目次
本線・高野線共通
1000系
- 車体はステンレスだけど下地塗装されている(1051F除く)
- 基本ロングシートだが車端部はボックスシートがある
- 実は多奈川線直通急行の「淡路号」に使われたことがある
- ちなみに淡路号はこの形式が登場してから1年後に廃止された
- 1051Fは1000系と異なる点がちらほら
- シングルアームパンタだったりIGBT-VVVFだったり下地塗装されていなかったり・・・
- リニューアル工事で車内にLCDが設置され行先表示器がフルカラーLEDになった
- 1051F以外は本線所属(2022年7月現在)
2000系
- 21000系・22000系置き換え用の新ズームカー
- 実は南海初のVVVFインバーター制御車
- 加速音は類を見ないほどの重低音
- 登場当時は新潟のE127系とラインカラーがそっくりだった
- 初期車は旧帯を剝がした後がある(しかも分かりやすい)
- あと車番のサイズもデカかったりする
- 高野線のダイヤ見直しで本線に脱走した奴が現れた
- 旧型ズームカーをこの形式で置き換える→17m車だと橋本難波間が混雑→仕方なく橋本で系統分離→橋本極楽橋間が閑散化→ワンマン運転したいけど2000系はワンマン運転不可能→ワンマン運転対応の2300系を製造→2000系の居場所がなくなる
- 難波とかだと高野線ではなく本線の方がよく見られる
- 新車が入るまでの一時的な措置だと思われたがすっかり定着している
- 17m2ドア4両でも大丈夫だと言えるほど本線の利用者が減ったことを暗示しているのでは?
- 泉北高速鉄道には乗り入れないが「和泉中央」の幕が入っている
- 本線系統の車両に廃止された淡路号の幕が入っているが今は使われていない
- 支線に残るボロ(2200系)を置き換えるためにワンマン運転対応改造をして支線に飛ばす予定
- 意味分からん車番の並び方してる
- 形式がモハ2001・モハ2051・モハ2101・モハ2151の4つだから0~40番台までしか付けられない
- 2040-2190の次が2021-2171(???)
- そんな並び方して4~20が欠番という沼
8300系
- 8000系からかなりグレードアップした、南海にもついにLCDが!
- 南海では久しぶりの近畿車両製
- メーカーは違うが南海版E233系と言える
- 1次車は4両だが2次車以降は2両になった
- 本線では2015年に登場したが高野線は2019年登場と時間が開いてる
- どうやら6000系を置き換えるらしい
- 8000系と混結が可能
- 2020年から12000系との併結を開始しサザンの自由席車両として使用開始
- それ以外にも9000系や1051Fとの併結も開始した
- 2020年から12000系との併結を開始しサザンの自由席車両として使用開始
- 和歌山港線での自動運転の実験のほかなにわ筋線乗り入れのため急勾配や地下線内の防火基準に対応させるなどこの形式万能すぎない?
- 和歌山港線での自動運転の実験は無人運転ではなく運転室に乗務員が乗っている形になる、ATOに近い物
2200系
- 元はズームカーの22000系で支線に残っていた1521系を置き換えるためと大運転で継続して使用するために改造された
- 2200系は大運転で継続して使用するために当初は高野線に残ったが2000系の増備で支線系統に転属
- 2000年にワンマン運転に対応する改造工事を行った
- 後に2203-2253は後に観光列車天空へ改造された
- 2202-2252は銚子電鉄へ譲渡されることが決定、中古の中古ではない中古車の導入は30年ぶりになる
- 2230系は大運転で継続して使用することを想定していなかったので本線の支線系統へ転属
- それと同時にワンマン運転対応になった
- 正面の貫通幌が撤去されているので2200系との区別は簡単
- 2270系は貴志川線に転属、前面貫通扉は塞がれ整理券発券機などワンマン化改造が施されている
- また当時の貴志川線は600Vだったので1500V/600Vの複電圧対応になっている
- 2006年に貴志川線が和歌山電鐵に経営移管したため南海では廃形式になっている
- 現在はほぼ本線専用だが検査時には高野線を走行する
12000系
- サザンの2代目車両で愛称は「サザン・プレミアム」
- 10000系と異なりステンレス製車体
- 大手私鉄の特急車では初、ステンレス製の通勤車がうじゃうじゃいる関東私鉄でもいない
