【関連項目】
→キャラクター/【ゴルベーザ】/FF4
→キャラクター/【ゴルベーザ】/FF4TA
→キャラクター/【ゴルベーザ】/DFF
FF4(DS版)
ゴルベーザの本名。
セオドールは「神様の贈り物」と言う意味。
父クルーヤが何者かに殺されて、
その後、母セシリアは弟セシルを出産したため死亡。きっと難産だったのだろう。
そして両親を立続けに失った悲しみをゼムスにつけこまれ、「全ては弟のせいだ」と思うようになる。
さらにゼムスの思念が「お前は毒虫(ゴルベーザ)」と囁き始め、自分もそう思い込むようになり、ゴルベーザを名乗るようになった。
因みに、セオドールによってバロン城付近に捨てられたセシルは、バロン王に拾われることになる。
- 自ら手を下さなかったあたり、思念よりも最後の理性が勝ったのだろうか?
- 小説版曰く「殺す事は出来なかった。修羅の道を進む自分の姿をセシルにだけは見られたくなかった」らしい。捨てる事が最後の愛情だったのだろう。
いかにも悪役然とした「ゴルベーザ」が本名でなくて安心したのは私だけだろうか?
- クルーヤ「この子の名前はゴルベーザだ!かっこいいだろう?」
セシリア「幸せな一生を送るわ、きっと…!」
……いやだあああ。
命名者はセシリア。しかしクルーヤの「まさに神様の贈り物だ」発言を受けて思いついたのかもしれない。
実は“Theodore”(セオドア、テオドールなどの読みが一般的だが、セオドールと読む例も無きにしも非ず)はギリシア語で本当に「神様の贈り物」を意味する。これ知ってびっくりした。ちなみにFF4TAセオドアのスペルは“Ceodore”である。
- そういう名前の発音の違いって言語・方言に拠るものだから日本語みたく多数派少数派で考えちゃダメ。
例えばCatherineは英語でキャサリン(ちな英語ではKatherineの綴りもある)、フランス語でカトリーヌだが、
フランス人のCatherineさんに「一般的にはキャサリンだがカトリーヌとも読む」とか言うようなもん。
9才以下(セシルが生まれる前)ですでに魔法を使えるようになっていたことが判明。ゼムスに洗脳される前からやっぱり魔法の素養はあったのだろう。
- ゴルベーザは黒魔法しか使ってこないが、もともと白魔法の素質がなかったのか、父親を救えなかったトラウマで白魔法を習得しなかったのか、真相は闇の中である。
- FF4では、魔法は小さい頃から修行しないとなかなか使えるようにならないのだと実感。セシルが魔法の発達していないバロンではなく、このまま親元で育てられるかミシディアあたりで拾われたら騎士ではなく白魔道士になったいたんだろうなぁ、と思う。
DS版FF4において、セシルパーティ以外で操作することになる唯一のキャラ。
性格は家族思いの普通のいい子。セシリアの「きっと幸せな一生を送るわ」というセリフが未来を思うと悲しすぎる。
FF4TA
FF4TAでは黒衣の男がこの男なのでは?と思われたが、そうであることが判明した。
ただし、キャラクター名はゴルベーザ。
- リディア編のイベントバトルでは「黒衣の男」、月の民編では「ゴルベーザ」。
集結編では自らの正体を明かしていないため再度「黒衣の男」としてパーティに加わる。
月の民編のレベル・装備等は引継ぎ。
集結編の最後で正体を明かすため、終章前編では再度「ゴルベーザ」として参加。
結局最後までこの名前で呼ばれることはなかった。
「罪は背負わねばならぬ。この名とともに…」と言っているので、あえて「ゴルベーザ」と名乗っているのだろう。
- FF4ゼムス戦での最大HP2943が「憎しみ」の語呂合わせだったのに対し、FF4TAでの初期最大HPは2971…つまり「償い」の語呂合わせになっている。
- あのタイタン級の外見で「セオドール」って名乗られたらギャップが激しすぎる気も。
- 本名(Theodore)の別の読みがセオドア(Ceodore)と被るって意味でも微妙。なんで伯父の名前を持ってきてしまったんだろう。存命なのに。
- 存命だろうがなかろうが、大切な人から名前をもらうことは珍しくないだろう。
小説版ではローザに「お兄さん」と呼ばれるも、「誰がお前の兄だ。私はゴルベーザだ」と自らゴルベーザと名乗っている。
- 俺は「罪は背負わねばならぬ。この名とともに…」の代わりの台詞だと感じた。
それプラスどうしても仲間にはなれない、と本人が思ってる事の現われであろう。 - DS版をプレイしていないユーザーへの配慮だとどこかの攻略本のインタビュー記事に掲載していたと記憶している。
- しかしゴルベーザにしろカインにしろ、洗脳されたとはいえ悪事をおこなった者にはしあわせになる権利はないと言わんばかりの自己犠牲(のイメージ)っぷりは泣ける
- 誰が義兄さんだ