ドイツ RankIII 駆逐戦車 Jagdpanzer IV
概要
初エイプリルフールイベント 【FLYING IS MAGIC】にて実装されたガチャ限定車両で、現在は入手不可となっている。
四号戦車と同じ7.5cm PaK 39 L/48 砲を搭載した駆逐戦車。
MG42を使用できるのでオープントップの車両をMG42でメチャクチャにしてしまおう
車両性能
項目 | 数値 |
---|---|
砲塔旋回速度(°/s) | 13.93 |
俯角/仰角(°) | -8/15 |
リロード速度(秒) | 5.9 |
スタビライザー/維持速度(km/h) | 無し/ - |
車体装甲厚 (前/側/後)(mm) | 60 / 30 / 22 |
砲塔装甲厚 (前/側/後)(mm) | 60 / 30 / 22 |
重量(t) | 24.5 |
エンジン出力(hp) | 572 |
3,000rpm | |
最高速度(km/h) | 44 |
実測前進~後退速度(km/h) | *** ~ -*** |
視界(%) | 64 |
乗員数(人) | 4 |
武装
名称 | 搭載数 | 弾薬数 | |
---|---|---|---|
主砲 | 75 mm PaK39 L48 cannon | 1 | 79 |
機銃 | 7.92mm MG42 machine gun | 1 | 1200 |
弾薬
名称 | 砲弾名 | 弾種 | 弾頭 重量 (kg) | 爆薬量 (kg) | 初速 (m/s) | 貫徹力(mm) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
10m | 100m | 500m | 1000m | 1500m | 2000m | ||||||
75cmm PaK 39 L/48 | PzGr 39 | APCBC | 6.8 | 28.9 | 770 | 145 | 143 | 130 | 116 | 104 | 93 |
PzGr 40 | APCR | 4.1 | - | 990 | 182 | 177 | 159 | 144 | 122 | 107 | |
HI.Gr 38B | HEAT | 4.4 | 872.1 | 450 | 80 | ||||||
Sprgr. 34 | HE | 5.74 | 686 | 550 | 10 |
発煙弾
砲弾名 | 弾種 | 弾頭 重量 (kg) | 爆薬量 (g) | 初速 (m/s) | 貫徹力(mm) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
10m | 100m | 500m | 1000m | 1500m | 2000m | |||||
K.Gr.Rot Nb. | Smoke | 6.2 | 50 | 540 | - |
装備
設置場所 | 装備名 | 説明 |
---|---|---|
車体 | 発煙弾発射機 | 視界前方に煙幕を張る |
小隊ツリー
前車両 | Sd.Kfz.234/4 |
---|---|
次車両 | オストヴィント |
解説
特徴
【火力】
同じ小隊内の他車両と同じ性能の主砲を搭載している。火力不足を感じる場面が多いかもしれない。
射会が狭いため、固定砲塔の戦車に慣れていないと扱いが難しいだろう。
【防御】
60mmの上部正面装甲は45°に傾斜しているため、実質的な装甲厚は100mmほどに相当する。しかしランクⅢ以降は高貫通の車両が多数存在しているため正面を貫通される事は少なく無い。かと言って昼飯で防御しようとすると、30ミリしかない側面装甲が脚を引っ張るため注意が必要だ。
【機動性】
30から40キロほどの速度で動けるためそこまで不便には感じないだろう。
【総評】
火力不足感が否めないものの、それ以外は特にこれと言ってクセのない駆逐戦車と言えるだろう。
史実
1943年8月19-20日の会議で前月のクルスクの戦いの報告を読んだアドルフ・ヒトラー総統は、突撃砲は敵戦車に包囲されない限り、当時の主力戦車であったIV号戦車よりも優れた戦闘力を持つと確信した。ヒトラーはIV号戦車の車体を用いた戦車駆逐車の開発を命じ、これは、IV号戦車駆逐車(Panzerjäger IV)として同年10月20日にフォーマーク社の試作車が完成した。
完成した試作車は、IV号戦車の車体に全高の低い戦闘室を設け、この内部にパンター戦車の7.5 cm L/70砲を搭載するものであった。しかし、長砲身(70口径)の7.5 cm L/70砲はパンターへの供給が優先され、試作車(O型)はIV号戦車と同じ砲身長(48口径)の7.5 cm L/48砲を搭載していた。試作車を査閲したヒトラーは主砲を早急に長砲身7.5 cm砲に変更することを命じつつ、IV号戦車の生産をこの戦車駆逐車に切り替えることを指令し、名前もIV号駆逐戦車(Jagdpanzer IV)に変更させた。
