鶴丸くにえ(魁)

Last-modified: 2023-08-19 (土) 13:58:55
型録
File not found: "真剣少女/" at page "鶴丸くにえ(魁)"[添付]鶴丸くにえ(つるまる-)希少度 ★★★★
分類
属性間合い太刀.png
種類太刀
奥義
奥義名千羽織り(せんばおり)
効果エリア内の味方:気力回復(中)
公式説明
ミステリアスな雰囲気を持っている色白で優美な真剣少女。部屋に籠って何かをしていることがあり、
「見てはいけませんよ」が口癖。
秘密を持ち続けたいという心に共鳴し「鶴丸国永」と縁を結ぶ。
加入時コメント
こんにちは。わたくしは鶴丸くにえと申します。女性に秘密はつきものです…。もちろんわたくしにも秘密はありますよ?
CV:新井 歩 (クリックでセリフ一覧が開きます)
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屋敷
屋敷(好感度高)(反転)&color(foreground[,background]){text};
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任務開始
任務完了
討伐開始(易)
討伐開始(普)
討伐開始(難)
エリア移動
攻撃
攻撃(ミス)
攻撃(クリティカル)
負傷
回避・無敵
敗北寸前
敗北
気合い1
気合い2
気合い3
気合い4
気合い5
休憩
奥義
勝利
離脱
首級
屋敷へ(勝利後)
屋敷へ(離脱後)
研磨(斬れ味良)
研磨(斬れ味普)
研磨(斬れ味悪)
布陣配置
リーダー任命
試斬・学舎開始
試斬・学舎成功
学舎失敗
奥義習得
奉納
奉納成功
ボイス音量調整
放置1
放置2
放置3
装備
イラストレーター:たつよ (クリックで画像一覧が開きます)

くにえ(1).jpg


くにえ(2).jpg


くにえ(5).jpg


kunie_yume_a.jpg


kunie_yume_1.jpg


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背面設定画


サービスイン前祝い


クリスマス


1周年


メイド服


キャラクターコレクション宣伝用


2周年


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真剣少女について

  • 2020年1月16日、五連鍛刀期間限定ボックス第二弾で実装。
  • 2020年5月21日より魂鋼鍛刀に追加。
  • キャラクターブックの表紙絵で一振いちごと並んでいるが、いちごが175cm前後なのでくにえも背がそこそこ高いと思われる。
  • 2021年1月1日から開催のイベント「年の始めの例とて」にて、ドロップアイテムの数が増える特効真剣少女に指定された。
  • 2021年1月1日、お屋敷夢コーデ「初詣 feat.鶴丸くにえ」が期間限定で実装された。
    「うふふ、ダメですよ。初詣のお願い事は……秘密です。」
    loading...

刀談

この太刀は「鶴丸国永」と言います。国永は、平安中期の刀匠、五条兼永の子で、三条宗近を祖とする三条派の刀工と伝えられております。銘の入った作は刀が3口、剣1口と少なく、名刀がずらりと並ぶ「享保名物帖」に記載される代表作がこの鶴丸国永なんですの。
鶴丸は、元は安達貞泰が所持していたのですが、安達一族が滅ぼされた霜月騒動と呼ばれる鎌倉幕府の政変の際に、北条貞時が入手したとのことです。貞時はこの刀欲しさに貞泰の墓を暴いたとも言われてるんですよ。
お墓は…見てはいけません。
残念ながら鶴丸の号の由来はわかっておりません。一説には拵えに「鶴丸紋」の金具がつけられていたのではないか、というものがあります。
まあ、謎のひとつやふたつあったほうが神秘的ですよね?

刀の正式名称

太刀 銘 国永
名物 鶴丸
附 金蒔絵紋金梨地塗鞘紫糸巻陣太刀拵(きんまきえもん きんなしじ ぬりさやむらさきいとまき じんだちこしらえ)※江戸時代に作られたもの。

逸話

「鶴丸」と呼ばれる号が有名だが由来となった太刀拵は現存しないため真実は不明。また、他にハバキ(刀の手元の部分に嵌める金具)に竜胆の透かし彫りがあるらしく「利無動(利不動)」とも呼ぶというが、現在は皇室の御物(ぎょぶつ)であり一般公開されないため、確かめるすべがないためこれも推測の域を出ていない。

作風

平安時代の山城国(現在の京都府)の刀工・五条国永の作。
五条国永は、同時代に山城国で活躍した三条宗近の弟子と言われている。
国永の作った刀はあまり現存しておらず、その中でも最も優れているのがこの太刀とされる。
刀の長さは二尺五寸九分半(78.63cm)。
かつては「鶴丸」の号の由来となった鶴の紋様を蒔絵で描いた太刀拵が存在したが、現存していないため、号の由来の確証はない。

歴史

最初、平安中期の東北の武将・平維茂(たいら の これもち)が所持し、その後、出羽国(現在の秋田県)の国司・秋田城介(あきた じょうのすけ=官職の一種のことで、名前ではない。)の誰かに贈ったと言う説があるが、作刀は京都の国永のため、東北の平維茂との接点がなく、別の逸話との混同されている可能性がある。
鎌倉時代には秋田城介であった安達貞泰(あだち さだやす)が所有していた。(※貞泰の父・宗景は後述の霜月騒動にて27歳で戦死しているため、宗景の間違いの可能性も考えられる。)
その後、弘安8年(1285年)に起こった霜月騒動で安達家は敗北し、一族は戦死または自害して滅びた。
騒動の後に、鶴丸の太刀は鎌倉幕府第9代執権・北条貞時(ほうじょう さだとき)の手に渡った。(貞時は鶴丸の太刀が貞泰の墓に共に納められていると聞き、墓を暴いて手に入れたと言う説もある。)
それから時を経て、鶴丸の太刀は尾張の戦国大名・織田信長の持つ所となり、信長から明智光秀の家臣・御牧景則(みまき かげのり※信長家臣の三枝勘兵衛とも)に与えられた。その後、景則の子の信景に伝わるが、信景は関ヶ原の戦いに西軍として出陣して敗戦。没落した家から流出した鶴丸は様々な家を経て京都伏見の藤森神社に奉納されていた。これを、刀剣の鑑定師として名を馳せていた本阿弥光温の弟・光的が発見し「取り出した」とのこと。(※『享保名物帳』の記述に拠る。ネットには「盗んだ」と書かれる記事があるが「取り出した」である。元禄16年8月3日付の本阿弥の極め(お墨付き)があったそうだ。)
享保年間の頃には仙台藩・伊達家が所持していた。
明治9年の刀剣マニアとして知られていた明治天皇が仙台行幸のおりに、当時の仙台藩主・伊達宗基(だて むねもと)から明治天皇へ献上されたため、現在は皇室の御物となり、宮内庁が管理し、三の丸尚蔵館に所蔵されている。

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