ王国を指す。 - 朝貢圏
トーラ帝国時代の国際関係は全て「朝貢」によって完結していた。即ち対等な付き合いをする国家というものは全て存在せず、「あくまで名目上の臣従と同じく名目上の敬意(つまり貢ぎ物)、そしてやはり名目上の領地安堵と同じく名目上の下賜」のみがそこには存在した。この文化はトーラ帝国以前、それこそ古代トーラ文明あたりから脈々と繋がるものであるとされ、現在でもトーラ人は結構メンツを大事にする。これは王ないし皇帝個人に対してその国家や勢力の主が臣従を表明することにより発生するものであるため、グランダなどの国は最低でも王や皇帝が変わるたびに朝貢を行っていたとされる*393*394
基本的に貢納に対し下賜される物品は極めて多く、また諸外国の領土に対する内政干渉や徴税その他の権利などは一切存在しないなど北西トーラサズ式の国際関係論では何も生まない無益な取引が横行していた。にもかかわらずこれを数世紀の間続けていたのは、ひとえにトーラ帝国に於いて重要なのが「利益」ではなく「器の大きさ」であったからである。そのためアンゴルモアやグランダ王国の諸氏族および西コリンズ地方の諸国*395はトーラ帝国の威を借りるために朝貢を行い、トーラ帝国は国内外の諸貴族に皇帝の器の大きさと国力を見せつけるために進んで下賜を行っていた。
この時発生する制度が恩賜役権である。これはトーラ帝国に対する朝貢と共に下賜される権利の一つであり、朝貢した国家ないし部族の認めた商人が一定期間トーラ帝国において活動するに足りる居住や通商などの特権を“申請する権利”をその国家や部族の長に対し授与するというものであった。
また朝貢圏の国家から救援を求められた場合、“やむを得ず”経済的な支援や軍事的介入として出兵することも多くあった*396。そして大抵の場合、トーラ帝国の威が通じる国家や勢力に対してであれば「トーラ帝国様がバックについてるんだからな!」という脅しに加えて軍勢の後ろから迫る黄金の旗というシンボルは極めて効果的に作用した。例えばお家騒動などで出張るときや民衆反乱に対するときなどの場合、相手が黄金の旗を見た瞬間即座に“トーラ皇帝とその軍に対し”降伏する事で、正直しばしばあった皇帝のお慈悲により減刑される事を狙って実質的な戦闘が行われないということもしばしば存在したとされる。
これが崩壊したのは各州総督の群雄割拠ならびに19世紀中頃のサレヒの独立、そしてヴィクトリア戦争の時のナシーヴァ遠征によってである。
また朝貢自体、トーラ帝国末期においては朝貢受け入れを行っていた貴族*397による中抜きが横行していることもあって軍閥化の一助ともなっていた事実が存在する。
とはいえ特に大きかったのは黄金の御旗の威をわからない外国に敗北し“対等な”条約を結んでしまったことである。その時点で、トーラ帝国の保持していたソフトパワー的権威は完全に失墜した。
これによってチュシェル王国やサクァスなど西コリンズ方面の諸国が一斉にSENTOへ加盟しSENTO理事会を通じた“対等な”外交関係を要求したことを以て、トーラ帝国は朝貢による儀礼的な影響力確保ですらも失ってしまったのである。
国際政治学的には「最初から朝貢圏諸国は独立しており主権の侵害はなかった」と解説されるものの、国際関係論的にはこの時を以て「トーラ帝国朝貢圏諸国の独立」とすることが多い。 - 通貨
STCの通貨は1968年前後まで金貨であるクルシュと銀貨であるアクチェ。1968年前後からは主流通貨であるトトゥマルクと、高額取引を補助するための補助通貨オン・トトゥマルクである。*398
トーラ圏における通貨は代々クルシュとアクチェ*399であり、トーラ帝国時代の通貨もまたクルシュとアクチェと呼ばれていた。*400
PUは独立当初より金本位制から離脱しており、STCも第2次世界大恐慌の時には金準備高流出を恐れて金取引を停止した。*401
これは第2次世界大恐慌の影響で国内の物価上昇率がだんだんと上がっていたことから発生しており、STCで10年間続くSENTOとの国境紛争の他PU-STC間の大戦争に伴う戦時国債の濫発によっても引き起こされている。
このためSTCは1968年ごろからクルシュとアクチェを廃止し、紙幣であるトトゥマルクとオン・トトゥマルクを発行した。これはPU側による偽造通貨発行の危険性を加味したものであったが、代わりにSTC国内における偽札製造の危険性を誘発してしまった。*402
