生まれ
ふりひめ
1580~1617
どんな人?
おいたち年表
1580年 | 1歳 | 徳川家康の三女として生まれる |
1595年 | 15歳 | 豊臣秀吉に命令され、蒲生氏郷の息子・蒲生秀行と婚約する |
1598年 | 18歳 | 蒲生秀行と結婚 |
1600年 | 20歳 | 関ヶ原の合戦。夫は東軍につき会津60万石となる |
1602年 | 22歳 | 蒲生忠郷を出産 |
1604年 | 24歳 | 蒲生忠知を出産 |
?年 | 歳 | 娘を出産(のちの加藤忠広の正室になる) |
1612年 | 33歳 | 夫の蒲生秀行が30歳という若さで死去 |
年 | 歳 | 長男の忠郷が家督をつぐ |
年 | 歳 | 藩政のことで息子と家老らが対立。結果、徳川家康が家老の岡重政を切腹させる |
1615年 | 36歳 | 父・家康の命令で浅野長晟と再婚。 |
1616年 | 37歳 | 浅野家?へ輿入れ |
1617年 | 38歳 | 長男・浅野光晟を出産 |
1617年 | 38歳 | 高齢で出産したため、出産後16日目で死去 |
逸話
●その後、蒲生家?は息子たちが早死にのため跡継ぎがいなくなり、改易となる
●振姫の娘が嫁いだ加藤家?も改易となる
●母親の死を聞いた蒲生忠郷は会津に寺を建立した
●徳川家康の十男・徳川頼宣は、姉である徳姫のためにお墓を作った
関連のある人々
父親・・・徳川家康
母親・・・お竹(側室)
最初の夫・・・蒲生秀行
再婚した夫・・・浅野長晟
姑・・・冬姫
義父・・・蒲生氏郷
娘・・・加藤忠広の正室
祐筆の人物批評
愛・・・当時の38歳で子供を生むのは大変だったんでしょうね・・・。なんだか跡継ぎを生む道具??のようでかわいそう
祐筆
●一番手・・・ハガクレ
●二番手・・・愛 年表を作成しました