於大の方

Last-modified: 2010-01-29 (金) 16:34:59

生まれ

おだいのかた
1528~1602

どんな人?

徳川家康の母

於大の方は尾張豪族水野忠政の娘で、水野家は三河国に所領を持っていた

その頃勢力を拡大しつつあった松平清康と仲良くなるため、清康の息子・松平広忠に15歳の娘・於大を嫁がせた

そして長男の竹千代(家康)を出産

が、水野忠政の後を継いだ兄の水野信元が、於大が16歳の時に松平家の主君である今川家と絶縁してしまう

そしてライバルの織田家と手を結んでしまった

そのため於大は松平広忠と離縁させられてしまい、実家に帰された

19歳の時に兄の命令で久松俊勝と再婚する

ここで三人の男の子と三人の女の子を出産するけど、於大はずっと家康のことを心配し続けた

桶狭間の戦いの後、家康が今川家から独立し、織田信長と同盟を組むと、家康は久松俊勝と於大が産んだ三人の弟たちを家臣として呼び、松平姓を与えた

逸話

●74歳の時に於大は豊臣秀吉の正室・ねね後陽成天皇に会った

関連のある人々

最初の夫・・・松平広忠
二番目の夫・・・久松俊勝

松平広忠との間に出来た子
徳川家康

久松俊勝との間に出来た男の子
松平康元
松平康俊
松平定勝

久松俊勝との間に出きた女の子
松平忠正の妻・・・のちに保科正直の妻
松平康長の妻
松平家清の妻

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