寝台特急一覧

Last-modified: 2023-12-04 (月) 17:57:00


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ここでは古今東西の寝台特急をまとめている

目次

北海道内完結

まりも

  • 元は1951年に札幌釧路間で運転されていた急行列車、1968年に狩勝に吸収されて一度廃止されたが1981年に復活。1985年に昼行便がおおぞらに吸収され夜行便も1993年におおぞらに吸収された
  • 2001年に特急おおぞらがキハ283系での運転になったが13・14号はキハ183系のままで特急まりもへ分離する形で再復活、ただしキハ183系の間に14系寝台車を挟みこんだ形での運転だった
  • 2006年に特急利尻が臨時化された後は北海道内完結の最後の定期寝台特急だったが2007年に臨時化され2008年に廃止、これにより北海道内完結の寝台特急がなくなった

上野発

カシオペア

  • 上野と札幌を東北本線経由で運行されていた列車
  • 客車もE26系を新造、北斗星をグレードアップさせた
    • ただし客車が1編成しかないので多客時以外は週6運用週1運休
    • 毎年車両検査の関係で10月~12月は運休になる
  • 北海道新幹線の関係で上野行は3月20日、札幌行は3月19日に運転を終了した
  • カシオペア廃止後は「カシオペア紀行」というツアー列車をたまに運転している
    • 牽引機(EF510-500)はJR貨物に売っちゃったのでEF81やEF64が牽引している

北斗星

  • 上野と札幌を東北本線経由で運行されていた列車
    • 愛称は一般公募で決め「北海」が1位、その後は「タンチョウ」「オーロラ」と続いたが投票結果108位の北斗星がなぜか採用された
  • 上野と札幌は16時間かかったので最初からビジネス客の利用を想定せず出発は夕食前で到着が昼前になっている
  • 全盛期は1日3往復も運転されていた
    • 1994年からは3・4号は毎日運転の季節列車になった
    • 1998年にカシオペアの登場で2往復に削減され2008年に1往復になった
  • 2015年3月14日の運転で定期運用が終了、その後は臨時で運転されていたが2015年8月22日に臨時運用が終了
  • 廃止後本州での牽引機であるEF510形500番台はJR貨物に売却された

エルム

  • 北斗星の補完的な役割を持っていた列車
  • 個室なし全車B寝台だったが利用率は高かった
  • 2006年を最後に運転されていない

はくつる

  • 上野と青森を東北本線経由で運行されていた寝台特急
  • 一時期は583系でも運転されていたが平成になって24系客車に変更された
  • 2002年の東北新幹線八戸開業で廃止された

ゆうづる

  • 上野と青森を常磐線経由で結んだ数少ない寝台特急
  • 全盛期は臨時含めて7往復あった
  • 1968年の常磐線電化完了まではC62が使用されていた
    • 末期は583系で運転
  • 1993年12月に廃止

鳥海・あけぼの

  • 上野と青森をあけぼのは上越線・羽越本線・奥羽本線経由、鳥海は東北本線・奥羽本線(山形新幹線開業後は仙台まで東北本線でそこから陸羽東線)経由で運行されていた寝台特急
  • 新幹線が発達していない東北の日本海側を結ぶ寝台特急ということで人気があった
  • 1997年の秋田新幹線開業であけぼのは廃止
    • 鳥海のスジがあけぼのになり2014年まで運転されていた

出羽

  • 上野と秋田を羽越本線経由で運行されていた寝台特急
  • 鳥海と運行区間が被っていたが秋田到着は出羽のほうが早かった
  • 1993年に鳥海に統合され廃止

北星

  • 上野と盛岡を東北本線経由で運行されていた寝台特急
  • 元は急行だったが特急に格上げされた
    • その名残でヘッドマークは設置されず20系客車にパレット郵便荷物車が連結されるなど異色を放っていたので鉄道ファンからは人気があった
  • 1982年の東北新幹線開業で廃止

北陸

  • 上野と金沢を上越線・北陸線経由で運行されていた寝台特急
  • まだ新幹線が発達していなかった北陸への寝台列車として同区間を走っていた急行能登と共に人気が高かった
    • それ故か距離は短いが個室率が高く平成になっても利用率は安定していた
    • 一時期「チャックアウトサービス」なるものがあった
      • これは金沢到着後列車を隣の東金沢駅まで引き上げ9時までは寝台が利用でき金沢へ戻る普通列車に無料で乗れるというものだったが時刻表に記載されず案内は車内放送だけだったので知名度は低かった
  • 2010年に廃止、これにより14系客車を使用した寝台特急は消滅した
    • 一方急行能登は臨時化、2012年まで運転された

