硝子戦争

Last-modified: 2020-10-29 (木) 23:01:56

概要

Glazi-Cofalt(硝子戦争)
Glass War
Glaskrieg
開戦対NINP:1969年1月2日
対中央州:2月21日
対ジョゴルワ:8月30日
対評議会・三光:1971年3月
交戦国東方生存協定
グラス=ゲラノド連邦
グラス=ゲラノド共和国
クーロンブ=ゲラノド共和国
ログロムヌス=ゲラノド共和国
ノヴィ=ゲラノド共和国
セヴァノール=ゲラノド共和国
カーラニズ=ゲラノド共和国
終戦停戦:1971年8月23日
対グラス停戦勧告?による
講和:1977年2月9日
ソヴェル条約?による
北西方面国家連合軍中央州連邦
統一ジョゴルワ国家連合
「抵抗する賢人」運動
ログロムヌス王国臨時政府
独立国協定指導部
スィーザーラント独立自由政府
死傷者数死者約2300万人
負傷者数約4300万人
所属なし評議会人民共和国
三光騎士帝国
結果東方生存協定北西方面国家連合軍評議会人民共和国三光騎士帝国
敗北、連邦の解体勝利、解体と再建戦略的勝利、領土獲得戦略的勝利、領土・利権獲得
項目
硝子戦争
ヴェンデッタの死闘? - レストラル撤退作戦? - ピルミィズ作戦? - 第一次セヴァノール沖海戦? - 明光作戦? - ノイ・ガラーサ防衛戦? - 「ヨクロンヴィテスの大予言」作戦? - 北部戦線撤退作戦? - 第二次セヴァノール沖海戦? - ノルドバーグ死守? - 末期グラスの衰退? - 崩壊?
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セヴァノール沖海戦?でミサイルを迎撃する駆逐艦ノルドバーグ?にてセヴェルセク海を越え陸揚げされる連合軍の戦車
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ピエモンテ作戦?にて上陸するエスティオ陸軍海兵隊と砲撃支援ノイ・ガラーサ?に向け鉄道輸送されるジョゴルワ軍戦車

硝子戦争(エスティオ語:Glazi-Cofalt/Cofault, ソヴェル/グラス語:Glaskrieg, 三光語:Glass war)とは、1969年1月より1971年8月まで続いた北西トーラサズ大陸における戦争とそれに付随する動乱を指す。
この戦争により、北西トーラサズ一帯の支配的勢力であったグラスが衰退しソヴェル条約?が締結されたことで中央州連邦?および統一ジョゴルワ国家連合が中心となる世界構造が確立された。また、この戦争により人類は軍縮へと歩み出す。

背景

グラス=ゲラノド連邦の民主改革派ラロイ政権(旧帝政中央の血統、ヴォストーク一家の直系の父親)が崩壊し、ガリーシャ政権(ソヴェル系)が支配権を持つことによって既に硝子戦争は始まったと形容しても良い
カーラニズ(スィーザーラント)・ログロムヌスの離反とそれに伴う紛争においてUJSUが裏で手を引いていたというのは彼らの記憶に新しい
しかしそれが同時に「血と甘味の経済効果」を生み出していたことは、ガリーシャ政権にとっては目を引くものであった
やはり人民主権政治を謳う割に国家経済の発展も進んでいたが、それでも国家内の汚職は加速して統制は崩壊しつつあった
そもそも国家を軍事で統率すること自体が誤りなのだ
そんなこんなで硝子連邦のシステム、統率が崩壊している1960年代に起死回生の1発芸として「クーロンブ諸国を独立させ戦争しよう」という計画がガリーシャ政権内部で持ち上がり、実行されることになる

開戦前夜

しかし、運命の女神はエスティオに微笑み、エスティオは資源地帯を発見した上に工場の誘致などによって超工業化に成功してしまう
そんなこんなでエスティオ含めたクーロンブ諸国はバケモノめいた戦闘能力とグラス譲りの技術を持った厄介な国家になった
ガリーシャ政権に後はない 戦争をおっぱじめる他なかったのだ

