青山忠成

Last-modified: 2010-01-13 (水) 10:27:14

生まれ

あおやまただなり
1551年生まれ
1613年没

どんな人?

戦国時代の武将。徳川家臣

忠成のお父さんである青山忠門松平広忠徳川家康に仕えていた
そのため忠成も若い頃から徳川家康に仕えていた
家康からはめっちゃ信頼されていて、家康の一子秀忠の傅役に抜擢されるほど
39歳の時に、徳川家康豊臣秀吉によって関東へ遺法となると江戸町の奉行に任命される
関ヶ原の合戦が始まると、もちろん徳川秀忠とともに行動
真田昌幸に翻弄されまくり本戦に遅れるという大失敗をしたにも関わらず、所領をもらえた。
江戸幕府が始まると、本多正信内藤清成とともに幕府の政治関係の中心人物になる。

1613年に死去し、後を次男の青山忠俊が継いだ。

逸話

●東京・青山の地名は、忠成の屋敷地であった一部であったことから名づけられた

関連のある人々

青山忠門・・・父親
天方通興の娘・・・正室

青山忠次・・・長男
青山忠俊・・・次男
朝比奈泰重・・・三男
青山幸成・・・四男
天方通直・・・五男、天方通興の養子になる
川口近次の妻・・・娘

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・