東京発

富士

  • 東京と大分を結んでいた寝台特急
  • 元をたどれば1912年に新橋(後の汐留)~下関で運行されていた「特急1・2レ」、この列車は日本初の特急列車になる
    • 1929年には鉄道省が公募を行い「富士」という愛称が付いた、現時点では「さくら(櫻)」と並ぶ日本初の列車愛称になる
  • 戦時中は一度廃止されたが1950年に富士急行直通の準急に「富士」を付けようとしたが「富士の列車名を使用するのはそれにふさわしい列車が来るまでやめておこう」ということですぐに変更された
  • 1961年に東京~神戸・宇野を結ぶ電車特急に「富士」の愛称が付いた(使用車両は151系)
  • 1964年の東海道新幹線開業で東海道線の電車特急は軒並み廃止され富士は東京~大分の寝台特急へ生まれ変わった
  • 1965年には運転区間を西鹿児島(現鹿児島中央)まで延長され運転距離は1574.2kmとなり1980年の宮崎短縮まで日本一長い距離を走る寝台特急だった
  • 1990年には運転区間を南宮崎まで延長したがたった7年で大分まで短縮された
  • 2005年にさくらが廃止されるとはやぶさの連結相手になった
  • 2009年廃止、これにより九州を走るブルートレインは全滅した
  • 2014年に東京駅開業100周年を記念して東京発伊東行の団体ツアー列車として復活運転、客車は青森所属の24系客車24形が使われ牽引機は高崎所属のEF65-501が担当した

はやぶさ

  • 東京と熊本を結んでいた寝台特急
  • 起源は1942年に登場した「7・8レ」、この列車は「3・4レ特急櫻」を延長したもので当時戦時下と言うこともあり特急から無名の急行になった
    • 「7・8レ」は1945年に戦局の悪化に伴い運転を中止した
  • 戦後1950年にこのルートを走る急行「きりしま」と「筑紫」が登場、この2列車は特急はやぶさの前身となる
  • 1956年に「きりしま」が漢字表記になり「筑紫」は東京博多間の夜行に名を譲り新たに「さつま」と名乗るようになった
  • 1958年に急行さつまを特急格上げし「はやぶさ」が登場、九州直通寝台特急は日本で3番目になる
  • 1960年には使用客車が20系へ変更、また東京熊本間の臨時便が年末に運転される
    • この臨時便は翌年に不定期列車として分離され「みずほ」に改称した
  • 1962年にみずほが定期列車化、その翌年には20系客車化される
  • 1968年に博多で切り離した編成を使って長崎行はやぶさが登場、運用の効率化を図るためだった
  • 1975年には使用客車が24系になり長崎行はやぶさは「みずほ」へ改称された
  • 1985年にロビーカーが登場、同時に本州内の牽引機にEF66が使われるようになる
  • 1990年ごろから利用者が減少をしはじめまず食堂車が売店営業になった
  • 1993年には鹿児島本線内の特急つばめに抜かれるようになり鹿児島へ行く際も途中でつばめに乗り換えるのでさらに利用者が減少した
    • そのこともあって1994年にみずほが廃止、はやぶさも1997年に熊本まで短縮される
  • 1999年には合理化のためさくらと併結するように、この時「24系+14系」という異色編成ができ鉄道ファンの注目を集めた
  • 2005年にさくらが廃止、はやぶさの併結相手は富士へ変更された
  • 2009年3月13日で富士と共に運転終了、その後はやぶさの愛称は東北新幹線へ引き継がれた

さくら

  • 東京と長崎を結んでいた寝台特急
  • 起源は1929年に運転開始した「3・4レ」で鉄道省が愛称を公募し「櫻」という愛称を付けた
    • その後1942年に「7・8レ」へ変更され特急から無名の急行になった
  • 戦後は大阪と東京を結ぶ不定期特急として復活し1959年に東京と長崎を結ぶ寝台特急として運転を始める
    • この時の列車番号は栄光のトップナンバー「1・2レ」だった
  • 1965年に佐世保乗り入れ編成が登場
  • 1999年に佐世保乗り入れ編成が廃止
  • 2005年に廃止、さくらの愛称は九州新幹線へ引き継がれた

みずほ

  • 東京と九州を結んでいた寝台特急
  • 1961年に東京~熊本の不定期特急として登場
  • 1962年に定期化、1963年に使用客車が20系になった
  • 1964年に大分発着編成を富士へ分離し1972年に使用客車が14系になった
    • 1975年に14系付属編成が長崎行きになる
  • 1994年に廃止、その後みずほの愛称は九州新幹線へ引き継がれた