生産は翌年1944年から開始され、同年1月にフォマーク社は最初の30両を生産した。この時期フォマーク社はまだIV号戦車を製造しており、同年5月まで並行して生産を続けつつ、生産ラインを切り替える計画となっていた。以降、生産ラインの初期トラブルの続発や連合軍の空襲による混乱に悩まされつつも月産数は徐々に増加し、1944年4月には月産100両を超え、同年7月には140両に達している。1944年8月からは長砲身70口径7.5cm対戦車砲装備型の生産が並行する形で開始され、48口径7.5cm砲搭載型は1944年11月に2両が完成して打ち切られ、以降はIV号駆逐戦車改め「IV号戦車/70(Panzer IV/70)と命名された長砲身型のみが生産された。
IV号駆逐戦車は早急に数を揃えるため、IV号戦車からの生産ラインの切り替えを容易にするべく、IV号戦車J型の車台の上にそのまま戦闘室を載せた形式のものが開発され、このタイプの車両は生産がアルケット社で行われたため、IV号戦車/70(A)(Panzer IV(A)※「A」はアルケット社の頭文字から)の制式名称が与えられた(これによりフォマーク社が製造したタイプはIV号戦車/70(V)(Panzer IV(V)※「V」はフォマーク社の頭文字から)として区別された。なお、“(A)”型には“ZL型”の通称もあり、ZL とは"ドイツ語: Zwischen Lösung"の略で、「(2つの案の)暫定解決型」の意味である。
IV号駆逐戦車は1944年3月から機甲師団や機甲擲弾兵師団の戦車猟兵大隊に配備され、以後東西両戦線で終戦まで運用された。
ブルガリア、ソフィアの国立歴史歴史博物館に展示されているIV号戦車/ 70(V)
(2014年撮影)
ドイツ軍の他、ブルガリアでは連合軍への降伏後の対ドイツ戦に際して1945年3月にソビエトから2両の鹵獲品(48口径型1両、VI/70(V)1両)が供与され、この2両は戦後もソビエト製装甲戦闘車輌が供給されて置き換えられる1950年代半ばまで装備されていた。その後はVI/70(V)が博物館に収蔵され、48口径型は他のドイツ製戦車と共にブルガリアの南方国境(トルコ国境)に固定砲台(トーチカ)として配置された。48口径型は冷戦後は半ば忘れ去られたまま放置されていたが、2000年代に入って発見されて回収され、2007年よりは修復の上博物館に展示されている。また、ルーマニアは戦後に社会主義体制が発足した際にソビエト赤軍が鹵獲した車両1台を与えられ、“ TAs T4”の制式名称で1950年まで装備していた。
シリアが1950年代に入手した第2次世界大戦時のドイツ軍戦車の中にIV号駆逐戦車もあり、フランスから入手した[1]6両の初期型車体48口径型は第3次中東戦争で使用されている。
構成
IV号駆逐戦車のシャーシは基本的にはIV号戦車のものと同等であるが、車体前面下部の装甲板はIV号戦車の直立した形状から、角度を持った2面構成に変更されている。IV号戦車でも車体前面の傾斜装甲化は検討されていたが、組み立て治具の交換のために従来の生産ラインを止めることができず、新たに下請けメーカーであるフォマーク社の工場で、専用シャーシの生産ラインを作った駆逐戦車のみで実現したものである。
主砲として48口径の7.5 cm PaK 39 L/48砲を備え、シャーシ上に砲架を据えた突撃砲型と異なり、前面装甲版に直接接合したカルダン枠砲架となったため、車内が広く使えるようになった。生産性も向上した反面、小ネタにもあるが重量が車体前方に偏るノーズヘビー化により、操縦性は低下、「グデーリアン・エンテ」(グデーリアンのあひる)というあだ名がつけられている。歩兵の肉薄攻撃に対抗するS-マイン(跳飛式対人地雷)型の擲弾を発射する近接防御兵器も搭載されたが、生産が間に合わず未搭載の車両もある。
小ネタ
本車は重量が前方に偏っていたため操縦性が悪く、「グデーリアンのアヒル」と揶揄された。
外部リンク
コメント
【注意事項】
- 荒らし行為に対してはスルーしてください。
- ページの編集要望等ありましたら編集会議?のコメント欄をご利用ください。
- 砲火力は申し分ないし、防御面も過貫通起こしまくってむしろ強い。 -- 2024-05-30 (木) 04:24:55
- ↑失礼間違えた、ナースホルンの評価と笑 -- 2024-05-30 (木) 11:23:09
- 車高低くてマップに映りにくいのか裏取り成功しやすい。装填早いし、威力も高いしで連続キルも狙いやすいから2000スコア取れる時もある。 -- 2024-12-22 (日) 00:51:46