尼子勝久

Last-modified: 2009-10-27 (火) 13:05:58

生まれ

1553年
1578年8月6日没
26歳という若さで自害

どんな人?

僧から還俗し、尼子家再興を目指した人

おいたち年表

1553年0歳尼子新宮党の当主・尼子誠久の五男として誕生!
1554年2歳新宮党の変。祖父・尼子国久・父・尼子誠久、2人の兄が尼子氏当主、尼子晴久に殺される。
どうやら、毛利元就の謀略も絡んでるらしい。
勝久は乳母の手で逃げ、毛利の追跡から逃れるために備後国の徳分寺に行く
1566年14歳尼子家滅亡。第二次月山富田城の戦いで尼子家敗北。京都の東福寺に入る  
1568年16歳元・尼子家臣の山中鹿之介らの「尼子家再興」の要請があり還俗。
ここから勝久と名乗り、尼子家再興を目指す
1569年17歳旧家臣らを糾合し出雲国の大部分奪い返す。そして月山富田城の奪回をはかるが失敗する  
1570年18歳布部山の戦で、毛利元就に敗北。京都へ逃れる   
1574年22歳因幡国の山名豊国の支援のもと出雲国奪回をはかるが失敗。
その後織田信長を頼り、秀吉の指揮下に入る   
1576年24歳秀吉秀吉の軍師竹中半兵衛に色々と学ぶ  
1577年25歳秀吉の先鋒を任せられ、山中鹿之介と、毛利方の守る播磨国上月城を攻略成功   
1578年26歳上月城の戦い?。上月城奪回を狙う吉川元春吉川元春軍に包囲されてしまう。
秀吉に助けを求めるが、秀吉は播磨国三木城攻めの最中で余裕が無かった。
そして織田信長の命令で上月城は見殺しにされる。上月城は毛利軍の攻撃に耐えられず、
勝久は自害した  

逸話

●新営党の変の際、勝久を助けたのは小川重遠
●上月城に迫った際、織田信長は「秀吉が播磨国三木城攻めで忙しいから、勝久&鹿之助は上月城を攻略したら撤退しろ」と命令したんだけど、勝久らはこれを守らず籠城した

関連のある人々

尼子誠久・・・父親
豊臣秀吉

尼子通久・・・一緒に自害した弟
山中鹿之介
神西元通?・・・重臣
尼子晴久

祐筆の人物批評

ハガクレ・・・どっちかというと家臣の山中鹿之介のほうが有名だよね。

祐筆

●一番手・・・ハガクレ