太田一吉

Last-modified: 2009-11-06 (金) 17:21:09

生まれ

おおたかずよし
生まれは不明
1617年没

どんな人?

戦国時代の武将

最初は丹羽長秀の家臣だったんだけど、長秀が死んだ後は豊臣秀吉に仕えた。
石田三成と仲良しだったので、ちょこちょこと出世していった。
そのため一吉も三成派だったので朝鮮出兵の時に、福島正則ら武断派と対立するようになっていく
関ヶ原の合戦では作戦を練りまくった
で、自分は病気になったといって居城である臼井城にたてこもった
でもって甥っ子の太田政成?を東軍に入れて、息子の太田一成を西軍に入れた
この曖昧な態度が徳川家康にムカつかれ、黒田官兵衛中川秀成に攻め込まれちゃうことに
一吉は「なんで中川秀成みたいな小物に降参せにゃならんのだ!!」と、徹底抗戦をした後、裏で結構仲良しだった黒田官兵衛に城を明け渡した
ちょっと意地をはってみせた(笑)
でもって、その後は京都で静かに暮らした

逸話

●朝鮮出兵では目付役

関連のある人々

太田宗清?・・・父親
太田一成・・・息子

石田三成・・・お仲間

福原長堯・・・お仲間

熊谷直盛・・・お仲間

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