あさかぜ

  • 東京と下関・博多を結んでいた寝台特急
  • 1956年に運転開始、東京と九州を結ぶ寝台特急としては初の夜行直結の寝台特急になる
    • その分関西圏到着が深夜帯になるので関西圏の利用者からは猛反発を食らったが
  • 運転を開始すると出張ビジネスマンたちからは大好評でその後登場した「さちかぜ(後のさくら)」も関西圏は深夜に通過するダイヤを組まれるようになった
  • 1958年には一番最初に20系客車を使い始めた
    • 1960年以降この列車は他の寝台特急とは違い豪華な編成を誇っていた
      • 1972年~1975年の20系博多「あさかぜ」は「さくら」と「あかつき」に使用されていたナロネ22形も集中投入したので15両中A寝台とグリーン車計6両という構成になり「殿様あさかぜ」と呼ばれるようになった
  • 1970年10月ダイヤ改正で呉線経由の急行安芸を西条経由にし下関まで延長し特急格上げして3往復になる
  • 1972年に博多発着の1往復に14系客車を使用し始める
  • 1975年の山陽新幹線博多延伸に伴い14系客車を使用した1往復が廃止
  • 1976年に下関あさかぜが24系客車へ変更、翌年には博多あさかぜも24系客車になった
  • 1994年にバブル崩壊や高速バスの台頭もあって博多発着の1・4号が廃止
  • 2005年に下関発着の1往復も廃止され運転を終了した
  • 実は285系に「あさかぜ」の幕が入っているらしい

出雲・サンライズ出雲

  • 東京と出雲市を結ぶ寝台特急
  • 起源は1928年に運転を開始した大阪と浜田を福知山線経由で結ぶ準急列車、戦時中は一時期廃止された
  • 戦後すぐ復活し1951年には急行「せと」と併結する形で東京乗り入れを果たす
  • 1956年にせととの併結がなくなり単独運転に戻る
  • 1961年に京都から山陰線経由になり1972年に特急格上げ
  • 1975年に東京と米子を結ぶ寝台特急いなばが登場、東京名古屋間は特急紀伊と併結する
  • 1978年にいなばを出雲市まで延長して出雲へ統合、1984年に紀伊が廃止されたのでまた単独運転に戻る
  • 1998年に出雲市止まりの2・3号が電車化され「サンライズ出雲」へ改称
    • サンライズ出雲は京都~岡山が東海道山陽線経由になり岡山~米子が伯備線経由に変更された
    • 一方出雲は浜田駅まで短縮され系統分離される
  • 2006年に出雲が廃止、現在の体制になる
  • 2014年からは多客時には予備1編成を使い「サンライズ出雲91・92号」が運転される
    • ダイヤは急行銀河を踏襲したものだが名古屋駅は通過する

瀬戸・サンライズ瀬戸

  • 東京と高松を結ぶ寝台特急、岡山まではサンライズ出雲と併結している
  • 1950年に東京と宇野を結ぶ急行として運転開始
    • 当時はまだ瀬戸大橋が未開通で四国へ行く際は宇高連絡船を使う必要がある
  • 1956年に単独運転になり瀬戸へ改称
    • 1968年に急行さぬきを吸収し2往復となる
  • 1972年に特急格上げ、客車を20系客車へ変更し1往復体制になる
  • 1977年に24系客車化になる
  • 1988年に瀬戸大橋開業に伴い高松まで延長される、これにより四国乗り入れを果たす
    • 都心から新幹線がない四国へのアクセス手段として乗車率が高く人気があることから電車化が決定
  • 1998年に電車化され「サンライズ瀬戸」へ改称、現在も運転が続いている
    • 1999年から2009年まで松山まで延長運転がされ2014年からは多客時に琴平まで延長運転がされるようになった

サンライズゆめ

  • 1998年に急行銀河の臨時便を広島まで延長する形で登場
  • 時期によって始発終着駅や停車駅が異なっていた
  • 2008年の運行を最後に現在は運行されていない

紀伊

  • 東京と紀伊勝浦を結んでいた寝台特急
  • 1968年に東京~紀伊勝浦・鳥羽・王寺間の急行として登場(奈良から王寺は普通列車として運転)
  • 1972年に亀山王寺間・多気鳥羽間が廃止、東京名古屋間は急行銀河と併結するようになった
  • 1975年に全車寝台化され特急格上げ、東京名古屋間は特急いなば(後の出雲2・3号)と併結するようになる
  • 1980年に東京名古屋間の牽引機がEF58からEF65-1000へ変更される
    • またDF50形の運用が廃止される
  • 1982年に下り列車が名古屋駅で衝突事故を起こす(寝台特急紀伊機関車衝突事故)
  • 1984年廃止、特急としては9年で廃止された

