兼光およぎ(魁)

Last-modified: 2023-08-19 (土) 12:54:19
型録
File not found: "真剣少女/" at page "兼光およぎ(魁)"[添付]兼光およぎ(かねみつ-)希少度 ★★
分類
属性間合い打刀小太刀.png
種類打刀
奥義
奥義名波濤万里(はとうばんり)
効果横直線の敵:ダメージ(小)
公式説明
制服の下に水着を着込むほど水泳をこよなく愛する真剣少女。鍛錬を怠らない努力家だが生来のあがり症のため、人前で努力する姿を見せることはない。
水面下での努力に共鳴した「波遊ぎ兼光」と縁を結ぶ。
加入時コメント
わ、私…兼光およぎといいます…あ、あの…! 人前だと上がっちゃって…よくトロイって言われます…
CV:宮田 あさみ (クリックでセリフ一覧が開きます)
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屋敷
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任務開始
任務完了
討伐開始(易)
討伐開始(普)
討伐開始(難)
エリア配置
エリア移動
攻撃
攻撃(ミス)
攻撃(クリティカル)
負傷
回避・無敵
敗北寸前
敗北
気合い1
気合い2
気合い3
気合い4
気合い5
休憩
奥義
勝利
離脱
首級
屋敷へ(勝利後)
屋敷へ(離脱後)
研磨(斬れ味良)
研磨(斬れ味普)
研磨(斬れ味悪)
布陣配置
リーダー任命
試斬・学舎開始
試斬・学舎成功
学舎失敗
奥義習得
奉納
奉納成功
ボイス音量調整
放置1
放置2
放置3
装備
イラストレーター:phima (クリックで画像一覧が開きます)

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酉年


水着


クリスマス


魁サービス開始


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真剣少女について

  • アプリ版リリース時から在籍。

刀談

私のこの刀は波遊ぎ兼光と言います。作者の兼光は備前長船の刀工で、備前長船兼光と称する刀工は他にもおります。波遊ぎ兼光を作った兼光は延文年間、1356年から1361年頃の人で延文兼光と呼ばれ、最上大業物14工の一人として斬れ味に優れた作刀で珍重されたということです。
波遊ぎ兼光は元は上杉家に伝えられ、その後は豊臣秀次は所持していました。豊臣秀吉の生涯が書かれた「太閤記」によると、文禄4年、1595年に高野山において秀次が自害した際にこの波遊ぎ兼光が使われたようです。ただ、他にも波遊ぎと呼ばれる刀がありますので事実はわかりません。
「波遊ぎ」の名前の由来はふたつの説がありまして、ひとつは「刀に彫られた下り竜が波間を泳いでいるように見えるため」というお話。もうひとつは「斬られた者が川を泳ぎきり、向こう岸に渡ったところで体がまっ二つになった」というトロイ私もビックリなお話です。斬られたこともわからないくらい凄い斬れ味だったのでしょうね。
この波遊ぎ兼光はその後、立花宗茂に渡り立花家の家宝となりました。将軍徳川吉宗が何度もこの刀の観賞を希望したとのことですが、立花家は応じなかったと言われております。まさか恥ずかしがり屋だった…ということはないでしょうけど、見せろ見せろと言われたら見せたくなくなるのも…わかります。

刀の正式名称

刀 金象嵌銘 波およき末代剱兼光也 (名物 波游兼光)
羽柴岡山中納言秀□所持之

逸話

元は上杉家に伝わっていたこの刀は、その後は豊臣秀次や小早川秀秋の手を経て立花宗茂に渡り立花家の家宝となる。
名の由来は2つある。

  • その斬れ味から「斬られた者が川を泳ぎきり、向こう岸に渡ったところで体がまっ二つになった」という逸話が「波遊ぎ」の名前の由来となったとの説。
  • 竜の彫り物が波間を泳いでいるように見えるためとされる説。

作風

南北朝時代の刀工、二代長船兼光の作。
刃長64.8cm 反り0.8cm

歴史

上杉家に伝えられていたが、羽柴秀次の所持になる。文禄4年(1595年)秀次自害の際に使用されたという。
秀吉が没収していたが、慶長2年(1597年)朝鮮の易に出陣する小早川秀秋に与えた。
小早川家断絶後は徳川家康が没収したのか、六男の松平忠輝に与えている。
後に柳川藩主の立花宗茂に渡り、のち立花家の重宝となった。立花家の家伝によれば、波泳ぎの号は小早川家でつけたという。八代将軍徳川吉宗が再三にわたり観賞を希望したが、立花家は応じなかった。
立花公爵家に伝わり、昭和8年(1933年)7月25日重要美術品指定、立花鑑徳伯爵所持。
昭和29年(1954年)に同家を出、昭和44年(1969年)の「武将とその名刀展」では渡辺春三氏蔵とある。

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