STCとPUの両国が管理通貨制度に変わったことで金や銀を鋳造して貨幣にする必要がなくなったため*403、実のところを言うとPUクルシュは金貨ではないし、PUアクチェは銀貨ではない*404*405。 - 威怖主権主義
1980年代後半以降に取り上げられることが多い思想形態。政治的イデオロギーにまで昇華できなかった律法主権主義を除くと第4の思想形態と呼ばれる*406。
思想の発端は18世紀の内海地域に存在した思想家“賽の目”ジグムント・ポトツキである。彼はヴィジャグラーメ体制を擁護し強権的な皇帝主権を批判した。彼はグラスのみならず三光に対しても弁論の手を広げて皇帝権威自体の神聖化を否定し、皇帝もまたヴィジャグラーメ体制下における一つの地方領主と変わらない政治哲学的立ち位置にあることを証明するため、カデアは「軍事力に裏付けられた農村共同体的なコミューンを主体とした国家体制」に過ぎないと著した*407。ただ後世において、彼の思想はカデア主義の極めて原始的な形態に過ぎず*408、少なくとも現実の政治形態としてはカデア主義に概ね近くなるという解釈からすぐに廃れ、数世紀ほどの間日の目を見ることが無くなった。
続いて取りだたされることが多くなったのは1970-80年代以降の事*409である。PUにおけるSTC批判の文脈の中で軍閥時代の再評価*410が行われ、1950年代STCにおける各軍閥の独走*411がなぜ起こり得たのかという政治哲学的解釈が必要とされた。
そこで更にPU国内における強権的な政治体制*412*413に対する批判的言論からも“賽の目”ジグムントの論が再度引用され、トーラにおいて軍閥と総称される勢力*414*415とそれらによる内的政治傾向のことを権威主権主義的体制であるとした。
これは1970年代を通じた北西トーラサズの小規模戦乱期*416や1984年のトンブ大戦乱*417、および1970年代以降の小規模な武装勢力の乱立*418および国家間戦争の非対称戦争化などを通じて世界中に拡散した。本来犯罪者としか見なせないようなごく小規模な組織でありながらもケインズらに見られるように強大な戦力を保持している可能性のある武装勢力は通常の国家間外交政策の範疇で語ることが出来ない領域であり、ウェルモーやトーラ地域の先行研究は極めて大きな成果を見せた。しかし北西トーラサズの学者にとって重要なのは内的な政治動向ではなく国際政治など外的な政治に関する事柄であり、1985年ごろからコーペシャフトの学者を中心としてあくまで国家及び勢力の内的政治傾向に過ぎなかった権威主権主義を、隣接する概念である後述の恐怖主権主義と合わせることで外交的・政治的イデオロギーにまで昇華させ説明を可能とするという試みが開始された。
1986年の北洋紛争に伴うコーペシャフト-ジョゴルワ間国境地帯の不安定化とそれによって急激に増加した小規模武装勢力に対抗するための1987年の第三次ガラーサ協定において、これら威怖主権主義は「テロリスト」という三光語の名称で正式な公文書に登場する事となる。とはいえ当時の最先端の威怖主権政治に関する学説は1987年初頭に執筆され査読がようやく開始されたばかりのアーク人国際政治学者による論文*419*420であり、北西トーラサズ地域の学者たちが試みていた威怖主権政治国家という存在の証明と国際的イデオロギーへの昇華よりむしろ国内アクターとしての武装勢力や非国家アクターとしての各種小規模武装勢力の説明のみにとどまっていた。
ここにおいて新たに研究テーマとなったのはエナルキュリア・ラドニッツ民主共和国とスィーザーラントである。スィーザーラントは1971年から1980年ごろにかけてアレーナ・ヴァーマスの開発独裁を経た後、王政復古を果たして軍事中心の強権的政治による国内政情の安定化を図った。対してエナルキュリア・ラドニッツ民主共和国は1960年代から70年代にかけての第3次フェルナンド・ロペス政権および継続第3次フェルナンド・ロペス政権によって同じく強権的政治を行い、後の血の赤政策*421によって国内経済の回復に努めた。この2つの国家の共通項は国内の政治および経済の復興に関する問題に対して人権*422や法的手続きを無視した強権的政治を以て早期の解決および統制された発展を行うという物*423であった。