硝子戦争の幕開けである

初期拡張

硝子戦争初期は平地での突破力に優れる戦車師団が強い力を発揮した
しかしエスティオにもともと存在した国営の「ロートリンゲン造兵廠」がLL-‘87A6に代表される第2.5世代主力戦車を実用化した上に近衛戦車旅団がエスティオについたため初期でも連邦軍は苦しむことになる
これが有名な「ヴェンデッタの死闘?」である エスティオは工業力の大半を(後にジョゴルワに食われるが一時的に)ノヴァゼーディアに脱出させることに成功した
セヴァノール沖海戦での死闘によって介入したばかりの中央州とエスティオのわずかな海軍が消し飛ばされたが生産用機材と兵士を満載した部隊は脱出に成功、後々ジョゴルワ戦線にて活躍する
なお、この時に近衛師団はキチガイめいた戦闘能力を発揮した。自分の出自でもある自国の王家が住んでる都市守っている以上、「愛国心+忠誠心+戦闘能力」で高い士気を発揮するのは当然のことだった
キルレシオはエスティオ式優勢火力も相まっておよそ1:8だったと言われる
なお戦力比は

近衛旅団1個+歩兵師団2個+民兵旅団1個の計2万人程度に対して
機甲師団3個、砲兵旅団1個、歩兵師団4個の計7万人

なので、2:7の戦力比でキルレ1:8を吐き出していたことになる。最終的に充足率30%程度で撤退するので相当だが……………4000対70000、近衛旅団生存1200人より逆算して22400人を近衛だけで吹き飛ばしている。恐ろしや。
最終的に統率が保てるうちに後退したが、エスティオ製最新鋭戦車と火砲の大量配備と市街地戦っていう状況が噛み合ってとんでもない結果となった

結果的にエスティオは近衛旅団が壊滅した代わりに産業基盤の脱出に成功。
海上での輸送網防衛作戦が行われていたことも相まって、ほとんどの兵員と産業基盤が脱出する(第一次セヴァノール沖海戦?)

ピルミィズ作戦

ヴェンデッタ撤退戦になんとか戦略勝利したエスティオは、レストラル方面に残存するクーロンブ連合軍の撤退を開始する
消耗した近衛旅団は戦闘すらできないレベルのため投入できず、地獄の戦いを繰り広げることになる。しかし、セヴァノール沖海戦の後、グラス海軍は一時的に活動不可能になったためこの隙に脱出することに成功した
12個師団(歩兵3自動車化2機械化4戦車2砲兵1)が最終的に脱出する
また、最終的に近衛旅団は戦闘すらできないのにも関わらず最後の船団が到着するまで防衛線を維持し、新たな伝説を樹立している。
そしてエスティオ政府はノヴァゼーディア(北内海東部に面する国家連合)に対し一時的な租借を要請し、ノヴァゼーディア・オィペル租借地に産業の脱出を成功させた。
グラス、対中央州連邦宣戦布告。
初期の戦闘においては国境部での膠着状態が続くと考えられるほどおとなしかったが、エスティオ方面のグラス軍再配置が完了次第攻撃が開始された。
エスティオ軍も呼応して、対応を試みるもそもそも消耗しきった部隊を再建するのに時間がかかったので中央州連邦は轢き殺されてしまう。
しかし代わりに、反攻としてジュテルヴ内海周辺で行われるピルミィズ作戦への参加は行われた。臨時の陸軍海兵隊を編成し、実戦投入したが─
ピルミィズ作戦そのものが大失敗したので結局租借地まで撤退することになる

UJSU侵攻作戦 - グラスの最終攻勢

産業基盤の内陸への避難と、上陸部隊の撃退が日々の日課になっていた1969年8月末
グラス=ゲラノドは1939年の北西ゲラノド主義戦争より宿敵であるジョゴルワへの攻撃を開始。ジョゴルワ方面の戦闘が開始される
ジョゴルワ方面は初期こそ押せていたもののジルポィ山脈突破に少し手こずっていたために、上陸作戦などを駆使して進撃していくことになる
が、エスティオの産業基盤が脱出しているノヴァゼーディア・オィペル租借地がガルス連峰の先には存在している
ということは、エスティオにとってガルス連峰は絶対に死守しなければならない。

