元ネタ帳 - 敵キャラ

Last-modified: 2014-04-08 (火) 02:51:35

公式に発表されているものではありません。
編集者の推測を元に記述されています。

ジパング

名前解説
京都
鎌田盛政?-1184年。通称は藤太。鎌田政清の長男。源義経に仕え、弟の光政,佐藤継信・忠信兄弟とともに義経の四天王と呼ばれた。一ノ谷の戦いで戦死した。
鎌田光政?-1185年。通称は藤次。源義経の父・源義朝の乳兄弟である鎌田政清の子。兄盛政と共に義経四天王の1人として活躍し、屋島の戦いにて、射落畠で平教経と戦い討死する。
鉄砲隊攻略戦
滝川一益織田信長の重臣で織田四天王の一人。鉄砲の名手でもあったという。「進むも退くも滝川(侵攻戦も退却戦も上手い)」と評される戦巧者で名を馳せたが、本能寺の変の直後に勃発した北条氏との戦いに敗れ、以降は没落した。
羽柴秀吉織田信長の後を継いで天下統一し太閤に昇り詰める。人心掌握術に長け、日本史上で最も出世した人物である。男色が珍しくない時代において、希有な生粋の女好き。家臣の妻にも手を出していたようで、細川忠興の妻ガラシャに迫った際、匕首で脅されたという逸話などがある。
丹羽長秀織田四天王の一人で、後に秀吉に臣従する。鬼五郎左という異名を持つ猛将である一方、侵攻地の領土管理や行政などそつなくこなすなどの器用さを持ち合わせていた。
江戸
前田利家1538?-1599年。加賀藩主前田氏の始祖。豊臣政権の五大老の一人。槍の又左なのに剣!
明智光秀1528?-1582年。上洛を目指す足利義昭を隆盛著しい織田家に売り込んだことから、信長に仕えるが…。銃の名手であることは史実でも有名。本能寺の変により、ある意味で最も大きく歴史の流れを変えた人物。
柴田勝家1522?-1583年。信秀の時代から織田家に仕える重臣。武骨の性格で、その秀でた武勇から鬼柴田と呼ばれる。信長の弟・信勝を擁して信長を排除しようとしたが、信長との戦いに敗れて降伏した。信長の死後織田家の後継者問題で羽柴秀吉と対立するも、賤ヶ岳の戦いで敗れる。

大華帝国

名前解説
上海
張翼?-264年。字は伯恭。前漢の名臣・張良の子孫。劉備が入蜀した際に取り立てられる。建国から滅亡まで存命した数少ない人物。最後は鍾会の反乱に巻き込まれ殺害された。
鍾会225年-264年。字は士季。幼少の頃より聡明であったとされる。蜀漢を滅亡させた功労者のひとりだが、姜維と共に反乱を起こすも失敗、死亡する。
華佗?-208年。字は元化。神医と呼ばれた後漢末の伝説的名医。世界で最初に全身麻酔を用いた手術を成功させたとされる。仮病を使い曹操を騙した事から曹操の怒りを買い、投獄され拷問を受けて死去。
典韋★?-197年。曹操に仕え身辺の警護をしていた怪力自慢の猛将。給仕が一人では追いつかないほどの大食い大酒飲み。曹操が張繍の奇襲を受けた際に敵中で孤軍奮闘、全身に矢を受けて戦死した。
宗預★?-264年。字は徳豔。張飛に従い入蜀。文官として仕えていたが晩年は軍事にも関与した。建国から滅亡(ry。洛陽まで護送される途中で病死した。
上海征服後
王允★137年-192年。字は子師。後漢末の政治家。実直な性格で直言しては讒言を受けて投獄される事が度々あった。呂布を引き入れ董卓を暗殺、権力を握るものの、狭量な性格から支持を失い最期は賈詡の献策を容れた董卓軍残党の逆襲に遭い殺害される。
貂蝉★三国志演義にのみ登場する王允の養女。絶世の美女とされ(整形美人だとも)董卓と呂布に取り入って二人を仲違いさせ、呂布に董卓を殺させる。
張楊?-198年。字は雅叔。後漢末の武将。呂布とは同郷の誼で親しくしており、呂布の援軍要請に応じようとした所、曹操寄りの部下に暗殺される。しかし、その部下も別の部下に暗殺された。
陳宮?-198年。字は公台。初めは曹操に仕え兗州奪取に手腕を発揮するも、呂布と通じ反乱を起こしその軍師となる。最後は呂布と共に捕らえられ、曹操からの説得を頑なに断り処刑される。
上海孫子撤退後
公孫賛?-199年。本来は公孫瓉だが文字コードの関係か。字は伯圭または伯珪。武勇に優れ後漢末期の動乱で台頭。軍事力を背景に幽州を中心に袁紹・袁術に次ぐ勢力を築きあげるが、河北の支配権をめぐって袁紹と争い、易京の戦いで敗れて自害した。
李封★?-195年。呂布の部下。呂布軍ではかなりの高位にあったと思われる。曹操配下の李典の叔父を殺害したことから後に李典ら曹操軍に攻撃され戦死する。
北京
馬元義?-184年。黄巾党で張角の腹心。宦官抱き込みの為洛陽に潜伏していたところを密告により捕らえられて処刑された。馬元義の処刑により張角は予定を早めて決起を決意。これにより黄巾の乱が幕を開ける。
張角?-184年。太平道の教祖。黄巾党の首領。大賢良師と称し太平道を布教していたが、数十万の信徒とともに蜂起、黄巾の乱を起こす。しかし討伐軍の攻撃を受ける中、病没。教祖を失った黄巾の乱は次第に収束に向かう事になる。
皇甫嵩?-195年。字は義真。後漢末の将軍。黄巾の乱平定に主力として参加し功をあげた。一時配下に董卓がいたが意見の衝突が多く董卓が実権を握ると殺されかける。閻忠に皇位簒奪を持ちかけられるがこれを拒否している。
何進?-189年。字は遂高。後漢末の大将軍。元は肉屋だったが、妹が皇帝に嫁いだために外戚として権力を振るう。皇帝の後継問題で宦官と対立し暗殺される。
張梁★★?-184年。張角、張宝の弟。人公将軍と称する。皇甫嵩に敗れて戦死した。
張宝★★?-184年。張角の弟。地公将軍と称する。三兄弟で最後まで残るが、皇甫嵩に敗れ戦死した。
岳陽
甘寧生没年不詳。字は興覇。蜀の出身で江賊をしていたが、後に足を洗い勉学に励む。劉璋に対し反乱を起こすものの敗れて荊州へ逃亡。そこで黄祖に仕えるも冷遇され、敵対していた孫権に寝返る。曹操の本陣に100騎で奇襲をかけるなど剛勇な将だった。しかし賊時代の癖か粗暴な所をよく問題にされていた。
孫権182年-252年。字は仲謀。呉の初代皇帝。父と兄が築いた版図をよく守り国力を蓄えた。曹操を烏林で破った戦いは「赤壁の戦い」として良く知られているが資料に乏しく実際どのような戦いがあったのかは不明な点が多い。酒癖が悪く度々家臣に諌められている。
孫皓242年-284年。字は元宗。呉の四代目にして最後の皇帝。孫権の孫。宮廷の権力争いから先帝の遺言を曲げて帝位に推されたが、暴君で多くの臣を拷問し国を傾け、最後は晋の侵攻軍に降った。
諸葛瑾★174年-241年。字は子瑜。諸葛亮の兄、一説には従兄。馬面で有名。孫権からの信頼が非常に厚く、孫権は諸葛亮との内通を疑われた諸葛瑾を庇う際、「われと子瑜とは死生変わらざるの誓いあり、子瑜の背かざるは、われの子瑜に背かざるがごときなり」と言ったという。政治家、軍人として有能であった。彼自身は謙虚な人柄であったが自ら危惧したよう息子の諸葛恪は傲岸な性格から諸葛家を破滅へと導いてしまう。
成都
関羽?-219年。字は長生、改め雲長。劉備旗揚げからの腹心の一人。赤ら顔と髯が有名。元々塩の密売人をしていたことから、現在では関羽を祀る関帝廟が商売繁盛の神として世界中の中華街にいる。部下には優しいが傲岸不遜な性格だったようで馬超を始めとした同僚と度々問題を起こしている。諸葛亮が益州へ向い荊州を一人で統治するようになるが時世を読めず魏と呉の挟撃に遭いに敗死。
張飛?-221年。字は益徳(翼徳)。劉備旗揚げからの腹心の一人。大酒飲みで有名だが正史にそのような記述は無い。万人の敵と謳われる名将。橋の真ん中で仁王立ちして曹操軍数万を退けた長坂坡の戦いが有名。関羽とは逆に部下に厳しく名士には礼を尽くすタイプ。劉備は部下を粗雑に扱い傷めつける張飛の性格を危惧していたが、最後はその危惧が的中。近習に寝首を掻かれ暗殺される。
劉備161年-223年。字は玄徳。長い耳と手が有名。若い頃は酒と博打と女に明け暮れていた。前漢の景帝の末裔を称し、漢朝再興を掲げ挙兵。裏切りを重ねながら人間的な魅力と気に聡い戦略眼で乱世を渡り歩き、最後に蜀漢を建国する。しかし呉の裏切りに遭い関羽は敗死、荊州を奪わる。荊州奪還を狙った夷陵の戦いで大敗し失意のうちに病没した。
諸葛亮★★181年-234年。字は孔明。言わずと知れた名軍師。が、劉備存命中は軍事への携わりは一切許されておらず実際には軍師というより政治家であった。陳寿が言うように軍事的才能に際立った点は見られず、周囲の反対を押し切って馬謖を起用するなど失点が目立つ。長らく出仕する事無く荊州に隠遁(要するにニート)していたが劉備に三顧の礼で迎えられる。蜀漢建国後は丞相として権力を一手に握り北伐を敢行する。公正な政治家であったが、自分の意のままにならない劉封の処刑を劉備に進言するなど陰湿な面も目立つ。
拉薩
劉疆25年-58年。劉彊か?後漢の初代光武帝の長男で皇太子になるが母親が皇后から降ろされた事に不安を感じ退位し東海王となる。人柄が良く東海王になったあとも厚遇され、彼の子孫は後漢末まで続く事になる。
少昊黄帝の子で本名は己摯であるとされる。義和の国の領主。
高陽黄帝の孫で、顓頊の名で知られる神話上の帝王。祭祀をよく執り行ったと伝わる。
黄帝★前2510年-前2448年。古代中国の皇帝。実在したかどうかは正確には不明。本名は姫軒轅。帝鴻と同一視されている。蚩尤を討って人望を集め、神農の後を継いで皇帝になる。中国医学の祖とされることもある。
敦煌
田単生没年不詳。中国戦国時代の斉国の武将。燕国の名将楽毅によって滅亡寸前まで追いこまれた斉国を、絶体絶命の窮地より救い出した元祖「火牛の計」の名将。
鄭和1371年-1434年。本姓は馬。初名は三保。中国明代の武将。永楽帝に宦官として仕えるも軍功をあげて重用され、南海への七度の大航海の指揮を委ねられた。宦官の最高位である太監だったことから、中国では三保太監あるいは三宝太監の通称で知られる。
劉祉前7年-35年。字は巨伯。漢の皇族。父親を初め一族が新の王莽を排斥しようとしたことが発覚したため幼少時は不遇をかこつ。しかしその人柄から劉家で信望を集めていた。初めは一族と共に更始帝を奉じたが、更始政権崩壊後は光武帝に仕える。
楊戯★?-261年。字は文然。蜀の政治家。公正にして清潔で簡約、ただし適度に手は抜くと言う評価がなされている。姜維と仲が悪く讒言を受けて庶民に落とされた。
敦煌(長安攻略後)
白起?-前257年。秦の将軍。別名公孫起。大小あわせて70以上の城を落とした名将。しかし捕虜を40万人生き埋めにしたと伝わる。のちに宰相の范雎からその力を恐れられ徐々に立場を悪くし最後は自害を命じられる。
李牧?-前229年。趙の将軍。対匈奴戦で活躍した名将。その徹底した守りが一時臆病とされ解任されるも後任が攻めに出て大敗し返り咲く。藺相如ら重臣を次々と失くした趙を大将軍として支えるが秦から賄賂を受け取った宦官の讒言によって殺される。
楼蘭
宋江★★生没年不詳。1121年に山東省あたりで反乱を起こした。水滸伝の主人公、序列第一位・天魁星・及慈雨・呼保義としての方が有名か。
鄭成功1624年-1662年。元の名は森、字は明儼。国姓爺とも呼ばれる。中国台湾では清朝への抵抗運動を率いた国民的英雄とされている。(明朝及び現在の中国は漢民族中心だが清朝は満州族中心だから)日本出身である。
法顕★★337年-422年。姓は龔。東晋の僧。中国仏教の発展の為インドへ旅をする。旅行記『仏国記』は当時のアジアの様子が分かる貴重な資料。
伍子胥?-紀元前484年。諱は員。子胥は字。春秋時代の政治家、軍人。呉に仕え、呉の躍進に大きく貢献したが、次第に呉王から疎まれるようになり、最後には呉王から剣を渡され自害するようにと命令され、自ら首をはねて死んだ。
陳平?-紀元前178年。中国秦末から前漢初期にかけての政治家・軍師。当初は魏咎・項羽などに仕官するものの長続きせず、最終的には劉邦に仕え、項羽との戦い(楚漢戦争)の中で危機に陥る劉邦を、さまざまな献策で救った。その後、劉邦の遺言により丞相となり、呂雉亡き後の呂氏一族を滅ぼして劉氏の政権を守るという功績を立てた。
楼蘭(長安攻略後)
項羽秦末期の楚の武将。四面楚歌の人と言えば早いか。秦に対する造反軍の中核となり劉邦等と共に秦を滅ぼしたが、劉邦と天下を争い敗死した。
劉邦前漢の初代皇帝。高祖とも。戦争下手だったが、負けてはいけない一戦では負けなかったとされる。秦滅亡後の混乱を逸早く収めた点から、皇帝の理想像として挙げられる事が多かった。晩年の粛清が広まったのはかなり後の世になってから。
韓信★★麻雀の役・国士無双の由来となった人。中国秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた。張良・蕭何と共に漢の三傑の一人。
長安
王翦生没年不詳。中国戦国時代の秦の将軍。王賁の父。若くして兵法を好み、秦王・贏政(後の始皇帝)に仕えた。楚、越を滅ぼすなど秦の天下統一に貢献した。
蒙恬★?-紀元前210年。中国戦国時代の秦の将軍。匈奴討伐、万里の長城建設などに功績を挙げたが、宦官趙高の陰謀によって扶蘇(始皇帝の長男)と共に自殺させられた。
長安(敦煌攻略後)
司馬遷紀元前145年-?。字は子長。中国前漢時代の歴史家で、『史記』の著者。父は前漢の太史令となった司馬談。官名により太史公を自称する。自身も父を継いで大史令を拝命、その職能・任務として、清時代まで使用された太初暦の制定を行なった。その後宮刑を受けるも、父の志を受け継いで歴史書『史記』を完成させた。
王翦★上記参照。
王賁生没年不詳。字は典。中国戦国時代の秦の将軍。王翦の子。魏・燕・代・斉を滅ぼして、秦の天下統一に貢献した。
蒙恬★上記参照。
長安(再制圧後)
荘子前369年-前286年と思われる。荘周。字は子休と思われる。世俗を離れた無為自然を説いた。
鄭舜功生没年不詳。明代の探検家。倭寇対策の為日本に派遣された。しかし豊前国で大友氏に幽閉され、後の交渉で解放されるも明国内の支援者が失脚していたため再び捕らえられた。
汪大渊★1311年-?。字は煥章。元代の航海家。インド洋沿岸を探検し『島夷志略』に纏めた。
丘長春★1148年-1227年。本名は丘処機。字は通密。全真教の道士。七真人の筆頭と目される。晩年チンギス=ハンに招聘された。
邪馬台
曹奐246年-303年。字は景明。魏の五代目にして最後の皇帝。曹操の孫にあたる。在位260年-265年。晋王司馬炎に帝位を譲り、陳留王に封じられる。陳留王家は479年まで続いたのち王位除かれた。
荀攸157年-214年。字は公達。後漢末の政治家。はじめは董卓に仕えるが暗殺計画に参加し投獄される。董卓が呂布に殺されたため処刑を免れる。その後、叔父(ただし年下)の荀とともに曹操に仕え、その覇業に貢献した。
曹操★155年-220年。字は孟徳。後漢末の軍人、政治家、詩人。祖父は霊帝の寵を受けた宦官曹騰(当然父が養子)。父の本姓は夏侯氏。若い頃は洛陽北部尉としてその仕事ぶりの厳格さを恐れられた。黄巾の乱の討伐で功を立て西園八校尉に任ぜられる。その後董卓が中央に入ったのを機に故郷へ戻り反董卓の兵を起こす。反董卓連合解散後は兗州、豫州を中心に勢力を拡大し華北の覇権をかけて袁紹と官渡で激突、圧倒的な兵力差を挽回して勝利する。その後も袁紹と対立を続けるが二年後に袁紹が病没すると兄弟争いを繰り広げる袁家を駆逐する。その後南征を敢行し劉表の後を継いだ劉を降伏させ荊州を手に入れるも、赤壁の戦いで孫権に敗北。しかし損害は微々たるもので直後に関中軍閥の馬超・韓遂らを下し中原を統一。事実上の統一を成し遂げる。魏国を建国するも最後まで帝位に着かず病没。軍人として有名だが詩人としての才能もずば抜けており中国文学史上における最重要人物の一人。また現存する「孫子の兵法書」は曹操の編纂によるものである。
~襲撃A
李白701年-762年。字は太白。詩仙と呼ばれる唐代最高峰の詩人の一人。酔っ払って水面の月を呑もうとし、長江に落ちて溺死した。
杜甫712年-770年。字は子美。詩聖と呼ばれる唐代最高峰の詩人の一人。生活に困窮していたため、友人宅で出された肉をがっついて食いすぎ、それが原因で死んだ。
徐福始皇帝の命で東方へ不老不死の薬を求めて旅に出た。何処に辿り着いてどのような半生を送ったのかは諸説あるが、始皇帝の下には帰らなかったようだ。しかし、『史記』によると薬を手に入れると嘘をついて援助金をせしめた詐欺師らしい。
~襲撃B
孔子★前551年-前479年。孔丘、字は仲尼。儒家の祖。
荀子前313年-前238年。荀況、字は卿。性悪説を説く。
孟子前372年-前289年。孟軻、字は子輿。性善説を説く。
老子生没年不詳。李耳、字は耼または伯陽。道家の祖。
~襲撃C
宋雲北魏の僧。経典を求めて西域へ向かった。各地を訪問したのち経論170巻を持ちかえった。
献公該当する人物が複数人いるので不明。
襄公該当する人物が複数人いるので不明。
劉蒼?-78年。光武帝の子。東平王。弟の明帝をよく補佐し後漢の安定に尽力した。章帝の代になっても重用され没後は手厚く葬られ、子孫は後漢滅亡まで続いた。
阿骨打★1068年-1123年。漢名は王旻。完顔阿骨打(ワンヤンアグダ)として知られる。女真族完顔部の族長。金を建国し初代皇帝となる。

モンゴル

名前解説
ザナドゥ
ナヤン1258-1287年。チンギス・ハンの来孫に当たる。フビライの家臣だったがナヤンの乱を起こし、フビライによって処刑された。
アジュ★1227?-1280年。ウリヤンカダイの子。フビライの重臣として戦場で多くの功績を挙げた。
カイドゥ?-1301年。チンギスの曾孫に当たる。フビライの元朝と対立し、自らカイドゥ王国と呼ばれる国家を建国した。
アユルバルワダ★1285-1320年。フビライの曾孫。モンゴル帝国第8代皇帝で、仁宗と諡された。
ウリヤンカダイ1200-1271年。スブタイの子。アジュの父。アジュとともにフビライの帝位継承戦争に参加した。
ウランバートル
シレムン?-1252年?。オゴデイの孫。祖父から寵愛され後継者と目されていたが、結局帝位は叶わなかった。フビライにも目をかけられていたが後に暗殺されてしまう。
オゴディ1186-1241年。チンギスの三男でモンゴル帝国第2代皇帝。廟号は太宗。
バトゥ1207-1256年。チンギスの長男であるジョチの次男。オゴデイの死後に帝位を巡って政争を繰り広げ、キプチャク・ハン国初代宗主となった。。一般的には残虐な人物として描かれ、政敵はとにかく暗殺、戦場での敵は皆殺し、降伏してきた敵方の貴婦人を素っ裸にして首を刎ねる、征服した都市はことごとく破壊する……等の逸話が語られている。
ドレゲネ?-1246年。第2代皇帝オゴデイの第6夫人で第3代皇帝グユクの母。息子を帝位につけようと奔走した。彼女の強引な政治工作は諸々の不満を招くこととなり、後のモンゴル帝国分裂に繋がっていく。
耶律楚材★1190年-1244年。字は晋卿。チンギスに仕えた仏教徒で美髯公(ウルツサハリ)と称された賢人。
カラコルム
トグス?-1388年。トグス・テムル。モンゴル帝国第17代皇帝。モンゴル帝国最後の皇帝。
マフェオ1252-1309年。マフェオ・ポーロ。マルコ・ポーロの叔父。ニコーロとともにフビライに謁見し、後にマルコにも引き合わせた。
ニコーロ1252-1294年。ニコーロ・ポーロ。マルコ・ポーロの父。ヴェネチアの宝石商だったと言われる。マルコが15歳程度になるまで海を股に駆けて商売をしていた。帰国したあとは息子を伴ってアジアを再び訪れた。マルコをアジアに連れ出した張本人。
チョルマグン?-1242年。モンゴル帝国の将軍。チンギスの西征において、ウルゲンチ攻略の功績を挙げた。
丘長春★1148-1227年。道教の一派である全真教の道士。不老長生の方法を問うたチンギスに「永生の道はあるも、長生の薬はありません」と答えたことで有名。
アルマリク
ココ?-1375年。ココ・テムル。モンゴル帝国第16代皇帝アユルシリダラの擁立に尽力した将軍。卓越した軍才を持っていた。
チャガン?-1362年。チャガン・テムル。モンゴル帝国の将軍。ココは甥で養子。
アリギバ★1320?-1328年?。モンゴル帝国第11代皇帝。わずか7、8歳で即位したが、クーデターにより在位期間はわずか2ヶ月だった。廃位後の消息は不明。
ホンタイジ1592-1643年。清の第2代皇帝。太宗。
ドルゴン1612-1650年。太祖ヌルハチの第14子。清が中華王朝となるにあたって指導力を発揮した。
ヌルハチ★1559-1626年。清の初代皇帝。太祖。明の支配下で分裂していた女真族を統一し、清の前身となる後金を建国した。その後、明との戦いの最中に病没(戦いの傷が原因とも)している。
カシュガル
サルタク?-1257年。キプチャク・ハン国の第2代宗主。バトゥの子であり、チンギスの曾孫に当たる。
トゥラ・ブカ?-1291年。キプチャク・ハン国第8代宗主。
ウラクチ?-1257年。キプチャク・ハン国第3代宗主。バトゥの子。
カシュガル防壁破壊後
コシラ1300-1329年。モンゴル帝国第13代皇帝。政争に敗れて逃げ延びた先で勢力を固め、既にハーンに就いていた弟トク・テムルからハーンの座を奪った。だが、在位わずか半年ほどで毒殺された。彼の死後は再びトク・テムルが復位している。
ブリ★?-1252年。モンゴル帝国の皇族。宴席でバトゥを侮辱したため、その後バトゥによって殺害された。
カイシャン1281-1311年。モンゴル帝国第7代皇帝。先代のテムル没後、権力を手にしようとする皇后ブルガンを退け、皇帝に即位した。内紛を防ぐために王族、貴族に多額の報償を与えたが、その負担により国家財政の混乱を招いてしまった。
グユク1206-1248年。モンゴル帝国第3代皇帝。第2代皇帝オゴデイの長男。チンギスの孫。オゴデイからは有力な後継者としては見なされていなかったが、母ドレゲネの政治工作もあってオゴデイの没後に第3代皇帝の座に就いた。その後、遠征中に急死。病死とされているが、以前から不仲であった従兄弟バトゥによる暗殺とも言われている。
キト・ブカ?-1260年。イルハン朝の創始者フレグに仕えた将軍。
サマルカンド
シリギモンゴル帝国の王族。第4代皇帝モンケの四男。モンケの死後、第5代皇帝となったフビライに反乱を起こすが、島流しとなった。
チンカイ1169-1251年。モンゴル帝国の官僚。古くからチンギスに仕え、その没後も要職に就いた。しかし、チンカイが支持していない門派のモンケが第4代皇帝に就くと、謀反の疑いをかけられ処刑されてしまった。
バヤン1236-1294年。モンゴル帝国の将軍。フビライの忠臣として南宋討伐戦を始めとした様々な戦いで活躍した。
?-1340年。モンゴル帝国の将軍。第7代皇帝カイシャンに仕え、カイシャンの子トク・テムルが第12代皇帝に就くと、皇族並の待遇を与えられた。さらにその後、まだ幼かった第15代皇帝トゴン・テムルを擁立して独裁権を手にするにまで至ったが、彼を疎ましく思ったトゴンとその甥トクトによって追放された。
サマルカンド防壁1枚破壊後
ゲイハトゥ?-1295年。イルハン朝第5代君主。宴席での揉め事が発端で不仲となった弟バイドゥとの対立が深刻化し、反乱を起こしたバイドゥとの戦いの末に処刑された。
バイドゥ?-1295年。イルハン朝第6代君主。第4代君主アルグンの死後、兄ゲイハトゥに次期君主の座を譲るが、後に反乱を企てゲイハトゥを処刑、第6代君主の座に就いた。しかし、アルグンの息子ガザン・ハンの反乱によって即位半年で処刑された。
ムーサー?-1337年。イルハン朝第11代君主。第6代君主バイドゥの孫。
アバカ★1234-1282年。イルハン朝第2代君主。初代君主フレグの子。キリスト教徒だったという。
サマルカンド防壁2枚破壊後
ブルハイヤ★1197-1265年。ウイグル王国の臣。モンゴル帝国への帰順後はチンギスの側臣となり、フビライの下では十路宣撫使として真定に派遣されている。
ジュチ?-1225年。チンギス・ハンの長男。婦人がメルキト族に攫われてから生まれた子のため、疑惑がつきまとい世継の候補から外された悲運の人物。ジュチの名はモンゴル語で「他人である」という意味。
コルグズ?-1242年。モンゴル帝国の家臣。ウイグル王国出身で、ジュチの子らに文字を教えた。後にホラーサーンの総督を務めたが、政敵によって逮捕され、処刑されている。
トルイ1192-1232年。チンギス・ハンの四男、正妻ボルテの子。武勇に優れ、人望も厚かった。末子相続の習慣があるモンゴルでは後継ぎになる機会があったが辞退し、兄のオゴディが第2代大ハーンに即位した。4代モンケ、5代フビライの父である。
テムゲ・オッチギン?-1246年。チンギス・ハンの末弟。政治能力には優れていたが、武勇には恵まれなかった。オゴタイの死後大ハンの座を狙い謀反を企むが失敗している。
カチウン★チンギスの三弟。早世したらしく、資料がほとんど残っていない。
ウルゲンチ
フレグ1218-1265年。イルハン朝の創始者、初代君主。フビライの弟。征西によってモンゴル帝国の領土を大きく広げ、1260年にイルハン朝を開いた。
チンキム1243-1286年。フビライの長子。聡明であったため老いた父に謀殺された。
モンケ★1209-1259年。モンゴル帝国第4代皇帝。フビライの兄。モンゴル帝国の大ハンであったが、あまりにもフビライに都合のいいタイミングで病死している。
アントン1245-1293年。モンゴル帝国の政治家。フビライに仕えた。
邪馬台
ジェベ?-1225年。チンギスの最側近、『四狗』の一人。敵としてまみえた際にチンギスの乗馬を射殺したことから、「ジェベ(矢じり)」の名を与えられたという。
スブタイ1176-1248年。チンギスの最側近、『四狗』の一人。ジェルメの弟。
クビライチンギスの最側近、『四狗』の一人。
ジェルメチンギスの最側近、『四狗』の一人。スブタイの兄。
~襲撃パターンA
ボオルチュチンギスの最側近、『四駿』の一人。チンギスの少年時代からの親友だったという。四駿四狗の中でも最も高い功臣順位を与えられていた。
ムカリ1170-1223年。チンギスの最側近、『四駿』の一人。ボオルチュと並ぶチンギスの忠臣として活躍した。
ジョチ1157-1213年。ジョチ・カサル。チンギスの次弟。兄を支え、モンゴル帝国創建に貢献した。
チャガタイ★1185-1242年。チンギスの次男。チンギスと正妻ボルテの子、という条件で言えば最優先される血統の持ち主だが、それを鼻にかけ兄を軽んじたため、チンギスの後継者には指名されなかった。
チラウン★チンギスの最側近、『四駿』の一人。
ボロクル?-1217年。チンギスの最側近、『四駿』の一人。
~襲撃パターンB
トガ?-1335年。トガ・テムル。イルハン朝最後の君主。
イェスン★1293-1328年。イェスン・テムル。モンゴル帝国第10代皇帝。フビライの孫。
耶律阿海モンゴル統一以前より弟とともにチンギス・ハンに仕え、後に太師に任ぜられた。今日伝わる耶律楚材の業績の一部は、この兄弟のものではないかとも言われている。
ボクトツ?-前174年。冒頓単于。匈奴の君主。
ミヒラクラ6世紀初頭にエフタルを治めた王。大規模な仏教弾圧を行ったという。

