Last-modified: 2010-04-17 (土) 12:24:35

生まれ

1573年生まれ
1626年没

どんな人?

織田信長の妹・お市の方浅井長政の三女
姉には茶々がいる
三度目の結婚相手の徳川秀忠方が江戸幕府二代目将軍となる
三代目将軍徳川家光の生母

おいたち年表

1573年0歳近江国小谷城主、浅井長政お市の方の三女として誕生!
1573年1歳小谷城が叔父の織田信長に攻められ(小谷城の戦)、父浅井長政が自害する。
お市の方や姉ふたり(茶々)とともに城から落ちのびる  
1582年10歳母のお市の方が、織田家重臣柴田勝家に再嫁し、越前国の北ノ庄城に移る。  
1583年11歳羽柴秀吉に攻められ、柴田勝家お市の方が自害。
三姉妹は落ち延び秀吉の庇護下に。   
1584年12歳従兄の佐治一成(こっちは16歳)に嫁ぐ。   
1584年12歳小牧・長久手の戦で、夫・佐治一成徳川家康についたことから
羽柴秀吉が怒って、離縁させられる   
1592年20歳秀吉養子、豊臣秀勝と再婚  
1592年20歳夫、豊臣秀勝が文禄の役(朝鮮出兵)で戦死   
1592年20歳完子(九条忠栄?の妻になる)を産む  
1595年23歳家康の三男・徳川秀忠と再々婚   
1597年25歳千姫(のちに豊臣秀頼に嫁ぐ)を産む   
1600年28歳関ヶ原の戦で、徳川の東軍が勝利。   
1603年31歳徳川家康が江戸に幕府を開府し、征夷大将軍に。   
1604年32歳長男の竹千代(徳川家光)を産む   
1605年33歳夫の徳川秀忠が二代将軍に   
1606年34歳次男国千代(徳川秀長?)を出産   
1607年35歳東福門院和子(後に御水尾天皇?の中宮となる)を産む   
1620年48歳娘の東福門院和子御水尾天皇?に入内   
1623年51歳子の徳川家光が三代将軍になる   
1626年54歳病没。この時、秀忠・家光・忠長は上洛中だった  
 
 

浅井三姉妹の三女であります
お江・お江与・小督などという呼び名がありますが、ハガクレ★カフェでは「お江与」で通してます

母はお市・父は浅井長政で、1573年に小谷城で誕生しました

お江与が生まれた頃の小谷城は、すでに織田信長軍に包囲されていました
そして小谷城は落城し、父の浅井長政は自刃したのです

生まれたばかりなので、父の顔も覚えてないことでしょう

その後、信長の庇護の暮らしました

が、その織田信長が死去し、いざこざの中、母のお市柴田勝家と結婚し、三姉妹は北ノ庄城へ行きました

この頃、お江与は10歳

そして柴田勝家羽柴秀吉によって滅ぼされ、北ノ庄城は落城。
お江与にとって二度目の落城になります
三姉妹は城から脱出し、[[秀吉>豊臣秀吉]の庇護を受けるように

秀吉はこの三姉妹を政治の手駒にした

まず最初に選ばれたのがお江与であります
12歳になったお江与は、織田信雄(信長の息子)の家臣である佐治一成と結婚させられました
この頃、秀吉と織田信雄は仲が悪かったので、両家のバランスをとる為の結婚でした
正直、お江与からみれば、佐治家はかなり「格下」でした

が、嫁いだその年に|秀吉秀吉VS家康の小牧・長久手の戦いが始まる
この時、佐治家は徳川方についたのであります
怒った秀吉は、お江与を離婚させ、豊臣家へ戻しました

さて、お江与が20歳になった時、またも縁談が
今度は秀吉秀吉の姉の息子である羽柴秀勝であります

お江与が再婚した年に、秀吉は朝鮮半島へ兵を出しました
もちろん二度目の夫の秀勝も出陣
が、このとき秀勝は24歳で陣中で倒れ、死んでしまったのです
一年も続かない結婚生活でした

が、この結婚では子供が生まれました。女の子です

またも秀吉のもとへ戻ってきたお江与

秀吉はまたもお江与を結婚させます
お相手は徳川家康の三男である徳川秀忠でした

23歳のお江与と、初婚で17歳の秀忠です

結婚生活は離婚歴が二回もあり、年上のお江与が主導権を握っていました
また、お江与はやきもち焼きだったため、側室を置くことを許しませんでした
徳川秀忠も性格的にマジメだったので、側室を置かなかったのです

こうしてお江与は長男竹千代(のちの家光)など、二男・五女を秀忠との間に出産しました

徳川秀忠は江戸幕府二代将軍となり、まさに女性として栄華を極めたといえるでしょう

が、どうしてもそりの合わない人がいた
それが春日局(そのときはお福)です

春日局は家光の乳母でした
お江与は春日局になついている竹千代より、次男の国松を次期将軍にしたいと思うのです
それは秀忠も同じでした

こうして次期将軍を巡って、竹千代VS国松の対立が始まります

春日局は内緒で徳川家康に会いに行き、「お江与様が国松様を将軍にしようとしている。長男である竹千代様が可哀相です」と直訴

これを聞いた徳川家康は、みなの前で「次期将軍は竹千代である」と発表したのです

こうしてお江与の野望は崩れたのであります

が、お江与の娘・和子は時の天皇と結婚しました

お江与は将軍正妻・そして将軍生母であり、天皇の姑という、すごい人なのです

そして1626年 江戸城にて生涯を閉じました
54歳でした

秀忠と結婚してからは、姉の淀殿が自刃するという悲劇はあったものの、後半は平穏に暮らせていました
三姉妹の中では、もっとも幸せであっただろうし、また、当時の女性の中でもっとも最高位にいた女性でした

逸話

●正室の産んだ子が将軍になったのはお江のみ。あとの将軍はみな側室の子
●年上の女房だったため、秀忠は浮気をしたのは1度だけ。側室は一人もいなかった
●春日局と対立していた
●かなりの小柄で華奢な美女だったらしい

関連のある人々

浅井長政

お市の方

織田信長

茶々

徳川秀忠

豊臣秀勝

佐治一成
東福門院和子
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豊臣秀頼

千姫

徳川秀長?

九条忠栄?

春日局

祐筆の人物批評

江梨・・・この人好きです。二度の落城に三度の結婚という不幸にあいながらもノイローゼにもかからずに生きた逞しさ。流されても何事も受け止めた強い女性ですね。最後は幸せになれて良かった良かった
むっちゃん・・・今度大河ドラマになるんですよね?女性目線からみた戦国時代、おもしろそうです
ハガクレ・・・三姉妹の中では一番いい人生かな~

祐筆

●一番手・・・ハガクレ
●二番手・・・愛 年表作成しました