特定地方交通線とは国鉄末期の1980年に制定された「国鉄再建法」により1977年度から1979年度までの平均輸送人員で幹線と地方交通線に分割し
地方交通線の中でも輸送密度が4000人未満のローカル線はバス転換が適当であると判断して「特定地方交通線」に指定し粛清対象としたもの
輸送密度等の条件を勘案して第一次・第二次・第三次と三回に分け廃止対象路線を選定し廃止申請が取り下げられた2線を除くすべての路線がバス転換または第三セクター鉄道へ移管された
第一次特定地方交通線に指定され廃止された赤谷線のさよなら列車
概要
1980年10月に国鉄再建法が成立し1981年3月に施行令が出された
国有鉄道線路名称に準じて国鉄再建法施行令別表に出された路線を対象に同月出された運輸省告示で
国鉄再建法施行令で定められた1977年から1979年の平均輸送人員等によって国鉄線を幹線と地方交通線に分類
さらに地方交通線の中でも輸送密度が4000人/日未満の路線はバス転換が適当であるとして「特定地方交通線」に指定し廃止対象としたもの
この時の国鉄では赤字ローカル線を大量に所有していた鉄建公団が全ての元凶だが
ただし例外もあり下記の条件を満たしている場合は廃止を免れることができた
- 1.ピーク時の乗客が一方向あたり1000人を超える路線
第一次では該当なし、第二次では飯山線、第三次では宗谷本線・石北本線・富良野線・札沼線・江差線・津軽線・八戸線・五能線・米坂線・磐越東線・烏山線・水郡線・小海線・参宮線・姫新線・因美線・境線・福塩線・芸備線・可部線・山口線・小野田線・香椎線・唐津線・後藤寺線・日田彦山線・三角線が廃止対象から除外された - 2.代替輸送道路が未整備
第一次では該当なし、第二次では深名線・岩泉線・名松線・木次線・三江線・予土線、第三次では山田線・日南線・肥薩線が廃止対象から除外された(名松線と岩泉線は元は廃止対象だったがこの理由で除外された) - 3.代替道路が雪で年10日以上通行不能
第一次・第三次では該当なし、第二次では只見線と越美北線が除外された - 4.平均乗車キロが30km超え、輸送密度が1000人/日以上
第一次では該当なし、第二次では釧網本線・留萌本線・日高本線・大湊線・気仙沼線、第三次では花輪線・釜石線・北上線・大船渡線・陸羽西線・小浜線・吉都線が除外された - 5.貨物輸送密度が4000t/日以上
この条件で夕張線と美祢線が除外された
しかし鉄道評論家の川島令三は第三次特定地方交通線に指定された岡多線について「1998年の輸送密度から見て第三セクターではなくJR東海の路線になってもおかしくない、国鉄は各線の事情を一切考慮せず一律に指定してしまうというミスを犯してしまった」と指摘している
また伊勢線についても「伊勢線の営業成績が悪かったのは伊勢鉄道に継承された時点で普通列車が7往復/日、特急南紀も4往復/日と国鉄の消極的経営の結果であり名古屋と南紀・伊勢志摩方面の短絡線として積極経営すれば国鉄の重要路線となっていたはず」と当時の国鉄の経営姿勢と伊勢線の第三セクター転換に疑問を投げかけたうえで「機械的に地方交通線に指定するのは疑問だという声は大きかった」と述べている確かに伊勢線を名古屋~南紀・伊勢志摩間の短絡線として活用すれば近鉄特急に十分対抗できる、なぜ国鉄は伊勢線を捨てたんだろう今頃JR東海が「捨てなきゃよかった」と嘆いていますよ
また松本典久は第一次特定地方交通線に指定された勝田線に対して「起点が福岡市内の吉塚駅(博多駅の隣)で沿線も福岡市の工場やベッドタウンがある、国鉄がちゃんと策を講じていれば十分生き残ることができたと思われる」と指摘している
第一次特定地方交通線
1982年までに廃止するとして1981年9月18日に廃止承認された路線、基準は以下の通り
- 1.営業キロ30km以下の盲腸線かつ輸送密度2000人/日未満
(石炭輸送量72万t以上の路線は除外、これにより幌内線と歌志内線が除外されたが第二次でも対象となる) - 2.営業キロ50km以下かつ輸送密度500人/日未満
廃止された路線
国鉄時代に廃止
- 白糠線:1983年10月23日、バス転換
- 久慈線:1984年4月1日、三陸鉄道へ転換
- 宮古線:1984年4月1日、三陸鉄道へ転換
- 盛線:1984年4月1日、三陸鉄道へ転換
- 日中線:1984年4月1日、バス転換
- 赤谷線:1984年4月1日、バス転換
- 魚沼線:1984年4月1日、バス転換
- 清水港線:1984年4月1日、バス転換
- 神岡線:1984年10月1日、神岡鉄道へ転換 2006年12月1日廃止
- 樽見線:1984年10月6日、樽見鉄道へ転換
- 黒石線:1984年11月1日、弘南鉄道へ転換 1998年4月1日廃止
- 高砂線:1984年12月1日、バス転換