インド

名前解説
カルカッタ
カーカヴァルナ古代インド、マガダ国のシシュナーガ朝の王の一人。シシュナーガ朝の創建者シシュナーガの息子。
クセマダーマン古代インド、マガダ国のシシュナーガ朝の王の一人。
クシャトラウジャス古代インド、マガダ国のシシュナーガ朝の王の一人。
シシュナーガ古代インド、マガダ国のシシュナーガ朝の初代王。その記録には神話的な要素が多分に含まれるため、成立年代や歴史的事実についてははっきりとしたことが分かっていない。
ダルシャカ古代インド、マガダ国のシシュナーガ朝の王の一人。
ムンバイ
バドラセーナカーラショーカの十人の息子の一人。カーラショーカの跡を継ぎ、十人でシシュナーガ朝を治めたと言われる。
ナンディヴァルダナカーラショーカの十人の息子の一人。カーラショーカの跡を継ぎ、十人でシシュナーガ朝を治めたと言われる。
カーラショーカ古代インド、マガダ国のシシュナーガ朝の王の一人。カーカヴァルナの別名、同一人物であるともされる。
セイロン
マングラカーラショーカの十人の息子の一人。カーラショーカの跡を継ぎ、十人でシシュナーガ朝を治めたと言われる。
サルヴァンジャハカーラショーカの十人の息子の一人。カーラショーカの跡を継ぎ、十人でシシュナーガ朝を治めたと言われる。
ジャーリカカーラショーカの十人の息子の一人。カーラショーカの跡を継ぎ、十人でシシュナーガ朝を治めたと言われる。
ウバカカーラショーカの十人の息子の一人。カーラショーカの跡を継ぎ、十人でシシュナーガ朝を治めたと言われる。
デリー
カッサパプーラナ・カッサパ。インドの道徳否定論者。仏教から異端とされた六師外道の一人。人は何をしようと善にも悪にもならないと主張し、因縁や業を否定した。釈迦が与えた加護の品を奪い、それと共に身を投げて死んだと言われている。
マハーヴィーラジャイナ教の開祖。六師外道の一人。本名はヴァルダマーナで、マハーヴィーラは「偉大な勇者」の意。釈迦と同年代の人物とされるが、諸説ある。
ベーラティプッタサンジャヤ・ベーラティプッタ。インドの懐疑論者。六師外道の一人。
ガンダーラ
クナーラ古代インド、マガダ国のマウリヤ朝の王。アショーカの息子。プラーナ文献によれば、第3代王アショーカの跡を継いだ王とされる。
バンドゥパーリタ古代インド、マガダ国のマウリヤ朝の王の一人。
ダシャラタ古代インド、マガダ国のマウリヤ朝の王の一人。
チャンドラグプタ?-紀元前298年頃。古代インド、マガダ国のマウリヤ朝の初代王。アショーカの祖父。ナンダ朝を滅ぼし、新たにマウリヤ朝を建国した。
ビンドゥサーラ紀元前293-268年頃。マガダ国のマウリヤ朝の第2代王。アショーカの父親で、チャンドラグプタの息子。息子のアショーカとは不仲で、後継者とは考えていなかったと言われる。
~襲撃A
デーヴァダルマン古代インド、マガダ国のマウリヤ朝の王の一人。
カニシカカニシカ1世。クシャーナ朝の第4代王。彼の時代にクシャーナ朝は全盛期を迎えた。仏教を手厚く保護したという。
シャタンダヌス古代インド、マガダ国のマウリヤ朝の王の一人。
ブリハドラタ古代インド、マガダ国のマウリヤ朝の王の一人。
シャーリシューカ古代インド、マガダ国のマウリヤ朝の王の一人。
~襲撃B
ダナプーティダナプーティ・ヴァーチプタ。古代インド、マガダ国のシュンガ朝の西部、バルフートを治めた王の一人。
ヴィサデーヴァヴィサデーヴァ・ガーギープタ。古代インド、マガダ国のシュンガ朝の西部、バルフートを治めた王の一人。
アーガラージュアーガラージュ・ゴティプタ。古代インド、マガダ国のシュンガ朝の西部、バルフートを治めた王の一人。
スカルパ古代インド、マガダ国のナンダ朝の第2代王。ナンダ朝の創建者マハーパドマの息子。
マハーパドマ古代インド、マガダ国のナンダ朝の初代王。シシュナーガ朝を滅ぼしナンダ朝を建国したとされるが、彼自身の記録は一定せず、詳細は分かっていない。

オーストラリア

名前解説
ダーウィン
北条高直?-1334年?。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。幕府軍の大将の一人として各地を転戦していたが、足利尊氏の離反等が起こり、軍が四散、奈良に逃れたが、北条高時らが自害したことを知り降伏、京都に幽閉されていた。尊氏が助命を懇願していたものの、北条残党による鎌倉侵攻が起こったことにより北条氏排除の機運が高まり、1334年、京都阿弥陀峰で斬首に処された。
北条邦時1325-1333年。鎌倉時代末期の北条氏・得宗家の一族。元弘の乱で鎌倉陥落時に伯父である五大院宗繁に託され伊豆山に脱出したが、宗繁が新田義貞軍の舟田義昌に密告したため相模川にて捕らえられ、鎌倉にて処刑された。享年9。
安国寺恵瓊1539年?-1600年。戦国時代から安土桃山時代にかけての僧・大名。“安国寺”は、住持した寺の名である。出自は若狭武田氏。毛利氏の外交僧から、僧の身分のまま大名となった。関ヶ原の戦いでは懇意であった石田三成と通じて西軍に与し、毛利一族の当主・毛利輝元を西軍の総大将として担ぎ出すことに成功したが、西軍敗北後、西軍首脳の1人として、六条河原にて斬首された。
スパルタクス紀元前109頃-71年。共和政ローマ期の第三次奴隷戦争の首謀者。寄せ集めの反乱軍を巧みにまとめ上げローマ軍を幾度と打ち破る。最期は三頭政治で有名なクラッススに敗れ戦死。死体が誰か判別できないほど切り刻まれていたという。なおスパルタ人ではなくトラキア人である。
歩闡★★?-272年。字は仲思。呉の名臣・歩騭の子。兄の死後後を継ぐが、暴君孫皓からの突然の帰還命令に怖れを為して晋へ寝返る。しかし孫皓の命で討伐に来た陸抗に敗れ処刑された。
バース
シェパード1924-1970年。サム・シェパード。1954年7月4日、妻を殺した容疑で逮捕・起訴され、終身刑を受けるが、あまりにずさんな裁判・判決であったため連邦裁判所が後に有罪判決を棄却、再審で無罪となる。ドラマや映画の「逃亡者」のモチーフとなった事件。
ヤーノシーク1688-1713年。ユライ・ヤーノシーク。17世紀終りから18世紀始めにかけて実在した、現在のスロバキアとポーランドにまたがるタトラ山脈一帯に住んでいるグラル人(山の人)と呼ばれる集団出身の盗賊。スロバキアとポーランドでは、権力者や金持ちから金品を強奪し、庶民にそれらを配った伝説的義賊として知られている。のちにこれらの地域に隣接するチェコやハンガリーなどにも伝えられ有名となった。
日本左衛門★★1719-1747年。江戸時代中期の大盗賊。本名は浜島 庄兵衛。若い頃から放蕩を繰り返し、やがて盗賊団の頭目となって遠江国を本拠とし、東海道諸国などを荒らしまわったとされる。当時の手配書は、親殺しや主殺しの重罪のみに出されていたが、日本左衛門が日本初の盗賊手配犯となった。1747年1月7日に京都で自首し、同年3月11日(14日とも)に処刑され、首は遠江国見附に晒された。現在に残る日本左衛門の史跡として、東京都墨田区・徳之山稲荷神社に日本左衛門首洗い井戸の碑があり、ほかにも遠州見附・見性寺に墓があり、遠州金谷宿・宅円庵には首塚がある。
鼠小僧次郎吉1797-1832年。大名屋敷を中心に盗みを働いた窃盗犯。今も残る自白調書によれば9年間に100回以上もの盗みを働いたらしい。警備がザルすぎたのか次郎吉が凄腕だったのか・・・。武士階級が絶対であった江戸時代に於いて大名屋敷を専門に徒党を組むことなく一人で盗みに入ったことから江戸時代における反権力の具現者のように扱われたり、そういったものの題材して使われることが多い。
ジョナサン★1683-1725年。18世紀初頭に活躍したイギリスの犯罪者、ジョナサン・ワイルド。泥棒の元締めにして盗品故買屋であり組織犯罪の先駆けともいうべき存在。当時のイギリスに警察制度が無く、治安判事も名誉職に過ぎないという問題に目をつけ、購入した保安官助手の役職を利用して、自ら盗んだ盗品を第三者を装い被害者に謝礼と引き換えに返していた。しかし、議会が新たに、金銭と引き換えに盗品の情報を提供することを禁止する特別法を制定したため、ワイルドは捕らえられてロンドンのタイバーンで絞首刑に処された。
アリススプリングス
ダイアー1611?-1660年。かかったなアホが! ではなくメアリー・ダイアーと思われる。クエーカー教禁止令に違反した罪と再三にわたる改宗を拒否したため絞首刑に処される。
アヴァクーム1620(1621)-1682年。ロシアの司祭で、古儀式派の最初期の指導者。ニーコンの教会改革に強く反対し、1653年シベリアに流刑された。1666年の東方教会会議において定められた、ニーコン以前の礼拝を廃するという方針に従わず、1667年6月17日についに破門され、ヨーロッパ・ロシアの最北端プストジョルスクの砦に流刑された。それでも尚、逆らい続けて賛同者を増やして行ったため、焚刑に処せられる事となる。
中浦ジュリアン1568頃-1633年。安土桃山時代から江戸時代初期のキリシタンで、天正遣欧使節の副使。ジュリアンは洗礼名。肥前国大村領中浦村領主の子。イエズス会員でカトリック司祭。帰国後は布教活動に勤めるもキリシタン弾圧が始まり、最期はキリシタン追放令に逆らった罪で処刑される。殉教から374年が経過した2007年6月、ローマ教皇ベネディクト16世は、中浦ジュリアンを福者に列することを発表し、2008年11月24日に長崎で他の187人と共に列福式が行われた。天正遣欧少年使節の一員で福者になるのは彼が初めて。
フォークス1570-1606年。グイド(ガイ)・フォークス。1605年にイングランドで発覚した政府転覆未遂事件の実行責任者。首謀者はロバート・ケイツビー。国王ジェームズ1世の国教会優遇政策により、カトリック教徒は弾圧を受けていた。1605年11月5日の開院式に出席する国王ジェームズ1世らを爆殺する陰謀を企てたが、実行直前に露見して失敗に終わった。これにちなんだ祭事が毎年イギリス各地で開催されている。
ブリスベン
ウォレス1272頃-1305年。サー・ウィリアム・ウォレス。スコットランドの騎士、軍事指導者。イングランド王エドワード1世によるスコットランド支配に抵抗したが、1298年、フォルカークの戦いで敗れてからは、スコットランド貴族側で講和の機運が高まり、さらに支持者を失った。その後7年間に渡ってゲリラ戦を続けてきたが、1305年、スコットランド貴族の裏切りにより、グラスゴーの付近で生け捕りにされロンドンで処刑された。
リュシル★★1770-1794年。フランス革命期におけるジャーナリスト、カミーユ・デムーランの妻、リュシル・デュプレシ。反革命派・過激派などを夫と同じように深く憎み、家庭内ではこれ以上ないほどの内助の功を発揮して、革命家デムーランを影でよく支えたが、ジャコバン派内部での権力争いにより夫が逮捕・処刑された直後に彼女も逮捕され、ギロチン刑に処された。温厚な彼女にはまったくありえない話であったが、当時はプレリアール22日法の下、反革命の証言だけで逮捕に踏み切れたためである。
チャプリーンシカ?-1651年。モトローナ・チャプリーンシカ。1651年、夫が出兵中に軍金が盗まれ、モトローナと彼女の愛人と見なされた軍金運営役人が犯人であると判断された。2人は裸にされ、お互いに縄で縛られたまま、絞首刑にされた。伝えによれば、愛妻の死の知らせを受けたフメリニツキーは大いに悲しみ、大事なベレステーチュコの戦いで惨敗を喫したといわれる。
ドルゴルーコフ1672-1739年。ヴァシーリー・ルキーチ・ドルゴルーコフ。ロシア帝国の外交官。「ロシア皇帝」の称号をフランスに承認させる外交努力を尽くした。ピョートル2世亡き後、クールラント公妃アンナ・イヴァノヴナを傀儡としようとしたが反発にあい失脚、ソロヴェツキー修道院に追放された。その9年後、ピョートル2世の遺言状から探し出された罪によってドルゴルーコフは告発され、拷問を受けて1739年11月8日にノヴゴロドで斬首された。
フィリッピーヌ1764-1794年。エリザベート・フィリッピーヌ・ド・フランス。フランス王女。フランス革命に際して国外へ脱出することを拒絶し、チュイルリー宮殿で国王一家と監禁、1791年6月、国王一家とともに逃亡を図ったが、ヴァレンヌで捕らえられた。その後、嘘の告発によりギロチン刑に処される事となる。
フェルナンド2世★1452-1516年。アラゴン王フェルナンド二世。最初の妻であるカスティーリャ女王イサベル1世と共にカトリック両王と呼ばれる。スペイン異端審問を開始した人物。宗教的理由からではなく、ユダヤ教徒からの債務を帳消しにするためというトンデモない理由で開始されたため、欧米では理不尽な尋問の代名詞として定着している。
シドニー
封常清?-755年。唐の武将。西域で高仙芝に従い、功績をあげたが、安史の乱に際し敗戦の罪で処刑された。
グレイ1537?-1554年。イングランドのテューダー朝第4代の女王、ジェーン・グレイ。エドワード6世が崩御後、義父ノーサンバランド公はジェーンの即位を宣言したものの、陰謀を察知したヘンリー8世の子メアリーが逃亡、身柄を拘束できなかった。そのためメアリー派の反攻を許すこととなり、1553年7月19日にサフォークでメアリーが即位を宣言、夫共々逮捕され、ロンドン塔幽閉を経て1554年2月12日、夫ギルフォードとともに斬首された。
勢多伽丸1208-1221年。鎌倉時代の人物。承久の乱で上皇方に荷担した佐々木広綱の子。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの理論で出家していたのに処刑された悲劇の14歳。
ダドリー★★ミニョネット号事件の船長、トーマス・ダドリー。カルネアデスの板をリアル体験してしまった4人のうちの一人。イギリス最高法院は法律論よりも倫理的な判断を優先し、被告に死刑を宣告したが、ヴィクトリア女王の特赦により半年の禁固刑に減刑された。
高仙芝★?-755年。中央アジアの砂漠地帯も支配した大帝国、唐の軍人。安史の乱で辺令誠が口出しするのを無視したため処刑されてしまう。
メルボルン
ブルンヒルド543頃-613年。アウストラシアの王シギベルト1世王妃。ローマ式の中央集権制度を導入するなど、政治手腕の優れた人物だったが、年を経るにつれて冷酷で貪欲になっていった。晩年、クロタール軍との戦争中に諸侯の裏切りに遭い拷問を受けて殺されてしまう。登場人物や出来事、時代背景が似通っているため、「ニーベルンゲンの歌」のブリュンヒルデ、クリームヒルトのモデルとなったと考えられている。
デュ・バリー1743-1793年。デュ・バリー夫人のことと思われる。ルイ15世の公妾。元は貧しいお針子の町娘兼娼婦だったが、パトロンであるデュ・バリー子爵の伝手で王の寵姫となった。かのマリー・アントワネットとは犬猿の仲で、後に宮廷を追放された。フランス革命ではマリーに後んじてギロチン台へと上がることとなった。
菅原道真845-903年。宇多天皇・醍醐天皇の治世を支えた重臣で、「学問の神様」として有名な平安貴族。しかし政敵であった藤原時平に陥れられ、大宰府へ左遷されたあと現地で没した。また、死後に天変地異が多発したことから天神信仰が起こり、彼に縁のある土地に天満宮が奉られた。ちなみに世間のイメージ通りに非常に頭の切れる優等生だったがお堅い人物というわけではなく、普通に商売女と遊んじゃったりするプレイボーイ且つ武芸にも秀でた魅力ある人物だった。
方孝孺1357-1402年。明初期の儒学者。字は希直、または希古。別名方正学。建文帝の信任のもとで国政改革に従事し、徳治による政治体制を目指したが、燕王・朱棣による靖難の変で捕えられる。永楽帝となった朱棣は、姚広孝の進言もあって方孝孺を助命する代わりに、彼に即位の詔を書くように命じた。しかし、方孝孺は建文帝から重用された恩を忘れていなかったため、永楽帝の即位を「燕賊簒位」と大書した。これが永楽帝の怒りに触れて、一族800余名全てを目の前で処刑され、建文帝派だった者たちと共に処刑される。永楽帝はその後、方孝孺著書を燃やし、門下生達も処刑・流刑に処した。この虐殺は「滅十族」と称された。
オーストラリアの支配者を探す
ジャック・ザ・リパー言わずと知れた切り裂きジャックその人。1888年にイギリスで発生した連続猟奇殺人犯の通称。この事件は未解決事件である。署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなど、劇場型犯罪の元祖とされる。
ブランヴィリエ1630-1676年。17世紀フランスの連続殺人犯、ブランヴィリエ侯爵夫人、マリー・マドレーヌ・ドルー・ドブレー。不倫相手と共謀し遺産目当てに父親を毒殺するため慈善病院に熱心に通いつめ、病人相手に人体実験を繰り返して毒の効果を試した後、父親に少しずつ毒を盛って殺害、遺産を独り占めするために兄弟も殺害する。その娘や夫たちも狙ったが不倫相手が事故死し、殺害の証拠が警察に見つかり国外へ逃亡、最後は刑事におびき出され逮捕され、斬首刑となった。
平井権八★★1655-1679年。江戸時代前期の浪人。飼っていた犬同士の諍いが原因で父親の同僚を殺害して脱藩、浅草日本堤で通行人から金銭を奪い吉原に通い、三浦屋の遊女小紫と深い仲となる。その後、寺に匿われて改心、両親に会いに行くも既に他界していたため自首し、斬首される。東京都目黒区下目黒3丁目の目黒不動尊の仁王門近くに、後追い自殺した小紫との比翼塚がある。
ヴォイツェック1780-1824年。ヨハン・クリスティアン・ヴォイツェック。41歳の時、5歳年上の愛人を刺殺し死刑判決を受けた。精神異常を疑われたが、かなり詳細な精神鑑定が行われ、責任能力を認める結論を下した。死刑執行は1824年8月27日に行なわれた。ライプツィヒでは30年ぶりとなる公開処刑であったため、処刑場には何千人もの人々が詰め掛けた。これはライプツィヒで行なわれた最後の公開処刑となった。
ジル・ド・レイ★1404-1440年。フランス貴族、ジル・ド・モンモランシ=ラヴァル。ジャンヌ・ダルクに協力し、戦争の終結に貢献し「救国の英雄」とも呼ばれたが、戦争が終わると湯水の様に財産を錬金術に注ぎ込み始める。その過程で数多くの幼い少年達を拉致、凌辱、虐殺した。1440年に告発され処刑される。
被占領
西園寺公宗★1310-1335年。鎌倉時代末期から建武政権にかけての公家。鎌倉幕府滅亡により低下していた西園寺家の地位回復を狙い、後醍醐天皇暗殺を計画した。しかし内通により計画は露呈し、逮捕、処刑された。
アン・ブーリン1507年頃-1536年、イングランド王ヘンリー8世2人目の王妃。金と権力を手にした多くの人間同様に堕落していき、結婚から2年後、アンは国王暗殺の容疑、および不義密通を行ったとして、反逆罪に問われ、同年5月19日、反逆、姦通、近親相姦及び魔術という罪で死刑判決を受け、ロンドン塔にて斬首刑に処せられた。エリザベス1世の生母としてある意味有名か。
荊軻?-前227年。中国戦国末期の刺客。秦の嬴政(後の始皇帝)を暗殺しようとするが失敗して殺された。この逸話は漢文の教科書にも取り上げられている。
アンカーストレム1762-1792年。ヤコブ・ヨハン・アンカーストレム。スウェーデンの貴族、軍人。スウェーデン王グスタフ3世の暗殺犯。絶対王政を敷いたグスタフ3世に反対する貴族の過激派は、仮面舞踏会の会場にて国王暗殺を計画する。暗殺には成功するが、彼らはその場で捕縛され、主犯のアンカーストレムは公開斬首刑となった。
ダミアン★★1715-1757年。ロベール・フランソワ・ダミアン。フランス国王ルイ15世の暗殺未遂犯。馬車に乗り込もうとしたルイ15世をナイフで切り付けたが、ルイ15世は厚着をしていたため軽傷で済んだ。ダミアンはその場で捕らえられ、国王暗殺を目論んだ重罪により八つ裂き刑に処せられた。
~襲撃A
ロラン夫人1754-1793年。ジャンヌ・マリー・オ・マノン・フィリポン・ロラン。フランスの革命指導者。ジロンド派の黒幕と称された人物。ジャコバン派のロベスピエールが実権を握ると、反ロベスピエール派として逮捕、処刑された。
偽ピョートル?-1607年。ロシア・ツァーリ国の大動乱期に即位した、「ピョートル」の名を自称した皇帝。皇帝フョードル1世(イヴァン雷帝の息子)の死後、政権不安や大飢饉、ポーランドとの戦争などによって荒れ果てたロシアでは、素性の怪しい皇位簒奪者、皇位僭称者が次々と現れた。そんな中、フョードル1世の息子を自称して反乱を起こしたのが偽ピョートルである。最期は鎮圧され、処刑された。
パトクル★★1660-1707年。ヨハン・ラインハルト・フォン・パトクル。リヴォニアの貴族、政治家。当時のリヴォニアはスウェーデン王カール11世の絶対王政により特権を剥奪されていた。それに反対する嘆願書を提出したパトクルは大逆罪に問われてしまう。その後、ポーランド・リトアニア共和国に亡命するが、大北方戦争での敗北によりスウェーデン軍に引き渡され、処刑された。
ブレイク1757-1827年。ウィリアム・ブレイク。イギリスの画家、詩人、彫版師。幻想的な作風で知られる。反戦主義的な言動から兵士と諍いを起こし、治安妨害罪で裁判にかけられたが、無罪となっている。
藤原経清★?-1062年。平安時代中期の陸奥国亘理郡の豪族。その大きな経済力を背景に、安倍氏征討に際して陸奥守登任とその後任の源頼義に苦渋を舐めさせた。それが祟って安倍氏滅亡後に捕縛された際、錆び刀で鋸挽きによって斬首された。
~襲撃B
子羽中国・唐の詩人、王翰。711年、進士に及第し、張説に認められて駕部員外郎に任ぜられたが、張説の失脚とともに汝州(河南省臨汝)刺史として都を追われ、次いで仙州(河南省葉県)別駕に左遷された上、素行が治まらぬと弾劾されて、道州(湖南省道県)司馬に流刑され死亡。
二階堂貞藤1267-1335年。鎌倉時代後期の御家人。鎌倉幕府滅亡後も建武政権に参加し雑訴決断所所四番衆で北陸道を管轄する。建武元年(1334年)の西園寺公宗の陰謀露見に際して、六条河原で処刑される。
ウェントワース1593-1641年。初代ストラフォード伯トマス・ウェントワース。清教徒革命直前の17世紀のイングランドの政治家で、アイルランド総督などを歴任した国王チャールズ1世の側近。内戦前夜のイングランドで議会勢力から糾弾され、斬首刑にされた。
~襲撃C
ノートン1814-1880年。ジョシュア・エイブラハム・ノートン。合衆国の政治体制には不備があるとして、絶対君主制を実現すべく自らを「アメリカ皇帝」と宣言した人物。そのような突飛な言動は精神疾患を患っていたためと考えられている。人柄は穏和で過激な要求などもしなかったため、名物「皇帝」として人々からは愛されたという。
ローゼンクロイツ1378-1484年。クリスチャン・ローゼンクロイツ。中世ドイツの魔術師。秘密結社「薔薇十字団」の創設者として知られる。アラビアの賢者たちから多様な学問を学び、「Mの書」と呼ばれる魔道書をラテン語に翻訳した。
ヘリワード★★ヘリワード・ザ・ウェイク。ノルマンコンクエスト前後にノルマン人に抵抗し、ゲリラ戦を仕掛けた伝説的なデーン人貴族。ロビン・フッドのモデルの一人ともされる。
ヘロストラトス古代ギリシャの放火犯。紀元前356年頃、自らの名を有名にしたいという理由でアルテミス神殿に放火し、自分が犯人であることを堂々と認めたという。この目的を挫くため、本人のみならず彼の名を口にした者をも死刑とする処置が取られた。
アップルシード1774-1845年。ジョン・チャップマン。当時のアメリカ西部、現在のペンシルベニア州、オハイオ州、インディアナ州、イリノイ州、ケンタッキー州にまたがる一帯にある道らしい道すらない開拓地を野宿しながら廻り、聖書の教えを説いてリンゴの種を植えて回ったド根性の持ち主。その際植えて回ったリンゴの種にちなんでジョニー・アップルシードと親しまれ、開拓者精神の体現者として現在でも小説の題目等に取り上げられている。
ベックフォード★1760-1844年。ウィリアム・トマス・ベックフォード。イギリスの作家、パトロン。6ヶ国語習得し凄まじい遺産を相続した超御曹司。イギリス、バースにある美術・博物館ベックフォードタワーの建築を依頼した人物。当時は犯罪視されていた同性愛行為の罪で起訴された経験がある。

