
| 最高速度 | スラスト | 定員 | 貨物の種類 | 搭載速度 | 重量 | サイズ | 年代 | 寿命 | 維持費 |
| 時速828km | 24,065重量kg | 37人 | 人 | 7.0倍 | 44,000kg | 大 | 1992~現役 | 50年 | 2,861,609/年 |
ゲーム内説明
A320という呼称は厳密にはオリジナルの中型航空機のみを意味しますが、口語的にはA318/A319/A320/A321ファミリーの他のモデルにも使用されます。
概要
今現在の主流の航空機であるエアバス社の中型旅客機です。Boeing 757-200は搭載量が多い反面維持費が高額なのがネックでしたが、こちらは定員を2/3程度に減らしたものの維持費を半分まで減らすことに成功した機体です。搭載速度、速度、出力、維持費どれも申し分なく、リアルの世界と同じように今後の旅客路線の主流となり得る機体です。
史実

※全日本空輸(左上)、ユナイテッド航空(中上)、ルフトハンザドイツ航空(右上)、エールフランス(左下)、ブリティッシュエアウェイズ(中下)、中国東方航空(右下)
| 製造国 | 製造会社 |
| ヨーロッパ各国 | エアバス社 |
エアバスA320は単通路型の双発ジェット旅客機です。ゲーム内の説明文にもある通り、A320を基本形としたA320ファミリーを構成しています。世界中いたる所の大小様々な航空会社で採用されており、エアバス社をアメリカのボーイング社と肩を並べるまでに成長させた立役者でもあります。1機あたり1億ドルします。
ちなみに「エアバス」とは、“バスのように気軽に利用できる飛行機の時代”という意味の航空用語をそのまま社名にしたものです。
A320は民間の旅客機としては世界で初めてとなる“フライ・バイ・ワイヤ”を搭載しました。これにより機体重量の低減や整備性の向上につながりました。コックピットもアナログ計器ではなく液晶ディスプレイなどを多用したグラスコックピット化がなされました。フライ・バイ・ワイヤの導入は、商品力の向上のみならず、今後生産される全ての機体に同様のシステムを導入することで小型機から大型機に至る様々な航空機の操縦性を共通化するという目的がありました。これにより操縦操作や感覚を共通化することに成功し、飛行訓練の効率化を図ることができました。
機体形状にも気を配っており、品質の長期保証、整備性の向上、部品数の削減が行われ、部材としてアルミ合金、チタン合金、複合材料が多く取り入れられました。その結果、航続距離は約5556kmとこのサイズの航空機にしては標準的かそれよりも少し長い程度になりました。主翼形状も最新のコンピューターによる三次元解析を活用して設計され、燃料タンクになる厚みと空力的な薄さと軽量化とフラップ形状による操縦性を高い次元で両立することに成功しました。
エンジンは当初相応しいエンジンが見つけられませんでしたが、CFMインターナショナル社のCFM56-2を候補としました。その後改良型であるCFM56-4が1983年に開発が決定され、採用が決定しました。その翌年に日英米独伊共同開発のV2500の開発も決定し、そちらも採用し、エンジンは選択式となりました。なお、CFMインターナショナル社はV2500が競争相手となったことでCFM56-4では不十分と判断し、CFM56-5を開発することになります。
来歴
1970年。アメリカのメーカーに対抗するため、ヨーロッパの航空機メーカーは共同で企業連合「エアバス・インダストリー」を設立し、世界初の双通路型のA300を開発しました。しかしA300はノウハウ不足などから、航続距離が不足していたり、信頼性の不足などが指摘され、売上は苦戦し、エアバス社は膨大な赤字を抱えることになります。ですがフランス政府と西ドイツ政府の資金援助もありなんとかその苦境を乗り切ることに成功しました。
エアバス社はまだまだボーイング社やマクドネル・ダグラス社の大型小型、長距離型から短距離型まで幅広く網羅する圧倒的なシェアには敵わない状況でした。エアバス社はこれらの独占市場に対抗馬となる機体を投入して、自ら彼らに真っ向から勝負をしかける必要がありました。