- 私鉄の特急車では初のプラズマクラスター発生装置が取り付けられた
- 各座席にコンセントがついた
- 常に8000系や8300系・9000系と併結しているので難波寄先頭車にはエンブレムがない
- 難波寄先頭車は泉北ライナーの代走時に見ることができる
- 元は8000系だけだったが2015年から9000系とも併結開始
- ただし不具合を起こして1回限りで中止・・・
- その後は不具合を乗り越えて日常的に併結している
- 2020年からは8300系とも併結開始
- 私鉄の特急車では珍しく多目的室がある
- 中間車には扉が増設できるよう準備されているらしい
- 2017年に泉北高速鉄道が12000系を投入
- 泉北ライナー用として登場、金色一色に塗られた
- 2018年にイベントで泉北高速と南海の12000系がトレードされ金色の12000系がサザンに入った
- 泉北車では初めて和歌山県に入った
- 南海の12000系は2014年のせんぼくトレインフェスタで団体専用列車として高野線を走行した
50000系
- 難波と関空を結ぶ特急「ラピート」用として製造
- トップのあの角で大根がスパッと切れるらしい
- 鉄人28号
- 川島令三や鉄道ファンはそれにしか見えなかったらしい
- 住ノ江に専用の洗車機があるらしい
- 青一色だが2014年にガンダムとコラボしたときは赤化した
- その半年後に今度はピーチ航空とコラボし白と紫の塗装になった
- 2015年にはスターウォーズともコラボした
- 他にも桃園メトロやキン肉マン、すみっコぐらしともコラボしている
- 実は南海の特急車では初のVVVF車
- なにわ筋線開業後はラピートは新大阪に乗り入れる予定だがそのころには走っているのだろうか
- 置き換えられるらしい
- 実は臨時で高野線と泉北高速鉄道を走ったことがある
- 2022年8月に泉北高速鉄道で試運転を実施した、なにわ筋線開業後泉北ライナーへ転属するためだろうか?
- 2022年11月から一部編成が泉北ライナーへ転職(LED表示器は対応していなかったので「特急」表示にして泉北ライナーのステッカーを貼りつけている)
- それと同時に11000系がりんかんに復帰した
高野線系統・泉北高速鉄道
2300系
- 南海では珍しい特別料金不要で乗れる転換クロスシートの車両
- 座席配置は2+1、普段はあまり混まないので転換クロスでも平気
- ただし最近は高野山への観光客が増えているので2両だと混雑が目立つようになった
- 当初は2000系と同じ仕様になる予定だったが高野山が世界遺産に登録されたので急遽転換クロスへ変更したため座席と窓の配置があっていない所がある
- 座席配置は2+1、普段はあまり混まないので転換クロスでも平気
- 主に日立のVVVFを入れている南海だがこの車両は東洋製のIGBT-VVVFを採用している
- 2000系と違いワンマン運転対応
- 2000系も2両編成はいるが補助電源や制御装置が1つしかないので2両単独運転は無理らしい
6000系
- 東急7000系・京王3000系と共に日本最初のオールステンレス製車両
- 1962年から2019年まで57年間無廃車だったので不死鳥とも呼ばれる
- 同時期に登場した車両(103系など)はすでに全滅しているものもある
- 当時の日本の鉄道車両の圧縮荷重50tの強度基準だったのに対しこの車両の圧縮荷重は約363tと文字通り最強電車
- 一時期VVVF化が検討されたらしい
- VVVF化が検討されたのは1989年ごろ、この時期にVVVF化されたら今が電子機器ヤバくなってる頃だが抵抗制御はオーバーホールさえすれば死ぬまで使える
- 大手私鉄の通勤車では最後の片開ドア車になる可能性が
- 2019年、ついに廃車が発生
- 1編成はトラックで運ばれ静岡の大井川鉄道で再就職した
- 大井川鉄道には22000系もいるので奇跡の再会になる
- 主に急行や区間急行で使用され逆にVVVFの8300系は各駅停車で使用される
- VVVFは抵抗制御と違い加減速性能が良いので各駅停車で走らせた方が省エネになる
6200系
- 6000系・6300系と違い角ばったデザイン
- どことなく東急8000系に似ている
- 最近になって一部編成はVVVFインバーター制御になった
- 未更新の6200系をはじめ6000系や6300系とも併結できる
- VVVF車は単独4両で運転できる
