はつかり(特急)は国鉄・JR東日本が上野~青森を常磐線・東北線経由で運行していた特急列車
東北新幹線開業後は盛岡~青森に短縮し青函トンネル開業後は函館まで乗り入れていた
歴史
- 1958年
- 上野と青森を常磐線・東北線経由で結ぶ特急として運転開始
当時の東北線は北部に非電化区間や単線区間が多かったため蒸気機関車による客車列車で所要時間は約12時間だった
停車駅:上野・水戸・平(現いわき)・仙台・一ノ関・盛岡・尻内(現八戸)・青森
同年には第1回アジア鉄道首脳会議が東京で開かれ1960年の第2回首脳会議も東京で開かれることになり
次回会議の目玉車両として非電化路線向けの特急車両を作ろうということになりディーゼル特急が開発されることになった
- 上野と青森を常磐線・東北線経由で結ぶ特急として運転開始
- 1960年
- 使用車両を蒸気機関車牽引の客車列車から気動車のキハ81系へ変更された
このキハ81系は第2回アジア鉄道首脳会議に間に合わせるため急ピッチで製造したため会議では各国の強い関心を得ることに成功したが
いざ特急はつかりに導入してみると7ヶ月の間に13回も故障を起こすというE331系も真っ青になるほどの伝説を打ち立てた
原因は水平シリンダー式のDMH17H形エンジンが垂直シリンダー式エンジンよりも弱点が多く車重増加を無視して歯車比を下げたことや
製造メーカー9社が別々にエンジンを作ったため性能が安定しなかったこと、
開発を急ぎすぎたため試運転を十分に行わず水平シリンダー式エンジンや長距離高速運転の問題点を見つけることができなかったことが上げられる
故障の一例をあげると- エンジン故障が多発し編成出力が低下したことによる遅延がたびたび発生
- 勾配区間ではエンジンがオーバーヒートし立ち往生することもあった
- 発電用のエンジンも壊れやすく冷暖房設備がたびたびダウンした
- 中には故障個所から火を噴くなど一歩間違えれば爆発などの重大事故になりかねない事態もあった
- これらのトラブルが多発し当時のマスコミからは「はつかりがっかり事故ばっかり」「特急がっかり」「折角乗ったお客さんはがっかりです」などと揶揄された
国鉄側もこの事態を受け止め勾配のキツイ奥中山にある御堂駅と小鳥谷駅で運転停車しエンジンの点検や冷却を確認するようになったほか
キハ80系2次車以降はエンジンに改良を施し故障の頻度は少なくなった
- 使用車両を蒸気機関車牽引の客車列車から気動車のキハ81系へ変更された
- 1968年
- 東北本線全線電化や上野仙台間複線化に伴い使用車両を583系へ変更、常磐線を経由しなくなり全区間東北線を走行することになった
1M・2M停車駅:上野・宇都宮・福島・仙台・盛岡・青森
2021M・2022M:上野・大宮・郡山・福島・仙台・盛岡・尻内・青森
- 東北本線全線電化や上野仙台間複線化に伴い使用車両を583系へ変更、常磐線を経由しなくなり全区間東北線を走行することになった
- 1970年
- 新たに1往復増発、2021M・2022Mの停車駅に野辺地と浅虫(現浅虫温泉)が追加された
1M・2M停車駅:上野・宇都宮・福島・仙台・盛岡・青森
2021M・2024M:上野・大宮・宇都宮・郡山・福島・仙台・一ノ関・花巻・盛岡・八戸・三戸・浅虫・青森
2022M・2023M:上野・郡山・福島・仙台・盛岡・八戸・野辺地・浅虫・青森
- 新たに1往復増発、2021M・2022Mの停車駅に野辺地と浅虫(現浅虫温泉)が追加された