Mk I Grant

Last-modified: 2023-06-30 (金) 22:48:11

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概要

チェニジアキャンペーンの連合軍で軍事レベル18で使える車両である。

使用可能キャンペーン

モスクワノルマンディーベルリンチュニジアスターリングラード太平洋戦争
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車両性能

項目数値
乗員(人)6人
砲塔旋回速度(°/C)12° / C
俯角/仰角(°)-9 /+20
リロード速度(秒)4.8
車体装甲厚
(前/側/後/底)(mm)
51 /38 / 38/ 13
砲塔装甲厚
(前/側/後)(mm)
76 /51/ 38
馬力340hp at 2400rpm
重量(t)27.9
視界(%)△△
速度(km/h)38.68

武装

名称搭載数弾薬数貫徹力
(前/側/後)(mm)
主砲75mm M2砲165△△ / △△ / △△
副砲37mm M5 砲1128△△ / △△ / △△
同軸機銃7.62mm M1919A4 機関銃14000△△ / △△ / △△

解説

チェニジアキャンペーンの連合軍で軍事レベル18で使えるアメリカ製のイギリス軍中戦車である。

特徴

装填の速い37mm砲と歩兵掃討に役立つ同軸機銃、そして強力な75mm砲を持つ。
また十分に厚い正面装甲と広い車内に分散した6人もの乗員により生存性能も高い。
ーー加筆求むーー

 

【火力】
車体右側のスポンソン(履帯上に張り出した車体部分)に75mm砲を砲郭式に搭載し、車体上部の砲塔には37mm砲を持つ。
37mm砲はこれまでに用いていた2ポンド砲とほぼ同等の性能があり、無炸薬ではあるものの高貫通力のAP弾を高レートで撃つことができる。
75mm砲のAP弾も同様に無炸薬であるが口径が大きいことから貫通時に発生する破片量は多い。
また75mmHE弾は高い破片効果を持ち広範囲に展開する敵歩兵をまとめて掃討することができるほか、屋内に籠る敵兵に対しても高い制圧力を発揮する。
さらに37mm砲の同軸には装弾数の多い7.62mm機銃を持つ。

ーー加筆求むーー

 

【装甲】
正面の大部分は傾斜装甲であり高い防御力を持つ。
車体正面上部は緩やかに傾斜した50.8mm装甲でセモベンテ?三号戦車J型、対戦車砲で貫通可能だが面積はさほど大きくない。
砲塔正面は傾斜した76mm装甲を持つためよほどの至近距離でもない限り対戦車砲でも貫くことはできない。

ただしバイザーやハッチ、防盾や照準器は38mm厚しかなく弱点となっておりM14/41?でも正面から貫徹可能である。
また75mm砲直下の車体正面もほぼ垂直の38mm装甲であり、部位によっては貫通弾が75mm弾薬庫に直撃しかねない。

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【機動性】
いかにも鈍重そうな大柄の車体だが搭載しているエンジンは航空機用のものであり、その出力は340馬力もある。
出力重量比はDaimler Mk IIを越えるほどであり、最高速度こそ38.86km/hと高いものではないが走り出しがスムーズなことから機動力に大きな不満を感じることは少ない。

ーー加筆求むーー

 

【総論】
対歩兵・対戦車を同時にこなせる高い攻撃力と信頼に足る防御力を持つ。
また車体が大きいため車内は広く、そのなかに最大6人もの乗員が分散して搭乗しているためしぶとく生き残れる生存力も持つ。
機動力も悪くないことから陸戦においては極めて強力な戦車だといえる。

一方で車体が大きいことで空からでも発見されやすく爆撃の標的になりやすい。
……というより爆撃する以外に安定して倒す方法がほとんどない。
防御力・生存力は高いはずなのだがそれゆえにヘイトが極めて高く、500kg爆弾を抱えたスツーカが頻繁に自爆特攻をしてくるため実際の生存時間はそれほど長くない。

また75mm砲は強力だが砲郭式であるため射角外にまわられると役に立たなくなるうえ、低い位置についているため地形や障害物で車体を隠すハルダウン戦術を用いることができない。
砲塔は高い位置にあるため接近されると37mm砲や同軸機銃は俯角が足りなくなるといった欠点もある。

初期状態では乗員は3人しかおらず37mm砲手・75mm砲手・操縦手に割り振られることから攻撃の都度37mm砲手と75mm砲手を切り替える必要がありとても忙しい。
37mm砲はこれまで通りの感覚で使えるのだが、75mm砲の照準器は砲の迎俯角に合わせて動かず照準線だけが上下する方式(潜望鏡型照準器)であるためやや使いづらい。

乗員を増やし車長視点が使えるようになると37mm砲と75mm砲を同時に操作することができるようになる。
ただし37mm弾よりも75mm弾のほうが弾速が遅く弾道も大きく異なるため距離が離れるほどこの二つを同じ場所に当てることはできなくなる。
また車長用バイザーと37mm砲・75mm砲は位置が離れているため至近距離では着弾点が照準とズレたり、車長視点で射線が通っているように見えても実際には地形や障害物で阻まれているという状況もありうるため状況に応じて使い分ける必要がある。

史実

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Mk I Grantはアメリカで開発されたM3中戦車をイギリス軍向けに改修・製造した車両である。

