加賀(1935)

Last-modified: 2024-03-05 (火) 21:19:21
加賀(1935).png
排水量42542.00t兵装12.7cm連装高角砲*2基艦載機九六式艦上攻撃機*18機
全長238.51m12.7cm連装高角砲*6基九六式艦上攻撃機*18機
全幅32.5m20cm単装砲*10基九六式艦上爆撃機*24機
最高速度27.96kt25mm連装機銃*14基九五式艦上戦闘機*6機
耐久値53375-九五式艦上戦闘機*6機
甲板装甲装甲板Ⅰ 0mm--
舷側装甲装甲板Ⅶ 127mm--
火災耐性+10%目視範囲9574m
浸水耐性+10%通信範囲14046m
出力151200射撃精度+20%
加速度0.47kt/s射撃管制0発艦短縮時間6.4秒
旋回半径212m消費燃料8
購入ダイヤ7334購入ゴールド146,668,000

同型艦のない航空母艦「加賀」。1935年時の装備。
空母の建造実績の少ない中、三段式空母として建造され、後に一段全通式空母へと改装された。
改装後の飛行甲板は後の空母にも引けを取らないほど大きく、増加した搭載機を有効に運用した。

性能

  • とにかく、艦載機の数が多い。僚艦として使用すると、対戦時間中は延々と航空機による攻撃ができるのが利点。
     

史実

ワシントン軍縮条約にて廃艦予定だった戦艦が、空母改造中の「天城」が関東大震災で大破したため急遽代役で生き返ったもの。
元巡洋戦艦の「赤城」に比べ船体は短く速力も遅かったが、対策は行わず「赤城」と同じ三段甲板で工事は進められた。竣工後「赤城」に比べて飛行甲板が20mも短かったのはこのためである。
昭和3(1928)年横須賀海軍工廠で竣工。命名由来は加賀国からで、現在の石川県南部。金沢平野はその中心部分にあたる。
就役後は特に煙突が問題だった。最上甲板下の両舷側を前部艦橋から艦尾まで引かれ、艦尾近くで外を向いた排煙口がある形で、付近の居住区は熱で苦しめられ、排気は艦尾の気流を乱し着艦機に影響を及ぼす有様だった。しかし、飛行甲板の延長などを含む何度かの改装を経て是正され、日本有数の大型空母となった。

昭和7(1932)年の第一次上海事変に出動し、世界最初の正規空母の実戦参加となった。
太平洋戦争では「赤城」と共に機動部隊の主力を担い、第一航空戦隊を編成し行動を共にしたが、パラオ泊地にて昭和17(1942)年2月2日、暗礁に乗り上げて艦底を破損し、セイロン作戦には参加できなかった。その後復帰しミッドウェー海戦に参加、米空母「エンタープライズ」艦載機の爆弾4発により、僚艦4隻と共に、昭和17(1942)年6月5日、太平洋に沈んだ。

コメント欄

  • 完成艦でついてくるのが複葉機なのが残念 -- 2022-06-23 (木) 21:34:14
  • 真珠湾でもミッドウェイの時でもなく1935年の再現なんだから残念でも何でもないんだよな🤣 -- 2022-06-23 (木) 22:11:13
  • 艦載機… -- 2022-06-30 (木) 11:46:25
  • 彗星と天山のせまくった -- 2022-07-05 (火) 18:56:00
  • 技術開発サボって単葉機置けんw -- 2023-11-16 (木) 12:35:04