ノイ・ガラーサ防衛戦において敗北し主力部隊を失いつつあったジョゴルワ軍だが、ガルス連峰の防衛を決める一大決戦が行われる。
ガルス連峰の入り口であり、戦略的要衝であるノイ・ベルーサ防衛線においてジョゴルワ・エスティオ・中央州連邦残存軍とグラス軍が交戦
ガルスに位置するノイ・ベルーサとプトラは過去に大規模な山の切り開きが行われており、ここが陥落すればプトラに脱出した産業基盤もろともジョゴルワは崩壊していたと言われるほどの重要拠点をめぐって両者が交戦することになる。
また、グラスはオィペルを戦略的最重要目標としていたので、オィペルへの攻撃も行われていたのだが……
レストラル撤退戦を経験した歴戦の機械化歩兵師団に加え、近衛旅団とかいうバケモノがいるので攻撃を断念したという経緯がある

グラスの衰退

革命の連続

終戦

時系列

UGSR構成国時代1940年グラス連合の盟主であるグラス公国が崩壊。社会主義派の連盟構成国によりがUGSRが形成される。
1941年UJSUとUGSRで領土紛争と貿易摩擦が発生。関係が悪化する。
1942年UJSU,UGSRで第一次北西部社会主義国家間戦争(NSW1)が発生する。UJSUは戦時体制に突入する。
1945年UJSUが原爆を完成させ、UGSRに投下。同時期にUGSRもまたUJSUに原爆を投下する。
1946年NSW1が終結するも、どちらの側も原爆により大打撃を受ける。居住非推奨地域の設定。
1948年上半期東列島に存在する東帝国とUJSUとの間で北方諸島の領有権争いにより極東紛争が勃発。UGSRは東帝国を支援する。
1948年下半期UGSR自治州(構成国)のカーラニズとログロムヌスが弾圧に耐えきれず反乱を開始(北西部紛争)。(因子が弾圧であったかは謎であるが、通説ではある。)
反乱軍はUJSUからの支援を要請し、支援しようとするもUGSRが発見したことにより即座に中止される。
1949年予想されていたUJSUからの支援が無く、UGSRの正規軍部隊に蹂躙される。
1949年8月カーラニズ自治州首都(総督府所在地)が陥落する。
1949年9月ログロムヌス自治州首都が陥落する。
1950年極東紛争が終結する。
反乱軍はゲリラ戦術を主として抗戦を開始。
1953年6月11日北西部紛争が終結。一部強硬派はゲリラ戦を継続していたが、1960年には全て制圧される。
1953年下半期戦争特需が無くなった影響もあり、経済難に突入。
1955年連邦内部の民主派勢力ラロイ派が完全に崩壊、社会主義のガリーシャ政権が成立。
1961年UJSUがSENTOへ圧力をかけ始め、対抗としてCSFとUGSRで経済協定が結ばれる。
経済難を脱却する。
1963年SENTOとUJSU間で小競り合いが発生。
1964年第二次世界大恐慌。UGSRが大打撃を被る。
1965年SENTOとUJSUがUJSU側が定める元の国境線で定めることに合意し、小競り合いは終了する。
Glass連邦が経済難に陥る。
UJSUが東列島へ圧力をかける。CSFとUGSRへの敵対意思がないことを表明。
CSFとUGSRの経済協定が破錠。
旧共和国時代1967年4月Glass連邦の資金難問題で独立。
1967年5月Lestral、Hesenが独立。
1967年6月Estio労働者が大規模な鉄鉱脈を発見、産業が大規模に進歩。
新独立国家協定(NINP)の発足
1967年9月Glass経済難が悪化。
1968年11月東方生存圏構想の発表。
NINPへの再併合要求及び連合国への侵攻が含まれていた。国外諸国から猛反対を受ける。
1968年12月NINP代表Estio、要求を拒否
硝子戦争1969年1月Glass連邦の侵攻作戦開始。奇襲のためEstioは為す術なく後退。
1969年1月20日Hesen降伏
1969年2月21日Estio、Glass連邦に降伏。
連合の介入が決定。
1969年3月ピエモンテ作戦開始。連合国軍の対Glass侵攻作戦。これは失敗に終わり、大きな損害を払う。
1969年4月2日連合のTigris共和国が降伏。
1969年4月13日電撃的にTSAへ侵攻。リローラ湖を突破され前線が崩壊。
1969年6月2日北方地域連邦共和国政府が降伏。連合国が崩壊。
1969年6月7日CSF(中央州連邦)が降伏。
1969年8月30日UJSUへの侵攻作戦(東方生存圏計画における最終段階)開始。
1969年12月UJSUの国家防衛委員会第87指令書(1歩も下がるな!)が発令される。
1970年2月ノイ・ガラーサ包囲作戦においてGlass連邦軍が勝利する。
1970年4月UJSU首都ノイ・ベルーサ防衛戦でGlass連邦軍が敗北する。
1970年5月ラ・イザベラの戦い。Glass連邦は敗北、衰退を開始。
1970年6月CSF国境までUJSU軍が前進する。
1970年7月28日Glass連邦国境線まで前進。
1970年8月6日Glass連邦によるホロル川反攻作戦開始。
1970年8月13日ホロル川反攻作戦に失敗。UJSU軍がさらに前進する。
1970年8月17日ホロル川近郊のヴァルガグラードに立て篭り作戦を敢行。
1970年8月19日UJSU軍がヴァルガグラードに到達。都市内は民間人虐殺及び住居への放火(焦土作戦)が横行し侵攻は停滞。
1970年8月21日Glass、ホロル川近郊のヴァルガグラードで友軍を巻き込み32発の戦略核弾頭を起爆。
1970年8月22日Glass、戦力の8割を喪失。継戦能力を喪失するも構成国から兵士を剥ぎ取り抗戦開始。
1970年11月Glass連邦領土の全てが占領される。
1971年2月UJSUがNINP領へ強襲上陸。地元のレジスタンスと合流し前進。
1971年7月NINP領全土が解放される。
新共和国時代
旧構成国兵器制限条約も参照
1971年8月23日Glass連邦降伏。Estio、失地回復。

