武田信廉

Last-modified: 2009-11-30 (月) 23:35:34

生まれ

1532年(1528年説もあり)武田信虎大井夫人の間に生まれる。

どんな人?

戦国武将というより、画家や影武者としての方が有名な人物。
また、達筆でもあり信玄口上の代筆役でもあった。

おいたち年表

1532年1歳誕生!幼少期は病弱で父・信虎からの情愛は薄かった。
1548年17歳この頃、諏訪衆との取次ぎ役であった。
1551年20歳兄・晴信の命により、今川義元の娘を義信の正室に迎える旨を伝えた。
1561年30歳第四次川中島の戦いにおいて兄・信繁の死もあり、親族衆の筆頭となる。また、戦時には後方支援・本陣守護を務めた。
1570年39歳高遠城主に任じられる。
1573年42歳兄・信玄が亡くなり、一族の重鎮として大島城代などの要職に任じられる。
1574年43歳この頃に出家。逍遙軒信綱と名を改める。
1575年44歳長篠の戦いにおける設楽原の合戦に参加。穴山信君と共に早々に離脱する。
1582年51歳武田崩れ?においては、大した抵抗をすることも無く、甲斐へ退却。
同年3月24日、甲府府中にて処刑される。

逸話



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祐筆の人物批評

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