インディアス

名前解説
サンフランシスコ
ローゼン1840代?-1887年。インディアン、チリカウア・アパッチ族の女戦士、祈祷師。チリカウア・アパッチ族の酋長ヴィクトリオの妹。後にジェロニモと合流し、白人たちと戦った。
テンスクワタワ1775-1836年。インディアン、ショーニー族の戦士、予言者。テクムセの弟。
ヴィクトリオ1825-1880年。インディアン、チリカウア・アパッチ族の族長。ローゼンの兄。
ワウネカ★1910-1997年。アニー・ドッジ・ワウネカ。インディアン、ナバホ族の女性運動家、政治家。インディアン部族の医療、衛生環境の改善に大きく貢献した。
テクムセ1768?-1813年。インディアン、ショーニー族の戦士。白人への抵抗運動のシンボル的人物。後の第9代合衆国大統領ウィリアム・ハリソンとティッペカヌーの戦いで争ったが、敗北した。
チワワ
ラトリング1814年-?。ラトリング・ブランケット・ウーマン。クレイジーホースの母親。
クレイジーホース1840?-1877年。インディアン、オグララ・スー族の戦士。白人側からはスー族の抵抗戦争の中心的人物と見なされた。
タッチ・ザ・クラウド1838-1905年。インディアン、ミネコンジュー・スー族の戦士、指導者。クレイジーホースの友人だったが、ブラックヒルズ戦争において白人の使節団に降伏。後にクレイジーホース殺害に加担する。
ヒー・ドッグ★1840-1936年。インディアン、オグララ・スー族の戦士。クレイジーホースの友人。
ブラック・エルク1863-1959年。インディアン、オグララ・スー族の呪術師、予言者。クレイジーホースの従兄弟。後にキリスト教徒となった。
ハンプ★インディアン、オグララ・スー族の戦士。
フォートサムナー
サカガヴィア1788年?-?。インディアン、ショーショーニー族の女性。白人に協力したインディアンの一人。西部調査に向かうルイス・クラーク探検隊に同行し、通訳や交渉などに大きく貢献した。2006年に公開されたアメリカ映画「ナイト・ミュージアム」の作中にヒロイン格として登場している。
ティスクアンタムインディアン、ワンパノアグ族の一員。スクアントの別名。
スクアント1580代-1622年。インディアン、ワンパノアグ族の一員。かつて奴隷としてヨーロッパに渡っていたことがあり、英語を話すことができた。そのため、酋長のマサソイトからピルグリムファーザーズとの交渉役を任された。ティスクアンタムとも。
シッティング・ブル★1831-1890年。インディアン、オグララ・スー族の戦士、呪術師。クレイジーホースと並んで白人側からはスー族の抵抗戦争の中心的人物と見なされた。
プリティー・フェザーシッティング・ブルの一番上の姉。
ダラス
ジョン・ササモン1633-1674年。インディアン、ワンパノアグ族の一員。キリスト教に改宗し、ハーバード大学のインディアン・カレッジで学んだ。白人側に付き、ワンパノアグ族が戦争準備をしていることを通報した。
ネリー・ララビークレイジーホースの三人目の妻。シャイアン族とフランス人の混血。
レオナルド・クロウドッグ1942年-。インディアン、シチャング・スー族の呪術師。インディアンの権利運動に貢献した。
ちなみに現在も存命中で、東日本大震災にメッセージをくれたりもしている。
ペンサコーラ
オブワンディヤグ1720-1769年。インディアン、オタワ族の酋長。フレンチ・インディアン戦争ではフランス側に付いてイギリスと戦った。
マンガス1793-1863年。マンガス・コロラダス。インディアン、ミンブレス・アパッチ族の酋長。ジェロニモらと共にアパッチ戦争に身を投じた。
ダル・ナイフ1810-1883年。インディアン、北方シャイアン族の酋長。降伏後に保留地を脱走し、北の故郷へ逃避行を行った。
リトルウルフ1820-1904年。インディアン、北方シャイアン族の酋長。降伏後に保留地を脱走し、北の故郷へ逃避行を行った。
ブラック・ケトル★1813-1868年。インディアン、シャイアン族のウタパイ・バンドの酋長。白人との和平を望む人物だったが、同じ部族の交戦派を止めることはできなかった。
セントルイス
テトン・スースー族の氏族の一つ、ラコタ族の別称。個人名ではない。
アロペジェロニモの妻。メキシコ人の騙し討ちによって子供らと共に殺され、ジェロニモは復讐を誓うこととなる。
アフレイド・オブ・ハー★ゼイ・アー・アフレイド・オブ・ハー。クレイジーホースとブラック・ショールの娘。幼くしてコレラで亡くなった。
ブラック・ショール★クレイジーホースの二人目の妻。
ノー・ウォータークレイジーホースの友人。妻ブラック・バッファロー・ウーマンがクレイジーホースと駆け落ちしたことに怒り、クレイジーホースに重傷を負わせた。
ステイズ・バックインディアン、アシニボイン族の一員。シッティング・ブルと敵対する部族の少年だったが、一人になっても勇敢に立ち向かう姿に感銘を受けたシッティング・ブルに救われた。シッティング・ブルは彼に「ステイズ・バック」という名を与え、弟として育てた。
被占領
スポッテッド1823-1881年。スポッテッド・テイル。インディアン、シチャング・スー族の一員。レッド・クラウド共に、白人との取引に応じるべきという融和派の代表的人物。しかしその姿勢から、白人の回し者として交戦派のインディアン達からは蔑まれた。インディアンのジェロームとの決闘で死亡した。
ブラック・バッファローブラック・バッファロー・ウーマン。レッド・クラウドの姪で、クレイジーホースの一人目の妻。ノー・ウォーターの妻だったが、クレイジーホースと駆け落ちをした。
レッド・クラウド★1822-1909年。インディアン、オグララ・スー族の一員。白人によってスー族の指導者に祭り上げられた人物。白人の強大さを悟った彼は、戦いよりも可能な限り有利な条件で白人の取引に応じるべきと考えた。しかしその姿勢から、白人の回し者として交戦派のインディアン達からは蔑まれた。
キーハナバーインディアン、ナバホ族のリーダー、チー・ドッジの三番目の妻。
~襲撃A
ツー・ムーンズ1847-1917年。インディアン、シャイアン族の戦士。降伏後はネルソン・マイルズ将軍の下で他のシャイアン族との調停役を務めた。
マサソイト1581-1661年。インディアン、ワンパノアグ族の酋長。イギリス人入植者ピルグリムファーザーズと友好的な関係を築いたことで知られる。
ポウハタン1545頃-1618年頃。インディアン、ポウハタン族の酋長。ポカホンタスの父親。
サリーアニー・ドッジ・ワウネカと夫ジョージ・ワウネカの間に生まれた子供の一人。
ポカホンタス★1595頃-1617年。インディアン、ポウハタン族の酋長の娘。白人に味方したという「美談」で知られ、ロマンティックな物語として様々な作品の題材となった。しかし、その物語に関しては植民請負人ジョン・スミスの創作・脚色が多分に含まれており、白人側に都合のいい内容だとしてインディアンからの批判も根強い。
~襲撃B
サンテ・スースー族の氏族の一つ、ダコタ族の別称。個人名ではない。
ヘンリーアニー・ドッジ・ワウネカと夫ジョージ・ワウネカの間に生まれた子供の一人。
イルマアニー・ドッジ・ワウネカと夫ジョージ・ワウネカの間に生まれた子供の一人。
フランクリン★アニー・ドッジ・ワウネカと夫ジョージ・ワウネカの間に生まれた子供の一人。
ジョージア・アン★アニー・ドッジ・ワウネカと夫ジョージ・ワウネカの間に生まれた子供の一人。
ローレンチータアニー・ドッジ・ワウネカと夫ジョージ・ワウネカの間に生まれた子供の一人。

USA

名前解説
ソルトレイクシティ
ホプキンス★1816-1886年。ヘンリー・ホプキンス・シブレー。インディアン戦争、南北戦争期のアメリカ軍人。南北戦争では北軍に属した。
ジェイムズよくある名前なので特定できず。南北戦争期の軍人だと以下の辺りか。
1821-1904年。ジェイムズ・ロングストリート。アメリカ軍人。南北戦争時は南軍の将軍を務めた。
1828-1864年。ジェイムズ・マクファーソン。アメリカ軍人。南北戦争時は北軍の将軍を務めた。
ウィリアム・テクムセ1820-1891年。ウィリアム・テクムセ・シャーマン。インディアン戦争、南北戦争期のアメリカ軍人。南北戦争では北軍の勝利に貢献した。ミドルネームのテクムセはインディアンのテクムセにちなむ。
ローレンス1838-1898年。ローレンス・サリバン・ロス。インディアン戦争、南北戦争期のアメリカ軍人、政治家。南北戦争時は南軍の将軍を務め、戦争終結後はテキサス州の知事となった。後に大学の学長にも就いている。
ラナルド1840-1889年。ラナルド・スライデル・マッケンジー。インディアン戦争、南北戦争期のアメリカ軍人。南北戦争では北軍に所属した。
ペリー1794-1858年。マシュー・ペリー。日本では「黒船来航」でよく知られるアメリカ軍人。江戸時代、鎖国をしていた日本に東インド艦隊を率いて訪れ、開国させた。
カンザスシティ
アルフレッド1840-1914年。アルフレッド・セイヤー・マハン。アメリカの軍人、歴史家、戦略研究者。
ドク・ホリデイ1851-1887年。ジョン・ヘンリー・ホリデイ。アメリカ西部時代のガンマン。「OK牧場の決闘」ではワイアット・アープと共に戦った。
ニコラス1744-1790年。サミュエル・ニコラス。アメリカ独立戦争期の軍人。アメリカ海兵隊の初代総司令官。大陸海兵隊総司令官としてイギリス軍と戦った。
ワシントン1732-1799年。ジョージ・ワシントン。アメリカ合衆国初代大統領。元は軍人であり、アメリカ独立戦争では総司令官を務め、イギリス軍に勝利を収めた。合衆国首都ワシントンDCは、彼とコロンブス(コロンブスのC)の名前から取られている。
シカゴ
ジェシー・ジェームズ1847-1882年。アメリカ西部時代のガンマン、アウトロー。世界初の銀行強盗犯とされる。南北戦争時には南軍のゲリラ部隊に参加、終戦後は兄弟や戦友のコール・ヤンガーらと共に強盗団を結成して暴れまわった。その首に賞金がかかると、最期は仲間に裏切られて殺された。
バッファロー・ビル1846-1917年。本名ウィリアム・フレデリック・コディー。アメリカ西部時代のガンマン、興行主。西部時代の戦いなどをモチーフにしたワイルド・ウェスト・ショーを立ちあげ、アメリカやヨーロッパを巡業した。
コール・ヤンガー1844-1916年。アメリカ西部時代のガンマン、アウトロー。南北戦争の戦友ジェシー・ジェームズらと共に強盗団を結成して活動した。逮捕され、終身刑を言い渡されるが、その後に出所。保釈後はバッファロー・ビルの興行に参加するなどした。
バット・マスターソン1856-1921年。ウィリアム・バークレイ・マスターソン。アメリカ西部時代のガンマン、保安官、新聞記者。ワイアット・ア-プの下で保安官代理に就任、その後も保安官を務めた。腰に銃弾を受けた後遺症で杖(BUT)を突いており、その杖を武器とすることもあったため、“バット”・マスターソンの通り名で呼ばれた。
ワイアット・アープ1848-1929年。アメリカ西部時代のガンマン、保安官。「OK牧場の決闘」のエピソードが有名。
エルフェゴ・バカ★1865-1945年。アメリカ西部時代の法律家、法執行者。彼が保安官を自称している時、無法者のカウボーイたちと激しい銃撃戦になった。包囲されて4000発以上の銃弾を浴びせられたが、彼には一発も命中せず、逆に数人の敵を射殺したという。その後は正式に保安官となり、無法者たちを取り締まった。
キット・カーソン★1809-1868年。クリストファー・ヒューストン・カーソン。アメリカ西部時代の開拓者、軍人。罠猟師として独立後、ガイド、インディアンの代理人、軍人など様々な仕事に従事した。南北戦争時は北軍の志願兵として参加、主にインディアンとの戦いや交渉で活躍している。
ニューヨーク
ワイルド・ビル1837-1876年。ワイルド・ビル・ヒコック。本名ジェームズ・バトラー・ヒコック。アメリカ西部時代のガンマン。南北戦争では北軍に雇われ、働いた。
カラミティ・ジェーン1856-1903年。マーサ・ジェーン・カナリー。アメリカ西部時代の女性ガンマン。波乱万丈な自叙伝で有名となった。ただし、その自叙伝には本人の創作、誇張が多く含まれているとも言われる。
ブッチ1866-1908年。ブッチ・キャシディ。本名ロバート・リーロイ・パーカー。アメリカ西部時代のガンマン、アウトロー。サンダンス・キッドなどと共にワイルドバンチ強盗団を結成し、数々の銀行強盗や列車強盗を働いた。
サンダンス★1867-1908年?。サンダンス・キッド。本名ハリー・アロンソ・ロングボー。アメリカ西部時代のガンマン、アウトロー。ブッチ・キャシディなどと共にワイルドバンチ強盗団を結成し、数々の銀行強盗や列車強盗を働いた。
被占領
アントニオ
ネルソン1758-1805年。ホレーショ・ネルソン。アメリカ独立戦争やナポレオン戦争で活躍したイギリスの海軍提督。トラファルガー海戦においてフランス・スペイン連合艦隊を破り、ナポレオンの侵攻を阻止した。現在でもイギリスでは英雄として称えられている。
ネルソンと言えばこの人なのだが、USA所属なのは不自然な感もある。
ユリシーズ1722-1885年。ユリシーズ・シンプソン・グラント。アメリカ合衆国第18代大統領。南北戦争時は北軍の将軍を務めた。軍人としては非常に優秀な人物であったが、大統領就任後は汚職とスキャンダルにまみれ、大統領としての評価は低い。
アームストロング★1839-1876年。ジョージ・アームストロング・カスター。インディアン戦争、南北戦争期のアメリカ軍人。南北戦争では北軍に所属した。
シモン★1823-1914年。シモン・ボリバー・バックナー・シニア。アメリカの軍人。南北戦争では南軍の将軍であった。ドネルソン砦の戦いでユリシーズ・グラントの無条件降伏を飲み、捕縛。その後に保釈され、戦後はケンタッキー州の知事を務めている。
~襲撃A
メリウェザー1774-1809年。メリウェザー・ルイス。アメリカの軍人、探検家。アメリカ西部の探検を行ったルイス・クラーク探検隊の隊長を務めた。
アメリゴ1454-1512年。アメリゴ・ヴェスプッチ。イタリアの探検家、商人。「アメリカ」という名称の由来となった人物。コロンブスが到達していた新大陸に航海を重ね、そこがアジアではなく新たな大陸であると主張。その事実が確認され、その大陸は彼の名から「アメリカ」と命名された。
スタンリー★1841-1904年。ヘンリー・モートン・スタンリー。イギリス出身の探検家、ジャーナリスト。18歳の時にアメリカに渡る。その後、新聞社の特派員としてイギリス軍のアフリカ遠征に従軍し、探検家として多くの発見を成し遂げた。
フレモント1813-1890年。ジョン・チャールズ・フレモント。アメリカの軍人、探検家。ガイドのキット・カーソンと共に西部探検を行った。当時メキシコ領だったカリフォルニアの探検を強行するために入植者の反乱を扇動したとされ、これが米墨戦争へとつながった。
クラーク1770-1838年。ウィリアム・クラーク。アメリカの軍人、探検家、生物学者。メリウェザー・ルイスと共にルイス・クラーク探検隊を組織し、アメリカ西部の探検を行った人物。
~襲撃B
ルイス
ベンジャミン★
イーストレイク
オリバー1830-1909年。オリバー・オーティス・ハワード。アメリカの軍人。南北戦争時は北軍の将軍を務めた。
1785-1819年。オリバー・ハザード・ペリー。アメリカの軍人。黒船来航で知られるマシュー・ペリーの兄。
モートン★
ジェフリーズ1744-1819年。ジョン・ジェフリーズ。アメリカの医師、航空パイオニア。ブランシャールと共に気球でのドーバー海峡横断を行った。

ヴィンランド

名前解説
ハワイ
アン・ボニー1700-1782年?。カリブ海の女海賊。ジョン・ラカムの手下で、恋人だったとも言われている。男の海賊たちが逃げ回る中、同じ女海賊であるメアリ・リードと共に海軍と最後まで勇敢に戦った。捕縛後は死刑判決が下るも、妊娠中であることを理由に刑が延期、後に減刑されたという。
ニューポート1561頃-1617年。クリストファー・ニューポート。イギリスの水夫、私掠船乗員。イギリスの下で多くのスペイン船を襲った。その後はバージニア会社に雇われ、新大陸のバージニア植民地へと入植者を運んだ。
徐海★?-1556年。明代の商人、海賊。後期倭寇の頭目の一人。幼少時に寺に預けられ僧となっており、法名は普浄、明山和尚。日本に渡った後に倭寇に加わり、日本人の部下を主力として海賊活動を行った。
ジョン・ラカム1682-1720年。カリブ海で活動した海賊。キャラコ(白木綿)の衣服を着用していたことから「キャラコ・ジャック」の異名で呼ばれた。アン・ボニー、メアリ・リードの二人の女海賊を部下に持っていた。
カメハメハ救出作戦・一戦目
王直?-1559年。明代の商人、海賊。貿易商人として南シナ海での密貿易を行う傍ら、後期倭寇の頭目の一人として五島列島などを拠点に活動し、中国沿岸を荒らした。
ダンピア1651-1715年。ウィリアム・ダンピア。イギリスの海賊、私掠船長。史上初の3度に渡る世界一周を成し遂げた。
ホーニゴールド★?-1719年。ベンジャミン・ホーニゴールド。イギリスの海賊、私掠船長。ティーチは元々は彼の船の乗員であった。
カメハメハ救出作戦・二戦目
ヘンリー・モーガン1635-1688年。イギリス出身の海賊。カリブ海で活動し、数度の遠征でスペイン側に多大な損害を与えた。後にイギリスからジャマイカ島代理総督などに任命され、海賊を取り締まる側に回っている。
陳東明代の海賊。後期倭寇の頭目の一人。官軍の策略に乗せられた徐海に裏切られ、捕えられた。
アイディン・レイス★?-1534年。オスマン帝国の海賊。バルバロス・ハイレッディンの部下。キリスト教徒だとも言われており、悪魔殺しの異名を持っていた。
エイブリー1665-1728年。ヘンリー・エイブリー。またはジョン・エイブリー。イギリスの海賊。ムガール帝国の皇帝船を襲い、莫大な財宝を略奪した。しかし、この一件がムガール皇帝の激しい怒りを買ってしまい、追い詰められたエイブリーは名を変えてひっそりと惨めな晩年を送ったという。
カメハメハ救出作戦・三戦目
林道乾明代の海賊。後期倭寇の大勢力として活動した。後にマレーのパタニ王国に移住し、女王から海賊の経験を買われて大砲の制作を命じられた。その後はイスラム教に改宗し、湾港管理官として成功を収めたとされる。
藤原純友893-941年。平安時代の海賊、貴族。瀬戸内海全域を勢力として活動した。平将門の乱と時を同じくして朝廷に反乱(承平天慶の乱)を起こしたが、捕らえられて獄死した。
ジャン・バール1651-1702年。フランスの軍人、私掠船船長。大同盟戦争で活躍した。
チャールズ・ヴェイン1680-1720年。イギリスの海賊。バハマを拠点として活動したが、操舵手であったジョン・ラカムに船長の座を奪われ、追放された。その後に捕縛され、ポートロイヤルにて絞首刑になっている。
シャーロッテ★1636年-?。シャーロッテ・デ・ベリー。イギリス出身の女海賊。男装をして夫と共に海軍に入隊。後に反乱を起こして船を奪い、アフリカ沿岸を荒らす海賊となった。
略奪部隊
コジャアリ・コジャ。アラブの海賊。18~19世紀に主にインド洋で活動し、東インド会社の商船を襲った。
イングランド★?-1720年。エドワード・イングランド。アイルランド生まれの海賊。船乗りをしている時に海賊に拿捕され、そのまま一味に加わった。海賊にしては人道的で、襲った船の船長を見逃そうとしたことから部下と揉め、置き去りにされてしまった。
バルバロス1474-1518年。バルバロス・ウルージ。オスマン帝国の海賊。弟のバルバロス・ハイレッディンと共に兄弟海賊としてヨーロッパ人から恐れられた。バルバロスとは「赤ひげ」の意。失った左手の代わりに義手を付けていたため、「銀の手」と呼ばれた。
エイブリーカメハメハ救出作戦・二戦目を参照。
略奪部隊2
王直カメハメハ救出作戦・一戦目を参照。
ジャン・バールカメハメハ救出作戦・三戦目を参照。
ホーニゴールドカメハメハ救出作戦・一戦目を参照。
ハバナ
アン・ボニーハワイを参照。
メアリ・リード★1685頃-1721年。カリブの女海賊。ジョン・ラカムの手下。男装していたため、他の海賊たちは加入当初は女性だと気付かなかった。メアリを男性だと勘違いしたアン・ボニーに言い寄られるも、女性であることが発覚、それ以降は友人になったという。
ジョン・ラカムハワイを参照。
サントドミンゴ
レイフ・エリクソン970頃-1020年頃。アイスランド出身のヴァイキング。グリーンランド入植者、赤毛のエイリークの息子。グリーンランドから北米大陸への航海を行い、辿り着いた豊かな土地に「ヴィンランド」と名付けて入植を行ったという。コロンブスの新大陸発見の500年も前のことであった。
バルバロッサ★1475-1546年。バルバロス・ハイレッディン。ヨーロッパ読みではハイレッディン・バルバロッサ。オスマン帝国の提督、海賊、私掠船長。兄のバルバロス・ウルージと共に兄弟海賊としてヨーロッパ人から恐れられた。プレヴェザ海戦においてはオスマン帝国艦隊を率いてスペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇連合艦隊を打ち破った。
シュテルテベーカー1360-1401年。クラウス・シュテルテベーカー。14世紀ドイツでバルト海を支配した伝説的な海賊。主にデンマーク船を標的として略奪行為を行った。仲間思いだったといわれ、処刑される際に「自分が歩いた歩数だけ部下を助けてほしい」と申し出て、斬首された後に11歩も歩いたという伝説が残っている。
ウッズ・ロジャーズ1679-1732年。イギリスの海賊、初代バハマ提督。メキシコ沿岸で主に活動し、スペイン船を襲撃した。その後、英国王ジョージ1世からバハマの総督に任命されると、黒髭ティーチを始めとする多くの海賊を取り締まった。
ポートロイヤル
チャールズ・ヴェインカメハメハ救出作戦・三戦目を参照。
藤原純友★カメハメハ救出作戦・三戦目を参照。
レネ・デュゲトルーアン1673-1736年。フランスの軍人、私掠船船長。私掠船団を指揮して外国船相手に多くの戦果を上げ、フランスでは英雄的な人物として称えられた。
アイディン・レイスカメハメハ救出作戦・二戦目を参照。