- 2012年に4両編成は全てVVVFインバーター制御になった
- 更新ペースは死ぬほど遅く4両すべてのVVVF化に4年かかった
- 6両に関しては6501Fの床材張替、6503Fの座席モケット変更以外は更新されていない
- ついにVVVF化されずに6501F・6503Fが車齢40を過ぎてしまった
- 泉北高速3000系はこの形式をベースに製造された
- しかしあっちは最終増備車以外セミステンレス(最終増備車はオールステンレス)
- 6521Fは元初代8000系
- 初代8000系は電機子チョッパ制御の試作車で6200系へ改造するときに抵抗制御へ改造された
- 改造の際7100系の廃車発生品を流用
- 6551F~6553Fは元8200系
- 8200系は界磁チョッパ制御の試作車で2013年から6200系に編入された
- 純粋な6200系・VVVF化された6200系・元初代8000系の6200系・元8200系の6200系とややこしや状態
6300系
- 6000系のモデルチェンジ版
- ドアが両開きになったり窓配置が非対称になったり冷房準備車や新造冷房車がいた6100系の改造車
- 元の6100系は2009年に全車6300系となったので形式消滅した
- 車番がはっきり言ってカオス
- 真のトプナンは6301Fではなく6302F(種車は6301Fが6119F、6302Fが6101F)
- モハ6391形なのに6385号車が存在する
- 6351・6352・6355・6356が先頭車なのに対し6353・6354は中間車
- ところどころ欠番がある
- 6000系の置き換えが進み今度はこちらが急行の主力になりつつある
- 6100系が履いていたパイオニア台車は高速域での乗り心地が悪いのと6000系などが履くS型ミンデン台車との併結が不可能だったりと編成の自由度が阻害された
- そのため6300系への改造の際新製台車のほかに7100系や泉北高速100系・3000系の廃車で発生した台車を流用した車両も存在する
- 1985年までは汐見橋線にも乗り入れていた
11000系
- 高野線の特急車では唯一の20m車
- そのため極楽橋乗り入れの「こうや」ではなく橋本までの「りんかん」専用
- 2015年に「泉北ライナー」にも使用されることになった
- 17m車の30000系・31000系と併結することができる
- 高野線橋本以北にも33‰の急勾配があるので全車電動車
- 登場当時は10000系と同じ塗装だった
- 31000系登場の際にこうや風カラーに塗装変更された
- 2015年の高野山開創1200年記念で30000系・31000系が特別塗装になったが11000系はこうや風カラーのままだった
- 2016年に泉北ライナー専属になったのか赤色の帯に金色が入るようになった
- 検査の時は「りんかん」でも走行しその時は元の塗装に戻されるらしい
- 2017年に泉北ライナーが増発され11000系も泉北ライナーに戻ってきた
- 2022年11月に50000系が泉北ライナーへ転職したのでその玉突きでこの形式がりんかんに復帰した
・まさに変幻自在
30000系
- 現在の特急こうや主力車両
- 先代20000系は1編成しかなく定期検査の時は21000系が代走していたり冬季は運休していたがこの形式は2編成製造され特急こうやは通年運転が可能になった
- 形状は先代20000系から引き継いだ流線型
- 登場当初は4両固定だったが現在は2編成つないで8両で走る
- リニューアルの際前面を貫通式に変更する予定があったが見送られた
- 実はイベントで本線を走ったことがある
- 2025年に高野線に新型の特急車両が入る予定で駆逐対象にされる可能性がある
- しかも車内で食事ができる豪華仕様らしい
31000系
- 30000系と異なり前面は貫通式になった
・尚、11000系との併結時にしか貫通扉は使わない上に、挙句の果てには
11000系が泉北ライナーで走っていることもあるので
せっかくの貫通扉を生かせていない。 - 制御装置は21000系、主電動機は7100系の廃車発生品を流用した
- 1編成しかいない、遭遇したらトプナン確定
- 30000系と共通運用を組む
- 形状は11000系と似ている
- 同い年生まれの名鉄1600系(後のドゥワァ!!センナナヒャクゥ!!)に似ている
泉北3000系