いなば

  • 東京と米子を山陰線園部経由で結んでいた寝台特急
  • 1975年に登場、登場当時から特急紀伊と併結していた
  • 1978年に出雲市まで延長し出雲へ統合され廃止
  • 廃止後岡山と鳥取を結ぶ特急にいなばという愛称が使われている

関西圏発

WEST EXPRESS 銀河

  • 「多様性」「カジュアル」「くつろぎ」をキーワードにした寝台特急
  • トワイライトエクスプレス瑞風と違って「気軽に鉄道の旅を楽しめる列車」をコンセプトにしている
    • そのため客層を鉄道での旅に慣れた乗客や普段あまり鉄道を使わない乗客、外国人観光客にまで幅を広げている
  • 銀河の名は2008年まで運転されていた夜行急行に使われており12年ぶりの復活
  • 乗車には運賃の他JR西日本のネット予約サービス「e5489」「JR-WEST ONLINE TRAIN RESERVATION」・全国のみどりの窓口・各旅行代理店で発売される特急券・グリーン券が必要になる
    • ただし2020年から当面の間は新型コロナウイルス流行の影響で日本旅行が企画・実施する旅行商品のみの販売となった
    • 2023年2月以降の一部列車から「e5489」やみどりの窓口での販売がスタートした
  • 新たにグリーン個室料金が設定されており1人あたり100kmまでが4360円、200kmまでが5860円、300kmまでが7240円、400kmまでが8450円となる
  • ルートは京都・大阪~出雲市の山陰ルート(夜行)、大阪~下関の山陽ルート(昼行)、京都~新宮の紀南ルート(夜行/昼行)の3つ
    • また四国・城崎温泉・岡山へ特別運行を行ったこともある
    • 大阪~出雲市はかつての夜行快速ムーンライト八重垣と同じルートを走行し大阪~下関間は特急つばめ・はと、京都~新宮間は特急くろしおと同じルートを走行する
  • 使用車両は117系6両で京都所属のT2編成が改造された

日本海

  • 大阪と青森を結んでいた寝台特急
  • 1947年に夜行急行として運転開始
  • 1968年に特急格上げ、ブルートレイン化
  • 1969年に北陸トンネル内で火災が起きこの時運転士が機転を利かせトンネル内で停車させずに脱出してから消火活動を行ったので死傷者を出さなかった
    • その後この運転士は処分を受けるが3年後に起きた北陸トンネル列車火災事故で規約が改正され運転士の処分も撤回された
  • 1988年に青函トンネル開業で函館まで延長されたが2006年に青森までに戻された
    • 当初は札幌まで延長する計画があったそうな
  • 2012年に定期運行が廃止、その後臨時列車として運転されたが2013年を最後に設定されなくなり事実上廃止された

トワイライトエクスプレス

  • 大阪と札幌を結んでいた寝台特急
  • 1989年運転開始、臨時列車だが多客時には団体専用含めほぼ毎日運転となることもあった
    • 走行距離は下りが1495.7km、上りが1508.5kmと廃止まで日本一長い特急列車だった
  • 停車駅(大阪・札幌除く)は新大阪・京都・敦賀・福井・金沢・高岡・富山・直江津・長岡・新津・洞爺・東室蘭・登別・苫小牧・南千歳
  • 車両は24系客車を改造したものでA寝台個室(2人用スイート・1人用ロイヤル)・レストランカー(食堂車)・サロンカーを連結しB寝台も個室率が高く4人用のBコンパートもあった
  • 牽引機はEF81(専用塗装)・ED79(青函トンネル内)・DD51(北海道内)でEF81はたまに一般塗装が代走に入ることもあった
  • 2015年3月12日に廃止、ラストランの切符は一瞬で完売し始発から大阪駅切符売り場に行列ができ大阪駅で購入できたのはたった1名だけだった

特別なトワイライトエクスプレス

  • 2015年の廃止後も旅行会社などから団体列車として運用してほしいと要望があったのでJR西日本は客車の検査期限が切れるまでの間ツアー列車として運行することを決定
    • この特別なトワイライトエクスプレスは編成を組み換え客室は全てA寝台のロイヤルとスイート+食堂車とサロンカーを連結した編成で運行される*1
  • 2015年5月から西日本管内でツアー運行が始まり2015年7月から大分デスティネーションキャンペーンが開催され九州への乗り入れを実施
    • 9月には九州往復運行が行われた
  • 2016年3月に運行終了、トワイライトエクスプレスの愛称はトワイライトエクスプレス瑞風に引き継がれた
  • EF81-103・スロネフ25-501・スシ24-1・オハ25-551・カニ24-12が京都鉄道博物館のトワイライトプラザで保存されている