インカ

名前解説
バルパライソ
アルボルノスクリストバル・デ・アルボルノス。1570年頃に起こったタキ・オンコイを撲滅するために派遣された巡察使。
ビカキラオ第8代インカ皇帝ウィラコチャに仕えた将軍。長期遠征による疲労で隠居したウィラコチャに代わり、クスコの国防を任された。
リョケリョケ・ユパンキ。第3代インカ皇帝。スペイン人が来るまでインカには文字がなく、ほとんど記録が残っていない。在位1260~1290年頃。
ウルコン第8代インカ皇帝ウィラコチャの庶子、皇太子。放蕩にふけり、統治者としては無能であったため、弟のクシ・ユパンキに選挙で次期王の座を奪われた。それを認められないとして軍を進めるも敗れた。
クスコ
ママ・ラウアビラコチャ伝説に登場するマンコ・カパックの姉妹。
アヤ・ウチュビラコチャ伝説に登場するマンコ・カパックの兄。
アヤ・アンカビラコチャ伝説に登場するマンコ・カパックの兄。
アヤ・カチビラコチャ伝説に登場するマンコ・カパックの兄。
ママ・ワコ★ビラコチャ伝説に登場するマンコ・カパックの姉妹。
クスコ防壁破壊後
トゥパク・アマル★?-1572年。インカ帝国最後の皇帝。皇帝即位から1年でスペインに捕らえられ、処刑された。スペインの正式な文書では絞首刑となっているが、現地では斬首されたと信じられている。インディオの間では斬り落とされた彼の首は今でも成長を続けており、体を完全に取り戻した時インカ帝国は復活すると伝えられている。
ママ・クラビラコチャ伝説に登場するマンコ・カパックの姉妹。
パチャクテク?-1471年。第9代インカ皇帝。アンデス山脈のナポレオンとも呼ばれる。クスコ王国をタワンティンスーユ(インカ帝国の正式名称)に再編した。征服した地域の慣習をクスコ風に改めさせたり、技術者をクスコに移民させたり、また、監察官を各地に派遣したりと大規模な改革を行った。
シンチ・ロカ生没年不明。マンコ・カパックの子で第2代インカ皇帝。
マチュピチュ
パウリュ?-1549。パウリュ・トゥパック・ユパンキ。スペインに擁立された傀儡皇帝。通常歴代皇帝には含めないが、あえて入れるならマンコ・インカ・ユパンキとサイリ・トゥパクの間。後にキリスト教の洗礼を受ける。
カルロス?-1582。パウリュ・トゥパック・ユパンキ。スペインに擁立された傀儡皇帝。パウリュの子。
サイリ・トゥパック★?-1561年。マンコ・インカ・ユパンキの子で新インカ帝国の皇帝。後にスペインに下り、ティトゥ・クシが皇帝を継いだ。
ティトゥ・クシ★?-1571年。サイリ・トゥパクの弟。スペインに抵抗を続けていたが天然痘で死亡した。
カハマルカ
スティク・ワマン第2代インカ皇帝シンチ・ロカの妃であるママ・コラの父親。
クラ・オクロ第15代インカ皇帝マンコ・インカ・ユパンキの姉妹であり、妃。スペイン人により殺害された。
ルミニャウイキトを守備していた将軍。1534年、スペイン人に破壊されるくらいならと自ら街に火を放つ。
アポ・マイタ第8代インカ皇帝ウィラコチャに仕えた将軍。長期遠征による疲労で隠居したウィラコチャに代わり、クスコの国防を任された。
キト
マイタマイタ・カパック。第4代インカ皇帝。在位1290~1320年頃。
ユパンキカパック・ユパンキ。第5代インカ皇帝。在位1320~1350年頃。
ロカインカ・ロカ。第6代インカ皇帝。在位1350~1380年頃。
ワカヤウル・ワカ。第7代インカ皇帝。在位1380~1410年頃。
ウィラコチャ★第8代インカ皇帝。在位1410~1438年頃。
被制圧
ワマン1550?-1616年?。ワマン・ポマ。インカ帝国出身のインディオ。スペインによるインカ征服を、被征服者であるインディオ側の視点から記録した膨大な資料を残した。
チャバワマン・チャバ。ワマン・ポマの祖父。
マルキワマン・マルキ。ワマン・ポマの父。
フェリピロ★フランシスコ・ピサロがアタワルパとの会談で用意した現地人通訳。後にピサロのライバルであるアルマグロに通訳として同行し、彼を陥れようとしたが、失敗している。
バルパライソ・クスコ~襲撃
アタワルパインカ帝国第13代皇帝。ワイナ・カパックの息子で、実質的には最後の皇帝。インカがスペイン人ピサロに侵略された際に捕らえられ幽閉されたが、「自分を解放するならこの牢をいっぱいの金銀を提供しよう」と言い、ピサロに財宝を差し出したという。しかし財宝を受け取ったピサロは約束を反故にし、アタワルパを処刑した。すごく可哀想な人。
キスキス?-1534年。インカ帝国の将軍。第13代皇帝アタワルパの部下。第12代皇帝ワスカルとの内戦やピサロとの戦いで活躍した。最期はピサロとの戦いで疲弊した部下の離反に会い、殺害された。
チャルクチマ?-1533年。インカ帝国の将軍。第13代皇帝アタワルパの部下。第12代皇帝ワスカルとの内戦やピサロとの戦いで活躍した。最期はピサロによって処刑されている。
チリクチマ★チャルクチマと同一人物。
マチュピチュ・カハマルカ・キト~襲撃
ニナン?-1527年?。ニナン・クヨチ。ワイナ・カパックの息子、皇太子。後継者として期待されていたが、父とほぼ同時期に天然痘で亡くなっている。
ワスカル★1503-1532年。第12代インカ皇帝。ワイナ・カパックの息子で、弟アタワルパと皇位継承権を争った。スペイン人フランシスコ・ピサロに捕らえられ殺された。
ワルパ?-1533年。トゥパック・ワルパ。第14代インカ皇帝。ワイナ・カパックの息子。スペインに擁立された傀儡皇帝。即位後すぐに天然痘で死亡した。
トゥパック?-1493年。トゥパック・インカ・ユパンキ。第10代インカ皇帝。ワイナ・カパックの父。
テウオティヒ第2代インカ皇帝シンチ・ロカの部下。隣国に送られた外交官だったが、すぐに殺されてしまったという。伝説では彼の死をきっかけにインカ帝国は隣国との戦争に突入し、その領土を広げていったとされる。

アステカ

名前解説
パナマ
チマルポポカ1397-1427年。「噴煙の盾」。第3代アステカ皇帝。当時テノチティトランはテソソモクが治めるアスカポツァルコの属国であった。アスカポツァルコとテスココ両市の戦いではテソソモクに着きテスココの貢納の一部を与えられた。テソソモクの死後王位めぐって内紛が起こり、チマルポポカはタヤウツィンを支持したが簒奪者マシュトラに捕らえられ自害した。
クアウテモック1495?-1525年。「急降下する鷲」。第11代アステカ皇帝。モンテズマ2世の従兄弟。天然痘で急死したクイトラワクの後を継いで即位。モンテズマ2世に代わり即位したクイトラワクのもとに反スペイン派を糾合し一度はコルテスを首都テノチティトランから追い出したがトラスカラへ逃れたコルテスは反アステカ都市の援助を受けてテノチティトランを包囲、3ヶ月の攻防の末これを攻略した。クアウテモックは脱出しようとしたところを捕らえられ助命されるが後に反乱の容疑で処刑された。
ベルナル・ディアス1496-1584年。ベルナル・ディアス・デル・カスティリョ。コルドバ、グリハルバ、コルテスのメキシコ遠征に参加したコンキスタドール。自らの体験をもとに『メキシコ征服記』を記した。
フェルナンド★
アシャヤカトル?-1481。「水の面」。第6代アステカ皇帝。モンテズマ2世とクイトラワクの父。テノチティトランに隣接する姉妹都市トラテルコの反乱を鎮圧し自治権を奪った。
パナマ防壁破壊後
オニャーテ1552-1626年。フアン・デ・オニャーテ。スペイン人入植者出身のコンキスタドール。ニューメキシコ州を征服し、初代総督となった。妻はモンテズマのひ孫にあたるイサベル。
ティソク?-1486年。第7代アステカ皇帝。アシャヤカトルの弟。妖術をかけられ短い治世で死去した。
クイトラワク1476?-1520年。第10代アステカ皇帝。モンテズマ2世の弟。カカマツィンの反乱の際共謀者としてコルテスに囚われる。コルテスの配下の将校が起こした虐殺事件をきっかけに暴徒がスペイン人の宿営する宮殿を包囲すると事態の緩和を狙って解放されるがそのまま反スペイン派に合流しモンテズマに代わって王位に就いた。窮したスペイン人は首都脱出を試みるがアステカ軍の追撃で大打撃を被り生き残ったのは半数以下だった。その後クイトラワクは天然痘によって在位80日で死去した。
アルマグロ1479-1538年。ディエゴ・デ・アルマグロ。ヨーロッパ人として初めてチリを発見したコンキスタドール。ピサロと共にインカ征服を行ったが、征服後のペルーの利権問題で対立。その後、チリ発見を成し遂げるも大きな利益を得ることはできなかった。ペルー帰還後はパウリュ・トゥパック・ユパンキを傀儡皇帝としてクスコの実権を狙うが、ピサロ軍との戦いで捕えられ、処刑された。
ウィツィリウィトル★1379?-1417年。「ハチドリの羽」。第2代アステカ皇帝。アスカポツァルコの王テソソモクの娘を娶り、義父の征服事業を支援する一方、その庇護下でテノチティトランの力を徐々に高めた。
ウシュマル
キニチキニチ・ヤシュ・クック・モ。コパン王朝初代王。在位は426-435年。
ワシャックワシャック・ラフン・ウバク・カウィール。コパン王朝第13代王。在位は695-738年。彼の時代にコパンは文化的、政治的な最盛期を迎えるが、統治都市の一つであるキリグアで発生した反乱で捕えられ、斬首されてしまった。
ウキト★ウキト・トーク。コパン王朝第17代王。822年即位。彼の時代にコパンはもはや衰退し切っており、即位後間もなくコパン王朝は最後を迎えた。
ヤシュヤシュ・パッサフ・チャン・ヨアート。コパン王朝第16代王。次代のウキト・トーク王の体制が機能する間もなくコパン王朝が滅んだため、ヤシュ・パッサフ・チャン・ヨアートが事実上のコパン最後の王といえる。736年に即位。
ウシュマル防壁破壊後
アウィツォトル?-1502年。第8代アステカ皇帝。ティソクの弟。従属国の起こした反乱を鎮圧し数次にわたる外征でアステカの領土を拡大した。
テソソモク★?-1426年。テパネカ族の都市アスカポツァルコの王。当時メキシコ盆地最大の実力者でアステカはその従属下にあった。テスココを征服し強大な帝国を築くが、彼の後継者は覇権を維持することが出来ず、アスカポツァルコはアステカに征服された。
ナルバエス1470-1528年。パンフィロ・デ・ナルバエス。キューバ総督ベラスケスよりコルテス捕縛の命を受け派遣されたコンキスタドール。コルテスの部隊を優に上回る1300の兵員を率いメキシコに上陸した。しかし彼の配下はコルテスの持つアステカの黄金に買収され、夜襲を受けて忽ち捕らえられた。降伏した兵はそのままコルテスの指揮下に組み入れられる。
ベラルカサル1479?-1551年?。セバスティアン・デ・ベラルカサル。スペインのコンキスタドール。フランシスコ・ピサロと共にペルー遠征に加わった。
カカマツィン1483-1520年。「トウモロコシの肉穂」。モンテズマの甥。テスココの支配者。モンテズマがコルテスによって監禁されるとスペイン人の駆逐を画策するが発覚し先手を打たれて逮捕された。
テノチティトラン
イツコアトル?-1440年。「黒曜石の蛇」。アステカ第4代皇帝。アスカポツァルコの簒奪者マシュトラに捕らわれ自害したチマルポポカの跡を継ぐ。テスココの王ネサワルコヨトルと同盟しアスカポツァルコを征服した。テノチティトラン、テスココ、トラコパンの三都市が結んだ「三国同盟」はアステカ帝国の基礎となった。
アカマピチトリ?-1395年。「一握の葦」。初代アステカ皇帝。テノチティトランを建設し定住してほどないメシカ族は血縁による同盟関係が張り巡らされたメキシコ盆地で確固たる地位を得るべく、アカマピチトリを王に選出した。以降彼の子孫がテノチティトランの王位を継承する。
ネサワルコヨトル★1402-1472年。「断食するコヨーテ」。テスココの王で賢者。アスカポツァルコのテソソモクがテスココを征服したとき父王が死に国を追われたが、テノチティトランのイツコアトルと同盟しアスカポツァルコを征服しテスココを奪還した。かれの功績によってテスココは「三国同盟」の有力な一角を占めた。
ネサワルピリ1464-1515年。「断食する王子」。テスココの王。ネサワルコヨトルの子。父と同様に有能で公平な統治者として名声を博した。スペイン人の到来と国土の荒廃を予言したとされる。
テオティワカン
クアウポポカ?-1519年。「噴煙の鷲」。アステカの地方総督。スペイン人と結託したトトナコ人が貢納を拒否したため戦闘になりスペイン人の将兵が多数死んだ。テノチティトランでこの知らせを聞いたコルテスはモンテズマを監禁する。クアウポポカは召還されコルテスによって火刑に処された。
ウェウェツイントルテカ帝国の伝承に登場する呪術師。
オメトチトリ★1390?-1418年?。イシュトリルショチトル・オメトチトリ。テスココの王。ネサワルコヨトルの父。アスカポツァルコ王テソソモクとの争いに敗れ、殺された。
イシュトリショチトル1500?-1531年。エルナンド・イシュトリルショチトル。ネサワルコヨトルの孫。コンキスタドールのエルナン・コルテスに協力し、テノチティトラン攻略に加担した。
被制圧
アギラール1489-1531年。ヘロニモ・デ・アギラール。フランシスコ会の修道士。ユカタン沖で乗船が遭難したため、マヤ族の間で暮らすことになりマヤ語を習得した。コルテスの遠征隊に通訳として参加する。
ゴンサーロゴンサーロ・ゲレーロ。ユカタン沖で遭難した船の水夫。マヤ族の間で生活する間戦士として名を挙げ妻を貰い家庭を持つにいたった。アギラールはコルテスに従うよう勧めたが同意しなかった。
マリンチェ1502?-1527年。コルテスがタバスコを占領した際、首長から送られた20人の女の中に彼女がいた。元はパイナラの首長の娘でナワトル語(アステカの言語)とマヤ語ができたので、マヤ語を解するアギラールとともにコルテスに仕え、愛妾としてコルテスの子を産んだ。
パナマ・ウシュマル・テノチティトラン~襲撃
タヤウツィン★アスカポツァルコの王。テソソモクの跡を継いで即位したが、異母兄マシュトラが政権を掌握し王位を追われた。タヤウツィンはテノチティトランの王チマルポポカの援助を受けて王位を回復のため戦ったがマシュトラに殺された。
マシュトラ?-1428年。アスカポツァルコの王。異母弟タヤウツィンを廃しアスカポツァルコの実権を握った。タヤウツィンがチマルポポカと結んだのでテノチティトランと戦争状態になり両者は倒したが、イツコアトルとネサワルコヨトルに敗れ殺された。
マルティンエルナン・コルテスとインディオの愛妾マリンチェの間に生まれた子供。
マルティンという名のコンキスタドールもいるが、ゲーム中の外見がイルミナティ兵でないため、こちらと思われる。(コンキスタドールの外見はイルミナティ兵)
テオティワカン~襲撃
睡蓮ジャガー★コパン王朝第7代王。在位は504-544年。
コロナド1510-1554年。フランシスコ・バスケス・デ・コロナド。スペインのコンキスタドール。
バルボア1475-1519年。バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア。スペインの探検家。パナマ海峡を越え、ヨーロッパ人で初めて太平洋に到達した。しかし、その探検中の残虐行為が問題視されたことで総督の任を解かれ、新総督ダビラに処刑された。
クィトラワクパナマ防壁破壊後を参照。
イピヤフカック・イピヤフ・チャン・カウィール。コパン王朝第15代王。在位は749-763年。