- 1977年の光明池延伸で100系のマイナーチェンジ版として製造、基本構造は6200系をベースにしている
- 基本構造は同じだがセミステンレス製で最終増備車のみオールステンレス
- デフォルトで行先表示器を搭載しており南海の旧幕に準じている
- 前面は英語表記が追加されており和泉中央開業前は赤準急・赤区間急行の幕もあった
- 高野線の三日市町以南には乗り入れないので抑速ブレーキは付いていない
- 元は6両と4両だったが編成の自由度を上げるため6両の中間車を抜き取って2両へ改造した
- 運転台は100系の廃車発生品を流用している
- 2両編成は4両編成と併結して6両で運転されておりかつてはそれに4両を追加で繋いで10両で運転されていた
- 2016年から8両の運転が増加し2編成同士と4両を繋いだ編成が基本となっている
- ドア配置が不均等、果たして難波駅のホームドアは対応できるのだろうか
- 2006年から廃車が発生し3501F~3507Fまで廃車されている
- 3501Fの3001と3002は廃車後3507Fへ組み込まれたが3507Fも2007年に廃車された
- 2012年に3513F~3517Fと3555-3556が南海電鉄に譲渡された、泉北高速鉄道は当時南海グループ入りする前だったので珍しい例となった
泉北5000系
- 1990年に登場し南海・泉北高速で唯一の8両固定編成、2005年10月16日のダイヤ改正で日中の8両運用が激減したが2015年12月5日のダイヤ改正で日中の8両運用が復活し2017年からは8両運用がさらに増え当形式の運用も増えた
- 8両固定だがサハ5600形には電気連結器と入換灯がある
- 登場当初は泉北線内運用のみで高野線乗り入れが始まったのは1992年から
- 高野線乗り入れが始まっても今宮戎・萩ノ茶屋・岸里玉出~浅香山はホームが6両限界なので高野線乗り入れ各停として走ったことはない
- 行先幕には北野田~三日市町の幕が入っているがこの形式が登場する前に泉北車の高野線
拉致運用は終わったので使わずじまい
- 1999年から大型児童館ビッグバン開館に伴い5505Fに特別塗装が施された(2017年終了)
- 2015年からリニューアル工事を実施、車椅子スペースの設置や座席張り替えなどを行った
- 2016年から2019年まで5509Fにパチ屋ラッピング、2018年から2020年まで5503Fに桃山学院大学・桃山学院教育大学・プール学院短期大学ラッピング、2021年に5507Fが泉北高速鉄道開業50周年記念として泉北シルバニアファミリー号として運用された
- 2023年3月に5503Fが泉北高速鉄道新塗装第一号として塗装変更が行われた
- 元ハッピーベアルの5505Fだけ種別行先表示器が幕のままになっている
泉北7000系・7020系
- 7000系は100系の置き換え、7020系は3000系初期車の置き換え用として登場した
- 南海が車両限界を大きくしたため5000系と違い拡幅車体となった
- 7505F以降と旧7511Fは車番表記がプレート式から突起式になっている
- 2018年から実施されているタブレット式自動放送は未対応なので別の装置から音源を流しそれをマイクに通すという形になっている、そのため音質悪い
- 7551-7552は元7511Fで7106と7006は7509Fへ組み込まれ7602と7202へ改番された
- 前面貫通扉は両開きのプラグドアが外扉になっており内側に貫通扉があるという仕様になっている
- 7020系はつり革が丸型から三角型になっている、貫通扉の外扉が廃止、LCD搭載など7000系より変わっているところが多々見られる
- 編成は6両2本・4両1本・2両1本の18両が落成された
泉北9300系
- 南海の8300系をベースに作られた泉北高速鉄道の新車
- そのためLCDや種別行先表示器は5000系・7000系・7020系と異なる仕様になった
- 泉北車なのに行先に「泉北和泉中央」と表示される
まぁこれ言えば100系の幕も泉北入ってたけど
- 7020系では置き換えきれなかった3000系の残った編成を置き換える予定
- 9301F+9302Fは3000系のセミステンレス車を置き換えるそうな
- 帯は従来の水色+青から3000系の青単色へ戻った
- 後に5000系・7000系・7020系も帯が青単色へ変わる予定
- 8300系をベースに作られたならやろうと思えば9300+8300の混結が可能?
