Navarra

Last-modified: 2024-04-21 (日) 09:35:03

ナバラ級巡洋艦 ナバラ

IMG_5379.jpeg

ヒストリカル迷彩

[添付]
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効果:

性能諸元

編集時 ver.x.x.x.x

基本性能

※アップグレード済み、装備、迷彩、エリートなし

Tier3
生存性継戦能力14388
抗堪性・防郭防御7.5%
・火災浸水耐性10%
・装甲防御6%
・魚雷防御4.5%
主砲射程9.66km
機動性最大速力24.31ノット[kt]
最大出力への到着時間13.04秒
転舵速度7.6度/秒
転舵所要時間7.5秒
隠蔽性7.08km



・派生艦船



・兵装

主兵装口径,搭載基数×門数装填時間ダメージ(火災率)(防郭率)砲塔旋回速度
152mm L/50, 6基×1門9.5秒HE弾 414(5%)
AP弾 545(150%)
10度/秒


魚雷口径,搭載基数×門数(片舷指向門数)装填時間ダメージ射程雷速浸水率魚雷管旋回速度
0mm, 0基×0門(0門)0秒00km0kt0%0度/秒


対空砲種類ダメージ射程
大口径
小口径
0
0
0km
0km



・艦艇スキル

種類効果持続時間クールタイム使用可能回数

ゲーム内説明

当時のスペイン国王の妻であったビクトリア・ウヘニア・デ・バテンベルに因んで命名され、1915年3月に起工。本計画はイギリス巡洋艦バーミングハムの設計に影響を受けていた。本艦は1923年から1926年にかけて第3次リーフ戦争に参加し、1928年から1929年にかけての大規模改修の後、1930年にカディスの海軍学校に移された。スペイン第二共和政が宣言されると「レプブリカ」と改称されたがスペイン内戦が始まると反乱軍(ナショナリスト派)によって接収され、1937年にナバラという艦名に再び変更された。

解説

・主砲
152mm砲を単装で6基6門搭載。砲配置は艦首・艦尾に背負い式でそれぞれ2基2門づつ、そして艦中央の前部・後部に1基づつ、全てを一直線配置で搭載している。この砲は先に実装された「ビセンテ・ゲレロ」搭載砲と同じく、第3・第5・第6砲塔は左右を振り替える際にぐるりと後ろを巡らせねばならないという欠点を持つものの、基本性能は「ビセンテ・ゲレロ」搭載砲よりも上である。まずAP弾の単発火力が強力で、更に「ビセンテ・ゲレロ」搭載砲では選択できなかったHE弾も選択可能。そして砲塔旋回速度も勝っている上に射程も上回っている。

・対空
本艦に対空砲の類は搭載されていない。

・装甲
一応軽巡洋艦なので6%の装甲を備えているが、基本装甲でダメージを軽減できるとは考えない方が良いだろう。また防郭防御を含めた耐性についてはこのティア帯では一律なので特筆すべきものは無い。

・機動性
素の最高速度は24ノット台とかなり遅め。同格内には30ノット近く出る艦も居るので見劣りする。加速力については「ビセンテ・ゲレロ」に劣っており、かなり劣悪。舵の効きは「ビセンテ・ゲレロ」よりはマシだが…その速度と加速の鈍さ故にこのティア帯で頻発する機動力を活かした戦い方は不得手。

・隠蔽性
酢に被発見距離は7km前半とそこそこに優秀。しかし前述した速度の問題でこの隠蔽をもってしても後手に周りやすい。

・生存性
素のHPは14000台とやや体力に劣っている。速度や防御に期待できない本艦は敵の一群の前に突出するとあっという間に沈んでしまうだろう。

・消耗品
「改良型ディーゼルエンジン」「高級船員食糧」の搭載を推奨。残る1枠は「予備整備パック」「高品質石炭」からお好みで。

・艦艇スキル/艦長スキル
本艦は艦艇スキルを所持していない*1

・装備
 ・兵装「主砲改良Ⅰ」が無難だが、腕に自信のある艦長は「主砲改良Ⅱ」を検討するのも悪くない(リスクは自己責任で)。
 ・防御「操舵装置改良Ⅰ」
 ・適正「推力改良Ⅱ」