- 宮原線:1984年12月1日、バス転換
- 妻線:1984年12月1日、バス転換
- 小松島線:1985年3月14日、バス転換
- 相生線:1985年4月1日、バス転換
- 渚滑線:1985年4月1日、バス転換
- 万字線:1985年4月1日、バス転換
- 北条線:1985年4月1日、北条鉄道へ転換
- 三木線:1985年4月1日、三木鉄道へ転換 2008年4月1日廃止
- 倉吉線:1985年4月1日、バス転換
- 香月線:1985年4月1日、バス転換
- 勝田線:1985年4月1日、バス転換
- 室木線:1985年4月1日、バス転換
- 矢部線:1985年4月1日、バス転換
- 岩内線:1985年7月1日、バス転換
- 興浜北線:1985年7月1日、バス転換
- 大畑線:1985年7月1日、下北交通へ転換
- 興浜南線:1985年7月15日、バス転換
- 美幸線:1985年9月17日、バス転換
- 矢島線:1985年10月1日、由利高原鉄道へ転換
- 明知線:1985年11月16日、明知鉄道へ転換
- 甘木線:1986年4月1日、甘木鉄道へ転換
- 高森線:1986年7月1日、南阿蘇鉄道へ転換
- 丸森線:1986年7月1日、阿武隈急行へ転換
- 角館線:1986年11月1日、秋田内陸縦貫鉄道へ転換
JR化後に廃止
- 信楽線:1987年7月13日、信楽高原鉄道へ転換
- 若桜線:1987年10月14日、若桜鉄道へ転換
- 木原線:1988年3月24日、いすみ鉄道へ転換
第二次特定地方交通線
輸送密度2000人/日未満の路線が選定された
1984年に27選を承認し6線を保留したが天北線・名寄本線・池北線・標津線は代替輸送に問題がなくなったとして1985年8月2日に追加承認された
岩泉線と名松線は代替道路が未整備なため廃止が撤回された(岩泉線は2014年に廃止されました)
国鉄時代に廃止
- 漆生線:1986年4月1日、バス転換
- 胆振線:1986年11月1日、バス転換
- 富内線:1986年11月1日、バス転換
- 阿仁合線:1986年11月1日、秋田内陸縦貫鉄道へ転換
- 越美南線:1986年12月11日、長良川鉄道へ転換
- 宮之城線:1987年1月10日、バス転換
- 広尾線:1987年2月2日、バス転換
- 大隅線:1987年3月14日、バス転換
- 二俣線:1987年3月15日、天竜浜名湖鉄道へ転換
- 瀬棚線:1987年3月16日、バス転換
- 湧網線:1987年3月20日、バス転換
- 士幌線:1987年3月23日、バス転換
- 伊勢線:1987年3月27日、伊勢鉄道へ転換
- 佐賀線:1987年3月28日、バス転換
- 志布志線:1987年3月28日、バス転換
- 羽幌線:1987年3月30日、バス転換
JR化後に廃止
- 幌内線:1987年7月13日、バス転換
- 松前線:1988年2月1日、バス転換
- 歌志内線:1988年4月25日、バス転換
- 標津線:1989年4月30日、バス転換
- 天北線:1989年5月1日、バス転換
- 名寄本線:1989年5月1日、バス転換
- 池北線:1989年6月4日、北海道ちほく高原鉄道へ転換、2006年4月21日廃止
- 会津線:1987年7月16日、会津鉄道へ転換
- 真岡線:1986年4月11日、真岡鉄道へ転換
- 足尾線:1989年3月29日、わたらせ渓谷鉄道へ転換
- 岩日線:1987年7月25日、錦川鉄道へ転換
- 山野線:1988年2月1日、バス転換
- 松浦線:1988年4月1日、松浦鉄道へ転換
- 上山田線:1988年9月1日、バス転換
- 高千穂線:1989年4月28日、高千穂鉄道へ転換、2005年休止2008年廃止
第三次特定地方交通線
1986年5月27日、10月28日と1987年2月3日にわたって廃止承認された路線
選定基準は輸送密度4000人/日未満で岡多線・能登線・中村線・長井線に関しては廃止対象としての選定を運輸省に希望したほど
なお廃止承認が成立したのは国鉄爆発直前だったため全線がJR化後に三セクまたはバスに転換された
廃止路線
- 長井線:1988年10月25日、山形鉄道へ転換
- 岡多線:1988年1月31日、愛知環状鉄道へ転換、特定地方交通線では転換時点で唯一の電化路線
- 能登線:1988年3月25日、のと鉄道へ転換、2005年4月1日廃止
- 宮津線:1990年4月1日、北近畿タンゴ鉄道(現京都丹後鉄道)へ転換
- 鍛冶屋線:1990年4月1日、バス転換
- 大社線:1990年4月1日、バス転換
- 中村線:1988年4月1日、土佐くろしお鉄道へ転換
- 伊田線・糸田線・田川線:1989年10月1日、平成筑豊鉄道へ転換
- 湯前線:1989年10月1日、くま川鉄道へ転換
- 宮田線:1989年12月23日、バス転換