マケドニア

名前解説
ペルセポリス
パウサニアス?-前393年。マケドニア王。アエロポス2世の子。アミュンタス3世によって暗殺される。
フィリッポス3世★前359-317年。マケドニア王。フィリッポス2世の子で、アレクサンドロス3世の異母兄。元の名をアリダイオス。アレクサンドロス大王が後継者のないまま急逝し、遺将らの妥協によって王位に据えられた。妻エウリュディケが大王の母オリュンピアスとの政争に敗れた為、妻とともに捕らえられ処刑された。
エウリュディケ2世?-前317年。フィリッポス3世の妻。無能力者の夫に代わり政権掌握のため策動する。オリュンピアスと敵対し、彼女がアレクサンドロスの遺児を連れてマケドニア入りするのを阻止するため夫とともにエピロス国境まで軍を率いたが、彼女の偉大な息子の記憶がまだ脳裏に新しいマケドニアの将兵はオリュンピアスにつき、夫とともに囚われの身になった。
アエロポス1世マケドニア王。幼年で王位を継ぐ。イリュリア人と戦って負けたマケドニア人は自分たちに王の指揮がかけていたので敗北したのだと考え、前線まで王を籠で運んでその前で幼子の為に死力を尽くして戦い今度はイリュリア人に勝利した。
アルガイオスマケドニア王。タウランティオイ人がマケドニアに侵攻したとき、手勢が乏しかったのでマケドニアの娘たちに敵が見えたら山頂から駆け下りるように命じたところ、敵指揮官はこれをマケドニア兵と錯覚してあわてて退却したためアルガイオスは戦わずして勝利を収めた。
バグダート
デメトリオス1世前337-283年。マケドニア王。父アンティゴノス1世の将軍として他のディアドコイと戦い攻城王の異名を得る。イプソスの戦いでの敗北後、カサンドロスの後継者の内紛に乗じてマケドニアを乗っ取ったが、同じく内紛に介入していたエピロス王ピュロス(イプソスの戦いではデメトリオス配下であった)と対立。トラキアのリュシマコスとも敵対し、兵士に見放されて逃亡せざるを得なくなり最後はセレウコスの許で没した。
ケラウノス?-前279年。プトレマイオス・ケラウノス。プトレマイオス1世の子だが王位継承から外される。セレウコスの許でリュシマコスの後継者問題に介入を要請、セレウコスがリュシマコスを倒すとセレウコスを殺害してマケドニア王位を掠め取った。しかし大移動を開始したガリア人がマケドニアへ侵攻。たかが蛮族に世界を制したマケドニア兵が負ける筈がないと豪語したケラウノスは敗北して無残な最期を遂げた。
アンティゴノス1世★前382-301年。アレクサンドロス大王の将軍。東征中はプリュギア総督として後方を平定。大王の死後はペルディッカス派と敵対し同派残党のエウメネスらを打ち滅ぼして将兵を吸収、ディアドコイ中最大勢力となった。これを警戒した他のディアドコイとアンティゴノスの対立は次第に深まりイプソスの戦いで両者は衝突。あらゆる将が集ったこの大会戦でアンティゴノスは戦死し彼の領土は諸将の間で分割された。
ピュロス前319-前272年。エピロス王。エピロス王家はアレクサンドロス大王の実母の実家で、ピュロスは彼の又従兄弟に当たる。ハンニバルが偉大な将軍として大王の次に彼の名を挙げたことからわかるように指揮官として高い評価をされており、若年のころからディアドコイと伍して戦いイタリア統一期のローマ軍にも勝利している。だが諸々の戦争によって得た政治的成果は結果的にほぼゼロ。
メレアグロス?-前323年。アレクサンドロス大王の将軍。大王の東征に従軍しイッソス、ガウガメラの戦いをはじめとした主要な戦いに参加。バビロンで大王が死去すると側近が集って後継者について話し合ったが、ロクサネの子の誕生を待つべきとするペルディッカスに反対し、大王の異母兄弟アリダイオスを支持する兵士の暴動に合流。一時は妥協が成立したがペルディッカスに殺された。
ダマスカス
ペルセウス前212-前166年。マケドニア王。親ローマ的な弟デメトリオスを排除し王位を継承。軍備を増強し反ローマ的政策を採った為第三次マケドニア戦争が勃発し、はじめは善戦したもののピュドナの戦いで大敗。ペルセウスは戦いが始まると怖じ気ついて逃げ出したが結局ローマの捕虜となりマケドニア王国は滅亡した。結構なケチで金払いの悪さに定評がある。
アミュンタス4世?-前336年。マケドニア王。父王のペルディッカス3世がイリュリア人との戦いで戦死し幼くして王位に就いた。摂政には叔父のフィリッポスが就任したがまもなく国難に対処できる人物を求める民衆によって推戴されてフィリッポス2世として王位に就いた。従兄弟のアレクサンドロス3世が即位すると国王暗殺の陰謀を企てたとして処刑される。
ペイトン前355?-前316年。アレクサンドロス大王の将軍。側近護衛官として東征に従う。大王の死後はメディア総督に任じられる。プトレマイオスを討ちにエジプトへ遠征したペルディッカスをセレウコスらと共に殺害。アンティゴノスとエウメネスの戦いでは前者に味方したが、エウメネスの死後に対立し殺された。
ソステネス★★?-前277年。リュシマコスの将軍。プトレマイオス・ケラウノスを破ってマケドニアになだれ込んだガリア人を撃退し軍隊の信望を得て歓呼賛同によって王に推戴されるが、王位は辞退して将軍の名によって宣誓を受けた。しかしマケドニアの政情は安定せずガリア人ブレンヌスにも敗北し短期間しか統治しなかった。
アンティオコス3世前241-前187年。セレウコス朝シリア王。総督の離反、外敵の侵攻という危難の時代に若年にして王位に就いたがやがて攻勢に転じ王国の回復に成功、インドにまで及ぶ東征によって大王と称される。エジプトからパレスチナを奪い小アジア諸国を服属させギリシアへ進出するがローマと争い敗れる。カルタゴを追放されたハンニバルは彼の許に身を寄せ軍事顧問として仕えたが重用されなかった。
キュロス★?-前529年。アケメネス朝ペルシアの建国者。カンビュセスの父。メディア、リュディア、新バビロニアを征服し古代オリエント世界をほぼ統一した。アレクサンドロス大王は何度か彼の墓を訪れており、インド遠征後キュロスの墓が荒らされていると知って墓所の修復と犯人の逮捕を命じた。
アンティゴノス2世前319-前239年。マケドニア王。デメトリオス1世の子。ケラウノスがガリア人に殺されてマケドニアが無政府状態に陥ると蛮族を撃退して王位に就いた。ピュロスがイタリア遠征より帰還すると戦争を仕掛けられて大敗するが、彼に止めをさす前にピュロスはスパルタ、次いでアルゴスに転戦、アルゴスの市街戦でアンティゴノスの兵に討たれる。また、クレイモニデス戦争の勝利によってアンティゴノス朝マケドニアの基礎を固めた。
ダマスカス防壁破壊後
フィリッポス2世前382-前336年。マケドニア王。アレクサンドロス3世の父。即位後外敵を排し体勢を整えると改革に着手、その成果は就中マケドニア式ファランクスで名高い精強無比のマケドニア軍として表れ、その力によってカイロネイアの戦いに勝利しスパルタを除く全ギリシアの覇権を手中に収める。だがペルシア征討を準備する間にマケドニア貴族パウサニアスに殺害される。フィリッポスの優れた遺産はアレクサンドロスに受け継がれ、その野望を実現する原動力となった。
ポリペルコン前394-前303年。フィリッポス2世、アレクサンドロス3世に仕えた将軍。大王の東征に従う。大王の死後、ラミア戦争に参加。アンティパトロスの指名によって摂政の地位を引き継ぐが、父の後継者を自任していたカサンドロスと対立しマケドニアを追われた。
アンティパトロス前397-前319年。フィリッポス2世、アレクサンドロス3世に仕えた将軍。大王の東征に際しては、本国の統治を預かりスパルタの反乱に対応。大王の死後はペルディッカスらとともにアレクサンドロス4世の後見人に指名されマケドニアを引き続き支配しラミア戦争でギリシアの反マケドニア派を鎮圧。対立していたペルディッカスの死後摂政の座に就き、死期を覚るとポリペルコンを後継者に指名した。
クレイトス★?-前328年。アレクサンドロス3世の将軍。姉のラニケが大王の乳母で、もっとも親しい側近の一人であり、グラニコス川の戦いでは身を挺して大王を守って戦った。しかし酒宴の席で大王が父フィリッポスの功績を卑しめて自分の功績を誇ったのを見咎めて、あえてフィリッポスを賞賛し挑発したので大王は激怒しクレイトスを刺し殺してしまった。
カラノス★★伝説上のマケドニアの建国者。ヘラクレスの末裔テメノスの子。マケドニアに居住地を求めよとの神託を得てギリシア人を率いて故国を離れ、豪雨を恐れて逃げ出した山羊の群れにまぎれてエデッサ市を占領した。神託のとおり山羊の導きによって王国を手に入れたのでこの町をアイガイと改名しマケドニアの拠点に定めた。
ゴルディオン
ゴルディアス伝説上のプリュギア王。プリュギア人の間で内紛が生じたとき問題解決を神託に諮ったところ、彼らが帰って最初に荷車に乗ってゼウス神殿に入ってきた人物を王にせよとの答えが得られた。そして彼らが最初にあったのがゴルディアスであった。件の荷車は神殿に奉納され軛に端の見えない結び目がつけられた。これを解く者はアジアの支配者になると予言されていたがアレクサンドロスがこれを剣によって断ち切った。
アンティパトロスダマスカス防壁破壊後を参照。
ラニケ★アレクサンドロス3世の乳母。クレイトスの姉。大王からは母のように慕われていたと言う。彼女の二人の息子は大王の東征に従軍しミレトス攻略で戦死。弟のクレイトスも宴会の諍いで激怒した大王の手で殺された。正気に返ったアレクサンドロスの嘆きは深く乳母から受けた恩をこの様な形で返した己の行為を呪い死のうとさえしたが側近に止められた。
アトロパテスアケメネス朝ペルシアの将軍。メディア総督。ガウガメラの戦いにメディア人部隊を率いて参加。ダレイオス3世の暗殺後アレクサンドロスに投降。大王によってメディア総督の地位は安堵された。スサの集団結婚式でペルディッカスに娘を嫁がせている。
アレクサンドリア
リュシマコス前360-前281年。アレクサンドロス3世の将軍。側近護衛官として東征に従う。大王の死後はトラキアと小アジア北西部の総督。アンティゴノスが脅威になるとカッサンドロスらと同盟、イプソスの戦いに勝利してアンティゴノスの遺領を分割。その子デメトリオス1世からもマケドニアを奪う。最後は後継者問題に介入してきたセレウコスと戦い戦死した。勇猛な武将として知られライオン殺しのエピソードなどが伝わる。
レオンナトス前356-前322年。アレクサンドロス3世の将軍。側近護衛官として東征に従う。大王を盾で庇った手柄、インドで幾多の危険を冒しオレイタイ人の反乱に勝利した功績でもってスサの論功行賞で武勲第二位に列せられる。大王の死後プリュギア総督に任じられ、ラミア戦争においてアンティパトロスの救援に出向き戦死した。
エウメネス★★前362?-前316年。アレクサンドロス3世の書記官長。大王の東征に従いその死後はカッパドキア・パフラゴニア総督に任じられる。ディアドコイ戦争を「王室の擁護者」として戦ったが、ペルディッカス派についたため軍会にマケドニア人の敵と宣言され追討指令を受けたアンティゴノスと死闘を繰り広げる。不利な条件を策によって埋め合わせる頭の回転の速さ、注意力、忍耐は群を抜いており百戦錬磨の将軍とも互角に戦ったが、マケドニア貴族の出身でないため将兵の信服は容易に得ることは出来なかった。最後は大王の精鋭「銀盾隊」に裏切られアンティゴノスに引き渡された。
ヘファイスティオン★前356?-前324年。アレクサンドロス3世の将軍。側近護衛官の一人。大王の最も信頼する親友で、イリオンで大王がアキレスに花冠を捧げたとき、彼はその親友パトロクロスに花冠を捧げた。東征においても戦功を挙げ第一の臣下として遇されたが、エクバタナで病に倒れ急逝した。大王は悲嘆に暮れ三日間泣き通した上彼を神として祭るように命じた。彼の死に率先して弔意を示したのがエウメネスだが、ヘファイスティオンとの不仲が知られていたので大王の不興を買わぬようそうしたのだという。
ラオメドンアレクサンドロス3世の側近。レスボス島ミュティレネ出身。大王の東征に従う。兄弟のエリギュイオスも大王の将軍として仕え反乱を起こしたアレイア総督サティバルザネスを一騎打ちで討ち取っている。大王の死後、シリア総督に任じられたがディアドコイ戦争の渦中に消えていった。
被制圧
セレウコス前358-前281年。セレウコス朝シリアの建国者。アレクサンドロス3世の東征に従い、その死後はペルディッカス派に属したがエジプト遠征中にペルディッカスを暗殺して、バビロニア総督に収まる。アンティゴノスが強大化すると他のディアドコイと同盟してこれに対抗しつつ上部アシアを平定。イプソスの戦いでアンティゴノスを打倒してシリアを得た。コルペディオンの戦いでリュシマコスを倒し大王の側近で最後の生き残りとなったが、それもわずかの間でマケドニア王位を狙うプトレマイオス・ケラウノスによって暗殺された。
コイノス?-前326年。アレクサンドロス3世の将軍。大王の東征に従いイッソスやガウガメラの戦いを始めとした主要な戦闘で活躍。遠征中、ドランギアナでパルメニオンの子フィロタスが大王暗殺の陰謀に関与しているとして裁判にかけられた時には、彼自身パルメニオンの婿であったが保身の為フィロタスを弾劾する側に回った。ヒュパシス川を渡ってインドへの更なる進軍を説く大王に対しては兵士の心情を代弁し翻意を促した。その後まもなく病死。
カサンドロス前350-前297年。マケドニア王。アレクサンドロス3世の重臣アンティパトロスの子。大王の死後、カリア総督に任じられる。父アンティパトロスの死後は帝国摂政に指名されたポリペルコンと後継者の座を争いマケドニアを掌握した。大王の母オリュンピアス、妻のロクサネとバルシネ、その子であるアレクサンドロス4世とヘラクレスは彼の手によって殺害され大王の直系の血筋は断絶する。
フィリッポス1世マケドニア王。アルガイオス1世の子。
トゥリマス★マケドニア王。コイノスの子。
~襲撃A
エウダモス?-前316年。アレクサンドロス3世の将軍。大王の東征に従い、暗殺された前任者に代わりインド総督に任命される。ポリペルコンの支援を受けたエウメネスとアンティゴノスの戦いが始まると前者に味方しパラエタケネの戦い、ガビエネの戦いに参戦した。エウメネスは部下の裏切りによってアンティゴノスに渡され、エウダモスも降伏したがアンティゴノスによって処刑された。
クラテロス前370?-前321年。アレクサンドロス3世の将軍。大王の東征に従い、パルメニオンの死後は遠征軍の副将格として活躍。大王の死後、アレクサンドロス4世の後見人の一人に指名され、ラミア戦争で救援を求めてきたアンティパトロスと合流しギリシア軍を撃破する。帝国摂政のペルディッカスへは敵対の立場をとり、小アジアを守るペルディッカス派のエウメネスと対戦するが、マケドニア軍におけるクラテロスの声望が将兵に動揺を与えると考えたエウメネスは敵の正体を知らせず戦闘に入りクラテロスを討ち取った。
スピタメネス前370?-前328年。バクトリア貴族。ダレイオス3世を殺害したバクトリア総督ベッソスを裏切りアレクサンドロスに引き渡して投降したが、やがて蜂起してマケドニア軍に対する闘争を開始する。正面対決を避けたゲリラ戦術を採用して2年にわたり大王を苦しめたが身内の裏切りによって殺害され反乱も鎮圧された。
ユークリッド★ギリシア名エウクレイデス。古代ギリシアの数学者。プトレマイオス朝時代のアレクサンドリアで活躍したらしい。古代ギリシアの数学上の成果を集大成した大学者であり『ストイケイア』『デドメナ』『光学』『反射光学』『音楽原論』『天文現象論』などの著作を残した。
トレミー★★83?-168年。ギリシア名プトレマイオス。ローマ帝国時代のアレクサンドリアで活躍した数学者、天文学者、地理学者。『アルマゲスト』『テトラビブロス』『地理学』などの著作を残す。『アルマゲスト』は天動説の理論的権威として永く影響力を持ったが、著者は地動説モデルの数学的可能性についても承知してはいたらしい。
~襲撃B
アガトンパルメニオン、アサンドロスの弟。ディアドコイ戦争で兄アサンドロスとアンティゴノスの間で和平が結ばれたとき人質としてアンティゴノスに渡された。
アサンドロスパルメニオンの兄弟。アレクサンドロス3世の将軍。大王の東征に従いサルディス攻略後リュディア総督に任じられる。大王の死後はカリア総督に任じられたが、後にアンティゴノスと敵対して滅ぼされた。
メナンドロスアレクサンドロス3世の将軍。大王の東征に従いリュディア総督に任じられ、彼の死後にも同じ地位にとどまるが、ペルディッカス死後の会合で解任される。その後はアンティゴノス配下の将として活動した。
フィロタス★?-前330年。パルメニオンの子。アレクサンドロス3世の将軍。遠征軍のヘタイロイ騎兵隊指揮官であり有力な将の一人だったが、ドランギアナでアレクサンドロス暗殺の計画が発覚した時、密告者の言葉を信用せず王に取り次がなかった為陰謀への関与を疑われ処刑された。
~襲撃C
ペルディッカス?-前320年。アレクサンドロス3世の将軍。側近護衛官。大王の東征に従い主要な戦闘で活躍する。バビロンで大王が息を引き取る際印章の指輪を渡され、死後遺将の会議を主導してピリッポス3世及びアレクサンドロス4世の摂政となり大王の帝国を将軍たちの間で分割した。摂政として帝国の統一を維持するために自己の勢力強化を図ったのを警戒され有力諸将の連合と対立、小アジアをエウメネスに任せ自らはエジプトのプトレマイオス討伐に出向いたが部下のセレウコスらの裏切りで殺された。
アルケタス?-前319年。ペルディッカスの弟。アレクサンドロス3世の将軍。大王の東征に従う。大王の死後、ペルディッカスがアンティパトロスらと戦争状態になると、エウメネスの下に派遣されクラテロスに当たるよう命じられていたが従わなかった。ペルディッカスが死に同派残党がマケドニア人の敵と宣告されるとアンティゴノスの追討を受け、抵抗も拙く自害に追い込まれた。
パルメニオン前400?-前330年。アレクサンドロス3世の将軍。フィリッポス2世以来の重臣で、大王の東征軍でも副将格として参加。長子フィロタスはヘタイロイ騎兵隊指揮官、次子ニカノルは近衛歩兵隊指揮官として要職にあり、数々の戦いで活躍した。しかしバクトリアへの進軍中ニカノルは病死し、フィロタスは陰謀事件に関わったとして処刑され、当時メディアへ駐留していたパルメニオンも王の密命を受けた配下の将校らによって殺害された。
ネアルコス★前360-前300年。クレタ出身。アレクサンドロス3世の将軍。大王の東征に従う。インダスの支流ヒュパシス川で後方へ反転した遠征軍はヒュダスペス川で艦隊を編成しインド洋へ下っていったがその指揮官にネアルコスが選ばれた。艦隊はそのまま外洋の沿岸航行を続けスサで大王の軍勢と合流、その地で行われた論功行賞で第三位に列せられた。この航海はギリシア人の地誌学的知見の拡大に大いに貢献した。
オクシュアルテス★★バクトリアの豪族。アレクサンドロス3世の妻ロクサネの父。ダレイオス3世を殺害したバクトリア総督ベッソスに随行していたが、妻子を避難させていたソグディアナの岩砦が降伏し大王の目に留まった娘ロクサネが厚遇されていると聞いて投降した。

エジプト

名前解説
エジプトに宣戦布告
カセケムイ?-紀元前2686年。エジプト第2王朝第7代ファラオ。第2王朝最後のファラオ。
セトセト・ペルイブセン。エジプト第2王朝第6代ファラオ。
セメルケトBC2950頃。エジプト第1王朝第7代ファラオ。
カア★紀元前2916年頃。エジプト第1王朝第8代ファラオ。第1王朝最後のファラオ。
カイロ
スネフェルエジプト第4王朝初代ファラオ。第4王朝の創始者。ピラミッドで有名なクフ王は彼の息子。
シェプスセスカフBC2500頃。メンカウラーの息子でエジプト第4王朝第6代ファラオ。
カフラー★?-紀元前2480年。エジプト第4王朝第4代ファラオ。ギザの3大ピラミッドの内2番目の大きさのピラミッドの主。参道にはスフィンクスがある。
ジェドエフラーエジプト第4王朝第3代ファラオ。クフ王の息子で、カフラー王とは異母兄弟。
フニ★エジプト第3王朝第5代ファラオ。第3王朝最後のファラオ。
デンエジプト第1王朝第5代ファラオ。
メンカウラーBC2500年頃。エジプト第4王朝のファラオ。ギザの3大ピラミッドのうち一番小さいピラミッド。隣接するピラミッドのクフ王、カフラー王と比べ善政を敷いたと言われる。
ヘテプセケメイエジプト第2王朝初代ファラオ。
テーベ
ジェドカラーエジプト第5王朝第8代ファラオ。
メンカウホル★エジプト第5王朝第7代ファラオ。
テティテティ1世。エジプト第6王朝第初代ファラオ。次の王位を狙うウセルカラーの企みにより、護衛の兵士に暗殺されたという。
ウナスエジプト第5王朝第9代ファラオ。第5王朝最後のファラオ。男児に恵まれず、彼の死をもって第5王朝は終わりを迎えたと考えられている。
メルエンラーエジプト第6王朝第3代ファラオ。
ペピ1世BC2300頃。メリラー・ペピ。エジプト第6王朝第2代ファラオ。メンフィスという地名の元になった。
アブシンベル
ジェルエジプト第1王朝第3代ファラオ。
ジェト紀元前2980年頃。エジプト第1王朝第4代ファラオ。
アネジイブエジプト第1王朝第6代ファラオ。
スコーピオン・キング★紀元前3300年-3100年頃に上エジプトに最初の王国を築いたとされるファラオ。あるいは、その後に王国を治めたというファラオ。
両者は共にサソリの紋章を用いていたため、サソリ王(スコーピオン・キング)と呼称された。スコルピオン1世、スコルピオン2世とも。
ホル・アハエジプト第1王朝第2代ファラオ。
被制圧
ジョセルエジプト第3王朝第2代ファラオ。史上初のピラミッドとされるサッカラの階段ピラミッドを建造した。
ニネチェルエジプト第2王朝第3代ファラオ。
サナクトエジプト第3王朝初代ファラオ。
カーメス★エジプト第17王朝第6代ファラオ。第17王朝最後のファラオ。父の跡を継ぎ、ヒクソスの第15王朝と戦った。
カーバーエジプト第3王朝第4代ファラオ。第3代ファラオ、セケムケトの息子。
内乱発生
セケムケトエジプト第3王朝第3代ファラオ。
メンチュヘテプ2世エジプト第11王朝第4代ファラオ。中央集権制の崩壊で長きに渡って分裂していた王朝を統一し、エジプト全土の再統一を果たした。
ラネブエジプト第2王朝第2代ファラオ。
内乱部隊
ネフェリルカラーエジプト第5王朝第3代ファラオ。
シェプセスカラーエジプト第5王朝第4代ファラオ。
ネウセルラーエジプト第5王朝第6代ファラオ。第3代ファラオ、ネフェリルカラーの息子で、第5代ファラオ、ネフェルエフラーの弟。
ネフェルエフラーエジプト第5王朝第5代ファラオ。第3代ファラオ、ネフェリルカラーの息子。治世は短く、20代前半で死んだとされる。
サフラーエジプト第5王朝第2代ファラオ。初代ファラオ、ウセルカフの息子。
ウセルカフ★エジプト第5王朝初代ファラオ。
~襲撃A
ウアジカラー★エジプト第8王朝初代ファラオ。
メリイブラーメリイブラー・ケティ。ケティ1世。エジプト第9王朝初代ファラオ。中央集権制の崩壊により分裂していたエジプトを一時統一したが、長くは続かなかった。
カネフェルラーエジプト第9王朝のファラオ。
カカラー★カカラー・イビィ。エジプト第8王朝のファラオ。ピラミッドの発見により実在は裏付けられているが、詳細は分かっていない。
メリカラーエジプト第10王朝のファラオ。父である先代のファラオ、ケティ3世から王位を引き継いだ。
ペピ2世エジプト第6王朝第4代ファラオ。第2代ファラオ、ペピ1世の息子。100歳まで生き、94年もの間ファラオとして在位したとされる。第6王朝最後のファラオで、彼の死後、エジプトは長い分裂時代に入ることとなる。
~襲撃B
アンテフ2世エジプト第11王朝第2代ファラオ。初代ファラオ、アンテフ1世の弟。
アンテフ3世エジプト第11王朝第3代ファラオ。第2代ファラオ、アンテフ2世の息子。
アンテフ1世エジプト第11王朝初代ファラオ。
ネブカウラー★ネブカウラー・アクトイ。エジプト第9、第10王朝期のファラオ。

EU(欧州連合)