1939年、ドイツ軍装甲師団はポーランド侵攻に際して機甲部隊による新戦術「電撃戦」を展開した。
当時装甲師団の保有する戦車はほとんどが機関銃や機関砲を装備した1号戦車や2号戦車で占められていたが、数百両ほど5cm砲や7.5cm砲を有する3号戦車や4号戦車も投入されていた。
このときアメリカ陸軍の最新鋭中戦車は37mm砲とM1919機関銃を7~9丁装備したM2中戦車だった。
これは機関銃を多数装備していることからも分かる通り、塹壕や陣地を突破し対人戦闘を行うことを主目的とした古い設計思想の戦車だったことから劣勢は明らかであった。
そのM2中戦車ですら米陸軍はたったの数十両しか保有しておらず大半はより武装が貧弱で装甲の薄いM1・M2軽戦車だった。

1940年、ドイツはフランスに侵攻。
3号・4号戦車はさらに配備を進められており、装甲師団の数も増えていたうえ1号戦車を改造した自走砲なども配備されていた。
ここでもドイツ軍機甲師団は電撃戦を展開し難攻不落の要塞線とされたマジノ線を迂回しアルデンヌの森を突破。
極めて短期間のうちにフランスを降伏させることに成功した。

この結果を受けて米陸軍は本格的な機甲部隊を発足させることを決定。
それにあわせてM2A1中戦車の増産計画も立てられたが、次期中戦車が装甲を強化し75mm砲を搭載することが決まったことで計画は破棄され、M2A1中戦車の代わりに新型のM3中戦車を生産することになった。

しかし75mm砲を搭載することができる大型砲塔とそのターレットリングの設計と製造の経験がなかったため製造までには時間を要するという懸念があったため、つなぎとしてT5試作中戦車の車体前方右側に75mm榴弾砲を搭載したT5/E2中戦車の設計を流用した戦車を急造することとなった。

T5/E2中戦車の設計を継承したM3中戦車は高い車高を持ち、車体右側のスポンソンに砲郭式にM2 75mm砲を搭載したほか、車体上の砲塔にはM6 37mm砲とその同軸にM1919重機関銃、砲塔上にもM1919重機関銃を搭載した車長用の銃塔が載せられ、車体左側の前面にはM1919重機関銃が連装で取り付けられるなど極めて奇妙な形態となった。

このときイギリスでは海外派遣軍を編成しフランスに派遣していたが、西部電撃戦によりダンケルクでドイツ軍に包囲されイギリス本島への撤退を余儀なくされていた。
その際におよそ3万人もの兵員を捕虜とされたうえ、700両もの戦車をはじめとした重装備の大半を放棄しなければならなくなった。

大量の戦車を失ったイギリス軍はアメリカにイギリスの戦車を生産させようとしたが、結局M3中戦車をイギリス軍仕様に改修したものを製造してもらう契約を結んだ。
イギリス軍では戦車に無線手を乗せず車長が無線手を兼任していたことから、車長席近くの砲塔内に無線機を移設し、それに伴い砲塔を大型化するなど、イギリス軍向けの改修が行われた。
このイギリス軍仕様の砲塔を持つM3中戦車をイギリス軍では南北戦争時の北軍の陸軍総司令官ユリシース・S・グラント中将にちなんで"ジェネラル・グラント"と、アメリカ軍仕様のM3中戦車は南軍の陸軍総司令官ロバート・E・リー大将にちなんで"ジェネラル・リー"と呼んだ。

リーとグラントともにアメリカとイギリスによって北アフリカ戦線に投入されたが背が高いことから見つかりやすく、また37mm砲と75mm砲の二つの砲を持っていたことからしばしば車長を混乱させたうえ、75mm砲は車体に搭載されていたため車体を隠すハルダウン戦術をとることもできなかった。
またアメリカの潜望鏡型照準器は砲と照準器の旋回軸は共通していても迎俯軸は異なっていたため照準の調整が面倒だった。
さらに砲自体は大きく迎角をとることができたにもかかわらず間接照準器を持っていなかったことから間接射撃もできず支援砲撃にも向かなかった。
そのうえ75mm砲は砲郭式をとっていたため水平射界が狭く、これがドイツ軍に露見するとドイツ軍はすぐさま主砲が指向できない位置に戦車を回り込ませる戦法をとったことで対戦車戦でも不利を強いられた。

これだけ欠点だらけのように思えるグラントだが、それでもイギリス軍では歓迎された。
当時のイギリス軍戦車は2ポンド砲(=40mm砲)や6ポンド砲(=57mm砲)しか装備しておらず、またどういうわけかそれらの砲には徹甲弾しか用意されていなかったためである。
(榴弾は1943年から配備され始めるが北アフリカ戦線は1943年5月に終結する。)
強力な榴弾を撃つことができ対戦車戦闘も行えるグラントは貴重な存在だったのである。
また同時期に配備されていたクルセイダー巡行戦車よりも機械的な信頼性が高かったこともそれに拍車をかけた。

結局グラントは1942年にアメリカがM4中戦車を量産しそれがイギリス軍に配備されるようになっても使用され続け、1943年に北アフリカ戦線が終結するまで対戦車戦闘に用いられた。

その後は完全にM4中戦車に置き換えられヨーロッパ戦域で使用されることはなかったが、イギリス軍に残った車両は東南アジアに送られインパール作戦に投入されるなどして日本軍とも戦った。

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小ネタ

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出典/参考文献

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