真田昌幸

Last-modified: 2010-02-12 (金) 17:48:46

生まれ

さなだまさゆき

どんな人?

戦国時代の武将・大名

おいたち年表

1547年1歳真田幸隆の子として生まれる
1553年7歳武田信玄の小姓となる 
 歳武田信玄の親戚である武藤家の養子となる  
1561年15歳初陣。川中島の合戦(四次)へいく  
1569年21歳武田信玄の小田原城攻めに従軍する   
1572年24歳武田信玄の上洛に従軍する  
1572年 歳三方ヶ原の戦いに参戦  
1573年25歳武田信玄が上洛中に病死する。以後、武田勝頼に従う   
1574年26歳父親の真田幸隆が死去。兄の真田信綱が家督をつぐ  
1575年27歳長篠の戦い。兄の真田信綱真田昌輝が死去   
1575年 歳兄が死去したため家督をつぐ  
1578年30歳甲越同盟が成立。北条家の沼田城を奪う   
1582年34歳武田勝頼が天目山で死去。武田家が滅亡する   
1582年 歳主家滅亡により、織田信長に降る。所領安堵となり滝川一益の下につく   
1582年 歳本能寺の変により織田信長が死去。滝川一益北条氏直に攻められ敗戦  
1582年 歳織田家が危なくなってきたため、北条氏直に降るが、寝返って徳川家康につく  
1583年35歳信濃に上田城を築城。居城とする 
 歳徳川家と北条家の和睦の内容が不満で上杉景勝に降る   
1585年37歳徳川家康の配下・鳥居元忠が上田城を攻める。息子の真田信之と城を守る   
 歳豊臣秀吉の配下になる   
1586年38歳北条家と険悪になるが、豊臣秀吉の仲介によって和睦。徳川家康の与力となる   
1592年44歳朝鮮出兵では名護屋城に行く  
1598年50歳豊臣秀吉が死去。徳川家康に従う  
1600年52歳関ヶ原の合戦では、西軍につき徳川秀忠を本戦に間に合わせなかった   
1600年 歳長男の真田信之が東軍についたため、死罪はまぬがれ、次男の真田幸村とともに高野山へ  
 歳九度山へうつされる
1611年63歳死去  

逸話



関連のある人々

主君
武田信玄武田勝頼織田信長北条氏直徳川家康上杉景勝豊臣秀吉豊臣秀頼

父:真田幸隆
母:河原隆正の妹・恭雲院

兄弟
真田信綱
真田昌輝
真田昌幸
真田信尹
金井高勝


正室:山手殿


真田信之(信幸)
真田幸村(信繁)
真田信勝
真田昌親
村松殿(小山田茂誠室)
娘(真田幸政室)
娘(鎌原重春室)
娘(保科正光室)
於菊(宇多頼次→滝川一積室)
娘(妻木頼照の妻)
於楽

祐筆の人物批評

愛・・・寝返り・謀略なんでもありの戦国時代ならではの武将ですよね。

祐筆

一番手・・・愛