名前解説
シンガポール
ロルフ1585-1622年。ジョン・ロルフ。北米のイギリス人入植者。アメリカへの渡航では嵐とそれに伴うトラブルで、彼の妻と子供を含む多数の乗組員が入植地に辿り着くことなく亡くなった。生き延びた彼はバージニア植民地へと到着し、タバコの事業で成功を収めた。インディアンのポカホンタスを妻に迎えたことでも知られる。
カボット1450?-1498年。ジョン・カボット。イタリア人航海者。ヘンリー7世の特許を得てアジアへ直通する「北西航路」の探索に出航し北アメリカ大陸に到達した。
エルカーノ★★1486-1526。フアン・セバスティアン・エルカーノ。マゼランの遠征に加わり最後の一隻を率いて史上初の世界周航を完遂した。
ピガフェッタ★1491-1534。アントニオ・ピガフェッタ。ヴィチェンツァ出身。マゼランの遠征に参加し18名の生存者の一人として帰還。世界周航についての貴重な史料を残した。
汎用(南洋)
スミス1580-1631年。ジョン・スミス。イギリスの軍人、植民請負人。アメリカのバージニア植民地でジェームズタウンの設営を行った。インディアンのポウハタン族の娘、ポカホンタスによって命を救われたという「美談」を広めたが、実際は事件そのものがでっち上げの作り話だと考えられている。
ファーザーズピルグリム・ファーザーズ。メイフラワー号に乗り、アメリカ大陸へと渡航したイギリスの清教徒集団。理想的なキリスト教社会を築くことを目的とした。
ハドソン?-1611年?。ヘンリー・ハドソン。イギリスの航海者。英・蘭東インド会社のもとで北米探検、「北西航路」の探索を行った。カナダのハドソン湾・ハドソン海峡、アメリカ・ニューヨーク州のハドソン川は彼の名にちなむ。
キーリング1578-1620年。ウィリアム・キーリング。イギリスの船長。東インド会社で活動した。
ニューポート★ヴィンランドのハワイを参照。
南洋~襲撃
ホーセイ1550頃-1626年。ジェローム・ホーセイ。イングランドの探検家、政治家。ロシアに長期滞在し、イヴァン雷帝とエリザベス1世の間の使節などを務めた。
フロビッシャー1535?-1594年。マーティン・フロビッシャー。イギリスの航海者。私掠船船長。「北西航路」を求め3度の航海を行う。バフィン島のフロビッシャー湾は彼の名に由来する。英西戦争ではフランシス・ドレイクの指揮下で活躍。
バフィン?-1622年。ウィリアム・バフィン。イギリスの航海者。「北西航路」の探索に功績を残す。カナダのバフィン島は彼の名にちなむ。
フォックス1586-1635年。ルーク・フォックス。イギリスの探検家。「北西航路」の探索を行ったが、そのような航路は存在しないと結論付けた。
デイヴィス★1550?-1605年。ジョン・デイヴィス。イギリスの航海者。北極海を探検し太平洋へ直通する「北西航路」の開拓を試みた。グリーンランドとバフィン島間にあるデイヴィス海峡は彼の名にちなむ。
リスボン
フレッチャー1764-1793年。フレッチャー・クリスチャン。イギリスの軍艦バウンティ号の反乱の首謀者。クリスチャンら乗組員数人は、航海中に立ち寄ったタヒチでの生活を捨てることを嫌い、反乱によりバウンティ号を乗っ取った。その後、親しくなったタヒチ人らと共に無人島へ移り住んだという。
バウティスタ1736-1788年。フアン・バウティスタ・デ・アンサ。スペイン人開拓者。ニュースペインの探検、軍事遠征を行った。
ワルデック1766-1875年。ジャン・フレデリック・ワルデック。フランスの古物研究家、地図学者、探検家、芸術家。メキシコ探検を行い、マヤ、アステカ文明の調査などを行っている。
ウジョーア1716-1795年。アントニオ・デ・ウジョーア。スペインの軍人、探検家、天文学者。プラチナの発見者。
レオ★
バルセロナ
ヌミトルアルバ王。自らは王権を継承し弟のアムリウスは財産を相続したが、アムリウスが勢力を得て王位を奪われる。娘のレア・シルウィアは子供が生まれぬよう終生独身の定めにあるウェスタの巫女に任じられたが、彼女はマルスによって身ごもりロムルスとレムスを生み、長じた二人によってアムリウスは倒されヌミトルは王位に復帰した。
プロカアルバ王。ヌミトルとアムリウスの父。
エイリーク950頃-1003年頃。「赤毛のエイリーク」として知られるグリーンランド入植者。ノルウェー、アイスランドで殺人事件を起こして追放され、旅立った先でグリーンランドを発見した。息子はレイフ・エリクソン。
レア・シルウィア★ロムルスとレムスの母。アルバ王ヌミトルの娘。彼女から王位継承者が生まれることを恐れたアムリウスによりウェスタの巫女に任じられる。しかし巫女の掟に背いて双子の兄弟が誕生するとアムリウスの命により赤ん坊は川に捨てられるが牝狼の乳で生きながらえ牧夫に拾われる。ロムルスとレムスと名づけられた双子は成長してローマ市の建設者となる。
カルタゴ
ハスドルバルハンニバルの弟。ハンニバルの義兄も同名。
マハルバルハンニバルの部下。
マゴマゴ・バルカ。ハンニバルの弟。
ハミルカル★ハミルカル・バルカ。ハンニバルの父。
ローマ
オクタヴィアヌスBC63-AC14。ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌス・アウグストゥス。カエサルの養子でローマ帝国初代皇帝。
エルナン・コルテス1485-1547。スペインのコンキスタドール(征服者)。モクテスマ2世(モンテズマ)にケツァルコアトルの化身と勘違いされた。インディオに対し虐殺、強姦、略奪などを行いアステカ文明を滅ぼした。
ルイ13世1601-1643。ブルボン朝第2代フランス国王。絶対王政を行った。ルイ14世の父。
グナエウス・ポンペイウス★★古代ローマの将軍。三頭政治の後にカエサルと対立し敗北。
マルクス・クラッスス★古代ローマ屈指の資産家。カエサルのATM。
アテネ
エパメイノンダス紀元前420?-362年。テーバイの将軍、政治家。スパルタ併合下のテーバイの独立に貢献した。独立後もスパルタとの数々の戦いで活躍したが、マンティネイアの戦いにて戦死している。
ダントルカスト1737-1793年。ブルニー・ダントルカストー。フランスの航海者。国民議会の決定で太平洋で消息を絶った探検家ラ・ペルーズの捜索と太平洋地域の探検を行った。
フランシスコ・アルメイダ1450-1510年。ポルトガルの軍人。イスラムとの戦いで活躍し、初代インド副王に任命される。その後、インド遠征艦隊を指揮しての航海でポルトガルの勢力圏を広げた。この航海にはマゼランも参加しており、彼の初航海であった。1508年のマムルーク朝との戦いで息子を失ったが、翌年に復讐戦を行い、勝利している。
パウサニアス?-前470年。スパルタ王プレイタルコスの後見人。王とは従兄弟の間柄でレオニダス1世の甥になる。プラタイアの戦いでギリシア連合軍を指揮しペルシア軍を撃破、ギリシアにおけるペルシアの影響力を一掃した。しかし傲岸不遜な性格が災いし同盟国の信望を失い、ペルシアへの内通が発覚するに及んで餓死する破目に追いやられる。
マリアテレジア1717-1780年。マリア・テレジア・ワルブルガ・アマリア・クリスティーナ・フォン・エスターライヒ。神聖ローマ帝国皇帝カール6世の皇女。また、皇帝フランツ1世の皇后。実際に皇位には就いていないが、「女帝」としてよく知られる。男児に恵まれなかった皇帝カール6世の後継者と目され、彼の死後、国を率いてオーストリア継承戦争、七年戦争を戦い抜いた。夫フランツ・シュテファンを皇帝フランツ1世として即位させたが、実質的な権力は彼女が握っていた。その夫とは当時は珍しい恋愛結婚であり、夫婦仲は非常に良好だったという。
スキピオ★★古代ローマにスキピオという人物は多くいるが、おそらくはスキピオ・アフリカヌスのこと。ザマの会戦でハンニバルを破り、ローマに勝利をもたらした。
コンスタンティノーブル
ヘラクレイオス575?-641年。東ローマ皇帝。簒奪者フォカスを打倒し帝位に就くが、帝国はササン朝の侵攻にさらされており何の対策も立たないまま東方属州を失陥。聖地エルサレムは拝火教徒の手に落ちペルシア軍はコンスタンティノープルの対岸に迫った。これに対しヘラクレイオスは軍費をかき集めて軍を再建し反攻を開始、クテシフォンを突く皇帝親征の成功でホスロー2世は息子のクーデターに倒れ属州は回復された。だが奇跡的な救国から10年と経たないうちに新鋭のイスラム教徒がシリアに侵攻。帝国軍はヤルムークの戦いに破れエジプト・シリア属州は永久に失われた。
アスカニオストロイアの英雄アイネイアスの子。ローマの母市アルバ・ロンガを建設。このアルバ王の血統からローマ市の建設者ロムルスとレムスが生まれた。
グスタフスウェーデンの国王名。1世から6世までいるが、中でも有名なのは以下の二人か。
1594-1632年。グスタフ2世アドルフ。北方の獅子と呼ばれた。三十年戦争に参戦するも、傭兵ヴァレンシュタインとの戦いで戦死している。
1746-1792年。グスタフ3世。無血クーデターにより貴族から政権を奪取し、市民たちから支持を集めた。彼の下でスウェーデンは隆盛するが、貴族アンカーストレムによって仮面舞踏会の会場で暗殺された。
レオニダス★★?-前480年。スパルタ王。親衛隊300人を率いてテルモピュライの戦いに参戦し、優勢なペルシア軍相手に最後まで踏みとどまり討ち死にした。この勲功を顕彰して彼の墓上の記念碑には300名の勇士の名が刻まれた。
ゴルディアヌス3世★225-244年。マルクス・アントニウス・ゴルディアヌス・ピウス。ローマ皇帝。内戦が相次ぎ、次々と皇帝が交代した六皇帝時代の最後の皇帝。
フリードリヒ大王1712-1786。第3代プロイセン王フリードリヒ2世。啓蒙主義的な改革を行った。軍事、政治、学問に芸術と多方面に才を発揮した。ドイツにジャガイモを広めたことでも有名。
ヴェネツィア
レオナルド・ロレダン1436-1521年。ヴェネツィアの元首。ローマ教皇アレクサンドル6世の死に乗じて北部教皇領を占拠し、それをきっかけとしてカンブレー同盟戦争を引き起こした。
エスターライヒ1771-1847年。カール・フォン・エスターライヒ。オーストリア帝国の軍人。神聖ローマ皇帝レオポルト2世の息子、同じく皇帝フランツ2世の弟。ナポレオンが初めて敗北を喫した人物。
ジョルジョ・ヴァザーリ★★1511-1574年。イタリアの画家、建築家。ルネサンスの芸術家の評伝を執筆したことでも知られる。
アントワーヌ・ヴァトー1684-1721年。フランス、ロココ時代の画家。
デキムスデキムス・ブルータス。カエサルの右腕だったがカエサル暗殺に参加した。諸説あるものの、一般的には「ブルータス、お前もか」のブルータスとは別人と考えられている。
ヤコポ★イタリアの芸術家などに同名が多数。
ウィーン
デューラー1471-1528年。アルブレヒト・デューラー。ドイツ、ルネサンス期に活躍した画家。レオナルド・ダ・ヴィンチなどとも交流があったという。
シューベルト★1797-1828。フランツ・シューベルト。歌曲の王と呼ばれる。若いころにベートーヴェンと道ですれ違ったといわれる。
バッハ1685-1750。ヨハン・セバスティアン・バッハ。音楽の父と呼ばれる。バッハ家は音楽家を多く輩出しているが、おそらく最も有名なこの人だろう。
モーツァルト★★1756-1791。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。オーケストラの指揮を執る際、演奏者ではなく客席を向いて指揮をしたことで有名。非常に多くの曲を作曲した。フリーメイソンに傾倒していたとされ、オペラ「魔笛」などにそお影響が表れている。やたらと下ネタが好きで、たびたび妻に下品な手紙を送っていた。
トランシルヴァニア
アウグストゥス→オクタヴィアヌスと同一人物
ロラン★1600頃-1682年。クロード・ロラン。フランスの画家。風景画家として知られる。
プピエヌス178頃-238年。マルクス・クロディウス・プピエヌス・マクシムス。内戦が相次ぎ、次々と皇帝が交代した六皇帝時代のローマ皇帝の一人。バルビヌスと共同で即位したが、バルビヌスとは不仲で口論が絶えなかったという。結局、在位わずか三ヶ月ほどでバルビヌスと共に親衛隊に暗殺された。
マクシミヌス173頃-238年。マクシミヌス・トラクス。六皇帝時代最初のローマ皇帝。彼の暴政に反発したゴルディアヌス1世の反乱をきっかけに、内戦が相次ぐ六皇帝時代が始まった。
ゴルディアヌス1世159頃-238年。ローマ皇帝。内戦が相次ぎ、次々と皇帝が交代した六皇帝時代の皇帝の一人。皇帝マクシミヌスの暴政に対して反乱を起こし、息子ゴルディアヌス2世と共に共同皇帝の座に就いた。民衆や元老院の支持を集めたが、マクシミヌス支持派の前に親子共に倒れた。在位はわずか20日ほどであった。
プッサン★★1594-1665年。ニコラ・プッサン。フランスの画家。古典主義的な絵画や風景画を多く描いた。
ワルシャワ
ロマーノ1499?-1546年。ジュリオ・ロマーノ。イタリア、ルネサンス期の建築家、画家。ラファエロの弟子で、師と共同で多くの作品を制作した。
ガウス1777-1855年。カール・フリードリヒ・ガウス。ドイツの数学者、天文学者、物理学者。近代数学に多大な功績を残した。今日でも磁束密度の単位を始め、様々なものに「ガウス」の名が付けられている。
ライプニッツ★1646-1716年。ゴットフリート・ライプニッツ。ドイツの数学者、哲学者、科学者。数学や哲学など、多岐に渡る分野で活躍した。
ジョゼフ・ボナパルト1768-1844。ナポレオンの兄。ナポレオンの意向でスペイン王に即位した。
フィボナッチ★★1170頃-1250年頃。レオナルド・フィボナッチ。イタリアの数学者。
ヘルシンキ
ジョヴァンニ・ネーレ1498-1526年。ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ。イタリアの傭兵隊長。黒い帯を身に付けていたため、「黒帯(バンデ・ネーレ)」という通名で呼ばれた。
ピエール・ユラン1758-1841年。フランスの軍人。フランス革命からナポレオンの時代に活躍した。漫画「ベルサイユのばら」のオスカルのモデル。
ヴァレンシュタイン1583-1634年。アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン。ボヘミアの傭兵隊長。神聖ローマ皇帝フェルディナント2世に仕え、小貴族から重鎮にまでのし上がった人物。しかし、フェルディナント2世の凋落と共に彼の栄華もまた失われていった。
ミシェル★1769-1815年。ミシェル・ネイ。ナポレオン戦争期に活躍したフランス元帥。英雄と称えられる人物で、ナポレオンは彼を「勇者の中の勇者」と評した。
クラウゼヴィッツ★★1780-1831。カール・フィーリプ・ゴッドリーブ・フォン・クラウゼヴィッツ。プロイセン出身の軍人・軍事学者。『戦争論』を著した。
ストックホルム
ユークリッドマケドニアの襲撃Aを参照
フェルマー1607頃-1665年。ピエール・ド・フェルマー。フランスの数学者。本業は弁護士。彼の残した命題の最後の一つ、「フェルマーの最終定理」は難題として長らく数学者たちを悩ませたが、1995年にようやく証明されている。
ピタゴラス★BC582-496年。古代ギリシアの数学者、哲学者。直角三角形の三辺の長さを表すピタゴラスの定理が非常に有名。
クセノポンBC427?-355?。アテナイの軍人・著述家。ソクラテスの弟子。小キュロスの反乱にギリシア傭兵として加わるが、クナクサの戦いで小キュロスが敗死したことによってペルシア帝国の中心部からギリシア傭兵部隊を率いて決死の退却行を試みることになる。
パルメニデス古代ギリシアの哲学者。エレア派の始祖。あるもののみがあるのであって、あらぬものがあるということはありえず、真にあらぬものは語ることも思惟する事も出来ない。よって「義経は胸がない」と言う命題は誤謬である。
ブリュッセル
ミケランジェロ★★1475-1564年。ミケランジェロ・ブオナローティ。イタリア、ルネサンス期の芸術家。現代において最も名を知られた芸術家の一人。ピエタ、ダビデ像、システィーナ礼拝堂の天井画、最後の審判など、有名な作品を数多く生み出した。
チェリーニ1500-1571年。ベンヴェヌート・チェリーニ。イタリア、ルネサンス期の画家、彫刻家、音楽家。
ベルリーニ1801-1835年。ヴィンチェンツォ・ベルリーニ。イタリアのクラシック作曲家。オペラで有名。
ラッザリーニ★1655-1730年。グレゴリオ・ラッザリーニ。イタリアの画家。
ボンドーネ1267頃-1337年。ジョット・ディ・ボンドーネ。イタリアの画家、建築家。ゴシックの巨匠として、後のルネサンス期の画家に大きな影響を与えたとされる。
パリ
カトリーヌ・ド・メディチ1519-1589年。フランス王アンリ2世の王妃。アンリ2世の死後、息子のフランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世が次々と王位継承と逝去を繰り返す中、その背後から国の実権を握った。
ルイ16世1754-1793。ブルボン王朝第5代フランス国王。国民からの支持は高かったが、フランス革命が起こりギロチンで処刑された。生涯側室、愛人を持たなかった。真性包茎。
ミュラ★1767-1815年。ジョアシャン・ミュラ。フランスの軍人。後にナポリ王。ナポレオンの妹カロリーヌの夫で、ナポレオンの義弟にあたる。ナポレオンの側近だったが、ナポリ王国の国王に任ぜられてからはナポレオンとの関係は悪化してしまった。
ピリップス・アラブス204頃-249年。ローマ皇帝。ゴルディアヌス3世の死後に皇帝位に就くが、最期は部下の軍の反乱によって死亡した。
マリー・アントワネット★★1755-1793。フランス王ルイ16世の王妃。フランス革命の際に夫に続いてギロチンで処刑された。有名な「パンが無ければブリオッシュを食べればいいじゃない」は後世の創作である。
次作のGOLDではネームドキャラに昇格した。
被占領
ドゥアルテ1世1391-1438年。ポルトガル王。弁舌に優れ、「雄弁王」と呼ばれる。
シャルル6世★1368-1422年。フランス王。精神障害を患っており、「狂気王」と呼ばれる。まともに執務を執り行うことも不可能なほどで、実務は家臣団が行わざるを得なかった。
マヌエル1世1469-1521年。ポルトガル王。傍流の六男でありながら平和裏に王位に就き、ポルトガルの黄金期を築いたことから「幸運王」と呼ばれる。
ジョアン2世★1455-1495年。ポルトガル王。名君として知られ、「無欠王」と呼ばれる。コロンブスの事業に協力せず、大西洋の開拓ではスペインに後れを取ってしまった。
リスボン・バルセロナ・ワルシャワ・パリ~襲撃
マルティーニ1439-1501年。フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ。イタリア、ルネサンス期の建築家、彫刻家、画家。また、軍事技術者。
マルティーニはよくある名前だが、この部隊はおそらく建築家縛りなのでこの人か。
カルル1781-1841年。カルル・フリードリッヒ・シンケル。ドイツの建築家、画家。
イシドロス東ローマ帝国の数学者・建築家。ユスティニアヌス1世の任命によりアンテミオスとともにハギア・ソフィア大聖堂の建設に携わった。
アンテミオス★474-534年。東ローマ帝国の数学者・建築家。イシドロスとともにハギア・ソフィア大聖堂を建立した。隣家に細工を施して地震のように家を揺らしたといった類の逸話が伝わっている。
カルタゴ~襲撃
アルチンボルド★★1527-1593年。ジュゼッペ・アルチンボルド。イタリアの画家。野菜や果物などを組み合わせて人の顔を作る独特の肖像画を見たことのある人も多いのでは。
ボッティチェリ1445-1510年。サンドロ・ボッティチェリ。イタリア、ルネサンス期の画家。宗教画、神話画でよく知られ、ヴィーナスの誕生などの名作を生み出している。
アンジェリコ1390頃-1455年。フラ・アンジェリコ。イタリア、ルネサンス期の画家。本名はグイード・ディ・ピエトロで、フラ・アンジェリコは「天使のような僧」という意味の通称。その通名の通り、宗教画を多く描いた。
アーフェルカンプ★1585頃-1634年。ヘンドリック・アーフェルカンプ。オランダの画家。耳が聞こえなかったという。
アルトドルファー1480頃-1538年。アルブレヒト・アルトドルファー。ドイツ、ルネサンス期の画家。風景画でよく知られる。
ローマ・アテネ・コンスタンティノーブル~襲撃
カサス1484-1566年。バルトロメ・デ・ラス・カサス。スペインのカトリック司祭。「インディオの保護者」として知られる。スペインの新大陸征服における不正行為、残虐行為の数々を非難し、告発した。
エラスムス1466-1536年。デジデリウス・エラスムス。ネーデルラントのカトリック司祭、人文主義者、神学者、哲学者。主な著作は「痴愚神礼讃」、「キリスト教戦士の手引き」など。
カルピニ★1182-1252年。ヨハンネス・デ・プラノ・カルピニ。イタリアの修道士。当時ヨーロッパにまで迫りつつあったモンゴル帝国との交渉役として活動し、グユクやバトゥとの会見を行った。
サヴォナローラ1452-1498年。ジローラモ・サヴォナローラ。イタリアの修道士。フィレンツェで禁欲主義による独裁的な神権政治を行った。しかし、ローマ教会との対立やその厳格すぎるやり方に不満を抱いた市民の反発などにより失脚、処刑された。
セラ★★1713-1784年。フニペロ・セラ。スペインの修道士、コンキスタドール。新大陸に渡って布教活動を行った。カリフォルニアでインディアンに対して行った残虐行為への批判があり、聖人列席は見送られている。
クロムウェル1599-1658年。オリバー・クロムウェル。イングランドの政治家、軍人。清教徒革命の指導者として議会派を勝利に導き、国王チャールズ1世を処刑した。その後は護国卿として独裁政治を行っている。
ヴェネツィア・ウィーン・ストックホルム~襲撃
アルカデルト1504頃-1568年。ジャック・アルカデルト。ルネサンス期の作曲家。出身地は不明瞭。シャンソン、マドリガーレのような世俗的な曲を主に作曲した。
アーロン1900-1990年。アーロン・コープランド。アメリカの作曲家。
イザーク1450-1517年。ハインリヒ・イザーク。ルネサンス期の作曲家。出身地は不明瞭。宮廷作曲家としてフィレンツェのメディチ家や神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世に仕えた。
ツィポーリ★1688-1726年。ドメニコ・ツィポーリ。イタリアの作曲家、イエズス会宣教師。イエズス会のオルガニストから修道士となり、新大陸に渡った。
ムートン1459?-1522年。ジャン・ムートン。フランス、ルネサンス期の作曲家。キリスト教のモテットの作曲家として知られる。
ザヴァテッリ★★1690-1764年。ロレンツォ・ガエタノ・ザヴァテッリ。イタリアの作曲家、ヴァイオリニスト。
トランシルヴァニア・ベルリン(被占領後)・ブリュッセル~襲撃
ラファエロ1483-1520年。ラファエロ・サンティ。イタリア、ルネサンス期の画家、建築家。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並び称されるルネサンスの代表的芸術家。
ピエロ1412-1492年。ピエロ・デラ・フランチェスカ。イタリア、ルネサンス期の画家。
ベリーニ★★1430頃-1516年。ジョヴァンニ・ベリーニ。イタリア、ルネサンス期の画家。
ダヴィッド★1748-1825年。ジャック=ルイ・ダヴィッド。フランスの画家。フランスの激動期に活躍した画家で、ナポレオンに重用された。有名な白馬に乗ったナポレオンの肖像画は彼の作品。
ポッライオーロ1429-1498年。アントニオ・デル・ポッライオーロ。イタリア、ルネサンス期の画家、彫刻家、版画家、金細工師。同じく画家である弟ピエロ・デル・ポッライオーロと共に創作活動を行った。
ワルシャワ・ヘルシンキ・パリ~襲撃
ダヴー1770-1823年。ルイ・ニコラ・ダヴー。ナポレオン戦争期に活躍したフランス軍人。ナポレオン麾下の屈指の傑物。軍事、政治に長け、ナポレオンの側近として多くの輝かしい戦果をあげた。
アッティクスアッティクスの名を持つ人物は古代ローマに複数いるが、おそらくはキケロの友人、ティトゥス・ポンポニウスの事か。
BC110-32年。ティトゥス・ポンポニウス・アッティクス。共和政ローマの知識人。出版業に携わっており、文筆家キケロが彼に宛てた書簡が数多く残っている。
ルター★★1483-1546年。マルティン・ルター。ドイツの神学者。宗教改革の発端となった人物。「金銭により贖宥状を購入することで魂が清められる」というやり方に疑問を投げかけた。このことがきっかけとなって、当時のカトリック教会の腐敗、堕落に対する不満が各所で顕在化し、プロテスタントの分離へと発展した。
パスカル1623-1662年。ブレーズ・パスカル。フランスの哲学者、科学者、数学者。彼の遺著「パンセ」に残された「人間は考える葦である」という言葉が有名。
ダイイ★1351-1420年。ピエール・ダイイ。フランスの神学者。

ブリタニア

名前解説
香港
ガヘリス円卓の騎士の一人。ガウェインの弟。ランスロットによって殺される。
アリデューク★メモ:円卓の騎士(アリデュック、アラデューク)
ガレス円卓の騎士の一人。ガウェインの弟。ランスロットによって騎士に叙されるが、後に彼に殺される。ガヘリスとガレスの死により、その後ガウェインとランスロットが対立する。
ブランディレアリドゥックメモ:円卓の騎士
サイゴン
ガルテルメモ:円卓の騎士(ブリアン三兄弟)
リステイノズメモ:円卓の騎士(ブリアンの事)
レイノルドメモ:円卓の騎士(ブリアン三兄弟)
ウルリー★メモ:円卓の騎士(ウルリー卿。立派な騎士求む)
ギルメールメモ:円卓の騎士
サンフランシスコ
ペリシダスメモ:円卓の騎士
ブラモア・ド・ガニス★メモ:円卓の騎士
アンドレッドメモ:円卓の騎士
カーディフメモ:円卓の騎士
バルパライソ
クラリオンメモ:円卓の騎士
カログリナント★メモ:円卓の騎士(コルグレヴァンス卿)
ライオネルメモ:円卓の騎士(ボールスの弟)
ベイランメモ:円卓の騎士(ベイリンの弟)
クロッドルス★メモ:円卓の騎士(クロドゥルス)
ブエノスアイレス
エクトール★メモ:円卓の騎士(ケイの父かバンの子か。ド・マリスが付いてないから戦友コンビで前者かと)
バン★メモ:円卓の騎士(ボールスの兄弟(王の方)ランスロットの父)
ベルリン
ディナス★
ディナダン★★
パリ(対ブリタニアの準備を整える・第1戦)
ジェレイント★
イーテル★★
ラジナスメモ:円卓の騎士
ガラガスメモ:円卓の騎士
カラドックメモ:円卓の騎士(ロンドン・キャメロット~襲撃と同一人物。※Caradocは原作中一人のみ。Sir Caradoc Briefbras)
アコロンメモ:円卓の騎士
パリ(対ブリタニアの準備を整える・第2戦)
モーレス★
アグラヴェインメモ:円卓の騎士
ロンドン
グウィヤルトメモ:円卓の騎士
ボハルト★
フェルグスメモ:円卓の騎士(ファーガス)
ヘクティメール★★
アリスタウスメモ:円卓の騎士
ペディパスメモ:円卓の騎士(ペティペイス)
ロンドン防壁破壊後(ガラハドと対決)
ヘクティマメモ:円卓の騎士(ヘクティマ、ヘクティメール)
ハーリュースメモ:円卓の騎士、じゃーない。ベイリンのペラム王編発端の人物
ブランデレスメモ:円卓の騎士(ブランディレス、ブランディルレス。Brandiles)
ファーガス★メモ:円卓の騎士(フェルグス。上同一人物。Fergus)
ブライアン★★
キャメロット(ガウェインと対決)
ペリモーンズメモ:円卓の騎士(ペリモネス)
パソレープメモ:円卓の騎士(ペルトレープ、ペルティロープ)
パーサント★
ペラート★★
サヴァージュメモ:円卓の騎士(どのサバージュだ!でもたぶんこれドディルナス(ドディナス)・ル・サヴァージュ)
キャメロット防壁破壊後(キャメロット城最終決戦・第1戦)
ラヴェインメモ:円卓の騎士
ガリホディンメモ:円卓の騎士
デジルースメモ:円卓の騎士(サグラモール(サグラムア)・ド・デジルース)
ガリフッド★
ティリー★★
キャメロット防壁破壊後(キャメロット城最終決戦・第2戦)
ボードヴィン★
ウルフィウス★★
ロンドン・キャメロット~襲撃
カラドックメモ:円卓の騎士(カードック、カルドゥック)
ベルティラック★★
ゲライントメモ:円卓の騎士(ゲレイント、ケルト版のみ)
ブラシアスメモ:円卓の騎士(ブラシャス、ブラスティアス)
ガレロン★
被占領1(都市不問)
リチャード一世★
ペリノアメモ:円卓の騎士
メリオダスメモ:円卓の騎士
コンスタンチンメモ:円卓の騎士
被占領2(都市不問)
クリージュメモ:円卓の騎士(クリージェ)
ラックメモ:円卓の騎士
メリアグランスメモ:円卓の騎士
ガラハンチン★