本線系統
3000系
- 新造した8000系だけでは7000系を置き換えきれなかったので泉北高速がいらなくなった3000系の一部編成を南海が貰ったもの
- 南海の通勤車色に塗り替えられぱっと見6200系そっくりだがセミステンレス車体なので台車直上裾部の補強材を見なくてもすぐ分かる
- 車番も6200系にならず泉北高速時代の車番を引き継いだ
- 6両の3517Fは泉北3517Fの3518と泉北3555Fの3555を中間車化して無理矢理6両にした
- 3518と3555の転落防止幌だけ南海仕様の互い違いになっている
- おそらく南海トップクラスの変態編成
- 南海カラーになって6200系と同じ外観になったがスカートが違ったり側面行先表示機の位置が異なっている
- よく見ると泉北時代の車番プレートやマークを剥がした跡がくっきり
7000系・7100系
- 7000系は片開ドア、7100系は両開きドア
- 7100系1次車(1969年製)は車体更新を受けなかったので7000系より先に廃車された
- 廃車になった車両の台車は6100系の6300系化に使われた
- 制御装置は6521F(旧初代8000系)に、主電動機は31000系に流用された
- 「塩害魔王」というあだ名がついてる
- 鋼製車体だから高野線を走らせた方が良いかも
- 当時は踏切の数が高野線より本線の方が多かったので事故ったときの復旧が容易ということから本線に投入したらしい(ステンレスは高価だから)
- 今は本線立体交差化で高野線の方が踏切が多くなったのは皮肉
- 現在の南海の車両はほとんど東急車輌→総合車両製作所製だがこの車両には近畿車輛製もいる
- 7000系を駆逐するために新造した8000系だけでなく高野線から2000系、泉北高速鉄道から3000系を総動員して駆逐した
- サハ7851は増備の中で車番が足りなくなり7898の後は7843~7850と形式より若い車番が付いた
- 7167F・7187F・7195F・7197Fは加太さかな線をアピールするべく「めでたいでんしゃ」になっている
- 7167Fが「かい」・7187Fが「さち」・7195Fが「かしら」・7197Fが「なな」
8000系(2代目)
- E233系のパチモンらしい
- 顔はE233系や小田急4000系よりかは阪神1000系に近い
- ついに関西にも走ルンですが登場
- 関西で走ルンですが受け入れられるのだろうか
- 登場からすぐに車内設備が批判の嵐、鉄オタだけでなく一般の客からも不満がられてる
- 特に座席にあるポールが邪魔だと言われてる、家族連れのおばさんやおじさんを中心に
- 点字ブロックがあるなどバリアフリーには優れている
- 車内に関しては近鉄シリーズ21や阪神1000系とどんぐりの背比べ状態
- 南海線沿線の団地に「なんかい8000いす固い」と落書きされたらしい
- キャッチフレーズは「やさしいがうれしい」
- 1000系・8300系と違い頑なに高野線に入らない
- 一応試運転で走ったことはある
- 実は2代目
- 初代8000系は電機子チョッパ制御の試作車で今は6200系に編入されている
9000系
- 南海線系統では初のステンレス車
- 何気に205系と同い年
- 南海線としては1973年の7100系以来12年ぶりの新車となる
- 製造から30年が経過しているが6200系の更新が遅すぎるせいで更新が始まったのは2018年
- 登場当時はダークグリーン一色の帯を巻いていた
- 埼京線205系みたいな感じ、ちなみに2000系は横浜線
- 更新前は4両単独で走ることができなかった
- 2両の2000系といい7100系やこの形式の4両といい南海には単独で走ることができない車両が多い
- 南海では制御装置や補助電源が1組しかない編成は単独運転できないようになっている(支線は除く)、以前単独運転したところトラブル起こしたらしい
- VVVF化で晴れて単独運転できるようになった
- 2両の2000系といい7100系やこの形式の4両といい南海には単独で走ることができない車両が多い
- 1000系・8000系・12000系と連結可能
- 2015年12月には12000系との連結が始まったが早速不具合を起こした
- 2018年に泉北ライナーとの連結が実現
- 2020年に8000系との連結が実現
- その翌年に8300系とも連結が実現した
- クリスマスの夜に羽倉崎の車庫で暴走した奴がいる
- 2022年4月の9511F入場で未更新車消滅
- それと同時に界磁チョッパ制御車が消えた
10000系
- これまで先代1000系で運転されていた「四国号」の後継である「サザン」用として製造
- 一部車両は先代1000系の廃車発生品を流用している
- 元は2両編成だったが1992年から4両化が始まり中間車を新製した
- 実は10004F・10005F・10006Fの中間車は10001F~10003Fを中間車化改造した、そのため真のトプナンは10804と10104になる