その後:
71年8月23日:硝子戦争終結
→戦後のゴタゴタに乗じてSNRが越境し攻撃を開始
71年9月:暫定統治領域決定
→エスティオによるグラス残党の掃討作戦(エスティオ諸地域統合戦争)
71年12月:ロマーシャ戦争/開戦
72年2月7日:来中戦争/開戦
72年2月11日:ロマーシャ戦争/一時休戦+CSF支援引き揚げ
72年3~5月:ロマーシャ戦争/再開
72年6月:ロマーシャ戦争/SNR介入
→北部トルトーリア確保を巡りスィーザーラントとも紛争に突入
72年8月:ロマーシャ戦争/終戦(SNR撤兵)
→クルーダー、トルトーリア侵攻
73年:トルトーリアがボコボコにされる
73年9月:ログロムヌス政争事件(民主制改革vs保守派)
74年:来中戦争/終戦
74年末:エスティオ諸地域統合戦争終了
75年1月:ユヴァラーチャ内に残存するグラス兵の掃討開始
75年4月:エスティオ・ジョゴルワ暫定和解
75年5月:講和条約締結運動
75年10月:10月戦争開始
→講和締結の頓挫
75年10月末:交戦国間の国交回復活動へ変更
75年12月:ログロムヌス・SNR国境紛争の終了
76年5月:クーロンブ諸国の治安回復がほぼ完了
76年7月:エスティオ・ソヴェル共同政府の樹立
76年11月:10月戦争終了
→講和条約締結への活動再開
76年12月:国交回復・講和締結の準備
77年1月:グラス内戦
77年半ば:ソヴェル条約締結(グラスは非参加、放置で合意)