つるぎ

  • 大阪と新潟を結んでいた寝台特急
  • 1961年に大阪と富山を結ぶ準急列車として運転開始(高岡から富山は普通列車扱い)
  • 1963年に大阪から金沢までが急行格上げ(金沢~富山は普通列車扱い)、1965年に完全に急行格上げされた
  • 1972年に特急格上げされ新潟まで延長されるも1982年から米原経由になり1985年に583系化される
    • そのこともあってつるぎの利用者は低迷
  • 1994年に臨時列車化、1996年廃止
    • その後2009年に団体専用としてリバイバル運転された
  • 2015年の北陸新幹線開業で金沢~富山のシャトル列車としてつるぎの愛称が復活

あかつき

  • 京都と長崎を結んでいた寝台特急
  • 1965年に関西と九州を結ぶ寝台特急として登場
    • 実は1958年から1964年まで東海道線の夜行急行にもあかつきの愛称がついてた
  • 全盛期には1日7往復も運転されていた
  • 新幹線開業や高速バス・飛行機との競合で徐々に数を減らし2008年廃止
    • 末期は彗星やなはと併結していた
    • 名古屋博多間の特急金星と競合していたこともある

彗星

  • 京都と南宮崎を結んでいた寝台特急
  • 1968年に新大阪と宮崎を結ぶ寝台特急として運転開始
    • 実は1950年~1956年と1957年~1964年まで東京と大阪を結んでいた寝台特急として彗星の愛称が使われていた
  • 1975年からは583系も使用しはじめ全盛期は1日5往復も運転されていた
  • 末期はあかつきとの併結もあったが4両という短い編成で運行され2005年廃止

なは

  • 京都と西鹿児島(現鹿児島中央)を結んでいた寝台特急
  • 1968年にかもめの西鹿児島編成を独立させ大阪と西鹿児島を結ぶ特急として登場
    • この時はまだ昼行特急だった
    • 愛称は当時領土返還運動が起きていた沖縄県の県庁所在地那覇市が由来で琉球新報で公募を行った結果命名された
      • 西鹿児島到着後沖縄行フェリーに乗り換えることも可能だった
  • 1973年に使用車両を485系へ変更される
  • 1975年の山陽新幹線全通で583系運転の寝台特急になり新大阪発着になった
  • 1984年にブルートレイン化される
  • 2004年に九州新幹線先行開業で熊本発着に変更される
  • 2005年にあかつきと鳥栖まで併結運転になり京都発着になる
  • 2008年3月で廃止

明星

  • 京都と西鹿児島を結んでいた寝台特急
  • ヨンサントオ特大ダイヤ改正で登場で最大7往復運転されていた
  • 1975年から衰退しはじめ末期はあかつきとの併結便だけだった
  • 1990年に臨時急行霧島へ格下げされ愛称消滅

安芸

  • 新大阪と下関を呉線経由で結んでいた寝台特急
  • 実は1950年から1970年の東京広島間を結んでいた急行、1970年~1972年の新大阪三原間の急行、1972年~1975年の岡山広島間の急行でも安芸の愛称が使われていた
  • 1975年に新大阪~下関の急行音戸を格上げする形で登場
  • 1978年に廃止

月光・金星

  • 月光はヨンサントオ特大ダイヤ改正1年前に新大阪博多間で運転を開始した寝台特急
    • 使用車両は581/583系と世界初の電車寝台特急だった
  • 1975年の山陽新幹線全通で月光は廃止された
  • 金星は月光が好評だったのでヨンサントオ特大ダイヤ改正で名古屋博多間を結ぶ寝台特急として登場
  • 月光廃止後も金星を運転を続け1982年廃止
    • 廃止後も臨時列車としてしばらく愛称が残っていた

きりしま

  • 京都と西鹿児島を結んでいた寝台特急
    • 登場当初は日本一長い電車特急だった
  • 1975年に明星に吸収される
  • 1990年に明星のダイヤで臨時急行霧島として復活
  • 現在はJR九州のL特急に引き継がれている

九州内完結

桜島

  • 博多と西鹿児島を結んでいた臨時寝台特急
  • 1985年に急行かいもんの増発便として運転開始
  • 1990年廃止

コメ欄


*1 B寝台は業務用としての扱い