このページは最高級サレヒコーラ・パパチのアークウィスキー割り?を2.5L飲酒したのちに書き殴られています!w |
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「酒くらい自由に飲ませろ。俺はスィーザーラント国王様だ」
―エルシュルヘイナ国王飲酒事件?にてマスメディアの責任追及に対し、ヴィスマーク・イザラート本人の発言
この後に皇室関連事務員全員が頭を痛めた
ヴィスマーク・イザラート(彗:Vismallk Izalallt)とは、イザラート家の王族、スィーザーラント王国初代国王、スィーザーラント国防軍のエースパイロット。母にエミリ・イザラート?、祖父にエルンゲル3世?を持つ。最高階級は中将。飲酒王の綽名を持つ。
硝子戦争時は南プーヴェルでのキニグ・イワ・スワイゼルダ師団?所属の戦闘機パイロットとして活動し、ロマーシャ戦争、十月戦争?ではスィーザーラント空軍のパイロットとして戦争に参加。撃墜数は48機。
1991年の全スィーザーラント人の憲法?の成立に強く携わり、以後2021年までスィーザーラント国王の座を務めた。古くからトルトーリア系団体・トーラ信仰について理解が深く、エースパイロット時代は「我等が王子(Maia Zr.prins)」と呼ばれていた。
家系
旧スィーザー王家かつスィーザーラント辺境伯の家系であるイザラート家?の長男として、エミリ・イザラートとフィルデナント・フォン・アークの間の長男として誕生。スィーザーラント辺境伯位、スィーザーラント王位継承権を持つ。アーク語名ではヴィスマウク、ヴィスマルクであった。
兄弟は存在せず、一人っ子である。
略歴
少年時代
1951年、アーク帝国のアーキリアに外遊中であったエミリ・イザラートとフィルデナントの間に誕生。彼の誕生後、彼が23歳になるまでイザラート家はアークに滞在していた。ヴィスマークは当時より、王族であるにもかかわらず親戚が少なく(グラスによる粛清やエミリの病気などが強かった)、貴族社会色濃いアークの中で兄弟自慢ができないコンプレックスを抱いていた。
また、体格にも劣っており運動が苦手で、アーク貴族出身の友人は少なく、彼らとの関係もあまり良いとは言えなかった。当時からヴィスマークは体育会系なアーク貴族向け学校に反発し、アーキリアのトルトーラ人街に入り込んで文化やナシュヴ(トルトーラ詩)にのめりこんでいた。トルトーラ文化を学んでいくうちに、ヴィスマークは次第にムヴァラーゼ(トルトーリアにおける騎士同士の一騎打ち)に憧れるようになった。
しかしながら彼は自身の体格に恵まれず、陸軍学校の基準体力を下回っていたことから試験すら受けられずに思い悩むこととなった。
自身が"傭兵"のイメージの強いスィーザー人の王子であることへの葛藤も強く、
硝子戦争とキニグ・イワ・スワイゼルダへの参加
1965年、彼の"故郷"とも言えるスィーザーラントにて対グラス蜂起が発生(第二次スィーザーラント独立戦争?)。鎮圧と前後してアークにもイザラート家を頼って多数の難民が押し寄せ、アーク当局は頭を悩ませることとなった。祖父・エルンゲル3世や母エミリは多数のスィーザー人を匿ったが、この時に終生の友人となるシャール・ツィリスト?と出会っている。ツィリストとヴィスマークは歳が近く、さらにトルトーラ文化への興味などで趣味が似通っていたこともあって瞬く間に友人関係となっていった。
また、彼との交流でヴィスマークは飛行機、そしてエース・パイロットという概念を知り、飛行機乗りを目指すようになる。
硝子戦争
ヴィスマークが18歳、ツィリストが19歳の時、グラスが中央州連邦に侵攻を開始、硝子戦争が勃発した。ヴィスマークは「飛行機に乗りたい」という理由でツィリストとともに祖父・エルンゲル3世へキニグ・イワ・スワイゼルダ?師団への参加を嘆願した。最初のうちは「まだ若い」と拒否されたが、中央州がグラスに対し降伏、ジョゴルワへの侵攻を開始すると兵員不足から両者ともにパイロットとしての参加を許可。
パイロットとしての訓練を6ヶ月受けたのち、二人はジョゴルワの戦闘機に乗り、異国の空で故郷のために戦うこととなる。
彼らの初の戦場はカラカラコルの戦いで、ヴィスマークはキニグ・イワ・スワイゼルダ師団の上空制空権確保を担当、初戦で敵機2機を撃墜し帰投、ツィリストも1機を撃墜し無傷で帰投している。
この時、ヴィスマークはツィリストの機体を見て
- 「よう、ちゃんと戦ったか?」
と尋ねた。ツィリストは
- 「ああもちろん。一発も当たらんほどな」
と返したという。
最終的な硝子戦争における撃墜数は15機であり、スワイゼルダ師団の兵員からは「われらが王子(Maza'Zerkran Vismallk)」と呼ばれ、親しまれるようになった。
失言
- 「酒くらい自由に飲ませろ」ーサレヒローニアでのカデア・サミット?参加時に引き起こしたカデアサミットウィスキー密輸事件?の際、マスコミに対し。サレヒローニア国土内へのアルコールの持ち込みは禁止されている
- 「君は元テロリストかい?」—王立国防軍のトルトーラ系部隊の指揮官に対して。3日前にSNSで"トルトーラ人指揮官は殆どがテロリスト"とフェイクニュースが炎上している
- 「君たちは休暇をもらった方がいい」—北部スィーザーラントの遊牧民に対し。北部スィーザーは貧困地域で、遊牧生活を捨てて貧民となるスィーザー人が多い
- 「顔も目の色も同じで区別がつかないよ、量産品みたいだ」—東帝国人に対し、肌の色目の色ジョークのつもりだったなどと発言している
- 「実力のあるものをどしどし国王にしろ」—SNS上での発言。炎上した
- 「アルバイトですか?」—アンゴルモアのタガンに対して、SNS上での匿名発現。特定班に特定されたのちに驚かれたとのこと。
- 「お前は一生ネットのおもちゃ刑だ」特定班に対しSNS上で。失言ラッシュに国民は抱腹絶倒した
- 「このばか!あほ!間抜け!クソッたれが!」ヴェレーン市鉄道に無賃乗車した際
- 「研究者にしかわからない話をするでない」エスティオ訪問時、現地マスコミに対し
- 「奴隷はどっちだろうか?」三光騎士帝国訪問時、ラソス家からの歓迎を受けた際の民衆について
- 「ここの人間は……ちょっとプ―ヴェリアンのような感じだな。」SNR訪問時、"赤い(ゲラノド急進派)"と"赤肌"をかけている
- 「シャンパンとウィスキーもってこい」クルーダー皇太子が病床に伏せた際
- 「空中戦のコツ?ウィスキーを飲んで感覚さ」-1974年、取材に対し
- 「あーアークさ行きてぇのに議会が許してくれねぇ」-2001年、SNS上にて
名言
- 「スィーザーラント人の憲法だ。自由だ、自由だ!」