ロシア

名前解説
ウラジオストック
トレジーニドメニコ・トレジーニ。1670年-1734年。ロシアの建築家、都市計画家。スウェーデン系イタリア人で、ピョードル1世の側近として、ペテルブルク都市建設事業を統括した人物。
モンフェランオーギュスト・モンフェラン。1786年-1858年。18世紀にロシアで活躍した建築家。聖イサアク大聖堂の再建で、建築史にその名を刻んだ人物。聖イサク聖堂の石柱や宮殿広場のアレクサンダー・コラムなどの複雑な大事業も多く手がけた。
ココリーノフアレクサンドル・ココリーノフ。1726年-1772年。ロシアの建築家。トボリスクにて役人の子として生まれた。ロシアの芸術アカデミーの創始者でもある。
カムチャッキー
シェリホフグリゴリー・シェリホフ。ロシアの商人にして探検家。
バラノフアレクサンドル・バラノフ。ロシアの商人にして探検家。初代アラスカ総督でもある。
レベデフパベル・レベデフ=ラストチキン。ロシアの商人。鎖国中だった日本と接触した最初のロシア人の一人。
ストロガノフ★ロシア貴族の家系、ストロガノフ家。帝政ロシアにおいて多くの大商人や政治家を輩出した。ロシア料理のビーフストロガノフはストロガノフ家の家伝の料理だったとも言われている。
エカテリーナ1世1684-1727年。ロシア帝国第2代皇帝。ピョートル1世の妃。もとはリトアニアの農民の生まれで、そこからロシア初の女帝にまでのし上がった人物。
ヤクーツク
ヴォロニーヒン1759-1714年。アンドレイ・ヴォロニーヒン。ロシアの建築家。
ブリューロフ1799-1852年。カール・ブリューロフ。ロシアの画家。
ウフトムスキー1719-1774年。ドミトリー・ウフトムスキー。ロシアの建築家。
トーン1794-1881年。コンスタンチン・トーン。ロシアの建築家。
ルイレーエフ★1795-1826年。コンドラチイ・ルイレーエフ。帝政ロシアの詩人、革命家。ロシアで起こったクーデター、デカブリストの乱の首謀者の一人として処刑された。
イルクーツク
ピョートル1世1672年-1725年。初代のロシア皇帝。大北方戦争での勝利により、ピョートル大帝と称される。スウェーデンからバルト海海域世界の覇権を奪取してバルト海交易ルートを確保。また西欧化改革を強力に推進し、ロシアの近代化に努めた。彼がフィンランド湾に注ぐネヴァ川の河口に建設したサンクトペテルブルグは、1712年以降、200年にわたってロマノフ王朝の帝都になった。
エリザヴェータ★1709-1762年。エリザヴェータ・ペトロヴナ。ロシア帝国第6代皇帝。ピョートル1世とエカテリーナ1世の娘。第5代皇帝の幼帝イヴァン6世を廃し、帝位を奪取した。
イヴァン6世1740-1764年。ロシア帝国第5代皇帝。わずか生後2カ月で帝位を継いだが、翌年にエリザヴェータのクーデターによりその座を追われ幽閉された。
ピョートル3世1728-1762年。ロシア帝国第7代皇帝。在位わずか6カ月ほどで、皇后エカテリーナを支持する近衛隊のクーデターにより逮捕、殺害された。
ピョートル2世★★1715-1730年。ロシア帝国第3代皇帝。天然痘で14歳で死去した。
メーンシコフ1673-1729年。アレクサンドル・メーンシコフ。ロシア帝国の軍人、政治家。ピョートル1世の下で活躍し、彼の死後は妃エカテリーナ1世を擁立して第2代皇帝に即位させ、自身が実権を握った。しかしエカテリーナ1世の死後に没落している。
モスクワ
ゴローニン1776-1831年。ヴァーシリィ・ゴローニン。ロシア帝国の軍人、探検家。測量のために択捉島、国後島を訪れたところを幕府の役人に捕縛されてしまう。後にロシア側の捕らえた日本人との交換が成立し、ゴローニンは解放された。この一連の出来事がゴローニン事件である。
イプシランチ1792-1828年。アレクサンドル・イプシランチ。ロシア帝国の軍人。ギリシャの独立をめざす秘密結社「フィリキ・エテリア」の指導者。彼の蜂起が発端となって各地に反乱が広がり、オスマン帝国の支配下からギリシャは解放された。
ガンニバル1696-1781年。アブラム・ガンニバル。ロシア帝国の軍人。アフリカ出身で、ピョートル1世に仕えた。「ガンニバル」の名はハンニバルにちなむ。
ヴィトゲンシュテイン★1769-1843年。ピョートル・ヴィトゲンシュテイン。ロシア帝国の軍人。アウステルリッツの戦いでナポレオンと戦っている。
モスクワ防壁破壊後
ジョミニアントワーヌ=アンリ・ジョミニ。1779年-1869年。スイス出身の軍人、軍事学の研究者である。フランス第一帝政、のちにロシア帝国に仕えてナポレオン戦争に参加し、『戦争概論』などを著した。戦略、戦術、兵站を主な研究領域としており、研究業績としては軍事学の方法論、戦争術、戦いの原則、内線および外線作戦、後方連絡線、兵站に関する研究を挙げることができる。
レザノフ★★1764-1807年。ニコライ・レザノフ。ロシア帝国の外交官。極東とアメリカ大陸進出に関わった。レザノフ自身も日本への使節団に同行し長崎を訪れているが、通商交渉は決裂している。
パーヴェル1754-1801年。パーヴェル1世。ロシア帝国第9代皇帝。先代皇帝である母エカテリーナ2世とは不仲で、自身が皇帝に即位するとエカテリーナ2世の政治方針を真っ向から否定した。そのやり方が家臣の離反を招き、クーデターにより暗殺されてしまった。
ヴィクトルロシア帝国期だけでも同名が多数。
クリンガー★1752-1835年。フリードリヒ・マクシミリアン・クリンガー。ドイツの作家。後にロシアに渡って海軍将校となり、将軍にまで登り詰めた。代表作はドイツの文学運動の名ともなった「シュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)」。
サンクトペテルブルク
ムラヴィヨフ1796-1826年。セルゲイ・ムラヴィヨフ=アポストル。帝政ロシアの軍人、革命家。デカブリストの乱の首謀者の一人として処刑された。
ミュンニヒ★1683-1767年。ブルクハルト・クリストフ・フォン・ミュンニヒ。ロシア帝国の軍人、政治家。出身はドイツ。
カホフスキー1797-1826年。ピョートル・カホフスキー。帝政ロシアの軍人、革命家。デカブリストの乱の首謀者の一人として処刑された。
ペステリ1793-1826年。パーヴェル・ペステリ。帝政ロシアの軍人、革命家。デカブリストの乱の首謀者の一人として処刑された。
ポチョムキン★★1739-1791年。グリゴリー・アレクサンドロヴィチ・ポチョムキン。ロシア帝国の軍人、政治家。女帝エカテリーナ2世の愛人であり、「真実の夫」と評されるほどの公私に渡るパートナーだったという。
キース
ヤクーツク・イルクーツク~襲撃
クルーゼンシュテルン1770-1846年。アーダム・ヨハン・フォン・クルーゼンシュテルン。ロシア帝国の軍人、探検家。ロシアでは初めての世界一周航海を行った。「日本海」と最初に命名した人物。
ゲデンシュトロム1780頃-1845年。マトヴェイ・ゲデンシュトロム。ロシアの探検家、作家。北部シベリアを中心に探検調査を行った。
コツェブー1787-1846年。オットー・フォン・コツェブー。ロシア帝国の航海士。バルト・ドイツ人。クルーゼンシュテルンの世界一周航海に参加した。その後にもオセアニアへの探検航海を行っている。
ウランゲル★1796-1870年。フェルディナント・フォン・ウランゲル。ロシア帝国の軍人、貴族、探検家。ロシア地理学会の創設メンバーの一人。ロシア極北の探検を行った。
イルクーツク~襲撃
ムウロメツイリヤー・ムウロメツ。ロシアの叙事詩「ブィリーナ」に登場する英雄。
ラクスマン1766-?。アダム・ラクスマン。ロシア帝国の軍人。日本からの漂流者、大黒屋光太夫の保護と帰国に尽力した人物。光太夫を始めとした3人の日本人の送還と通商交渉のため、ロシア最初の遣日使節として日本を訪れている。
ブラウンシュヴァイク1714-1774年。アントン・ウルリヒ・フォン・ブラウンシュヴァイク。ロシア帝国第5代皇帝イヴァン6世の父親。エリザヴェータがイヴァン6世から帝位を奪取すると、息子と共に彼も幽閉され、獄死した。
ベストゥージェフ★1693-1768年。アレクセイ・ベストゥージェフ=リューミン。ロシア帝国の政治家、貴族。女帝エリザヴェータの下で優れた外交手腕を発揮した。
1801-1826年。ミハイル・パヴロヴィチ・ベストゥージェフ=リューミン。帝政ロシアの軍人、革命家。デカブリストの乱の首謀者の一人として処刑された。
サンクトペテルブルク・モスクワ~襲撃
ミロラドヴィチ1771-1825年。ミハイル・ミロラドヴィチ。ロシア帝国の軍人、貴族。ナポレオン戦争で活躍した。デカブリストの乱でデカブリスト側への説得工作を試みるが、カホフスキーに狙撃されて死亡した。
スタニスワフ★スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ。ポーランド・リトアニア共和国最後の国王。第8代ロシア皇帝エカテリーナ2世とは愛人関係にあり、ポーランドへの影響力を強めたかった彼女を後ろ盾としてスタニスワフは国王の座に就く。しかしそれが結果としてポーランド分割を招き、3度の分割によってポーランド・リトアニア共和国は消滅した。
オステルマン1686-1747年。アンドレイ・オステルマン。ロシア帝国の政治家。出身は神聖ローマ帝国。ピョートル大帝の時代に始まり、長きに渡って権力の中枢にあり続けた。だがエリザヴェータがクーデターによって第6代皇帝に即位すると、オステルマンはシベリアへの追放を命じられ、その先で亡くなった。
レプニン1734-1801年。ニコライ・レプニン。ロシア帝国の政治家、軍人。ポーランドに対するロシアの影響力を強め、ポーランド・リトアニア共和国の解体に重要な役割を果たした。

バビロニア

名前解説
バビロン
スムアブムバビロン第1王朝の初代王。在位は紀元前1894-1881年。
エシュフアビ・エシュフ。バビロン第1王朝の第8代王。在位は紀元前1711-1684年。第7代王サムス・イルナの息子でハンムラビの孫に当たる。
シュム?-紀元前648年。シャマシュ・シュム・ウキン。アッシリア支配下におけるバビロン第10王朝のバビロニア王。傀儡政権に過ぎない立場に不満を募らせ、アッシリアに反乱を起こすも戦死した。
イルナサムス・イルナ。バビロン第1王朝の第7代王。在位は紀元前1749-1712年。第6代王であるハンムラビの息子。領土を護り切れず、彼の時代にバビロニアは縮小した。
センナケリブ新アッシリア王国の王。在位は紀元前705-681年。アッシリア支配下で反乱を繰り返すバビロニアを鎮圧し、自身も2度に渡ってバビロニアの王位に就いた。
サルゴン★古代メソポタミアの王。紀元前2350年頃にバビロニアの北半分の地域で興った世界史上で確認出来る最も古い帝国の王。シュメール文明を征服して、チグリス川とユーフラテス川の間を中心に栄えた。

イルミナティ

名前解説
崑崙
武王周の創始者。殷の最後の帝である紂王を討ち、周を立てた。文王の次子。以下、崑崙に出現するキャラクターは封神演義の登場人物でもある。
紂王帝辛とも呼ばれる殷の最後の帝。悪事の限りを尽くしたと言われている。
周公旦★文王の第四子、武王の同母弟。武王の補佐を勤め、さらに武王の子を補佐し、建国直後の周を安定させた。
文王姓は姫、諱は昌。父季歴と母太任の子。武王の父にあたる。太公望を軍師に迎えた人物でもある。
妲己★★酒池肉林の人。紂王の妃。謂わずと知れた悪女の代名詞。後世へ伝わる際に妖狐伝説と結び付き、更にそれが日本へ伝わり玉藻前伝説と結び付いた。
ティルナノーグ一戦目
フェルグス★ケルト神話の英雄の一人。フェルグス・マック・ロイ。魔剣カラドボルグの所有者である。神話ではクー・フーリンとの戦いが描かれる。
ノイシュ★★ケルト神話の英雄の一人。コノート王に嫁ぐ筈だったディアドラと恋に落ち、アルパ(現在のスコットランド)へと駆け落ちするが、策略により帰還したところを、仲間たちと共に主のイーガンに殺された。その墓からはイチイの木が生えてきたという。
スカアハケルト神話に登場する影の国の女王。武芸に秀でた呪術師で、クー・フーリンの師として有名。
コンラケルト神話の女神オイフェとクー・フーリンの子。スカアハを師として修行し、7歳にして父と対等に戦える力を有する。しかし、策略によってクー・フーリンと戦うことになり命を落とす。
レーグケルト神話の登場人物。クー・フーリンの御者として数々の戦場で活躍する。
ティルナノーグ二戦目
ディルムッド★ケルト神話に登場するフィオナ騎士団の戦士。ディルムッド・オディナ。美しい容姿と女性を虜にしてしまう魔法の黒子を持ち、主君フィンの婚約者グラーニャとの不義の恋により幾多の苦難を受ける。二本の槍と二本の剣を持っていたとされ、それぞれ「ゲイ・ジャルグ」「ゲイ・ボー」「モラルタ」「ベガルタ」と銘がある。
フィンケルト神話の登場人物。フィン・マックール。フィオナ騎士団の団長。癒しの手をもち、手ずからすくった水で重病を回復する奇跡をもたらすと言われる。
アルカディア
ヒュラス★★ギリシャ神話の人物。ヘラクレスに仕えた美しい少年で、その容姿故にヘラクレス達との旅の途中で立ち寄った泉に住むニンフにさらわれてしまったという。
アガメムノーン★ギリシャ神話の英雄。ミュケーナイの王であり、トロイア戦争におけるギリシア軍の総大将。ギリシア方の王たちを率いて戦ったためローマの時代には「王の中の王」と呼ばれ、皇帝の比喩とみなされていた。
オルペウスギリシャ神話に登場する吟遊詩人、オルフェウス。アポロンより竪琴演奏技術を伝授され、彼が竪琴を弾くと、森の動物たちが集まって耳を傾けたといわれる。
竪琴放置してなにやってんすか。
オイディプスギリシャ神話に登場する古代王国の王子。「朝に4つ足、昼に2本足、夜は3つ足・・・」というスフィンクスの謎かけを解いた人物。自らの母と近親婚をしており、「エディプス・コンプレックス」の語源となった。
エリュシオン
オデュッセウスギリシア神話の英雄。トロイア戦争でトロイの木馬を考案した人といえば早いだろう。
アンキセス★ギリシア神話の人物。女神アフロディテに愛された。禁を破り女神に子を産ませた事を他人に話してしまったため、ゼウスの雷に撃たれる事となる。
ペルセウスゼウスを父に持つ半神半人の英雄。アイギスの盾を持ち、メデューサを打ち倒す。また、海獣を撃ち滅ぼしアンドロメダを妻に迎えた。ペルセウス座。
パトロクロス★★アキレスに仕えた武将であり親友。トロイア戦争でアキレスがアガメムノーンと諍いを起こして出陣を拒否した際、アキレスの鎧を借りて代わりに出陣、その際にヘクトールに討たれる事となる。
被占領(都市不問・アヴァロン含)
カプリコルヌスローマ神話に登場する、ラテン語で山羊と角の合成語で角のある山羊、つまり雄山羊を意味する。やぎ座に描かれているとされる。ユーピテルとティターン神族との戦いでユーピテルに味方した。
ペイトーオケアノスとテテュスの娘。説得の女神。アフロディテの従者、または別名。結婚の神でもある。
アゲーノル★ギリシア神話の人物。同名の人物が複数知られ、その主なものは、アルゴス王、フェニキア王、プレウローンの子、ペーゲウスの子、アンテーノールの子等がある。
ヒラニプラ 一戦目
シグムント北欧神話に登場する英雄シグルドの父。グラムを手に入れた事で妹以外の一族を皆殺しにされたり、オーディンが自分で与えたはずのグラムを砕いてしまうなどの悲劇に見舞われる。
アレオスギリシア神話に登場アルカディアの町テゲアーの王。テゲアーのアテーナー・アレアー神殿の創設者とされ、娘のアウゲーもこの神殿に仕える女神官であったといわれる。
ウマシマジ日本神話に登場する物部氏の祖とされる人物。現在でも宮中や石上神社、物部神社、彌彦神社で行われている鎮魂祭の元祖。始め長髄彦に従っていたが、神武天皇の東征に際して長髄彦を殺し天皇に帰服し、以後自らの部族である物部を率いて皇城守護の任に当たったという。神武天皇即位の後、饒速日命の遺した10種の天璽瑞宝(あまつしるしのみづたから)を献上し、それを使って天皇と皇后の魂を鎮める呪術を行ったとされ、これを後世の鎮魂祭の初めとしている。
ヒラニプラ ニ戦目
カトレウスギリシャ神話に登場するクレタ王。自分の死について、子供の誰かに殺されるだろうと神託を受けたのを息子のアルタイメネスに知られ、妹と共にロードス島へと去ってしまう。残った娘二人も異国へと遠ざけたが、晩年、アルタイメネスにクレタを継がせようと密かにロードスへ向かった際、海賊に間違われて争いとなり、その争いの中でアルタイメネスに殺されてしまった。
パンドラ★★ギリシャ神話に登場する女性で、プロメテスが天界の炎を人間に与えた事に激怒したゼウスにより、神々によって作られ人類の災いとして地上に送り込まれた。人類最初の女性とされる。パンドラに纏わる神話から「開けてはいけないもの」、「禍いをもたらすために触れてはいけないもの」を意味する慣用句として「パンドラの箱」という言葉が生まれた。
ヒラニプラ (ムーとの決戦) 一戦目
大アイアースギリシア神話に登場する英雄、アキレスのいとこ。アキレスの死後におきた遺体争奪戦で、遺体を奪われないようにオデュッセウスと協力、奮闘した。この時に敵の攻撃を防いだのが所謂アイアスの盾。
小アイアースギリシア神話に登場する英雄。トロイア陥落時にアテナ像にしがみ付いていたカッサンドラを強姦し、女神アテナを激怒させた。帰途の航海中、その事が原因で難破したが運よく岩礁に避難出来た。そこで神の怒りも自分には及ばないと勝ち誇ったためにポセイドンが怒り、矛を投げつけられ岩礁を砕かれて溺死したという。
ポリュデウケス★ギリシア神話に登場する英雄。ポルックスとも。ゼウスの血を引いた不死身の人間で、イアソンとアルゴー船の冒険に参加し、数々の手柄を立てる。兄カストールが死んでしまった際、神に慈悲を乞って兄とともに天にいることを許されたという。これが現在の双子座であるとされる。
カストール★★ギリシア神話に登場する英雄。ポリュデケウスの兄。人間では極めて珍しい重複妊娠による双子で、弟と違い普通の人間であったため戦死してしまう。兄弟まとめてDioskouroi(ディオスクロイ)とも呼ばれる。これは、「ゼウスの息子たち」という意味で、ラテン語ではGemini(ゲミニ、ジェミニ)と呼ばれ、双子を表す言葉の元となった。
ヒラニプラ (ムーとの決戦) 二戦目
アイオロスギリシア神話における3人の人物名。古代神話も混同されがちだったりする。アキレス絡みの登場人物が多いため、多分このアイオロス。
ギリシア神話における風の神たちの主。浮島であるアイオリアー島に住み、オデュッセウスが一度目に漂着した際は歓待し、ゼピュロス(西風)を詰めた袋とその逆風を詰めた袋を渡し、無事に航海が進められるように協力したが、部下が袋を間違え再びアイオリアー島に漂着すると、彼が神の怒りを受けていると思い追い返したという。
アイアコス★ギリシア神話に登場する人物。ゼウスの子の一人。この世で最も敬虔な人物とされる。ヘラの嫉妬で故郷の島が全滅しかけた際、ゼウスに祈り助けられる。祟りによってギリシア全土が干ばつに襲われたときもゼウスに祈ると雨を降らせて貰えた等、ゼウスから非常に可愛がられていた。更にゼウスはアイアコスを不老にしようとしたが、他の神の猛反発を受けたため、やむなく死後に冥界の審判者とし、冥府の鍵を預けという。
~襲撃A
ラオメドン★ギリシャ神話の登場人物。トロイアの王。傲慢さで知られ、ラオメドンを試すために人間に化けて仕えたアポロンとポセイドンを酷使し、両者から激しい怒りを買った。さらにヘラクレスに怪物退治を頼んでおきながらその報酬を支払おうとせず、怒ったへラクレスの軍勢にトロイアを攻め落とされ、自業自得の最期を迎えた。
イピクレスギリシャ神話の登場人物。母を同じくするヘラクレスの異父兄弟。
ステネボイアギリシャ神話に登場する女性。英雄ベレロフォンに恋をしたが相手にされなかったため、ベレロフォンの方が自分に迫ったのだと罪をでっちあげ、彼をキマイラ退治などの苦難に追い込んだ。
セメレー★★ギリシャ神話に登場する女性。テーバイの王カドモスの娘。人間に化けたゼウスとの間に子を身籠るが、ヘラの策略により本当の姿を現さざるを得なくなったゼウスの雷に巻き込まれて焼死した。この時、ゼウスとヘルメスによって救われた胎児が酒神デュオニュソスである。
~襲撃B
マイアギリシア神話に登場する人物。アトラスとプレイオネの子達。プレアデスの7姉妹と呼ばれている。オリオンに追われていたが逃げ延び、ゼウスの力で天上の星になった。牡牛座の肩の位置にプレアデス星団と呼ばれる星団がある(和名すばる)。オリオンが見つめているのは牡牛座ではなくこのプレアデスだという説もある。残りの2人はアルキオネ、メロペ。
タイゲタ
エレクトラ★
ケレーノ★★
アステロペ
~襲撃C
シーシュポスギリシア神話に登場する人物。オデュッセウスの父。神々を騙した抜け目のない男。その罰として、タルタロスで巨大な岩を山頂まで上げるよう命じられたが、山頂付近まで岩を押し上げると、岩はその重みで底まで転がり落ちてしまい、この苦行が永遠に繰り返される。この逸話から徒労を意味する「シーシュポスの岩」という言葉が生まれた。
エンディミオン月の女神に愛された少年。神々によって、その美しさが老いて失われることが嘆かれた。美しさを保つため、ゼウスによって永遠の眠りが与えられる。
アイギーナ★ギリシア神話の女性。アイアコスの母。アイギーナはゼウスにさらわれ、オイノーネー島に連れ去られた。取り戻しに来た父も追い払われ、島で子供を産む。その際生んだ子供、アイアコスが母の名にちなんでアイギーナ島と呼んだとされる。ちなみにアイギーナ島は実在の島。
メロペーギリシア神話の女性。同名者が一杯いるので判別不能。プレイアデスの1人(人間であるシーシュポスの妻になることによって不死性を失う、迷子のプレアデス)、オイノピオーンの娘、ポリュボスの妻、キュプセロス(アルカディアの王)の娘、オーケアノスの娘、ヘリオスの娘、パンダレオースの娘、オンケーストスの王メガレウスの妻などなど。
アルクメーネー★★ギリシア神話の女性。ヘラクレスの母。アムピトリュオーンに兄弟の仇を討ってくれたら結婚してもよいといい、アムピトリュオーンが頑張ってかたき討ちを成功させたが、戻ってくる前夜、ゼウスがアムピトリュオーンに化けてアルクメーネーと夜を共にし、ヘラクレスを生む事となる。

イルミナティ (後半)