- 2012年から12000系による置き換えが始まっているが今のところ2編成止まり
ケーブルカー
N10・20形
- 先代コ11・21形に変わる高野山ケーブルの車両、日本ケーブル株式会社製だが内装はスイスのキャビンメーカーであるCWA社が担当している
- 2編成在籍しておりラインカラーは第一編成が白で第二編成がオレンジ
- 日本のケーブルカーでは初の走行に必要な電力を全て再生可能エネルギーで賄っている
廃形式
初代1000系・11001系・12001系
11001系・12001系
- 南海初のカルダン駆動車として1954年に登場
- 11001系は制御電動車(モハ)のみ奇数番号車-偶数番号車の2両編成、12001系はモハ12000-クハ12800の2両編成で基本的に11001系+12001系の4両で運転された
- その他にも当時2両で運転されていた難波~住吉大社の各駅停車と11001系1両+12001系の3両で走っていたこともあった
- 11001系は制御電動車(モハ)のみ奇数番号車-偶数番号車の2両編成、12001系はモハ12000-クハ12800の2両編成で基本的に11001系+12001系の4両で運転された
- 製造当時の編成表
モハ11001 モハ11001 11001 11002 11003 11004 11005 11006 11007 11008 モハ12000 クハ12800 12001 12801 12002 12802 - 座席はオール転換クロスシートで荷棚には読書灯があるなど戦前の伝統を引き継いだほか車内照明が蛍光灯になり扇風機が設置された
- 車体は2001形最終増備車の形状に似ており前面貫通扉と20m級2ドアは共通している
- 1956年からは後期車の製造が始まり前面形状が湘南型電車のような形状になった、この形状は21000系へ引き継がれている
- 製造当初はモハ11001-モハ11100-モハ11100-モハ11001の4両編成だったが1957年増備編成以降は中間にモハ11100を1両追加し5両になった
- 5両化後の編成表は以下の通り
モハ11001 モハ11100 モハ11100 モハ11100 モハ11001 11009 11100 11101 11102 11010 11011 11103 11104 11105 11012 11013 11106 11107 11108 11014 11015 11109 11110 11111 11016 11017 11112 11113 11114 11018 11019 11115 11116 11117 11020 11021 11118 11119 11120 11022
- 座席は車端部をロングシートにしたセミクロスシートになり初期車もセミクロスシートへ改造された
- 1963年から四国号の和歌山市寄1~2両が指定席になったのでロングシートの指定席とクロスシートの自由席が混在する事態になった
- 1969年に12001系が11001系へ編入、サハ11800形11801~11804へ改番され11001Fと11005F、11001系後期車の一部に組み込まれて5両化・6両化された
- 1973年に南海が貴志川線以外の路線を全て1500Vへの昇圧が行われることになり後期車のうち車齢の若いモハ11001形8両とモハ11100形16両が昇圧改造され1000系へ改称
- 昇圧改造を受けなかった編成は廃車され11001・11004・11008・11009~11014の9両が京福電鉄福井地区(現えちぜん鉄道)へ譲渡されモハ3001形とした
- 譲渡後は京福電鉄福井地区の路線で運用されたがえちぜん鉄道移管後は老朽化が激しく永平寺口に集められた後一度も走ることなく廃車された
- 昇圧改造を受けなかった編成は廃車され11001・11004・11008・11009~11014の9両が京福電鉄福井地区(現えちぜん鉄道)へ譲渡されモハ3001形とした
初代1000系
- 昇圧改造を受けた11001系を改番して編成組み換え、6両4編成になった
- 種車は以下の通り
モハ1001形:モハ11001形11015・11017・11019・11021
サハ1801形:モハ11100形11105・11107・11109・11111・11113・11115・11117・11119
モハ1101形:モハ11100形11106・11108・11110・11112・11114・11116・11118・11120
クハ1901形:モハ11001形11016・11018・11020・11022 - 編成は以下の通り
モハ1001 サハ1801(奇数) サハ1801(偶数) モハ1101(偶数) モハ1101(奇数) クハ1901 1001 1801 1802 1102 1101 1901 1002 1803 1804 1104 1103 1902 1003 1805 1806 1106 1105 1903 1004 1807 1808 1108 1107 1904 - 足回りは6100系・7100系と同じタイプの物を新製して交換された