丁度その頃、市場ではボーイング727、DC-9、BAC1-11、シュド・カラベルなど定員150席程度の中型機の更新時期が迫ってきていました。それに加え世界的に中距離用の航空路線の需要が伸びてきており、今後20年間で3000機もの需要が見込める状況にありました。各国の航空機メーカーはこぞってこの需要を満たす新型機を開発しだすことになります。エアバス社も開発をはじめましたが、アメリカの航空機メーカーは、台頭してきたエアバスという企業連合を切り崩そうと企業連合下の欧州のメーカーに共同開発を打診して足並みを乱れさせることを画策しました。しかし結果的にはそれは欧州の航空機メーカーを逆撫でする結果となり、「米国に負けるな!」と、1977年に共同で JET (Joint European Transport)プロジェクトを立ち上げました。参加メーカーは「アエロスパシアル(フランス)」「メッサーシュミット・ベルコウ・ブローム(ドイツ)」「VFW-フォッカー(ドイツ)」「ブリティッシュ・エアロスペース(イギリス)」でした。
これはエアバスの計画ではありませんでしたが、参加メーカーは大半がエアバスの構成企業であり、唯一加盟していなかったブリティッシュ・エアロスペース社も79年にエアバスに加盟しました。これによりJETプロジェクトはエアバスに継承され「SAプロジェクト」と命名されました。SAとは単通路(Single Aisle)から取られています。
エアバス社はSAプロジェクトの案3つのうち150席級の案に注力することを決定し、1981年に機体名をA320と命名しました。そのころ第二次オイルショックが発生し、航空業界にもその影響で各航空会社は燃費対策に追われていました。アメリカの大手航空会社である「デルタ航空」と「ユナイテッド航空」は燃費性能に優れた150席級旅客機の要求仕様を策定し、エアバス社はその要求に勝ちするようにA320の仕様をまとめました。
しかし、A320の開発はドイツとイギリスが開発費の負担に難色を示したため3年も遅れることになってしまいました。
イギリスの情勢は特に複雑で、ロールス・ロイス社のエンジンを使った日英共同開発事業が先行き不透明によって新たな計画に追加出資を行わなければなりませんでした。新たな計画はアメリカP&W社、イギリスRR社、ドイツMTU社、イタリアのアヴィオ社、それに日本の川崎重工、三菱重工、IHIの共同事業で、「V2500」というエンジンを開発する計画でした。このエンジンはA320のエンジンにも搭載が予定されており、イギリスはA320にも出資する必要に迫られていました。
このため、エアバスはイギリスが出資しやすいように、日本やカナダにもエアバス連合への加盟を打診しましたが、日本はボーイング社との連携のため断り、カナダも採算性に問題ありとして断られました。このような厳しい状況下でしたが、1984年に英・独・仏の三カ国首脳が会談し、A320への金融支援を行うことを決定しました。これにより資金の目処が立ち、1984年3月2日、ようやく開発・製造がスタートしました。
生産は他のエアバス機と同様に各国の工場で部品が生産されます。フランスが“機首・胴体前部・中央翼・エンジンパイロン・客室扉”を。ドイツが“胴体後部・テイルコーン・主翼フラップ・垂直尾翼”を。イギリスが“主翼本体・主脚フェアリングの一部”を。スペインが“水平尾翼・主脚フェアリングの一部”を。ベルギーが“主翼前縁スラット”を担当しました。エンジン本体はアメリカのCFMインターナショナル社の“CFM56-5”と先述した5カ国共同開発の“V2500”からの選択式になりました。
完成した部品は大型輸送機「スーパーグッピー」もしくは「ベルーガ」でフランス南部のトゥールーズまで輸送され組み立てられます。組み立て完了した機体は初飛行も兼ねてドイツのハンブルグに移動します。ハンブルグで内装作業を終えた機体は再びトゥールーズに移動し、そこで顧客へ引き渡されます。
エアバスA320は1988年3月26日にエールフランスに引き渡されて以来、世界中の航空会社に導入され、最近ではLCC(格安航空会社)にも採用が広がっています。派生型(ファミリー機)の開発も活発で、様々な型が生産されています。2020年現在。最新のものは“A319neo”で、“A321XLR”が2023年の納入を目指して開発中です。