金村曉*1の北海道日本ハムファイターズ時代の発言及び金村の別称。いわゆる舌禍事件である。
派生して「絶対に許さない」という心情を表す際に使われるスラングにもなっており、「絶許」「絶許顔見」と略されることも多い。
概要
2006年9月24日の対千葉ロッテマリーンズ戦*2に先発した金村は、5回裏二死満塁・3点リード・あと1アウトで勝利投手という場面でトレイ・ヒルマン監督に交代を命じられた。
金村は試合開始時点で129回・9勝6敗の成績で6年連続規定投球回到達と5年連続2桁勝利が懸かっていたが、降板により勝ち投手の権利は失われ規定投球回には残り1回2/3で届かず、さらにシーズン最終登板であったためいずれの記録も途切れる事が確定。更に試合にもこの継投が仇となり逆転負けを喫してしまった。
そして、その後の試合後の囲み取材で金村は
「絶対に許さない。外国人の監督だから個人の記録は関係ないのでしょう。顔も見たくない」
とヒルマン監督*3に対し怒りをぶつけたのである。
基本的にどのチームにおいても球団首脳への批判は好ましくない行動であるが、MLBでは特にタブーとされるものである。
MLB傘下の監督経験のあるヒルマンはこの事態を重く捉え*4、金村に対し球団ペナルティとして
- 出場選手登録抹消
- 翌日の練習参加禁止
- 罰金200万円
- プレーオフ終了までの試合出場停止
の処分を下した。
ただしチーム側の事情として、同年の日本ハムはプレーオフ進出が確定していたものの、この試合を含めてレギュラーシーズン残り3試合で西武・ソフトバンクと僅差の首位争いをしており*5、金村個人の成績を優先して試合を進めることができる状況ではなかった事、また試合後にはヒルマン自身も「記録は当然知っていた。勝ちをつけてあげたかった」とコメントしていた事は付け加えておく。
その後
事の重大さに気づいた金村は、チームOBである岩本勉に連絡を取り号泣したという。また日本ハムでの先輩で当時阪神に所属していた片岡篤史と下柳剛からも叱責され、ペナルティを受け止めて猛省。無事ヒルマンとも和解した。
こうした経緯があり、ヒルマンは金村を日本シリーズで先発させる(=プレーオフを必ず突破する)ことを明言。チームメイトは「金村さんに禊ぎの場を」と奮い立ち、見事レギュラーシーズンを1位通過・プレーオフを勝ち抜いたのだった。
ヒルマンの宣言通り、金村は日本シリーズ第4戦に登板。5回2アウトの場面でヒルマンがマウンドに向かうと、今度は交代を告げるのではなく発破を掛けるシーンがあった。金村はこれに応えて5回を投げ切り無失点で勝ち投手となり、試合後のヒーローインタビューでも改めて舌禍事件をファンに謝罪。最後はヒルマンと抱き合って喜びを分かち合い、贖罪は完了された。
翌年以降
翌2007年、春先はそれなりの投球を見せながらも夏場以降は立て続けに序盤でノックアウトされるなど著しく成績を悪化させた*6金村は規定を超える大減俸か年俸を払える球団への移籍という二択を余儀なくされる。金村は球団と協議した結果、中村泰広との交換トレードで阪神に移籍。ダルビッシュ有が台頭するまで日本ハムのエースとして君臨していた投手である上に、通算勝利数80勝(金村)と3勝(中村)のトレードであったため、その不釣り合いぶりも話題になった。
阪神での3年間は故障もあり先発・救援で僅か1勝と結果を残せず戦力外通告を受け、2011年からはBC信濃に移籍*7したが同年限りで引退*8。
そのため「絶許」発言が彼の運命を変えてしまった、あるいはこの発言が原因でトレードされたのではとまことしやかに語られることも少なくない。
用法
「絶対に許さない」という言い回しはこの金村の絶許騒動以前から使われていた。有名なものに
- ふたば☆ちゃんねるのコテハン・マジレス氏の発言『絶対に許さないよ メモったからな 三日後百倍だかんな』
- 米倉涼子が2006年9月11日放送『FNS5000番組10万人総出演 がんばった大賞7』(フジテレビ系)へ出演した際のトーク中にノイズが混入、その直後から唐突に笑い出した状況により『放屁した』と認定された事に対して*9
などが用いられており、特にニュー速や芸スポにおいて米倉関係の話題が出た際に連呼されるが、なんJでは「怒りの矛先に対する怒りの表明」を意味する単語として金村が現役時代に所属していた日本ハム・阪神以外のファンにも広く用いられており、現在はなんJ外でもよく使われるインターネットスラングのひとつになっている。