- 電動車の台車はミンデン空気ばね台車のFS355に交換されたが制御車と付随車はFS319から主電動機を外してそのまま使うことになった
駆動方式はWNドライブ方式になったほかブレーキは電磁直通ブレーキに変更された
- 電動車の台車はミンデン空気ばね台車のFS355に交換されたが制御車と付随車はFS319から主電動機を外してそのまま使うことになった
- 特急四国号や自由席特急で主に使われ朝夕ラッシュの合間に自由席特急・急行・多奈川線直通急行「淡路号」に使われていた
- 定期列車のほか帰省ラッシュ時の「臨時四国号」、春・秋の行楽シーズンに運転される「みさき号」、夏の海水浴シーズンに運転される「サマー特急」といった全席指定の臨時特急でも使用された
- この車両が臨時四国号で使われる際定期の四国号は全車自由席になり7000系・7100系が使用された
- 定期列車のほか帰省ラッシュ時の「臨時四国号」、春・秋の行楽シーズンに運転される「みさき号」、夏の海水浴シーズンに運転される「サマー特急」といった全席指定の臨時特急でも使用された
- 1980年代から老朽化が現れ始め1984年に先代こうや号の20000系が引退したことによりこの車両も置き換えが検討されることになった
- この車両の置き換えに際して座席指定車は主要機器を流用した10000系を製造、朝夕ラッシュ時の運用は9000系を製造した
- これにより7000系・7100系は10000系と併結されるようになった
- 1985年から廃車が開始、同年11月1日に四国号が廃止され10000系サザンが運転開始し1000系は特急運用をクビになり朝夕ラッシュ時の運用のみになった
- 廃車で発生したFS355形台車を6000系の更新の際に流用された
- 1987年6月28日に最後まで残った1003Fのラストランが行われて7月中に廃車、経年による車体老朽化のため泉佐野市に1003・1903が譲渡されたのみでそれ以外は解体された
- 元々は譲渡後焼肉屋の店舗として再利用する計画があったが破綻してしまった
- 1003号車の車体は泉佐野市内で堆肥倉庫として使われていたが火災で損傷し使用不能になって解体、1903号車の車体は泉佐野市内の民間企業に譲渡され保有されていたが車体を二つに分断され廃材置き場に使用されたのちに解体された
本形式の高野線ズームカー版である21000系は1997年に引退し一畑電車と大井川鉄道へ譲渡された
- 1003号車の車体は泉佐野市内で堆肥倉庫として使われていたが火災で損傷し使用不能になって解体、1903号車の車体は泉佐野市内の民間企業に譲渡され保有されていたが車体を二つに分断され廃材置き場に使用されたのちに解体された
- 元々は譲渡後焼肉屋の店舗として再利用する計画があったが破綻してしまった
1201形
- 南海には70年近く居続けた超古豪、レトロな車内はファンに好評だった
- 野上鉄道(現廃止)・水間鉄道・京福電鉄福井地区(現えちぜん鉄道)に譲渡されたが南海の方が長生きした
- 水間鉄道から野上鉄道に再譲渡されたものもいたが橋脚の強度が低かったので一度も走ることなく廃車された
- 京福電鉄に譲渡されたものは阪神5231形の車体に載せ替えられた(現在は引退済)
- 本線・高野線の昇圧時に貴志川線へ転属となり守護神的な存在だったが車体強度の問題で冷房化ができなかった
- そのため元22000系の2270系に置き換えられ引退
- 水間鉄道水間観音駅でクハ553(元モハ1240)が保存されている
- グリーンピア南紀と加悦SL広場でも保存されていたが現在は施設廃止・閉園している
1501形
- 国鉄63系電車の払い下げ
- もともと大型電車を導入していたので入線に問題はなかったらしい
- 南海が20m4ドア車が主流になったのはこの車両の影響もあるらしい
- 内装は他の63系と違いシャンデリアがあった
1521系
- 旧型車の機器を流用して登場した20m4ドア車
- 機器の流用元で1521形と2051形に分かれていた
- 形式は昇圧時に1521形に統合された
- 登場当初は緑にオレンジの帯を巻いた塗装だった
- 塗装は2051系登場時に統一された
- 昇圧後は支線専用になった
- この時両運転台に改造されたものもいた
- 1995年に和歌山港線でさよなら運転を実施し同年11月20日付で廃車
- さよなら運転を務めたのは1521+3901とまさかのトプナンだった
- この形式が引退して南海から吊掛駆動車が消滅した
- 弘南鉄道に譲渡されたものもいたが4ドアという寒冷地には不向きだったのと吊掛駆動だったので数年間しか動かなかった
2001形
- 日本初の冷房車
- 当時の冷房車は国鉄特急の食堂車くらいしかなかった
- 最初の形式は電9形、後に301形へ改番され1936年に2001形へ改番された
- 1973年まで残った、晩年は1201形の20m版だった
- パワーもすごかったが600V特化で昇圧不可となり引退