これら軍事政権は1970-80年代東南トーラサズ地域において大きな躍進を見せた。SENTO東部のノクス・ノルタル両共和国においては第2次東端戦争終結後の政治的混乱をジャン・クォハ軍事独裁政権*424*425ならびにマルコ・サントス独裁政権*426が早期に終結させ、SENTOの全面的バックアップによる国力回復政策が行われていた。この強権的開発独裁政権の成功はSENTO内の他の加盟国においても如実であり、モングー王国のアナン・プラユット軍事政権やサクァス連邦共和国のテイン・チョー軍事政権、コリンズ連邦のジャムニーヤー・カマーンダール独裁政権などが1960年代から1980年代にかけて著しい経済復興を見せる結果となっている。
これらの軍事独裁・開発独裁政権を指す政治的概念としては、19世紀の内海地域における思想家ステファノ・ゴムウカによる「ヴィジャグラーメとは沼に埋められた若木の群れである。若木の誰もが根を張らない事には、樹上の家はたちどころに傾く」「根を張らせるのは槌でもない、釘でもない。苗木自身の言葉に他ならない」と言う発言に代表されるように古くから存在した。人民主権思想の確かな萌芽に対し既存のパワー*427が極めて脅威となることは18世紀の思想家レープスツ・ヴェーナと『アルカンジュ正典/偽書』論争に詳しい限りであるが、これをより体系だったものとしたのは19世紀末期のジョゴルワ1月革命からグラス革命に到る1870-80年代ごろの事である*428。本来人民主権思想の対立軸として構成されたはずの恐怖主権主義が逆に高い評価を受ける結果となってしまったのは、1970-80年代にかけての内海地域*429における政情不安定化とコーペサフト連盟共和国および
パワーに裏付けられた支配体制を指す権威主権主義とパワーを振るうことで支配体制を確立させる恐怖主権主義とは極めて隣接した概念であるが故の密接な関係性を持ち、現代では厳密にこれらの二つが区別されることは少ない*430。
その他
- マムルーク
小姓などを合わせた複合的な意味の風習。実のところ時代によって変遷している語彙であり、現代とトーラ帝国時代では大きく範囲が異なる。トーラ帝国時代においてマムルークとは子飼いの商人や小作人、使用人などを合わせた複合的な語義であったが、現在では軍閥私兵の将校や官僚を指す*431。
また基本的に自由人であるマムルークとは異なり、トーラ帝国時代には奴隷も存在した。これらは中世期トーラ王国時代からトーラ帝国時代を通じて存在し続けたものの*432*433*434、18世紀時点ですでにトーラ宮廷における一部役職のみ*435に用いられている以外は殆どマムルークと同一の存在となっていた。この後1912年の青年トーラ政変において法的に禁止されたものの、直後の軍閥時代開始に伴い奴隷禁止法の徹底がなされることは無かった*436。これは軍閥時代が終わった1950年ごろ以降も継続しており、1960年代の南西トーラサズ戦争において奴隷兵が動員された例も存在した*437。最終的に奴隷の文化は1990年代にハヴズニア・トーラ軍閥当主コペク・ハヴズが領内の非合法奴隷商人を摘発し奴隷の一斉解放を行ったことで明確に下火になったとされる。しかし現在でもグランダ地域では貧困から身を売り奴隷となっているグランダ人もいるようだ。
なお現在では既に存在しない風習であるが、トーラ帝国時代までは小姓という風習があった。これは貴族の子弟が年少時にマムルークないし奴隷の子女と共に育てられるというもので、場合によっては乳母と共に召し抱えられた乳飲み子*438も該当した。小姓に該当する者は皇族や貴族の子弟と共に暗し、同じ勉学をして過ごす。この結果一種の幼馴染を超えた絆が生まれる者であるとされ、中世期トーラ王国時代から小姓出身の武将や政治家と主君との関係性に関連して複数の問題が発生したこともあった*439*440、普通は貴族の子弟にとっての良き同胞にして同学であり同時に良き家臣となる事を期待してこのような地位に置かれるものであるが、貴族の子弟が何らかの非行を働いたとき代わりに罰される役割も有する。これによって貴族の子弟がより良い方向性に向かうことを強制しつつ信頼のおける臣下にして戦友を先んじて作らせるという伝統であった。残念ながら軍閥時代において殆どの貴族的風習が壊滅的被害を負ってしまった*441ため現在は小説や戯劇の中でしか存在しない。 - バッチャ・バーズィ
年少娼婦の事。男女ともに可能であり、女装することが必須。踊り子を名目としていることが多い。