天山一一型

Last-modified: 2024-04-21 (日) 01:45:44

天山一一型

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重量5.20t最高速度464.9km/h
運動性能C魚雷威力5,697
運動性-目視範囲-m
被発見距離5,000m発艦準備時間8.2s
購入ダイヤ75購入ゴールド1,500,000
必要技術兵21・機20・空32・電20
九七式の後継として設計された艦上攻撃機。
大馬力の発動機を搭載し、全金属製の4枚組プロペラや摩擦抵抗を低減する層流翼型の主翼を盛り込むことで、
九七式艦上攻撃機に対して大幅な速度向上を果たしている。

解説

  • 今のところ最高戦力となり得る航空機で、空母を戦力に導入している隊長は技術開発を進めて購入してもいい。
  • ただ、戦役で使用する場合は 撃墜にともなう収入損失が多いので注意が必要。
  • なんとグラフィック修正前は固定脚であった。(一二型も同様)
    今もぱっと見だと固定脚にも見れるかも?
  • 2023年12月28日に、モデリングが修正された。
修正前モデル

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史実での扱い

 九七式艦上攻撃機の後継機種として、1939(昭和14)年に中島飛行機が開発を始めた。海軍の要求仕様は厳しく、最大速力が時速463キロ以上、航続距離は往路に800キロ魚雷を搭載して3300キロ以上と、九七式艦攻を大きく上回るものだった。中島飛行機は、九七式艦攻に搭載した「栄」エンジンよりも強力な離昇出力1870馬力の「護」エンジンを積むことで要求仕様をクリアしようとしたが、技術的な問題も多く、実用化できたのは太平洋戦争の戦況が悪化した1943(昭和18)年8月だった。
 天山は全長11.9メートル、全幅14.9メートルと、九七式艦攻よりも機体が長く、航空母艦のエレベーターに載せられるぎりぎりのサイズだった。飛行性能は最大速力が時速481キロ、航続距離3000キロと、航続力で要求仕様を下回ったが、九七式艦攻をはるかにしのいだ。もっとも、空母からおよそ80機の天山が出撃した1944(昭和19)年6月のマリアナ沖海戦では、米軍の重厚な防御体制に阻まれて戦果は上げられず、5年前の要求仕様では通用しないことが明らかになった。終戦までの生産数は1200機を超え、戦争の終盤には特攻機としても使用された。

コメント欄

  • この天山なんで固定脚なの? -- 瑞雲? 2021-12-10 (金) 18:03:49
  • 運営ガイっぽいから九七2号と本気で勘違いしてんじゃね? -- 2021-12-10 (金) 18:16:52
  • アンテナの位置さえ違うし、よく見ると三菱九七式としても雑なんだよね…まさか鋼鉄の咆哮のグラ使ってないよな? -- 2021-12-10 (金) 18:33:24
  • 違うやんけ。 -- 2023-08-03 (木) 20:23:39
  • 天山は堕とされづらいですか? -- 2024-04-21 (日) 00:54:22
  • 介護セットあったら落ちないよ(適当) -- 2024-04-21 (日) 01:45:44