左文字みよし(魁)

Last-modified: 2023-12-10 (日) 00:22:39
型録
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分類
属性間合い打刀小太刀_1.png
種類打刀
奥義
奥義名鳳凰翼(ほうおうよく)
効果エリア内味方:気力回復(小)
公式説明
左文字姉妹の中でもひと際自由闊達な性格の真剣少女。
その美貌に裏打ちされた自信家だが、最近は肌の焼き過ぎによるシミが気になっている。
バイタリティと強運を買われて「宗三左文字」と縁を結ぶ。 
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CV:山本 椛 (クリックでセリフ一覧が開きます)
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屋敷(好感度高)(反転)&color(foreground[,background]){text};
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屋敷(好感度低)(反転)&color(foreground[,background]){text};
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任務開始紫外線に気をつけてがんばるわ
任務完了
討伐開始(易)
討伐開始(普)
討伐開始(難)
エリア配置
エリア移動
攻撃
攻撃(ミス)
攻撃(クリティカル)
負傷
回避・無敵
敗北寸前
敗北
気合い1
気合い2
気合い3
気合い4
気合い5
休憩
奥義
勝利
離脱
首級
屋敷へ(勝利後)
屋敷へ(離脱後)
研磨(斬れ味良)
研磨(斬れ味普)
研磨(斬れ味悪)
布陣配置
リーダー任命
試斬・学舎開始
試斬・学舎成功
学舎失敗
奥義習得
奉納
奉納成功
ボイス音量調整
放置1
放置2
放置3
装備
イラストレーター:鰐皮孫ノ手 (クリックで画像一覧が開きます)



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真剣少女について

  • アプリ版リリース時から在籍。
    大人の雰囲気漂う左文字みよし(さもじみよし)さん。こう見えても左文字さよさんの妹です。自由闊達な性格が魅込まれ、数々の武将の手を渡り歩き「天下取りの刀」と言われた「宗三左文字」(そうざさもんじ)と縁をむすびました。(公式ツイッターより)。
  • チュートリアルで選択できる真剣少女、左文字三姉妹の一人。
  • さよが長女でこゆきが末っ子。みよしは次女となる。
  • 妖刀少女時の奥義の効果は「味方気力回復+敵活動停止」となっている。
  • 2022年6月30日、鉄骨海岸にて左文字みよし(妖刀少女)が捕獲可能になった。それに伴い真奥義・リーダースキルが解放された。
  • 2023年1月18日の公式Twitterにて真奥義のイラストが一部公開されている。

刀談

この刀は数々の武将の手に渡ったわ。元々は戦国時代の武将、三好政長が所有していた刀なの。だから、「みよしさもんじ」とか政長が宗三と名乗っていたことから「そうざさもんじ」とも呼ばれているわ。その後は武田氏に渡り、武田信虎の娘が今川義元に嫁いだ時に今川家に伝来したって流れ。

桶狭間の戦いって知ってるわよね?1560年、織田信長が今川義元を急襲し討ち取った有名な戦い。そうなの、その時、今川義元から奪った刀がこの刀。信長は戦勝記念に「この刀を持ってた義元を信長が討ち取ったぞー」っていう文字を刀に刻んで、自分の愛刀にしたの。とっても嬉しかったのね、カワイイ。だから「義元左文字」とも呼ばれているわ。

その後も本能寺の変の後に、豊臣秀吉が焼け跡から刀を見つけ、息子の秀頼に渡り、そして、徳川家に贈られた。徳川家では、世代が代わる際に継承の印としてこの刀を引き継いでいったみたいね。というわけで、今川、織田、豊臣、徳川と名だたる人物たちの手に渡ったこの刀は「天下取りの刀」とも呼ばれているの。あなたも天下取れるわよ、きっと。

江戸の大半を焼失した大火災、1657年の明暦の大火によってこの刀は焼かれてしまってね。越前康継によって再生されたの。かつては信長も磨り上げて短くしたり、本能寺の焼け跡から回収されたり……この刀は時代によって新たに復活しながら今日まで残ってきたものなのよ。

刀の正式名称

刀 義元左文字(別名:宗三左文字、三好左文字)
無銘中心に「永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀織田尾張守信長」と金象眼

逸話

三好宗三から武田信虎へ譲られ、信虎の嫁婿である今川義元へ婚礼の引き出物として贈られた。その為、宗三左文字と呼ばれている。
本能寺の変後は焼け跡から見つかった、あるいは織田信長の伽を務めた松尾大社の神官の娘が持って逃げ、父の元に隠したものの後に豊臣秀吉へ献上したという話も。
徳川家康の手にも渡った事、信長と家康が佩刀としたこと(秀吉に関しては不明)から「天下取りの刀」という別名がついた。

作風

筑前博多の刀工・左文字源慶の作と思われるが、「左」の文字が確認できないため確かではない。
元々は二尺六寸(78.78cm)の太刀であったが、信長が手に入れた時に磨り上げており、二尺二寸一分(約66.96cm)の刀になっている。

歴史

もとは三好政長が所有していた。
その後、武田晴信(のちの信玄)と三条の方(左大臣・三条公頼の次女)の婚姻の時に引き出物として贈られる。
更にその後、武田信虎は今川義元に娘(定恵院)を嫁がせる際にこの刀を持たせ、以降は今川義元の愛刀として大切にされた。
桶狭間の戦いに於いても、義元が帯びていたとされ、義元の討ち死にの後は織田信長の手に渡る。
信長は二尺六寸あった刀身を、五寸磨上げ二尺二寸一分にし、さらに金象嵌を入れ愛刀とした。
本能寺の変ののち、豊臣秀吉の手に渡り、子の秀頼に伝えられ、幕府を開いた徳川家康に譲られた。
以降は、徳川家の宝刀として受け継がれた。
明暦3年(1657)の大火で被害を受け、焼身となったが、越前康継に命じ再生されている。
明治に入り、信長が建勲(たけいさお)の神号を得て建勲神社が創建されると、明治2年に徳川家から信長所縁としてこの刀が寄進された。
現在も同神社にて所蔵。重要文化財に指定されている。

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