8200系
- 南海初の界磁チョッパ制御車
- 南海の制御装置は日立製がほとんどだがこの車両の制御装置は三菱製
- 6200系と比べて車体が丸みを帯びている
- 前面が額縁形状なのが特徴
- 結局6両3本が製造されただけ
- 更新前は他形式との連結は不可だったが更新でできるようになった
- 2014年に6200系へ改番されひっそりと形式消滅
21000系
- 元祖ズームカー
- 最初の2編成はセミクロスシートでそれ以外はロングシートだった
- セミクロスシート車は行楽シーズンの臨時特急によく運用された
- もともとは4編成がセミクロスシートだったが2編成は後にオールロングに改造
- 車内は側窓の上にある蛍光灯が特徴、その後の特急車両にも採用され南海の伝統になっている
- 末期は新塗装になったこともあるが・・・旧塗装の方が似合う
- 2両で和歌山港線で運用されたこともあった
- 関西の私鉄車両では珍しく譲渡され一畑電車と大井川鉄道に譲渡された
- 一畑電車譲渡車は2017年に引退、大井川鉄道譲渡車は現役
- ラピート登場前に塗装試験が行われ青一色になったことがある
21201形
- 車体は21000系と同じだが足回りは旧型車の流用品、なので釣り掛け駆動
- 昇圧後先頭車1両(モハ21201形)は制御車になった後貴志川線に転属され1201形の増結用で使われた
- 高野線引退後チョッパ制御の試験に使われる予定だった
電7系
- 手荷物室・一等車・食堂車・トイレをくっつけた豪華な編成だった
- 喫茶室・特別室には当時としては珍しい扇風機が設置されていた
- といってもライバル(阪和電鉄)が開業して一気に陳腐化した
- 対抗して電9系を導入してこの車両は普通用に格下げされた
- 車内ラジオがあったが電波が悪かったのかすぐ廃止された
- 末期は1001形に改番されたが木造車体なのが災いし運輸省から廃車指導されて60年代に消えた
20001系
- 高野線の特急「こうや」用30000系の先代車両
- デラックスズームカーという愛称がついている
- 製造費がかかりすぎて1編成しか製造できなかった
- そのためこの時の特急こうやは検査の都合で冬季は運休になってた、あと1日数本の運転だった
- 名鉄パノラマカーが投入されなかったらブルーリボン賞は取れていた、ちなみに投票結果は2位だった
- シートピッチは後継の30000系より広い
- グリーン車を除けば1960年代では珍しかったリクライニングシートも惜しげもなく採用
- 天皇陛下のお召列車として使われたことがある
- 高野山駅のリニューアルに伴い同駅の展示室に当時設置されていた特別席の座席が公開されている
- 先頭車は引退後しばらくみさき公園で保存されていたが閉園に伴い解体された
- 特急車で満員にならないことからズームカーで唯一T車があった
- トイレ用機器などを設ける必要性もあった
キハ5501形
- 今では信じられないがかつて南海は国鉄に乗り入れていた、この車両は国鉄乗り入れきのくに用車両
- 全盛期には新宮まで乗り入れていた、さすがに三重県に行かなかったが
- 車両全体は国鉄キハ55形と同一
- 違いは南海の車体限界の関係で側窓に保護棒が付いていたのと側窓の下に「南海」と書かれた電照式の表示があった
- 本家にはなかった両運転台車もあった
- 製造当初は国鉄キハ55形と同じクリームにマルーンの帯だった
- 国鉄では急行だったが南海では特急だった
- 紀勢線内では天王寺発着の国鉄車と併結していた
- 国鉄車は冷房改造されたがこっちは最後まで非冷房だった
- 1両が事故って関東鉄道に売却された
- その後世にも珍しい4ドアの気動車が爆誕した
- 登場当初は気動車運転士の養成が間に合わず南海線内では電車に牽引されていた(気動車と電車は運転する際に必要な免許が別なので)
- 便所は垂れ流し式だったので南海線内ではドアロックされ使えなかった
コ1形
- コ11・21形が登場する前の高野山ケーブルの車両、当時としては数少ないアルミ車体だった
- なぜか10年でコ11・21形に置き換わって引退、これ以来南海はアルミ車を入れていない
コ11・21形
- 先代の高野山ケーブルの車両、この形式から高野山ケーブルは2両編成になる
- 17m級4両の20000系の乗客全てを輸送できるんだとか
- 塗装は登場当初20000系に準じたものだったが1983年からは30000系に準じた塗装になった
- 車内放送は日本語・英語のほかフランス語にも対応した
- 2015年に車内にワイド画面タイプのLCDを設置、実は8300系登場よりも前に設置したので南海初のLCD搭載車はこれ
- 設備更新工事とN10・20形導入に伴い2018年11月25日に引退、高野山ケーブルの車両では最も長生きだった
コメント欄
- 南海6000系が汐見橋線と南海7000系が天王寺線はいつごろまで運行されていましたか教えてくださいお待ちしてます、 -- 巽孝一郎? 2023-12-31 (日) 05:51:23