名前解説
アヴァロン(転送装置の確認)
ティアマトバビロニア神話の女神で全ての神々の母神。神々の主の座を降りるよう願った子供達に怒り、戦いとなる。孫であるマルドゥクに引き裂かれ、その体は一方を天に、一方を地に変えた。彼女の乳房は山になり、そのそばに泉が作られ、その眼からはチグリスとユーフラテスの二大河川が生じ、その体は世界の基となったという。
出土した粘土板によると角と尾を持っていたとされる記述があるためか、多くのゲームで竜の姿をしている。
天の石版ティアマトが持っていた権威の象徴。マルドゥクとの戦いの際にキングーへと預けられたが、殺され奪われてしまう。
大地の怒り大地(ティアマト)の怒り。古代バビロニアで地震の事がそう信じられていた。ファイナルなファンタジーの巨人さんの事ではない。
ムシュフシュ★シュメール語で怒る蛇の意。マルドゥクと戦うためにティアマトが生み出した11の魔物のうちの一つ。蛇の頭とライオンの上半身、ワシの下半身、蠍の尾を持つ。ティアマト討伐後にマルドゥクの軍門に下り、乗獣となった。意義も魔物から守護獣となった。後にバビロンでイシュタル門を守る守護竜とされ、現存するイシュタル門にレリーフが残っている。
ウガルルム★★ティアマトの生み出した11の魔物のうちの一つ。巨大な獅子。
ムシュマッヘ★★ティアマトの生み出した11の魔物のうちの一つ。七つの頭を持つ大蛇。
エルドラードゲート(転送装置を探せ)
ミキストリアステカ神話の死神。
テスカトリポカアステカ神話において最も力ある神。守護神であると同時に、戦争、復讐、破壊などを司る神として畏れられた。蛇神ケツァルコアトルと対立する存在とされる。
イツトリ★★アステカ神話の神。黒曜石のナイフを司り、テスカトリポカに仕える神とも同一の存在ともされる。
オメテオトル★アステカ神話の創造神。男と女、光と闇、秩序と混沌などの対立する概念を兼ね備えた完全な存在とされる。テスカトリポカ、ケツァルコアトルなどの神を生み出した。
エルドラード(ムー大陸に進軍)
ヤマタノオロチ八岐大蛇、八俣遠呂智、八俣遠呂知。日本神話に登場する8つの頭と8本の尾を持つとされる大蛇。スサノオに酒を飲まされ酔って寝ている最中に殺されてしまう。その際に尻尾から出てきたのが天叢雲剣、後の草薙剣。この時欠けたのが天羽々斬剣。
仁★「南総里見八犬伝」に登場する八犬士が持つ八つの玉に刻まれた文字。
犬江親兵衛が「仁」、犬川荘助が「義」、犬村大角が「礼」、犬坂毛野が「智」、犬飼現八が「信」、犬塚信乃が「孝」、犬山道節が「忠」、犬田小文吾が「悌」の玉を持つ。
礼★
忠★★
ラピュータ
セトエジプト神話に登場する神。オシリスの弟。荒々しさ、敵対、悪、戦争、嵐、外国の土地などを象徴する砂漠と異邦の神。太陽神ラーとヌトの間に生まれた、オシリス、イシス、ネフティスに続く4番目の子。父はラーではなくゲブであるとの説がある。姿形がハッキリせず、一般的にはジャッカルの頭を持つ人間の姿をしているとされる。粉砕・玉砕・大喝采な社長の名前の由来がこの神様。
アテム★エジプト神話の男神、アトゥム。原初の丘ヌンより出し天地創造の神。独身だったため自慰によって大気の神シューと湿気の女神テフヌトを生み出した色々凄い神様。後に太陽神ラーと習合してラー・アトゥム神となる。社長のライバルな主人公の元ネタでもある。
シューエジプト神話の大気の神。湿気の神テフヌトとの間に、大地の神ゲブと天空の神ヌトをもうける。子供たちが抱き合っているところをシューが無理矢理引き離し、天と地とが分かれたとされる。
イシスエジプト神話の女神アセト。イシスはギリシャ読み。オシリスの妻。ナイル河畔のサイスに大規模な神殿があったことで知られる。外見はトビあるいは背中にトビの翼を持った女性として表され、イシスがホルスに授乳する様子などが、イエスの母・マリアへの信仰の元になったといわれる。
オシリスエジプト神話の神。王冠をかぶり、体をミイラとして包帯で巻かれて王座に座る男性の姿で描かれる。セトと争いバラバラにされて殺されてしまったが、イシスが体の欠片を集めてミイラとして復活、冥界アアルの王としてここに君臨し、死者を裁くこととなった。
ゲブ★★エジプト神話の大地の神。妹でもある妻、天空の神ヌトと抱き合っている所を無理矢理シューによって引き離され、天と地とが分かれたとされる。この神話はエジプト神話の中でも特に有名で、横たわったゲブの上にシューが立ち、ヌートを支える図像はよく知られている。
ホウライ
狛犬・阿★★獅子や犬に似た守護獣。阿形の獅子と吽形の狛犬の一対からなる。
狛犬・吽★
スサノオ日本神話に登場する神。ヤマタノオロチを倒し、その尾から出てきた天叢雲剣(草薙の剣)を天照御大神に献上した。
荒魂神の魂の持つ2つの側面のうちの1つ。天変地異、流行り病、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。神の祟りは荒魂の表れである。
和魂神の魂の持つ2つの側面のうちの1つ。雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れである。
カナン
メドゥーサギリシャ神話に登場する怪物。ポセイドンの愛人。ゴルゴーン三姉妹の一人。目を合わせた者を石にしてしまう能力を持つとされる。化け物になった経緯は諸説あるが、アテナよりも髪が美しいと自慢したせいでゼウスに化け物に変えられ、ペルセウスに退治される、というのが有名か。メドゥーサの首から溢れ出た血からペガサス、クリュサオルが生まれ、切り落とされた首はアテナに献上され、イージスの盾へ嵌め込まれた。
アレークト女神エリニュスの一人、止まない者の意味を持つギリシャ女神の一人。元はウラヌスの血から生まれた多数の女神を指すものだったらしいが、アレークト、ティーシポネー、メガイラの三神一柱へと整理された。親殺しや偽誓の罪に対する「復讐の女神」として知られる。
ティーシポネー★殺戮の復讐者という意味を持つエリニュスの一人。ギリシャ神話でエリニュスが関わったエピソードでは、母の死因となったオディプスをいじめ殺したり、母を殺したアルクマイオン、トロイア戦争後にクリュタイムネストラを殺したオレステスを狂気に追いやる等がある。
メガイラ★★嫉妬する者という意味を持つエリニュスの一人。彼女ら三人の女神は非常に恐れられ、本当の名前を出すことすら恐怖されたため、代わりとしてエウメニデス(慈しみの女神たち)と呼ばれた。物凄い名前詐欺である。
エデン
ゼウスギリシャ神話主神。社会秩序、天候、特に雷を司る天空神でもあり、オリュンポス十二神をはじめとする神々の王様。皆様ご存じ浮気王。沢渡止もびっくりの家系図持ち。
雷霆ゼウスの別名でもあり、ゼウスの武器ケラウノスのこと。雷を操るとされる。
光輝ゼウスが纏っていたとされる天界の輝きを纏った鎧に山羊革の胸当て。
恐怖ギガントマキア時にゼウスが纏っていたとされる甲冑の名前。
アトランティス一戦目
ノルン北欧神話の運命の女神。北欧神話では運命の女神は多数であり、ノルンは総称である。長女ウルズ(過去)、次女ヴェルザンディ(現在)、三女スクルド(未来)の三姉妹を指すことが多い。
クローソーギリシャ神話の運命の三女神の長女。過去を象徴する。
ラキシスギリシャ神話の運命の三女神の次女。現在を象徴する。
アトロポスギリシャ神話の運命の三女神の三女。未来を象徴する。
メグスラシル★★古エッダの詩の三番目、「ヴァフズルーズニルの歌」に名前だけ出てくる霜の巨人。ノルンの父、または血縁者ではないかとされる。
モズグズ★モーズグズ。北欧神話に登場する巨人の女性。ヘルヘイムに行く際に渡る橋、ギャッラルブルーの番人をしている。
アトランティス二戦目
オーディン北欧神話の主神であり戦争の神。神槍グングニルを携える戦士として知られるが、同時にルーン文字を主とした呪術を極めた魔神として名高い。ヴァルハラにて、高潔な生き様を見せて亡くなった戦士たち(エインヘリヤル)を従える。
勇ましいエインヘリヤルエインヘリヤルとは、その生き様を認められ、死後にヴァルハラに迎え入れられた戦士を指す。
彷徨うエインヘリヤル★
高貴なるエインヘリヤル★★
ヴァルキリー戦場でエインヘリヤルを選定する役割を持つ戦の女神。勝利を司るブリュンヒルデや、運命の女神スクルドを始めとした複数の女神の総称である。
ヒラニプラ
ナイアラルトホテップクトゥルフ神話の旧支配者の一柱。ニャルラトホテプとも表記される。旧支配者の中でも、天敵である一柱クトゥグアを除けば最強の存在である。最強故に、他の全ての存在を軽視しており、人間はもとより旧支配者達をも寄せ付けない。その姿は固定の姿を持たず、千の顔を持つとされる。
アレス★戦争を司る神。膂力に長けた神であるが、性格の荒々しさが強調される。当時、平和であったギリシャでは忌み嫌われる存在であったためか、悪印象を与えるエピソードが多く伝わっている。
アポロンギリシャ神話の神。オリュンポス十二神の一柱。音楽、芸術を司る神として知られるが、弓矢の神、牧畜の神でもある。輝ける光を持つ青年神として描かれ、美の象徴でもある。
デメテルギリシャ神話の女神。オリュンポス十二神の一柱。豊穣を司る大地の女神。
ヘルメス★★ギリシャ神話の神。ゼウスの子で神々の伝令役。ゼウスの忠実な部下で、神話では多くの密命を果たしている。百眼の巨人アルゴスを殺したことからアルゴス殺しの異名を持つ。ペルセウスにハルペーやサンダルを貸し与えたのも有名か。ヘルメスの持つ神々の伝令の証である杖、ケーリュケイオン(カドゥケウス)の意匠が欧米の医療機関や、軍隊の医療部隊章として、広く用いられている。
ラピュータ・ホウライ~襲撃
神農中国神話の登場人物。多くの植物を食べ、民に食用と毒草の違い(医療)を教えた。医薬と農業を司る神。
伏義★中国神話に登場する神。その他、紀元前3350年~紀元前3040年に存在したらしい王の名でもあり、魚網や家畜飼育・調理法・漁撈法・狩り・鉄製を含む武器の製造を開発し、婚姻の制度を定めたらしい。
盤古★★中国神話の神で、宇宙開闢の創世神とされる。が、伏義・女禍よりかなり時代が下った後に考え出された神様。天地を作り出した後、遺体から万物が生まれたとされる。
女禍中国神話に登場する人類を創造したとされる女神。封神演義にも登場する。
蚩尤中国神話の登場人物。神農の子孫とされている。兵器の発明者とされ、霧をあやつる力があったとも言われている。
カナン・エデン~襲撃
アスモデウス多くの伝承に登場する悪魔。ゾロアスター教では狂気と暴力のアエーシュマ、キリスト教では7つの大罪のうち「色欲」の悪魔とされる。
ルシファー悪魔達の総帥。ラテン語で『明けの明星』を示す。堕天して魔王サタンになるとされており、悪魔そのものとも見なされる存在。7つの大罪のうち「傲慢」の悪魔とされる
ベルゼブブ★旧約聖書『列王紀』や新約聖書などに登場する異教神、若しくは悪魔。キリスト教では7つの大罪のうち「暴食」を司るとされる。本来はバアル・ゼブル即ち「気高き主」あるいは「高き館の主」の名で呼ばれており、ウガリット神話の最高神バアルの尊称の一つだったと推測されている。 しかし、バアル・ゼブルの信仰を嫌ったヘブライ人は侮蔑をこめて、音感の似たバアル・ゼブブすなわち「ハエの王」と呼んで蔑み、旧約聖書においても邪神として扱った。
リヴァイアサン★旧約聖書に登場する海の怪物。レヴィアタンとも。神が天地創造の5日目に造りだした存在で、同じく神に造られたベヒモス、ジズと三頭一対。7つの大罪では、「嫉妬」を司る悪魔とされている。
サタン★★ユダヤ教、キリスト教とイスラム教における悪魔。ユダヤ教、キリスト教では神の敵対者、イスラム教では人間の敵対者とされる。7つの大罪のうち「憤怒」の悪魔。多様な面を持つが故に、サタンという悪魔に関しては扱いがあいまいなことが多い。
マモンマンモンとも。キリスト教における7つの大罪の一つ「強欲」を司る悪魔。中世ヨーロッパのカトリック教会は、免罪符問題などに代表されるが、とかく教会の建築費(あるいは腐敗した聖職者の着服)等の金銭を必要としており、そこから御布施を出さない者を守銭奴として非難し、また、七つの大罪で強欲を特に嫌っていた事実がある。つまり、マンモンとは皮肉ながら教父らが作り上げた悪魔なのである
ベルフェゴール★★キリスト教における、7つの大罪「怠惰」の悪魔。古代モアブで崇められた神バアル・ペオルを前身とする。ベルゼブブ同様、キリスト教の浸透とともに一神教に基づく聖書世界で卑小化され、悪魔とされていった。
アトランティス~襲撃
シヴァヒンドゥー教の三主神の一柱。破壊を司る。いくつもの顔を持ち、暗黒神マハーカーラとなる時、世界を崩壊させるという。女神パールバディを妻とする。
ヴィシュヌ★ヒンドゥー教の三主神の一柱。維持・繁栄を司る。10の化身(アヴァターラ)を持ち、様々な物語に異なった姿で登場する。女神ラクシュミーを妻とする。
ブラフマーヒンドゥー教の三主神の一柱。創造を司る。世界を創造する役割を持ち、世界が崩壊した後も新たに創造する役割を持つ。女神サラスバディーを妻とする。
梵天★★ブラフマーが仏教に取り入れられ、仏教の守護神の一柱として祀られたもの。帝釈天と対となる。
シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーと来て、後の一人が梵天なのはいささかミスマッチな気がしてならない。
ヒラニプラ~襲撃
大国主命因幡の白兎の人。国造りの神、農業神、商業神、医療神などとして信仰される出雲伝説の神。日本書紀ではスサノオの息子、古事記では孫ともされる。
月夜見尊★日本神話の神。天照の弟神。天照と同じくイザナギによって生み出されたが、神格が文献によって相違があって安定しない。一般的には名が示す通り、月を神格化した、夜を統べる神であると考えられている。
倭大国魂神日本神話の神。日本大国魂神とも。出自がはっきりせず、大国主神と同神とする説、大国主神の荒魂であるという説もある。古事記伝では同神説が否定されている。
天照大神★★日本神話に登場する女神。太陽を神格化した神であり、皇室の祖神の一柱とされる。伊勢神宮の祭神。
被占領
ビーマインドの叙事詩「マハーバーラタ」に登場する英雄。呪いにより子を成せなかったクル王パーンドゥと第1王妃クンティーが神々との間にもうけた5子の内、風神ヴァーユとの間に出来た次男。幼少の頃から超人的な怪力の持ち主で、棍棒、拳闘に優れた才能を発揮し、叙事詩では大英雄アルジュナにひけをとらない活躍をする。今日でもインドで怪力の持ち主のことをビーマと呼び、親しまれている。
アルジュナ★★インドの叙事詩「マハーバーラタ」に登場する英雄で、ビーマの弟でインドラの息子。健全で円満な性格、健康な肉体に宿る健康な精神、彼の母、妻、友人誰もが彼を大事に扱い誇りとしたとされる。また、体格がよく、大変に美男子であるといわれたかなりの色男で、離婚もせずに4人と結婚した超リア充。
ドラウパディーインドの叙事詩「マハーバーラタ」に登場する女性。父が花婿選びの為に人間では引くことのできない強弓を用意したが、神の子であったアルジュナがその弓を引き的を射たため結婚する事となった。帰って来た彼等は家の外から「母上、予が何を手に入れて来たか信じられないでござろう。当ててごらんくださいませ」と母へ叫んだが。彼女は仕事で忙しかったため「それが何であっても、均等に分け合い、そのことで喧嘩をしてはなりませぬよ」と言った。彼らは母のこの何気ない言葉を真に受け、ドラウパディーを5人の共通の妻とする事に決めた。

ミッション

源義経

名前解説
平氏の残党
平良将平安時代中期の武将。桓武平氏の中心的人物で、平将門の父。
平貞盛?-989年。平安時代中期の武将。従兄弟にあたる平将門とは敵対関係にあり、藤原秀郷や藤原為憲と共に将門を討ち取った。
平高望平安時代中期の皇族。桓武天皇の孫(もしくは曾孫)にあたる。
平将武?-940年。平安時代中期の武将。平将門の弟。将門と共に戦ったが、将門の死後、将武もまた討ち取られている。
平氏の残党再び
平教経1160-1184年。平安時代末期の武将。平家随一の猛将で、義経のライバルとされた。壇ノ浦の戦いでは義経に挑みかかるが、有名な「八艘飛び」によって逃げられ、戦死している。
平忠盛1096-1153年。平安時代末期の武将。平清盛の父。白河院政・鳥羽院政において重要な役割を果たした。
平頼盛★1133-1186年。平安時代末期の武将。平忠盛の正室の子で、平清盛の異母弟。保元の乱では兄の清盛らと共に後白河天皇方に付いて戦った。しかし清盛が実権を握るとその立場は微妙なものとなっていく。平家没落後は一族と運命を共にはせず、かつて頼盛の母に助命されたことから恩義を感じていた源頼朝の厚遇を受け、余生を過ごした。
平通盛1153-1184年。平安時代末期の武将。一の谷の戦いで義経らの軍勢と戦い、戦死する。妻の小宰相はその後を追って身投げしたという。
平将国平安時代中期の武将。平将門の子。父将門の死後は再起を図って落ち延びたと言われる。
平良門★平安時代中期の武将。平将門の子。浄瑠璃や歌舞伎などでは源頼光に討伐される妖怪として登場する。
打倒!平の呪い
平維衡平安時代中期の武将。平貞盛の子。伊勢平氏の祖。
平正度平安時代中期の武将。平維衡の子。
平正衡平安時代中期の武将。平正度の子。
平兼盛★?-991年。平安時代中期の歌人。拾遺和歌集、後拾遺和歌集における代表的な歌人の一人。

武蔵坊弁慶

名前解説
武器集め 1000本目!
オリヴィエローランの歌の登場人物。シャルルマーニュ(カール大帝)十二勇士の一人。ローランの親友で名剣オートクレールの持ち主。ロンスヴォーの戦いでローランがプライドに拘り援軍を呼ぶことを拒否したために、彼と共に壮絶な討ち死にを遂げた。
マルガニスローランの歌の登場人物。十二勇士と敵対するスペインの将軍。ロンスヴォーの戦いでオリヴィエに致命傷を与えるが、彼によって自身もまた倒される。
フィエラブラ★フランスの伝説に登場する人物。スペイン王バランの息子で、イスラムの巨人戦士。オリヴィエのライバル。後にキリスト教へと改宗している。
オード★★ローランの歌の登場人物。オリヴィエの妹で、ローランの婚約者。

安倍晴明

名前解説
百鬼夜行退治
犬神狐憑きなどに代表される、動物の憑き物の一種とされる。憑かれることで人にあるまじき凶暴さを示す。通常の治療では治らず、祓いを必要とする。「蠱毒」として人為的に作られることもあり、平安時代には重度の呪いの一つとして恐れられた。*注:「蠱毒」とは複数の動物を殺し合わせ、動物達の血と恨みを結集させた最後の一匹を呪いに用いる呪法。
のっぺらぼうほとんど人と変わらない容姿だが、顔には目・鼻・口が一切ない妖怪。人を驚かせることで有名だが、それ以外の害は無いことが多い。
酒呑童子★しゅてんどうじ。大江山に本拠地を置き京都で暴れまわったとされる最強の鬼。出生には諸説あり、定かではない。一説ではスサノオの子供とも考えられている。
さるとらへび「鵺」のような生き物。頭は「さる」、胴体は「とら」、尻尾は「へび」とされる。
海坊主船に乗っていると突如として海から現れる妖怪。船を沈めにくることもあり、無害なこともあるとされる。船幽霊とも、自然現象とも言われる。
隠し神逢魔が時(夕暮れ時)に現れ、子どもを攫うという。神隠しを起こす妖怪の総称。親が子どもたちを遅くまで遊ばせないように諭すときに用いられる。

孫六兼元

名前解説
ヒヒイロカネを求めて
アッコロカムイアイヌ民話に伝わる巨大なタコ。
ヴォジャノーイ東欧に伝わる妖精。
アスピドケロン北欧に伝わるクジラに似た海の怪物。
トゥリモンストゥルム★古生代の海に棲息していた謎の無脊椎動物。

三蔵法師

名前解説
石窟に眠る書物
盗跖春秋時代、魯国の盗賊。多くの手下を従えていた。盗賊の代名詞とされる事も多い。
彭越?-前196年。字は仲。秦末~前漢初めにかけて活躍した盗賊であり武将。初めは盗賊だったが後に劉邦に従い軍功をあげ、梁王になる。しかし有力外様武官の例に漏れず漢建国後に処刑される。
蘇峻★?-329年。字は子高。八王の乱に始まる混乱の中で盗賊まがいの行為をしながら力をつけ、東晋の武将になるが、権力争いの後、暴虐の限りを尽くすようになり、義軍に襲撃され敗死した。
燕順水滸伝の登場人物。序列50位。地強星、錦毛虎。青風山の山賊の頭領だった。旅人の身ぐるみを剥いで殺害した後、肝吸をつくろうと言いだすような性格だが、責任感や義侠心が強い。梁山泊では騎兵隊を率いる。
張燕★生没年不詳。褚燕、飛燕などとも呼ばれる。十万の軍勢を抱える黒山賊の首領。黄巾の乱に呼応して付近を荒した。乱後も勢力を保つが後に曹操に降伏し魏の将軍となる。

ガリレオ

名前解説
謎の声の調査
ニュートン★1642-1727年。アイザック・ニュートン。解説するまでもないほど有名なイギリスの物理学者、数学者、哲学者。万有引力の法則を発見し、ニュートン力学を確立させた。科学者としてよく知られるが、彼自身は宗教、哲学、錬金術など、広い分野の研究も行っていた。
ケプラー1571-1630年。ヨハネス・ケプラー。ドイツの天文学者。惑星の運動法則を示した「ケプラーの法則」などで知られる。
ご機嫌ガリレオ
フェリエ異端審問官。ナルボンヌの住民を異端者呼ばわりし、激怒した住民にドメニコ会の僧院を破壊されてしまった。
ハインリヒ・クラマー★1430-1505年。ドイツ、ドメニコ会の異端審問官。シュプレンガーと共に「魔女に与える鉄槌」という魔女に関する論文を書き記し、血塗られた魔女狩りの時代を招くきっかけを作った。
シュプレンガー1436頃-1495年。ヤーコプ・シュプレンガー。ドイツ、ドメニコ会の異端審問官。クラマーと共に「魔女に与える鉄槌」を記したが、シュプレンガーは名義を貸しただけで内容にはほとんど関わっていないとされる。
ベルナール・ギー1261頃-1331年。フランスの修道士、異端審問官。審問の手引書とも言える「異端審問の実務」という本を著した。生涯を通して1000件に近い審問を行っているが、そのうち火刑は40件ほどと少なく、彼自身は拷問にも否定的だったと言われる。
ロベール・ル・プティフランスの異端審問官。数百人に火刑を宣告したが、刑罰が重すぎるとして1年で解任された。
ギヨーム・レモン★異端審問官。ピエール・デュランと共に「ナルボンヌの訴訟手順」という審問の手引書を記した。

トリスタン

名前解説
反乱の騎士たちを退治
クラルスメモ:円卓の騎士(クラウス、クラリス)
マーハウス★
ラモラックメモ:円卓の騎士
ベレアスメモ:円卓の騎士(ベレウス、ベリアス)
アロック★★

ファウスト

名前解説
メフィストフェレスを追え
メフィストフェレスファウストが召喚したとされる悪魔。堕天使という説もある。死後の魂と引き替えにファウストの望みを叶える約束をする。恐怖の対象であった旧来の悪魔観を、身近な存在に変えたとも。
ダンタリオンソロモン72柱の一体。あらゆる学術知識を教える、人の心を読み操る、他者の秘密を明らかにする、愛を燃え上がらせる、幻覚を送り込む等の力を持つ。
ザガンソロモン72柱の一体。あらゆる金属を硬貨に変換させる力を持ち、ワインを水に変えることもできる。また召喚者に知恵を授けるとも。
アンドロマリウスソロモン72柱の一体。盗品を取り返えす力や、秘密の財宝や策略、陰謀を発見する力を持つ。
セーレソロモン72柱の一体。世界のどこへでも一瞬で移動したり物を運んだりできる。召喚者に協力的で、忠実に望みを叶えてくれるという。

ノストラダムス

名前解説
アンゴルモア発見?・アンゴルモア討伐
アンゴルモアノストラダムスの予言集に出てくる言葉。「恐怖の大王がアンゴルモアの大王を蘇らせる」と語られている。「アンゴルモア」とはフランスの地名「アングーモワ」を指しただけの言葉だという説が有力となっているが、創作物では「アンゴルモアの大王」と「恐怖の大王」が混同された結果、「アンゴルモア」自体が災いをもたらす存在の名前であるかのように扱われることが多い。

パーシヴァル

名前解説
パーシヴァルの鎧
エドワードメモ:円卓の騎士
エピノグリス★ノーサンバランド王の息子。馬上試合等にも登場する。恋する男は強いのか?というしょうもない理由でラモラックと戦う。
ドディナス★★マーホールトの乙女の冒険で登場以後、馬上試合などに名前がある。
オザンナ卿マーホールトの乙女の冒険で登場。馬上試合等で度々登場する。
アレミラメモ:円卓の騎士

エンキドゥ

名前解説
エンキドゥのお手伝い
フンババギルガメシュ叙事詩に登場する巨大な怪物。ギルガメシュとエンキドゥにより倒されるが、神の森の番人であるフンババを殺したことで2人は神の怒りを買ってしまう。このことが一因となって後にエンキドゥは命を落とすことになった。

ユーウェイン

名前解説
一人でできるもん!
黒騎士泉を守る黒騎士アスカローン。ユーウェインが決闘を挑み、討ち取った。その後、彼の妻ローディーヌを娶ったユーウェインが泉の守護者を引き継ぐこととなる。

ヘラクレス

名前解説
恩人の願い
ゲーリュオーンヘラクレスの十二の功業の一つ「ゲーリュオーンの牛の生け捕り」より。ギリシャ神話に登場する、三つの頭に六本の手足を持つと言われる牛飼いの怪物。ダンテの神曲にも出てくるが、蛇の胴体に翼を持ち二本の蠍の尾とキメラに近い姿になっている。
ヒッポリュテ十二の功業の一つ「ヒッポリュテの腰帯の入手」より。女だけの部族アマゾンの女王。誤解によってヘラクレスに殺されてしまう。
ヘスペリデス十二の功業の一つ「ヘスペリデスの黄金の林檎の入手」より。ヘラのりんご園を世話する妖精たち。
ケルベロス★十二の功業の一つ「ケルベロスの生け捕り」より。ギリシャ神話に登場する三つ首の犬の怪物。テュポーンとエキドナの子で、冥界の門を守る番犬を務める。
スフィンクス★★ギリシャ神話に登場する、人の上半身、獅子の胴体、鷲の翼を持つ怪物。エジプトを起源とする。謎かけをオイディプスに解き明かされ、身を投げて死んだという。
なぜかこれだけはヘラクレスの功業とは関係がない。
最後の願い
ヒドラ十二の功業の一つ「ヒドラ退治」より。テュポーンとエキドナの子で、九つの首を持っていたという水蛇。猛毒を持ち首の一本が不死であったが、ヘラクレスによって退治される。この毒を以後のヘラクレスは矢に塗って使用した。
ケリュネイアの鹿十二の功業の一つ「ケリュネイアの鹿の生け捕り」より。黄金の角と青銅の蹄を持つ鹿。ヘラクレスは女神アルテミスへの捧げ物として生け捕りを命じられるが、捕まえるまでに一年かかったという。
クレタの牡牛十二の功業の一つ「クレタの牡牛の生け捕り」より。ポセイドンがクレタ王ミノスに王位継承権の証として送った牡牛。この牡牛を生け贄に捧げるという約束をミノスが破ったため、怒ったポセイドンにより凶暴化。ミノスの王妃も呪いにより牡牛を溺愛し、後に牛頭人身のミノタウロスを産む。
エリュマントスの猪★十二の功業の一つ「エリュマントスの猪の生け捕り」より。アルテミスが放ったという、エリュマントス山に住む人食いの大猪。ヘラクレスによって捕えられた。
ステュムパーリデスの鳥★★十二の功業の一つ「ステュムパーリデスの鳥退治」より。身体の一部が青銅でできた怪鳥。ヘラクレスはヘパイストスから授かった鳴子の音で驚かせ、飛び立ったところをヒドラの毒矢で次々と射殺したという。

その他

コメント

  • トルイとテムゲ・オッチギンをウィキペディア先生の記述を元に一部修正。前の方が正しかったら戻してください。 -- 2012-06-07 (木) 20:53:09
  • ペリーは、兄のオリバー・ハザード(「エリー湖の戦い」の指揮官)の方じゃないかと。 -- 2012-06-09 (土) 02:48:40
  • クラッススの説明ww -- 2012-06-16 (土) 01:55:45
  • 書式がきれいに整理されている! 整備された方お疲れ様です。 -- 2012-08-29 (水) 16:59:02
  • オーストラリアのダミアンは神父のほうでなくロベール・フランソワ・ダミアンのほうでは?処刑された人物ばかりのオーストラリアにダミアン神父がいるのは変な気がする。直しちゃっていいかな? -- 2012-12-17 (月) 19:21:22
  • ダミアンを編集した者だけど、そっちの方が正しそうだから遠慮なく直しちゃってくれ -- 2012-12-19 (水) 19:51:52
  • この中でイスラム教徒はムーサーとバルバロス・ハイレッディンだけかな? -- 2013-06-01 (土) 20:54:49
  • 今更プレイしている者ですが、この名鑑は壮観だなぁ -- 2014-03-21 (金) 17:57:34
  • そういえば、ミケランジェロってVitaでネームドになるな。 -- 2014-04-07 (月) 01:25:50
  • GOLD版が楽しみ -- 2014-04-08 (火) 02:51:35