Chi-Ha Kai

Last-modified: 2025-09-24 (水) 10:52:27

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旧モデル

チハ改.png

概要

2023年2月7日(火)から 3月1日(水)までの装備補給:重火器イベントで15タスクを達成で購入可能なイベント限定の日本軍の中戦車である。
戦線統合後はBR1中戦車として使える。

BR・Tier

項目数値
Tier
BR

車両性能

項目数値
乗員(人)5
砲塔旋回速度(°/C)15°
俯角/仰角(°)-15 / +20
リロード速度(秒)3.3
最高速度(km/h)39.70
車体装甲厚
(前/側/後/底)(mm)
25/25/20/9
砲塔装甲厚
(前/側/後/底)(mm)
32/25/25/11

エンジン出力(rpm/hp)

2000/170
重量(t)15.0
視界(%)△△

武装

名称搭載数弾薬数
主砲一式四十七粍戦車砲1104(AP52:HE52)
車体機銃九七式七粍七固定機銃13000
砲塔上部機銃九七式七粍七固定機銃11000

解説

特徴

従来の九七式中戦車の主砲である、九七式五糎七戦車砲から対戦車能力向上の為、貫通力が上がった一式四十七粍戦車砲を搭載した新型タイプ。
全体的になんとも言えない性能である。

サイト FOV90で撮影 クリックで表示

1枚目が1番席の兵士がハッチから乗り出した時の視界図、2枚目がハッチから乗り出す前の照準、3枚目が砲手の照準全体図、4枚目が照準時の見え方となっている。
Chi-Ha Kai Sight 1.jpg
Chi-Ha Kai Sight2.jpg
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【火力】
特徴となる47mm戦車砲は初速と貫通力が高く対戦車戦がやりやすくなった。
相変わらず砲弾はAPHEで小口径だが同口径のAP弾より貫通後の威力は若干高い。対人戦では素直な弾道故に遠距離でも狙いやすくなった反面、旧砲塔チハと比較して榴弾の炸薬量が大幅に減少している。ダメージ範囲が3.7mと狭いことも相まって、良く狙うか数で補う必要がある。
もう一つの問題点としてはBR1-3となると同格は短砲身ながら75mm砲を装備した戦車が多いことである。
これらはHEATやAP弾などで47mm砲より貫通力を凌駕しており、榴弾は比較にならない程強力である。
(BR2戦車で47mm砲より主砲が小さいのはソ連のT-50か英のマチルダ2くらいしかない。)
高初速と手数、あとは正確な射撃でカバーしていこう。

 

【装甲】
旧砲塔チハと同じBR1相応のもの。
乗員が5名に増えたものの車内が狭いのであまり生存性が良いとは言えない。
BR2からは75mm砲や対戦車ロケットも跋扈するようになるのでワンパン撃破されることもしばしばある。
また、弾薬の配置が砲塔正面、砲塔後部、車体中央下部とまんべんなく存在するため危険極まりない…
戦況によるが極力撃たれないことが大事となる。

 

【機動性】
チハと変わりない。
後退も相変わらず早い。

 

【総論】
BR2としては小口径砲・頼りにならない装甲・微妙な機動性と全体的に性能が低いと言わざるを得ない。アップデートにより、BR1となった。
しかし、BR1-3がマッチするようになった今、75mm砲が跋扈する対米戦では運用には若干苦労する。
特にホイという全体的にこれより優れている戦車もあるのでホイのスペア以上の価値は見出せない。
とはいえまったく使えないという程性能が低いわけではなく、対戦車戦や対歩兵戦でも普通に戦える程度には使える。
通常は極力被弾しないように歩兵と進軍し、ここぞというときは先陣を切って突撃し、敵を蹂躙してやろう。

