巡洋艦/AH(1941)

Last-modified: 2024-03-25 (月) 18:39:38

AH(1941)

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排水量20360.78t兵装20.3cm_L60 SK C_34 連装砲 Type I
全長205.09m20.3cm_L60 SK C_34 連装砲 Type IV
全幅21.30m10.5cm/L65 SK C/33 連装高角砲 TypeⅠ ×6基
最高速度32.67ktKMS 53.3cm三連装魚雷発射管
耐久値325002cm_L65 MG C_30 単装機銃改
甲板装甲装甲板Ⅳ 50mm
舷側装甲装甲板Ⅳ 80mm
火災耐性30%目視範囲9696m
浸水耐性25%通信範囲8626m
出力150000射撃精度10%
加速度1.01kt/s射撃管制10
旋回半径197.56m消費燃料9
艦載機Ar196水偵×4機
購入ダイヤ-購入ゴールド-

解説

史実

アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦。全長202.8m、基準排水量14,050トン、20.3cm連装砲4基8門、10.5cm連装高角砲6基12門、533mm3連装魚雷を片舷2基ずつ計4基12門と大型巡洋艦である。
 設計思想としては、仮想敵としてフランス海軍の条約型重巡洋艦「アルジェリー」に対抗可能な砲威力と新戦艦「ダンケルク級戦艦」からは離脱できる高速性能、大西洋での作戦に参加可能な長大な航続力を念頭に置いて設計され、当初、排水量を条約の制限下にまとめることを前提に研究が進められた。主砲は英仏の重巡洋艦と同クラスのSKC/34 20.3cm連装砲4基8門が選択された。
 1934年8月にまとめられた研究では、速力32ノットで80mm程度の装甲を持つ基準排水量10,700トン程度の設計で条約制限を700トン超過していたが、更にエーリヒ・レーダー元帥の指摘で「攻撃力・防御力ともに不足している」とされ、対空火器と魚雷兵装の強化を踏まえて、砲塔防御と弾火薬庫部分の防御の強化案にまとめた結果、最終的に基準排水量は条約制限を大幅に上回る14,050トンとなり、満載排水量では約18,000トンを超えてしまった(対外的にはワシントン海軍軍縮条約に準じた10,000トンと発表)。
 その後、英独海軍協定によりドイツ海軍では大型艦の建造が可能となり、この設計を元にした第1グループ2隻の建造を開始した。それがこのアドミラル・ヒッパー級重巡洋艦1番艦「アドミラル・ヒッパー」と2番艦「ブリュッヒャー」である。「アドミラル・ヒッパー」はハンブルクのブローム・ウント・フォス造船所で1935年7月6日起工、1937年2月6日に進水、1939年4月29日に就役。
 重巡洋艦としては他国の同等の艦に比肩する有力艦であったが、残念なことにドイツ海軍が必要とした「通商破壊、及び対地支援」には向いていなかった。通商破壊戦においては、シャルンホルスト級戦艦やドイッチュラント級装甲艦に随伴可能な航続力を持たず、機関も信頼にかけていた為、不充分な戦果に留まった。対地支援においては有力だったものの代償が大きく、1940年の北欧侵攻時にドローバックにおいて2番艦「ブリュッヒャー」が撃沈され、1944年には「プリンツ・オイゲン」が衝突事故を起こしている。
 1945年5月3日、キールでの乾ドックで着底、終戦を迎えた。姉妹艦である第2グループ1番艦「プリンツ・オイゲン」は終戦まで生き残った強運艦として有名。

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