生まれ
おだいのかた
1528~1602
どんな人?
徳川家康の母
於大の方は尾張の豪族・水野忠政の娘で、水野家は三河国に所領を持っていた
その頃勢力を拡大しつつあった松平清康と仲良くなるため、清康の息子・松平広忠に15歳の娘・於大を嫁がせた
そして長男の竹千代(家康)を出産
が、水野忠政の後を継いだ兄の水野信元が、於大が16歳の時に松平家の主君である今川家と絶縁してしまう
そしてライバルの織田家と手を結んでしまった
そのため於大は松平広忠と離縁させられてしまい、実家に帰された
19歳の時に兄の命令で久松俊勝と再婚する
ここで三人の男の子と三人の女の子を出産するけど、於大はずっと家康のことを心配し続けた
桶狭間の戦いの後、家康が今川家から独立し、織田信長と同盟を組むと、家康は久松俊勝と於大が産んだ三人の弟たちを家臣として呼び、松平姓を与えた
逸話
●74歳の時に於大は豊臣秀吉の正室・ねねと後陽成天皇に会った
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関連のある人々
松平広忠との間に出来た子
徳川家康
久松俊勝との間に出きた女の子
松平忠正の妻・・・のちに保科正直の妻
松平康長の妻
松平家清の妻
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