赤い倉本

Last-modified: 2024-01-12 (金) 18:19:22

広島東洋カープ・田中広輔の蔑称。
他に「こーすけ」などがある。

ネタ発生以前

2013年のドラフト3位で広島に入団し、俊足と優れた選球眼を誇っていた田中は、ルーキーイヤーから当時の正遊撃手・梵英心から定位置を奪取。以降は広島のリードオフマンとして活躍し、2017年には盗塁王と最高出塁率を獲得しベストナインを受賞している。さらに、3年連続でフルイニング出場を継続したほか、派手さはあまりないものの守備も安定しており、2018年のゴールデングラブ賞も受賞している。2016年からのチームの3連覇に大きく貢献した選手とも言える。

問題の2019年(拡散、定着)

しかし、2019年の田中は開幕から打撃面では打率1割台、守備走塁でもエラー、盗塁死を頻発するなど完全にブレーキになり、チームも低迷していた。そんな中、平成最後の試合である甲子園球場での阪神戦*1でエラー、翌日の令和最初の試合では2度もエラーし、平成最後のエラーと令和初および二回目のエラーをするという不名誉な記録を作ってしまった。
 
チームが2試合とも敗れた事もあって田中は戦犯扱いされ、広島ファンのみならずなんJでも大いにネタにされ、同様に攻守に精彩を欠きながら出場機会を得ていた倉本寿彦(当時DeNA)と掛けてこのような言葉で煽られるようになった*2

だが連続フルイニング記録更新中なため、この成績にも関わらず二軍で調整させられない、スタメンから外せない、チャンスが来ても代打を出せないと聖域化しており、「素直に二軍に行くだけ倉本の方がマシ」とまで言われる有様で、遂には「ショートのアレ」扱いされだす。その後は「フルイニングさん」という蔑称も多用されるようになった。
この体たらくでもスタメン落ちや抹消を決断できない緒方孝市監督(当時)も問題なのかもしれないが、この件に関してはカープOBのほとんどが解説中に他の選手には苦言を呈しながら田中については全く触れないなど露骨に話題から避けており、もはや監督ですらどうにもできないほどの圧力がかけられているのではないかとも推測されていた。

ちなみに、赤い倉本という単語自体は2018年におんJで誕生したものである。
おんJに建てられた2018年ベストナイン予想スレ坂本勇人(巨人)を差し置いて田中を推してくる人物がいたが、田中の打撃成績が倉本とあまり変わらないという理由で

230: 名無し:18/10/11(木)09:33:39 ID:HHr ×
田中広輔=足が少し早い倉本

232: 名無し:18/10/11(木)09:34:07 ID:yp3 ×
田中広輔=赤い倉本

この流れにより赤い倉本の蔑称が誕生したことが発祥であるとされているが、発祥当時はなんJではほとんど使われることのない蔑称であった。

その後

  • 5月1日
    これまでほぼ1番だった打順がこの日から8番に固定された。下旬は7番に格上げされた。
  • 5月5日(巨人戦)
    9回表に記録には残らない守備のミスを犯したことが原因で同点に持ち込まれ、広島が延長戦を強いられる失態を犯した。なお12回裏にサヨナラのチャンスを作ったが、緒方の采配ミスもあって最終的にこの試合は引き分けた。
  • 5月10日(DeNA戦)
    5回裏に今季自身初のホームランを放ち、これが20打席ぶりの安打となった。*3
  • 5月22日
    前日の中日戦に出場し適時打を打ち勝利に貢献するも、中日スポーツに試合評内で「最弱」と書かれてしまった*4。また試合中には一時打率がピッチャーの大瀬良大地を下回った。

結局5月の月間成績は.191 2本8打点に終わった。なお、チームは5月を球団記録となる月間20勝4敗1分で終えたが、その原動力となった打線が毎日のようにチャンスを作ったため、7,8番という下位打順にもかかわらず田中の得点圏打数は岡本和真(巨人)と並ぶ31打数を記録した。*5しかし、わずか4安打しか打てず、挙げた8打点はほぼ大量リード時のいわば死体蹴りであった。
しかし5月下旬から6月初旬に掛けて本来のバッティングを取り戻し、5日の西武戦では8回にグランドスラムを放つなど、復活の兆しを見せていた…と思われたがたちまち元に戻ってしまい今度は「赤い鳥谷」呼ばわりされることも増えた。
そしてついに6月20日のロッテ戦でショートスタメンの座を高卒新人の小園海斗に譲り、フルイニング出場が635試合でストップ(2023年現在歴代6位)。この日は代打で登場し連続出場は継続したが、翌日も小園にスタメンを譲り更に最後まで試合に出場しなかったため、連続試合出場も636試合でストップした。しかし、期待されている小園もエラーを連発し二軍落ちしたため、再び田中がショートのスタメンに戻る。

  • 7月2日(ヤクルト戦)
    交流戦後も1分3敗と勝てずに苦しい場面が続く中、この日の試合で投手の九里亜蓮が好投したにも関わらず、ヤクルトの打者の中村悠平が放った打球をトンネルする痛恨のミスで決勝点を与えた。
  • 7月10日(中日戦)
    前半戦ラストゲームとなったこの試合。この日の遊撃スタメンは楽天からの移籍後初スタメンとなる三好匠が務めており、その三好が6回にチーム初安打となる2塁打を放ったのだが、そこで緒方はここぞとばかりに三好に対して田中を代走に送るという采配を見せる。2つの内野ゴロの間に田中は生還し、先制のホームを踏むが、続く7回2死1、3塁の場面で田中に打順が回ってくる。ここで田中は1ゴロを打ち追加点を得ることができず、チームも逆転負けとなったことで緒方の頑なすぎる采配が流れを手放したとニュースサイトで批判されることになった。

その後は再昇格した小園にレギュラーの座を奪われ、もっぱら代走、守備固めとして起用されていたが、8月22日に遂に二軍降格となった。
その後、以前から達川光男に指摘されていたように、故障を抱えながらプレーを続けていたことが判明*6し、三軍に降格した。

  • 2019年度成績(いずれも当時キャリアワースト)
    97試合 355打席(311打数) 打率.193(得点圏打率.173) 60安打 13二塁打 3本塁打 27打点 8盗塁(3盗塁死) 89三振 4併殺打 出塁率.268 長打率.264 OPS.532 9失策

AA

ᕦ(^ ∇ ^)ᕤ
↑2019年スタメン発表の時の田中のポーズ。
68B7A1D9-AD46-48B9-BD72-4EDE41BFA730.jpeg

関連項目


*1 平成最後の日である4月30日はパ・リーグの試合が組まれていなかった上、セ・リーグの他2試合もデーゲーム(午後2時開始)だったため、午後6時開始の当該試合が本当の平成最後の試合であった。
*2 なお当の倉本はオープン戦で壊滅的な打撃成績を残し、開幕後は2軍落ちや1軍にいても殆ど起用されない(されても代打およびサードの守備固め)ことが多かった。
*3 また、弟の田中俊太(当時巨人)も満塁ホームランを放ち、同日アベック弾となった。なお弟が満塁弾を放ったことで一時期打点を抜かされた。
*4 とはいっても「得点圏で最弱」という意味である。ちなみに対比で「最強」と書かれたのは菊池涼介
*5 5月では同率4番目に多い打数である。1位は高橋周平(中日)と大山悠輔(阪神)の33打数。ただし岡本・高橋・大山は開幕から中軸を担った打者である。
*6 8月28日に右膝半月板部分切除手術を行っていた事が発表された。なお、本家倉本も腰の故障を隠して出場していたことが後に発覚している。