排水量 | 38317.83t | 兵装 | 50口径四一式15.2cm単装砲*16基 |
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全長 | 212.75m | 45口径四一式35.6cm連装砲 TypeⅠ*6基 | |
全幅 | 33.08m | - | |
最高速度 | 20.18kt | - | |
耐久値 | 48375 | - | |
甲板装甲 | 装甲板Ⅱ 65mm | - | |
舷側装甲 | 装甲板Ⅶ 305mm | - | |
火災耐性 | +24% | 目視範囲 | 11412m |
浸水耐性 | +40% | 通信範囲 | 8427m |
出力 | 40000 | 射撃精度 | 10% |
加速度 | 0.24kt/s | 射撃管制 | 5 |
旋回半径 | 149m | 消費燃料 | 5 |
購入ダイヤ | 5843 | 購入ゴールド | 116,855,000 |
扶桑型戦艦1番艦「扶桑」。
金剛型の開発を経て、建造された排水量30000トンを超える純国産の超弩級戦艦である。
船体中心線上に6基搭載された35.6cm連装砲で片舷に集中砲火可能と言う無慈悲な攻撃性能を持つ。
性能
史実艦でも問題になっていた重要区画の長さと装甲の薄さ、速力の遅さが問題。
そのままでは使えないので、これらの点は再設計が必要。
三段背負い式×2にすれば4割近くまでバイタルは短縮できる。
35.6cm砲は一段上げるとかなり重量が増えるが、バイタルが伸びることと比較すれば相当マシ。
機関容積は広いため、空いた両脇にボイラーと配置し直せば問題にならない。
完成艦に積んであるボイラーは貧弱極まりないため、より良い機関を積み直そう。
なお、後部艦橋とマストがないため管制なしで通信は貧弱。後部艦橋は別売り。
完成艦がアンロックされた直後に扶桑純正パーツを買うのは厳しいため、気になるなら別パーツを乗せよう。
史実では欠陥戦艦とかドックに居る期間のほうが長いとかさんざんな言われ方をしている艦なのだが、
艦つく世界では欠陥を全て補う事の出来る非常に優秀な戦艦である。
というかぶっちゃけ金剛型の上位互換
※金剛の毘式と扶桑の四一式は同じ35.6cm砲だが、同一スロットに入れられないので注意
史実
日本海軍が最初に建造した"超弩級戦艦"第1型式の1号艦。同時に巡洋戦艦の建造を民間にまかせた海軍工廠が、初めて大戦艦の新造に着手したものである。
大正4(1915)年11月4日竣工。竣工当時基準排水量29,330t、全長×全幅205.13m×28.65m、36cm砲12門搭載とすべてにおいて世界最大、最強の戦艦だった。乗員定数も1,351名を擁した。
命名由来は昔の中国からみた日本国の異称で、そのまま日本が美称として使用したもの。本来の意味は中国で東方の日出ずる国にあるという神木、あるいはその場所を指す。
大正14(1925)年の改装で前マストを三脚式から檣楼式に換え、「山城」に似た姿となる。
そして昭和5(1930)年から昭和8(1933)年までの大改装で艦橋は巨大なやぐら式の物になり、主機関の変更、装甲増加や、煙突を2本から1本にしたことなどで外観では全く別の戦艦に変貌。主砲仰角を30°から43°に上げたり、第3砲塔を逆の前方に向け直したりと欠点修正に取り組んだ。
更に昭和10(1935)年まで1年余りをかけて行われた第二次改装では、艦尾を延長し基準排水量34,700tの文字通りの超弩級戦艦にまでなった。
日米開戦時、第二戦隊に所属したが、初陣のミッドウェー海戦では洋上で待機していたにすぎなかった。速力が22.5ノット(第2次改装後24.7ノット)と遅かったことによる。その後は海軍兵学校卒業の少尉候補生の練習艦として瀬戸内にあった。竣工時に期待された割には太平洋戦争では最初から戦力外扱いされた不遇の艦である。
戦局悪化に伴い機銃増設や電探の新設工事などを行い、トラック島に進出し昭和19(1944)年2月、連合艦隊の付属艦となった。
マリアナ沖海戦や比島沖海戦でようやく実戦投入。10月25日にスリガオ海峡にて米艦隊の集中攻撃を受け火薬庫が大爆発、沈没した。
コメント欄
- 足遅 -- 2022-02-13 (日) 14:20:57
- 低速戦艦 -- 2022-05-22 (日) 14:25:37
- やめて! 扶桑のライフはもうゼロよ! -- 2023-07-06 (木) 12:03:21
- いやマジで遅すぎだろ。なんだよ20ノットて -- 2023-12-30 (土) 15:28:00