「ああ、もうこんな時間か。届けてくれてありがとう」
震える手で書類を渡すと、いつものように彼は受け取りながら礼を言う。
優しく思いやりに満ちた、穏やかな声。
その一声が部屋の雰囲気を一変させていく。
さっきまでの、あの濁った空気を置き去りにしていく。
だけど強烈に焼きつけられた姿は、
今も脳の奥でジュウジュウと音を立てていた。
あの目。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ見えた……見えてしまった瞳。
どこまでも深い昏さを湛えて、その昏さの奥には何もないと確信できるほどの伽藍洞。
自分のようなGARDENの一般職員にも、分け隔てなく気楽に話しかけてくれる親愛な騎士。
遠く離れたところから見ただけで、彼の王との仲睦まじさをいつも感じさせる少年。
そんな彼が、まさかこんな……。
いけないものを見たという焦燥と後悔。
酷く鈍った脳の奥でそれらが溶銅のようにじわじわと流れて、一瞬の記憶を永久に焼き付けようとする。
だめだ、忘れたほうが良い。忘れるべきだ。
疲れが見せた一瞬の蜃気楼だったと納得しなければいけない。
でなければ、
「あれ、大丈夫? どうしたんだい?」
突然の声にひゅっと息を吞み、顔を上げる。
そこにはいつもどおりの穏やかで優しい彼の顔。
きっと書類を渡したきり、震えて動かない自分を心配している。
灰色の瞳に、あの伽藍洞はもうない。
全てをリセットするような冷たい優しさがあるだけだ。
だから、このまま。
駆け出しそうになるのを必死にこらえた緩慢な動きで彼に背を向けようとした一瞬、
「しーっ」
彼が自分の小さな口に、そっと指を当てるのを見た気がした。