No.091 | ||||
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陽炎(かげろう) | 陽炎型 1号舰 驱逐舰 | |||
舰船属性 | ||||
耐久 | 16 | 火力 | 10 | |
装甲 | 6 | 雷装 | 24 | |
回避 | 44 | 对空 | 12 | |
搭载 | 0 | 对潜 | 24 | |
速力 | 高速 | 索敌 | 6 | |
射程 | 短 | 运 | 12 | |
装备 | ||||
12.7cm連装砲 | ||||
61cm四連装魚雷 | ||||
不可装备 | ||||
不可装备 | ||||
改造表 | ||||
陽炎 → 陽炎改(Lv20) | ||||
图鉴说明 | ||||
第四次軍備充実計画で建造された陽炎型驱逐舰、ネームシップの陽炎よ。 新鋭の主力驱逐舰として、ハワイ攻撃機動部隊を始め、様々な作戦に参加したわ! よろしくね! |
台词(cv:藤田咲) | |
入手/登录 | やっと会えた!陽炎よ。よろしくねっ! |
母港/详细阅览 | なぁに?お話したいの? |
出番かしら? | |
ちょ、あまり触ると怒るわよ、もぅ! | |
编成 | いよいよ、私の出番ね! |
出击 | いよいよ、私の出番ね! |
両舷全速!陽炎、出撃しまーす! | |
选择远征时 | やったぁーっ! |
发现道具 | やったぁーっ! |
开战 | 砲雷撃戦、用意! |
航空战开始时 | |
夜战开始 | 追撃戦に移行するわ! |
攻击 | 攻击よ、攻撃! |
砲雷撃戦、用意! | |
悪いわね、もらったわっ! | |
小破 | ふんっ、これくらい! |
な、何なの~。 | |
中破 | 陽炎型ネームシップの名が泣くわ…も~っ! |
爆衣画面 | |
胜利MVP | どう?私の戦闘は。少しは参考になったかな?ああ、お礼なんていいのよ~。 |
回港 | 作戦完了よ。 |
补给 | さーんきゅっ。私の活躍、期待してね! |
改装/改修/改造 | さーんきゅっ。私の活躍、期待してね! |
ん?いいんじゃない?ありがとっ。 | |
やったぁ! | |
入渠(小破以下) | 陽炎、休憩入りまーす! |
入渠(中破以上) | ちょっとお休みするね。ふぁーあ… |
建造完毕 | 新しい仲間が到着したわ。 |
显示战绩 | 司令に電文が届いてるわ。 |
击沉(反白) | わたし、沈んじゃうの? 本当に…? 嘘…? |
报时 | |
放置时 |
在游戏中
- 陽炎型驱逐舰のネームシップ。後期に作られた驱逐舰のためか陽炎型は他の驱逐舰よりステータスと装備が一段階高くなっている。
- さらに後期の夕雲型には劣るが、ゲームのステータス的には誤差の範囲。
- 陽炎型には艦これ中、もっとも多くのレア艦が所属している。その面子は雪風、初風、舞風、秋雲と多くの提督を悩ませるそうそうたるもの。
- 陽炎型は全19隻存在しているが、艦これに実装されているのは陽炎、不知火、黒潮、初風、舞風、雪風、秋雲の7隻。
小捏他
- 軍縮条約明けの1937年に朝潮型の発展改良型として設計、建造された。帝国海軍の艦隊型驱逐舰の集大成とも言える。
建艦計画(通称マル3計画)によると18隻を生産・運用する予定だったが、実際に初期段階で建造されたのは15隻。
では残った3隻はというと、大和型建造の予算確保のための偽装申請。 - 漸減邀撃作戦完遂のための高い雷撃能力と良好な航海能力を兼ね備えている、水雷戦隊も満足の逸品。
ただし艦隊護衛に欠かせない対潜哨戒・掃討や対空能力に難があった。艦隊決戦に特化した仕様なのでまあ無理もないが・・ - なまじ高性能で期待されていたこともあり、建造目的にない空母や輸送船の護衛さらには鼠輸送と奔らされた結果、次々戦没。
姉妹全員が揃っていたのは半年にも満たなかったという凄まじい職場環境であった。
終戦を迎えることができたのは19隻のうち雪風のみ。 - 最初に書かれている18隻と齟齬を感じるかもしれないが、これは近年「秋雲」が陽炎型19番目と認定されたため。
- 艦これでは対空・対潜ともに全驱逐舰トップクラス(ただし初期値)。
最終的に主砲を一部撤去してまで機銃を増設してるので、その辺も加味した数値なのだろう。
- 開戦時は第十八駆逐隊に所属していたが、キスカ沖で雷撃を受けたとき霞ほか僚艦は全て沈没・大破し、隊は休止された。
生き残った彼女は第十五駆逐隊へ転属させられるが、今度は機雷に触れて全艦損失し、隊は解散。
運は12もあるのだが、艦隊ごと一気に壊滅してきたのはなぜ?実はかなりの不運艦だったのでは - 陽炎型の驱逐舰に武功艦が多い理由は、艦隊随伴用に設計されていたので、艦隊決戦となった場合に「最終局面で肉薄雷撃をおこない止めを刺す」という役割があったから。
実際の艦隊決戦は战舰が主砲を撃ち合うという前近代的なものではなくなっていたものの、設計思想に基づいた行動を常に要求され、自らも進んで実践した結果だといえる。