北陸本線駅一覧
Last-modified: 2024-03-17 (日) 17:08:07
2015年北陸新幹線金沢開業で第三セクター鉄道に分離された区間
2024年北陸新幹線敦賀開業で第三セクター鉄道に分離された区間
独立項目
福井県区間
新疋田(A02・B09)
- 言わずと知れた鉄オタの聖地(ただし撮り限定)
- 駅舎はログハウス風
- 新快速が止まる
- 京都・岐阜・名古屋までの運賃は敦賀発より安い
- ここに止まる列車は4両までなのでホームも4両分しかかさ上げされていない
- 駅名に新が付いているのは開業当初疋田駅があったから、その疋田駅はこの駅の開業6年後に廃止された
- 深夜になるとこの駅にトンネル火事をやらかしたきたぐに号の幽霊列車が出るという噂がある
滋賀県区間(近江塩津~米原)
近江塩津(A03・B10)
- 北陸線と湖西線の合流地点
- 滋賀県最北の駅、この駅から北は福井県になる
- 朝と夕方にはこの駅をスイッチバックする列車がある(朝:近江今津→近江塩津→米原・夕方:長浜→近江塩津→近江今津)
- 湖西線に近江今津駅があるのでとても紛らわしい
- 特急サンダーバードの一部列車はここではなく近江今津に止まる
- 改札を通る客は少なく(200人くらい)ほとんどは湖西線と北陸線の乗換で降りる
- 駅舎は「海道・あぢかまの宿」と合体しており2017年までは待合室に地元の給食センターで務めていた栄養士が営業する食堂があった
- 臨時ホームとして0番線があり積雪時の輸送障害対策のみ使用される
- そのため普段はシャッターで閉鎖されており入ることはできない
乗換路線:B湖西線
余呉(A04)
- 駅名の由来は近くにある余呉湖、ホームからも見ることができ釣りやハイキングを楽しめる
- 元々は上り待避線があり国鉄民営化にともない使用が停止された
- 待避線があったところは埋められたためホームはかなり広く構内踏切とスロープで連絡する
- 上りホームは8両分かさ上げされているが下りホームは4両分しかかさ上げされていない
木ノ本(A05)
- かつては急勾配の「柳ヶ瀬越え」と呼ばれるルートを通っていたが1957年からは新線に切り替わった
- 旧線は柳ヶ瀬線として存続したが1964年に廃止された
- 柳ヶ瀬線が廃止される前は1~3番線が北陸線で4~6番線が柳ヶ瀬線になっており柳ヶ瀬線ホームは櫛型構造となっていた
- 所在地などの表記は「木之本」なので表記揺れに注意
- 駅の1階には「ふれあいステーションおかん」が入居しており旧駅舎は「きのもと まちの駅」として残っている
- みどりの窓口があるが自動改札機はない
- この駅の隣に位置する中ノ郷駅跡には使われていたホームと駅名標のレプリカが置いてある
高月(A06)
- JR京都線の「高槻」と読み方が同じなので間違えないように
- 新快速が乗り入れる際駅名を「近江高月」に変えようという案が出たが費用の問題から変えないことになった
- ホームの間に中線があり貨物列車はここを通っていたが現在は使われていない
- かつては駅の側線から本線東側に沿って南進し日本電気硝子滋賀高月事業所へ繋がる専用線があった、2008年に休止となり現在、線路は撤去されている
- 過去には稲沢と金沢貨物ターミナルを結ぶ専用貨物列車がここに止まっていた
河毛(A07)
- 今の駅は2代目、初代河毛駅は1882年に開業し1886年に廃止された
- 駅に跨線橋や構内踏切がないので乗り場を間違えたら結構めんどくさい
- 駅舎内はコミュニティハウスになっており観光案内やレンタルサイクルも行っている
虎姫(A08)
- 駅名の由来はこの駅の北東にある「虎姫前山」の別名である「虎姫山」の伝説(「虎姫という蛇の化身の娘がいた」という伝説)
- 駅舎はログハウス風に改築されバリアフリーも考慮し入り口にスロープがある
- 上りホームは4両、下りホームは6両分かさ上げされている
- かつてはここと長浜の間にデッドセクションがあった
- そのため敦賀~米原を走る普通列車は気動車で運転されていた時期があった
- デッドセクションは直流電化の際に廃止され直流電車と交直流電車が混在する
- 駅名に虎が付くことから阪神タイガースのファンに人気がある、2003年にタイガースがリーグ優勝したときは虎神殿が設置された
- 1985年にタイガースが21年ぶりのリーグ優勝を達成したときは入場券が売れ、国鉄も増収策として当駅発着の阪神ファン向け団体列車も運転された
- 2003年に18年ぶりのリーグ優勝を達成したときも記念入場券が発売された
長浜(A09)
- 初代の駅舎が今でも残っている
- この駅舎は日本最古の鉄道駅舎で1958年に鉄道記念物に指定され「旧長浜駅舎鉄道資料館」として公開されている
- 現在使用されている駅舎は初代駅舎がモチーフになっている
- 北陸本線電化の際は田村坂田間がデッドセクションとなり1991年に当駅虎姫間がデッドセクションとなった
- 新快速は米原~敦賀を走る際後ろ8両を切り離す、またこの駅止まりの新快速もある(長浜以北は4両が限界なので)
- 1日1本だけ福井駅からの普通列車がこの駅まで乗り入れる
- 過去には名古屋発着のナイスホリデー近江路など当駅発着の臨時列車が運転されていた
- 一部の特急しらさぎは停車する
- 初代駅長は後に東京駅初代駅長を務めた高橋善一
- 北陸線で初めて通常の自動改札機が設置された駅(1998年12月17日、次点は直江津の2005年)
田村(A10)
- 1940年~1954年まで営業を休止していた
- 1957年に交流電化の起点となり当駅~敦賀駅はED70形電気機関車が牽引することになった
- 米原~当駅は非電化のまま残りE10形やD50形などの蒸気機関車が牽引しており後にDD50形やDE10形などのディーゼル機関車牽引に切り替わった
- 当時は機関車付け替えを行う急行列車の発車時刻が市販の時刻表に記載された、当時の客レは客用ドアを施錠できなかったので運転停車できなかった
- 「日本海」「つるぎ」はドアの施錠が可能な20系客車で使用していたので客扱いを行わなかった
- その名残でホーム有効長は14両と非常に長い
- 1962年に米原~当駅が直流電化され当駅南方にデッドセクションが設置された
- 交直流電車や気動車で運転される特急・急行は当駅を通過していたが普通列車は客レのままで交直流電気機関車は量産されなかったので1983年までは機関車の付け替えが行われた
- 機関車は当初SLが牽引していたが後にディーゼル機関車へ変わり無煙化、1983年以降機関車留置線は撤去された
- ホームのかさ上げは行われていない
坂田(A11)
- 開業当時は「法性寺」という駅名で田村駅同様1940年~1954年の間は営業を休止していた、またガソリンカー専用の駅だった
- 1954年の営業再開と合わせて「坂田」に改称された
- 駅は近江母の郷コミュニティハウスの裏に隠れている(駅舎代わり?)
- 上りホームと下りホームの行き来はホーム外の地下道で反対側に回る必要がある
- ホームはかさ上げされていない
- 駅西側の市営駐車場は無料で利用できる