・エリート特性
 ・船体強化 HP+4% 
 ・改修済主装甲帯 装甲防御+5%、防郭防御+10% 
 ・功績 EXPアップ+10%

・総論
 先に実装済のパンアメリカ巡洋艦「ビセンテ・ゲレロ」の元となった艦である。「ビセンテ・ゲレロ」は軽巡洋艦の船体に目一杯の主砲を搭載しひたすら砲撃能力に特化した艦であったが、元となった艦である本艦も同一の方向性となっている。とはいえ国籍が異なれば若干その味付けも異なっており「ビセンテ・ゲレロ」がスキルに頼る事でそれを実現しているのに対して、本艦は素の砲性能を向上させる事で実現している。このため砲数や砲性能といったカタログ値のみに着目するなら、本艦の攻撃能力は非常に優秀と言えるだろう。しかし「ビセンテ・ゲレロ」に乗った事のある艦長であればご存じの通り、本艦の系譜に連なる艦は鈍重な船体において強力だがやや癖の強い主砲での戦いを強いられる。よって汎用性に欠け、このティア帯で発生し易い機動力を活かした戦いには後れを取ってしまいがちである。本艦の強みである射程と砲数を活かせ、機動性で翻弄されにくい位置取りを心がけつつ戦おう。

戦闘名誉章

レベル12345
報酬
ミッション内容

史実

格納

「ナバラ」はスペイン海軍の1914年度計画において1隻のみ建造が承認された艦である。当初の艦名はスペイン王妃の名前である「レイナ・ヴィクトリア・ユージニア」とされた。タイプシップは英国海軍のタウン級(初代)軽巡洋艦の1種である「バーミンガム級(サブクラス的には4代目)」であり、その設計を元に装甲と缶室を削減した構成となっている。起工は1915年3月に行われたものの、部品の調達を英国に頼った事から第1次世界大戦(1914年7月~)のあおりを受けて部品が届かず工事はサッパリ進まない。大戦後の混乱が落ち着いてようやく部品調達のめどが付き、1920年4月に進水を果たす…竣工・就役は1923年1月であり、起工してから既に8年近くが経過していた。1931年に国王が退位して共和政に移行すると艦名は「レプブリカ(スペイン語で共和国の意)」に変更された。その後に旧式化のために近代化改修を行うべくドック入りしている間にスペイン内戦が勃発。フランコ将軍率いる反乱軍に拿捕され、この時に「ナバラ」と改名される。1938年に近代化改修工事を完了しフランコ将軍側として再就役、その後はスペイン内戦および第2次世界大戦を生き延び1955年に除籍された。

小ネタ

艦名の由来

 本艦の艦名の由来はスペインの自治州である「ナバラ」州から。
 1県1州の自治州であるため、ナバラ県単独で州を形成する。地図上においてはスペインをカタカナの「ロ」に例えると上辺の中央部に位置する。州都は「パンプローナ」。歴史上においてはバスク地方の一部ではあるが、フランコ体制後の民政移行期においてバスク州への合流を望まなかった事からナバラ県単独でナバラ州が成立した。なお、このように歴史的背景を踏まえて課税自主権が認められているのはスペインの全17自治州のうちバスク州とナバラ州のみである。