史実

詳細

日本の中戦車。秘匿名称*1チハ
現代では主に「チハ改」または「新砲塔チハ」と呼ばれている事が多い。
「九七式中戦車改」または「九七式中戦車(新砲塔)」という表記も使われているが、特に正式呼称があるわけではなく、便宜上の名称にすぎない*2
火力不足が明らかになった九七式中戦車の主砲を、対戦車戦闘を念頭に47mm戦車砲に換装したタイプ。口径は小さくなったものの長砲身化したことで砲弾の初速が上がり、装甲貫徹力が強化されている。
主砲の換装に伴って砲塔の設計が全面的に変更されており、旧砲塔型との識別は容易である。
1940年末~1941年の初頭には実用兵器としてはすでに完成しており、戦車部隊関係者からは九七式中戦車の強化案として採用するべきとの要望が挙がっていたにもかかわらず、大人の事情でなかなか量産されなかった。
Chi-Ha Kaiが正式に採用され、本格的な配備され始めたのは、太平洋戦争が勃発して数ヶ月後にあたる1942年4月以降と遅い。
この改良によってM3軽戦車を正面から撃破できるようになったが、その頃に米軍ではM4中戦車の配備が始まっており、M4中戦車と初の遭遇戦となった1944年のサイパンの戦いでは正面戦闘では太刀打ちできなかった。その後M4中戦車に対し常に劣勢を強いられたが、 フィリピンやビルマでは待ち伏せからの側面攻撃によって複数のM4中戦車を撃破し一矢報いている。
それ以外にも機甲戦力の中核を担い攻勢防衛様々な作戦に投入されて戦果を挙げるが損害も多かった。

新砲塔とは

チハ改に搭載されている砲塔のこと。従来のチハの砲塔に対してあとに作られたので新砲塔と通称されている。
当時は「制式砲塔」と呼ばれていたが、この制式というのは「正式の、本来の」という意味合いが込められている。
当初の計画では、試製中戦車チホに搭載する試作の砲塔であったが、1940年の6~9月にかけて行われた砲の性能テストではチハの車体が代用品として利用された。
試験の結果車台と砲塔ともに重大な問題は発生せず、当のチホ車が開発中止になったことにより1941年から試作兵器としてチハ改への改修指示が出された。

小ネタ

豆知識

旧砲塔チハの方では照準操作は肩当により大まかに上下左右に合わせることができたが、47mm砲では左右方向のみ肩当式になり俯仰はハンドル式*3に変更した。砲塔旋回自体は変わらずハンドル式であり、車長側にある急旋回用の補助ハンドルも使うことで砲塔を迅速に回すこともできた。

豆知識2

乗員は4人だったり、5人乗りだったり、各新砲塔チハごとにバラツキがあった。
これはいつ、旧砲塔チハから新砲塔チハに乗り換えたかによって変わったからである。
例えば、前線で乗り換えた場合は4人乗りになり、本土で乗り換えた場合は5人乗りとなることが多かった。

豆知識3

新砲塔チハは旧砲塔チハと比べ、改造により重量が15tから約16tに増加したが、船舶や鉄道による輸送には問題はなかった。
日本陸軍の使用していた輸送船は、装甲艇や特大発といった、中戦車よりも重い上陸支援用の小型船を、敵前で素早く積み下ろす必要がある為*4、吊り上げ重量が20~30tのクレーンを増設することが多かったからである*5。また既存の渡河器材や工兵機材の許容重量にも収まっていた。

出典/参考文献

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  • 佐山二郎「日本陸軍の火砲 歩兵砲 対戦車砲 他」 ( 光人社NF文庫、2011年)
  • 土門周平/入江忠国著「激闘戦車戦」( 光人社NF文庫)

コメント欄


*1 開発陣や上層部が兵器の正体を隠すために使う暗号名
*2 実際の搭乗員からは「九七」・「一式」・「チハ車改」・「中戦車」など様々な呼び方をされていた。
*3 厳密にはロックを解除することで、肩当て式と切り替えも可能
*4 クレーンでの積み下ろしは、敵の空襲を避けるため夜間の内に行われたが、車両の自走による積み下ろしと比べて膨大な時間がかかった。
*5 ただし戦局が悪化すると輸送船が粗悪になり、クレーンもスペック通りの性能が出ず、ブームが歪んでしまうような不良品が出回るようになる。