最初の艦名の由来

 本艦の最初の艦名の由来となった人物、それはスペイン王「アルフォンソ13世」の妃でもある「ビクトリア・エウヘニア・フリア・エナ・デ・バッテンベルグ」。英語読みだと「ヴィクトリア・ユージェニー・オブ・バッテンバーグ」である。
 彼女はヴィクトリア女王の孫娘としてスコットランドで生まれた。彼女の名前は祖母であるヴィクトリア女王、及び洗礼母となったフランス皇后ユージェニー(ナポレオン3世の未亡人)に因んで名付けられた。そしてスコットランド生まれの王室の縁者はスコットランドの名前を付けるというしきたりから、母であるベアトリス王女はゲール語で「イヴ(Eve)」にあたる「ユーア(Eua)」を洗礼名の最期に付けた。ところが洗礼式を行った聖職者がこれを「エナ(Ena)」と読み間違えた事から公衆には「プリンセス・エナ」として知られる事となった。
 「エナ」はヴィクトリア女王の手元で育てられたが、これは母であるベアトリス王女が結婚の条件としてヴィクトリア女王の傍を離れないことを約束していたためといわれている。1901年にヴィクトリア女王が崩御、1905年にスペイン王アルフォンソ13世がヴィクトリア女王の孫娘「パトリシア」に求婚すべくイギリスを訪問。ところがアルフォンソ13世は従妹の「エナ」にほれ込んでしまう。しかしこの恋には大きな障害があった…まず1つ目は「エナ」の家柄の低さであり、バッテンベルク家はドイツのヘッセン=ダルムシュタット家の分家に過ぎず、貴族の家柄ではあっても王族とは到底認められなかった。2つ目は宗派の違いであり、スペイン王家はカトリック信仰の大元である。そこに英国国教会から嫁ぐとなると宗教的には大変な難事であった。3つ目はヴィクトリア女王の血縁者につきまとう遺伝病の問題で、血友病の王子が生まれる可能性であった。これらの障害を乗り越え「エナ」と「アルフォンソ13世」の婚姻は承認され、1906年5月にマドリードの教会で2人の結婚式が行われた。
 しかし王宮への帰り道で2人の乗る馬車に向かってテロリストが爆弾を投げつけた。奇跡的に2人は無傷であったものの、エナのウェディングドレスには護衛に付いていた騎兵の鮮血が染みついていたという。「エナ」はこの不幸な事件にも関わらずスペイン王妃として活動したが、スペイン国民の反応は冷ややかであった。しかし王国の後継者となる長男が生まれればスペイン国民の反応も違って来るに違いない…彼女はそう考えていた。長男のアストゥリアス公アルフォンソが生まれると、生まれたばかりの王子に施した割礼の出血が止まらない事が判明、これが王子の血友病の最初の兆候であった。「アルフォンソ13世」は「エナ」が血友病の世継ぎを産んだ事に対して何も言う事は無かったとされている。しかし、子供達(5男2女、うち娘2人は血友病ではなかった。)が生まれた後「エナ」と「アルフォンソ13世」の結婚生活は険悪になるばかりであった。それでも「エナ」は王妃として国民の医療・教育・救貧の活動を続け、スペイン赤十字社の再建に尽くした。
 第一次世界大戦後の混乱に対して、国王「アルフォンソ13世」はイタリアに倣ってプリモ・デ・リベーラ将軍を登用(1923年)。独裁政権による国内の混乱の収拾を図ろうとするも失敗(プリモ・デ・リベーラ失脚が1931年)、共和派が「スペイン第2共和国」の成立を宣言するとスペイン王家は亡命を余儀なくされた。「アルフォンソ13世」は自発的な亡命が内戦となる危機を防ぐと期待したものの、1936年7月にスペイン領モロッコに左遷されていたフランコ将軍が右派によるクーデターを実施、スペイン内戦が始まる。こうなるとスペイン王家もフランスやイタリア等を転々とせざるを得ず、「エナ」は「アルフォンソ13世」と別居してスイスのローザンヌに移り住んだ。1968年にひ孫であるフェリペ王子(後のフェリペ6世)の洗礼母を務めるために一時的にスペイン入りしたものの、翌1969年にローザンヌで没した。

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*1 同ティア帯のパンアメリカ巡洋艦「ビセンテ・ゲレロ」が艦艇スキルと艦艇の特技の2つ持ちである事を考慮するとやや残念と言わざるを得ない。